第91話 現代社会における服飾と変装
次の日、ハルたちは今度こそゆっくりとした一日を過ごした。アイリも前日の食べすぎが効いたのかおとなしい。
いや、ルナだけは忙しそうにしていたか。
メイドさん達を追いかけては個室へと連れ込んで、次々と裸にひん剥いていた。
……採寸をしていたのである。メイドさん用の水着の作成のため、彼女らのサイズを測っていたのだ。
転移によってハルの世界の物質を直接アイリの世界へと輸入可能になったハルは、まず水着の材料を持ち込んでいた。
これによって、直接<魔力化>による解析や、コピーしての量産が可能になり、ついに水着の作成が可能になったのだった。
とはいえ、その日は採寸だけ済ませてその後はルナも休息にあたっていた。彼女もここ数日は慌しく動き回って少しお疲れ気味だ。
昨日出来なかった分のメイド流お祝い術を皆で楽しみながら、作成は次の日、つまり今日へと回す事になった。
「じゃあハル? 先に行っているわ」
「うん。アイリの準備が終わったらすぐに行くよ」
ルナがログアウトして行く。作業はあちら側、ハルの部屋で行う事になった。
こちらでも裁縫は可能なのだが、最新素材を使った水着となると、針と糸での縫製では限界がある。ナノマシンを使った、溶接のような微小単位でのより合わせを行うためには向こうの世界の方が便利だった。
そのため、今日は屋敷を空けて、メイドさん達にもお休みを言い渡してある。
ユキも出かけて行き、お屋敷の中は珍しくメイドさんだけになる予定だ。とはいえ、真面目なメイドさん達のことだ。主の目がなくとも、あまりハメを外したりはせずに、普通にお仕事をして過ごすのだろう。
「ハルさん、お待たせしました!」
ルナに少し遅れてアイリもやってくる。よそ行き用のおめかしをばっちりして、気合十分。
「遠出するみたいだね。……まあ、実際に遠いんだろうけどさ」
「えへへ、新婚旅行ですね?」
「新婚旅行は別の世界か。すごいね」
実際はハルの部屋へ行くだけなのだが、メイドさんが気合を入れてしまったらしい。
余裕があれば、街へ出て観光してみるのもいいだろうか。
そうして、揃いの『行ってらっしゃいませ』の声に見送られて、ハルとアイリも日本へと転移していった。
◇
*
◇
「遅かったわねハル。もう少し早く来れば私の裸が見れたのに」
部屋に着くと、ルナが着替えを終える所だった。服は既に全て羽織っており、身だしなみを整えている所だ。
「なに言ってるのさルナ。……裸って、ポッド使ってインしてたんだ」
「ええ、便利ねこれ。ハルやユキが使うのも分かるわ」
ルナは現在使用者の居なくなったハルのポッドを使っていたらしい。昨日はほとんどログアウトしていなかったので、そうではないかと思っていた。
プレイ時間が物を言うタイプのオンラインゲームをやるにあたって、これほど大きなアドバンテージはなかなか無い。
体調に問題があれば、強制的に切断を受けるところ、睡眠以外のアラートはこれ一台でほぼ無効化できる。
『ゲーマーの必須アイテム!』、という扱いになっていないのは、これが殆ど仕様外の抜け道であるためだ。
身ひとつで電脳世界にダイブ出来る現代の環境において、ゲーム用の周辺機器を揃えるという事自体が無意味な発想であることが一つ。
もう一つがこのポッドが医療用である事。主にこちらが大きいか。
所持に許可が要るため、買おうと思っても買えないこと。そして単純に高価な事だ。それがゲームに使うという認識を外している。
広く知られれば、これもハードウェア面でのチートだと揶揄される事だろう。
住環境によって通信強度が左右されるという更に大きな要因があるため、個人の環境差は今更な話かも知れないが。
「そんなに凄いものなのですか? この、なんでしょう、入れ物? みたいなのは」
「アイリちゃんも入ってみる? お肌がつやつやになるわよ?」
「すごいですー!」
「来て早々、人の嫁を脱がそうとしている……」
ルナは昨日から女の子を脱がしてばかりだ。
「アルベルトによれば私も嫁だわ。嫁同士のスキンシップよ?」
「凄い理屈だ」
既に、ゲーム中よりも背が高くなって、体格差がついたルナがアイリをがっちりと捕獲していた。アイリもきゃーきゃーと喜んでいるので特に止めはしない。
「でもアイリの場合、ただのお風呂なんだよね。ネットにダイブ出来るわけじゃないし」
「お風呂というか、体調管理ね。……それが本来の用途ではないかしら。ゲーム機ではないわよね、これは?」
「失念していたね」
「結局これは何なのでしょうか……」
とにかく凄く便利な物、である。
◇
「そういえば、あなた達の結婚は発表したのかしら? なんでしょう、その、王宮などに?」
ルナが布の裁断をしながら、それを見守る二人と会話をする。
