第906話 与えた希望は摘み取ってはならない
落ち着きつつ焦る、という高度な芸当を披露した錬金術師協会によりもたらされた情報は、封印石を使った何らかの儀式に使うという呪文であった。
何らかの、というのがまたおかしな話だ。ここまで来たら、何の儀式なのか教えてくれてもよさそうなものを、そこの情報もご丁寧に散逸してしまっているらしい。
「……これは、コスモス評議会すべての組織が持つ情報を統合する必要があるってこと?」
「意地の悪いお話ですね。お姉さまが気付いたから良かったものの、もしコスモスに来なければどうしていたのでしょうか?」
「そこはアイリ、ほら。気付かざるを得ない状況に陥るイベントが起こっていたんじゃないかな?」
「まぁ……」
性質上、そのイベントが国を巻き込む危険なものであるとすぐに気付いたアイリが、表情を硬くする。
武王祭のようなあらかじめ予定されたイベントのないコスモスの国だ。その何かは、大規模で突発的、つまり災害じみたものとなるだろう。
他国の人間まで守ることはハルの縛りプレイには含まれていないが、予想される未来の災害を未然に防げたと考えれば喜ぶべきことだろう。
《でも、本当にそのイベントは起こらない?》
《だよね。ちょっと不安》
《時限式なら、どうやっても起こるんじゃ》
《ここの運営、そのあたり柔軟だし》
《アイリスのクーデターも、起こってないし》
《かなり前倒しになったからね》
《これむしろ、他国が注意すべきでは……》
《そうだね。カゲツ、ミント、ガザニア》
《これから国規模のがどんどん起こるぞ!》
リコリスの武王祭に端を発し、ゲームクリアに向けて動き始めたこの世界。
その流れとはまだ関係ない国もある。しかし、常識的に考えて、プレイヤーが分散して所属する各国の中で、特別扱いや仲間外れがあるとは考えにくい。
そうした不公平感は、丁寧に排除してきている運営だ。ただし課金周りは除く。
「……となると気になるのが、コスモスのイベントで今のところ利を得ているのは僕だけ、ってことか」
「このままでは、コスモス所属のプレイヤーだけが、不公平になる、ということですねハルお姉さま?」
「そうだねアイリ」
運営の予定していたであろうイベントを、先回りして解封してしまったであろうハル。
ハルが迅速を心がけ行動したせいで、今の所これに関われている人間はほぼ居ない。
このまま封印とやらの謎を完全に明らかにしてしまったら、本来得られるはずだった未来の利益が無に帰すこととなる。
別にマイナスにはなっていないのだが、人間はそうした不利益をことさら嫌う。
よってゲーム運営はそれら“想定されてしまった希望”はなるべく叶えるように動くのが望ましく、叶える気のない希望はなるべく見せないのが望ましい。
その理念から逆算すれば、これからコスモスで代替のイベントが発生する確率は高いと思われた。
「……それは面倒だ。楽しそうではあるけれど、時間がかかるのは僕にとって都合が悪い」
「また急に納得してどーしたんハルちゃん?」
「ああ、これから『与えてしまった希望の回収作業』が来そうだと思ってね」
「なーる。勝手に妄想した配布物が来ないとユーザー怒るもんね」
《そ、そんなこと、ないですよ……?》
《ま、まーさかそーんなっ》
《いったん落ち着こう、一旦》
《もちろんキレる!》
《言うんじゃねーテメー!!》
《ま、まあ、ガッカリするよね……》
《人間のバグだよなぁ……》
《ゼロがゼロのままになっただけなのにね》
《空想上のプラスを喪失した痛み》
《幻肢痛みたいにカッコつけるな(笑)》
「まあまあ。僕だってキレる、絶対にキレる。だから安心しなよ。人間はそれだけ感情に振り回される生き物さ」
「そもそも、ゲーム会社が常日頃から過度に期待を煽る戦略を取っているツケでもあるわ? 自業自得と受け入れるべきよ?」
自身もゲーム会社の社長として、色々と心当たりのあるらしいルナだ。この機に、我が身を省みようとしているらしい。
とはいえ、運営には運営の苦労もあるだろうから、あまりユーザーとしてのワガママばかりぶつけるべきではないかも知れない。
ハルも今では運営者だ。これは、いつか自分に返って来る言葉だろう。
「……どうかしたか? ……何の話をしているんだ、ローズ」
「おっと、すまないシャール。行動は急ぐべきではないか、と考えてね」
「……確かに。……評議会の集合を待つのは、それだけ時間が掛かるしな」
視聴者との会話は、認識しづらくなっているシャールたちNPCだ。ついみんな大好きゲーム語りに興じてしまった。
