第909話 強制査察実行せよ
静止軌道上、この異世界の星の自転と同期する高度にて、巨大な船が地上を見下ろし待機している。
ゲーム内でハルたちが操る巨大な飛空艇よりも更に大きなその船は、空どころではなく宙の船。
あのゲームを今も実行中の大規模な魔力を監視するため、ハルたちが配置している宇宙航行も可能な戦艦だった。
「星の海は今日も凪いで波はなし、と、言いたいけれど。ここの所は少々荒れ気味、だよ。珍しいね艦長。今日はどうしたの、かな?」
「お疲れ艦長。いつもありがとう。何かトラブル?」
「なにも問題ない、よ。ぼくが艦長代理だから、じゃない。この船が強すぎる、からね」
「また謙遜して。モノちゃんがやってなければ、今ごろ星の裏側にでも行ってるよ」
そんな宇宙船たる大規模な構造体を預けているのは、船のスペシャリストであるモノ艦長。
自身も空飛ぶ円盤状の戦艦を駆る専門家の彼女でなければ、こうもぴったりと、そしてこうも省エネルギーで対象の直上に留まっては居られなかっただろう。
そんな彼女が、周囲の環境が荒れていると報告してきたことに警戒するハルだったが、どうやら神為的な妨害という訳ではないらしい。
この星は過去の大事件の際に、重力に重大な異常が生じて自転がおかしくなってしまっている。
それ故、地球のように単純な衛星軌道に乗ることは難しく、下手を打てばすぐに地表に真っ逆さまになったり、逆に宇宙の果てまで放り出されてしまいそうだ。
その荒れ狂う引力をモノは荒波に例え、最近はそれが少し活発だと教えてくれた。
ついでに、小惑星がいくつか飛来して船体に衝突したようだ。なお、その程度ではまるでダメージはない。
「大変だったら、この地点にピン止めしてもいいんだよ?」
「魔力が、もったいない、よ。少しの力で、手動で安定させるのが、プロの、仕事」
「そっか。モノちゃんがいいなら、構わないけど」
「楽しい、ね」
モノは従来、『神力』などとハルが呼んでいる重力制御を得意とする。自身の戦艦の航行機能も、それを使ったものだ。
対象となる物体、この場合は星との相対位置を完璧に保った飛行は非常になめらかでお客様たるプレイヤーにも好評だ。
それを使えば、まるで空中にピンで留めているかのように、ぴたりと空中静止することも可能だった。
そんな優秀すぎるモノ艦長から、ハルは近況の報告を受けていく。
超望遠で映し出されるモニターの映像は、当然、今回の対象となる『魔力サーバー』。
「ここ数日で、また一回り巨大になった、よ」
「今は、ゲームも終盤に向かって盛り上がっているところだからね」
「魔力が増えるのは、いいこと、だね?」
「そうだね。この世界にとっては、喜ばしい」
巨大な虹色の球体が、平野の真ん中に無造作に配置されている。不思議な光景だ。
エメの設計した『神界ネット』をベースとしたこの構造体は、この魔力自体を計算力として用い、内部に複雑なネットワークを形成している。
その力は魔力の量が増えるほど増してゆき、それはあたかも前時代のコンピュータであるようだ。
ちょうど、モノの本体が存在する戦艦内の液体状コンピュータの性質と非常に似通っていると言えるかも知れない。
「さてっ、重要なのはここからだよハル? ここ数日で、魔力量は大幅な増加を見せた。しかしだ、“見た感じ”、運営の余力はさほど生まれていないように見える」
「セレステ。……着替えないの?」
「海の女、だね。セレステ」
「うむっ。ぜんぜん違うとも。私は、『室内の女』さ!」
それもぜんぜん違う。ハルの騎士はどうしたのか?