彼女の作業は早いが、それでも十人を超える量だ。それも一人ひとりのオーダーメイド。それなりの時間がかかる。
話題はハルとアイリの結婚、その周知について。ハルとしてもそこは多少気になっていた。
結婚の形式が日本とは違うとはいえ、届出それ自体は存在するようだ。アイリは王女なので一般的な物とは違うだろうが、それでも何かしらあるだろう。アベル王子も書類がどうこう言っていた。
「いえ、特には。祝祭の期間が終われば、書簡は出そうかとは思いますけれど」
「国民はお祝いしてくれそうだね」
「ええ、何の恩恵も授けられないわたくしですが、民には過分に慕ってもらっています……」
「その言い方だと、宮中は荒れるのね?」
「荒れるかどうかは分かりかねますが。歓迎されない事案ではありそうですね」
アイリの立場は、政治的にはいわば男を釣る餌だ。結婚してしまっては、それ以上の貢ぎ物を得られなくなる。
それを当てにしていた政治家にとっては、たまったものでは無いだろう。知ったことではないが。
まず間違いなく、苦言を呈される。知ったことではないが。
「……街の人たちがお祝いしてくれるならそれで良いよ。人気だよね、アイリは」
「そうね、次に買い物に行ったらハルも囲まれそうね」
「ふふっ、ハルさんも人気者の仲間入りですね!」
「石投げられそう」
突然、偶像的な人気を持つ王女をかっさらって行った馬の骨だ。歓迎はされないだろう。
噂好きのプレイヤーによって、ハルの事もすぐ広まりそうだ。頭を抱える。
「そんな事は無いでしょう。アイリちゃんが政略の道具になるのを、街の人達は憂えていたわ。恋愛結婚ならそれだけで歓迎されるわよ」
「詳しいんだねルナ」
「メイドさんと仲がいいもの、私は。街にもたまに行っているし」
と言っても、おとなしいルナだ。モニター型のゲームで村人に片っ端から話しかけていくような、そんな情報収集は行っていないだろう。
ハルのように、周囲で行われる会話全てを脳内で精査して情報を分析したりも出来ない。
彼女は、情報の集まる場所を的確に見つける事、そして少ない情報から全体像を導き出す術に長けている。
その嗅覚をもって、まさに魔境であるリアルお嬢様世界を生き抜いてきたのだ。
「流石はルナお嬢様だね」
「突然なにかしら、このハルは。……まあいいわ、つまりハルの事はもう知れ渡っているわよ、街の人には」
「……なんですと?」
「メイドも買い物に行くときに広めてくれました! 素敵な旦那様がいらっしゃったと!」
「プレイヤーも王女様に使徒の彼氏が出来たと現地で噂しているようね。信心深い人が多いから、良いことだと盛り上がっているみたいよ?」
「僕の知らない所でそんな展開に……」
掲示板などのコミュニケーション機能では、そんな話は出ていなかった。
現地で住人との話はその場のものとして、わざわざ纏めたりはしないのだろう。
信心深い人が多いというのは、カナリーへの信仰だ。
アイリの世界は、既存の、日本で知られる宗教のような物が無いのではないかとハルは思っていたが、民間ではきちんとカナリーは信仰されている。民間伝承のような物だ。日本人としては、特定の『宗教』というよりも馴染みが深く、分かりやすい。
そのカナリーの、唯一の信徒として選ばれたアイリに対する人気も高い。
そして、カナリーのこれも唯一の契約者であるハルが、王女の連れ合いだという事で盛り上がっているらしい。
守護女神によって運命的に引き合わされた男女。美談である。
「ハルはネットで調べられない情報には弱いわね」
「面目ない。ナイトハルトがついに騎士になれた事くらいしか知らないや」
「まあ、ハルにはネットと、いざという時の対処をしてくれれば良いわ。そっちは私達に任せてくれれば」
「嫁ネットワークですね!」
「嫁ネット……」
井戸端会議、と俗な言い方をしようとして、口をつぐむハルだった。
◇
布の裁断が終わり、次はルナの手の中でパーツが組み合わされて行く。
二つの布が、するり、と吸い付いてゆく様にアイリの目が釘付けになり、言葉を失わせている。
さも不思議であろう、針も糸も無く服が仕上がって行く様子は。針も糸も、今も現役で活躍してはいるが、現代においてはこれが主流になってきている。
布同士の重なり合う部分の繊維、それをナノマシンによって繊細にからみ合わせる。
継ぎ目は見当たらず、裏返しても接合部が見えることも無い。デザイン性の向上にも、この方式は一役担っていた。
「すごいですー……」
「見ていても分からないでしょう? 楽しいかしら」
「はい!」
「よーく見れば分かるよ」
「あなただけよハル……、アイリちゃんに変なこと吹き込まないの」
見るというよりも感じるだろうか。アイリが彼女の世界で魔力を感じる事に通じる気がする。
周囲のナノマシンがどのように活動しているか、ハルの感覚は詳細に理解している。