そんな船上で爽やかに日焼けでもしていそうなセレステの格好は、先ほどと同様にシャツ一枚。
残念ながら元気な船員ルックではなく、室内でだらける為の服装である。お肌は日焼け一つない美白を保っていた。
「……まあいいや。セレステ、説明の続き」
「うむっ。前時代におけるネットワークサービスの場合、参加者が増大すればその分、設備も肥大化するのは当然だった」
「それだけ計算力が必要になるからね」
「だが、下のこいつらに関してはそれは当てはまらない。構造が似ているだけで、結果は逆なんだ」
コンピュータの構造と類似した『魔力サーバー』を使っているとはいえ、結局はエーテルネットを使ったゲーム。
人々の脳を処理能力の根底として用いられるエーテルネットは、逆に参加者が増えれば増えるほど負荷は減って行く。勝手に計算力も増えるからだ。
なので現代では人気ゲームほど維持コストが安く上がるのだが、これはまた別の話。
そして、参加者が増えたから、魔力もまた増えた。いわばこれは『報酬』であり、『設備投資』ではない。
「さて、ここで不思議なことが一つ。そんな大人気ゲームだが、どうも運営が楽になっている風には感じられない」
「そうなのセレステ?」
「ああ、見たまえよハル。魔力はその大部分を活性化させており、『サーバー』はフル稼働中だ」
「ハル、これを見ると、いいよ」
モノによって望遠映像の上にフィルターが重ねられ、球体内で活性化している部分が強調表示される。
それはほぼ全域を塗りつぶしており、稼働率は常時90%を超える大忙しに見えた。
「本来これはあり得ない。魔力内で処理することなんて、フィールドマップとプレイヤーキャラの構成程度だ」
「……他はエーテルネットで処理を賄っているから、こんなに使う物なんて存在しない」
「うむ」
「それ以前に、ね? 最も魔力量の少なかった、サービス開始時、にね。問題なく運営できていた、よね」
「増える前の魔力で十分だったってことだね」
ならば、今もこの魔力内で必死に行われている計算は何のための物なのか? 広がったマップを常時描写しておく為か。それとも増えたNPCの処理か。
確かにそれらは、サービス開始時よりも飛躍的に増した。『さいしょのまち』だけあれば良かった当初に比べ、プレイヤーは世界に広がって行ったのだから。
いや、それでも計算が合わないからこうしてセレステがハルを呼び出したのだろう。
運営の彼女らは増えた魔力をその都度フルに使い、何らかの処理をし続けている。
「……しかしセレステ。確かに怪しいけど、それが問題になる? 確かにゲームには不要な計算かも知れないけど、そもそもあの魔力は彼女らの稼いだ報酬だ。好きに使わせてやっていいのでは?」
「いいや、違う。間違っているよハル。あれはまだ私たちの財産。いや、君の財産なんだから!」
「いや、僕のではないけど……」
「所有者はハル、だよ? ぼくらの、王様」
「まあ、名義上はそうだけどさ」
「そんなハルの大切な魔力、稼いだ端から自由に使う権利は、あの子らにはない。使ってないなら、さっさと上納してくれなくっちゃあ、困る」
「業務上、横領。使途、不明金」
……別に、そこまで厳しくする必要はないのではないかとハルは思うが。甘やかしすぎだろうか。
確かに、『設備投資に使います』といって借りたお金を社長の趣味につぎ込んだら、日本では怒られる。例えきちんと返しても。
今ハルが見ている地上の光景は、それと同じことだと二人は言っているのだろう。
「……報告は、どう受けているんだい?」
「大規模イベント発生による負荷増大のため、大量の魔力が必要、とのことだね」
「多様化したイベント、の、生成処理。それに必要になっている、らしい、よ?」
「私がコスモスを疑ったのもそのためなのだよ」
「ふむ? イベントに必要という名目で、自分の為に使っていると」
もちろん、報告書に嘘が書けない子たちなので真実ではあるのだろう。ただし、本当のことを全て語っているとは限らない。
そうやって誤魔化して、本来は半分をこちらに払わなければならない魔力を『今は必要だから』と先送りしているのだ。
「だからさ、ハル? ここは一つ出資者として、『査察』に入るとしようじゃあないか」
*
「《ルシファー、強制介入モード、スタンバイ。いつでも行ける、よ》」
「なんだいそれモノちゃん……、ルシファーに、何時の間にそんな謎のモードが……?」
「《ぼくも、暇、だった》」
だからといってハルの愛機を好き放題に改造しないで欲しい。久々に見た巨大な天使風の戦闘機であるルシファーは、その外装が見慣れぬ質感に換装されていたのであった。
元はそこまで光を照り返さない白の装甲版だったところを、今は金属質な青白い輝きを放っている。
「……で、どの辺が強制介入なの? 元から強制力は高いと思うけど」
「それはだね! このボディは実は、神界ネットを構成している魔力に干渉しやすい入力装置になっているのだよハル! すごいだろう!」
「セレステも設計に一枚噛んでるのか……」
暇を持て余すと神はこうなるのか。恐るべし暇神。
そんな、いつの間にかお気に入りのフィギュアを魔改造されていたような奇妙な感慨を抱きつつ、ハルは新生ルシファーへと搭乗する。
今回のゲームが終わったら、きっちりと元に戻すとしよう。いや、これはこれで格好いいのだが。
「《では、準備はいいかなハル?》」
「セレステは来ないの?」
「《ルシファーの後部座席は、君のお姫様専用だろう? 私が乗る訳にはいかないさ》」
「なら生身で来い。神なんだから」
「《はっはっは》」
セレステは笑って誤魔化すのみで、付いて来る気はないようだ。サボり癖のついたものである。
「……まあいいさ。それで、このまま魔力圏内に飛び込めばいいのかな?」
「《うん。そう、だよ。そうすれば自動で、ルシファーを介して、データへの干渉が可能になる、から、ね》」
「《では早速いってみようか! 査察、開始!》」
船のハッチが開かれ、心の準備の間もなくハルを乗せたルシファーは地表に向けて投下される。
一気に重力加速で勢いをつけて落下していく機体はしかし、大気の壁に弾かれることはなくスムーズに地上の魔力へと向かって行く。
断熱圧縮を起こして赤く燃え上がる大気圏突入シーンがないことにSF慣れした者ほど違和感の出る降下風景だろうが、これは周りの空気が“自動で退いてくれている”事によるスムーズさ。
そのため空気抵抗もゼロに等しく、自ら推進することもなしにルシファーは一気に超加速して行く。
そして間もなく、地表に衝突し大爆発を起こすと誰もが思うだろうその落着の瞬間、またも気持ち悪さを覚えるほどの大人しさで、一切の衝撃なく天使の巨体は、ぴたり、と大地の上に静止したのであった。
「……案の定、アイリが変な顔をしてるね。ユキからは『これはロマンがない』と」
「《君のお姫様、訓練されすぎじゃあないかい? この星の人間だろう、彼女は》」
「最近ちょっとSFに触れ過ぎたんだ」
大気圏突入時には真っ赤に燃えて、地表に激突する際は大爆発。ユキの中ではそれがロマン。
ただ、そのロマンのままに突入すると、機体へのダメージが大きすぎる。ロマンとはかくも痛みを伴う物のようである。
「……さて、今はロマンはいいとして、ここからどうする?」
「《周囲の魔力と、機体の外殻が自動で同調する。そこで得たデータを、ハルを通して送ってくれたまえ》」
「《解析の方は、ぼくらがやる、よ?》」
「それは任せる」
ひとまず、あまり刺激はしないように気を付けつつこの魔力の中を動き回ってみるのがいいだろう。
魔力データは各所に物理的に存在し、ルシファーがそれに触れることで『査察』が可能だ。
ハルは、果たしてこのデータが報告通りに使われているのか、ついに文字通りの飛び込み検査に乗り出したのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。
追加の修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/7/6)