飾り気の無いシンプルな黒い水着に、逆に水着としては装飾過多なフリフリなフリルが取り付けられて行く。合わせてメイド服を表現したものだ。
メイドさん達の水着だった。小さめのエプロンも用意するようだ。一風変わったパレオ、上から付けるスカートのようになるのだろう。
「……どれも大きいです」
「大丈夫よアイリちゃん。ハルはお尻の方が好きだから。アイリちゃんのはお尻を際立たせる作りにするわね」
「一安心ですね!」
「なに言ってんのさルナ……、小さな胸が好き、とか言おうよそこは」
「……それもどうなのかしら?」
「……そうだね、言ってて僕もそう思った」
「どちらにせよ、やりました!」
完成していく水着から、メイドさん達のサイズを推し量って顔を曇らせるアイリ。
ハルは特に女性の胸のサイズにこだわりは無い。小さなアイリの胸も大好きなので、別に気にする事はないのだが、女性としてはやはり気になってしまうようだ。
アイリは背丈も小さく、これ以上大きくならないので余計にだろう。
「アイリも作業を見るのに夢中だし、僕はこっちやっちゃうね」
「覆面の方ね?」
会話が止まったのを見計らい、ハルもこちらでしか出来ない作業にとりかかる。登校の準備だ。
家庭用の複製機からハルは材料タンクを取り出すと、中身のペーストを手作業で専用に加工していく。
そして魔力で分身を作り出すと、その顔に塗りたくって薄く広げていった。
「……慣れたとは思っていたけれど、この世界で分身を見ると違和感が凄いわね。あなた達が部屋にテレポートして来た時もそうだったけど」
「わたくしも、ハルさん達が来てからしばらくは驚きの連続でした!」
「世界が違うって大きいんだね。当たり前だけど。……まあ、ロボットだと思っておこうよ、この体は」
分身の方でそう語る。体全体を覆い終わると、制服を身に着ける。女性陣の視線が突き刺さるようだが、努めて無視した。
「顔と手以外は覆う必要は無いのではなくて? ハル、もう一度脱いで落としましょう」
「そうですね! 服で隠れていますもの!」
「いや脱がなくても落とせるからね?」
だが確かにその通りだろう。面積が少ない方が処理も少なく済む。
本体の方の手にからみ付けるように余分を巻き取ると、表面の情報を処理していく。単純に今の顔の完全コピーで良い。特に複雑な操作を必要としないのですぐに終わった。
「見分けが付かなくなったわね」
「わたくし分かります!」
「……まあ、この世界にはアイリのような六感持ちは居ないから」
「嫁力の成せる業ね」
嫁力はともかく、アイリにも応用できるだろう。余ったそれを、アイリの髪の毛へと這わせてゆく。ペースト状の物が髪を包んで行く感覚に、とてもくすぐったそうに声を漏らしていた。
「ふおぉぉ……、なんだかぞわぞわしますね!」
「ちょっと我慢してね、すぐ動かなくなるから」
「はい!」
長めの彼女の髪を全て覆い終わると、ハルの顔にした時と同じようにペーストに色を付けて行く。
ルナと同じような、艶のある黒髪にした。がらりと印象が変わる。
「目の色は中から変えよう」
「……平気なの? そんな事をして」
「平気だよ。害は無い。コンタクトを入れるほうが害も見え方の差異も大きいくらいだね」
アイリの体に既に行き渡ったナノマシンによって、目から出て行く光の見え方を少し弄るだけだ。体組織に手を加える訳ではない。
すぐに黒目となった彼女に、鏡状にした大きなウィンドウを姿見として差し出す。
「こっちのルナさんみたいです! わたくし達、姉妹のようですね!」
「ふふ、そうね」
お姉さん然としたルナと髪色も合い、姉妹感が増した様子にアイリは喜ぶ。
これならば、こちらで出歩いてもゲームのアイリ王女だとはすぐには分からないだろう。
「しかし、この力、多くの人が日常的に使っているのですか? 危険ではないのでしょうか?」
「日常的に使えるのはハルくらいなものよ。病院だとか、大きな美容施設でなければ普通は無理ね」
「それにこれを使って他人に成り代わっても、僕らは全ての人がネットで繋がっているからね。内面を探られたらすぐに分かっちゃう」
「そういえば、ハルさんの世界は誰もが名前を見られるのでしたね」
AR表示の事だ。実際は道行く人が誰でも自由に人の名を覗ける訳ではない。大多数の人はプライベートモードに設定されている。
だが本人確認の必要な状況では偽れない。顔を変えても個人情報は本人のままだ。
この世界ではハルとして判定されるアイリも、そこは気をつけなければならないだろう。
「うちの学園は、ネットが遮断されていて助かったわね」
「たまには役に立つね。……この体動かなくなったらどうしよ?」
「怖いこと言うのは止めてちょうだいな……」
そうして、二つの世界で必要だった物が揃ったのだった。