そんな、まさにイベント渦中の彼女らと向き合うと、『今がチャンス』とばかりに目を輝かせ、魔導士協会の男が勢いよく席を立ち提案した。
「ならばですね! ここは、ひとまず現状揃っている情報のみで、行動を起こしてみるのはいかがでしょうか!」
◇
野心にその目を輝かせて、豪華なローブの男は語る。発言の意図は分かる。功績が協会全体に分散するその前に、魔導士協会と、錬金協会だけで話を進めてしまおうというものだ。
「既にこの場には、十分な情報が揃っております。鍵となるであろうアイテム! 同じく鍵となるであろう呪文! そして、その鍵を差し込むべき封印も、まさにこの上空に!」
「しかし、万全を期すならば、他の協会からの情報も待つべきでは?」
「なにを悠長な! 彼らが私たちの足を引っ張ることしか考えないのは、貴方がた錬金術師協会も身に染みているでしょうに!」
「それは、確かに」
冷静に反論するかと思いきや、納得してしまったようだ。やはり、大きな組織として強者の傲慢さが出てしまうものなのだろう。
「……納得するなカス。……お前らが何でも自分主導で、次々と進めようとするからだろうに」
「どうどう。抑えてシャーるん」
「今は、都合がいいですものね!」
「大丈夫よ? 後で、どうせ痛い目を見るのだからね?」
「……すまない。……取り乱したなお前たち」
シャールはといえば、普段はそんな彼らに苦しめられている側なのか、その態度に不機嫌そうにしていた。それを女の子たちに慰められている。
彼女には申し訳ないが、ここはやらせておいた方が都合が良い。
《でもさハル君。これって、ちと都合良すぎなんじゃない? いや、イベントだから都合よく進むのは分かってるけど……》
《その『都合よさ』が誰のものなのか、ユキは心配なんだね》
《……うん。そーなのだ》
《もしかしたらー、コスモスにとっての都合よさなのかも知れないと思う訳ですねー。相手は、運営ですものねー》
《そそっ。だってモスモスは、ハル君に加護を与えなかったんでしょ? 会いたくないんじゃない? ここで乗っても会えんかも!》
《そうかも知れないっすけどね、その点は大丈夫っすよユキ様。イベント、つかNPCの行動の主導権はコスモスにはありませんので。今も“見て”ますが、彼らのこの行動を望んだのは視聴者の総意だと思われるっす》
早く先の展開が見たい、ここからまたしばらく待たされるのは嫌だ。そんな視聴者たちの想いが意識データとなって、この場に渦巻いているようだ。
それをずっと観察しているエメが、『これは自動的である』、『コスモスにも止められない』と結論付けた。
例えユキの懸念しているように、コスモスがハルを避けているのだとしても、NPCを使って直接妨害する権限はないとのこと。
ならば、やはりここはイベントの流れに乗った方が良さそうだ。ハルは黙って、勇み足の二大協会の行動を見守る。
「ところで、そのアイテムというのは、この場に存在するのですか? 金庫の中では、話になりませんよ?」
「当然、ですよ! 協会を預かる者の証として、肌身離さず」
《うっそだー》
《見たことねーな》
《さっき取り出してきたべ》
《金庫から焦って、ってか(笑)》
《封印解除見てから金庫余裕でした》
《……それはそれで優秀なのでは?》
《これが『鍵』か》
《なんか似てるな?》
《ちっこいペンデュラムだ》
《いや、この大きさが普通な?》
《あっちがでっかすぎなんさ》
《明らかに関係性ありあり!》
「なるほど、確かに。ではこちらも、我々の方に伝わっている呪文を……」
「待て、待て待て! それで発動してしまったらどうする! 紙に書くのだ!」
「確かに」
そうしてこの場に、『鍵』と『呪文』が揃うこととなった。この流れであれば、恐らくこの二つのみで何かが起きるのだろう。
きっと、それはイベントの全てではないだろうが、ハルとしては別に構わない。
ハルは、コスモス神にもう一度会えれば、そして最後の加護を貰えれば、それで目的達成だ。
そんな呪文のメモを渡されて、魔導士協会の男は顔を輝かせながら高らかに読み上げようとしている。なんだか可愛く見えてきた。純粋か。
……とはいえ、このまま気分よく彼に呪文を唱えさせてやる訳にはいかない。場合によっては、ハルの計画が完遂しない。なので。
「……魔力消費とか、大丈夫そう?」
「うぐっ!」
それを良しとしない悪魔の差し込んだ囁きによって、彼はメモを掲げたポーズで完全に硬直してしまった。
無理もない。つい先ほど、『街一つ分の魔力』などという理解を拒むレベルのエネルギーを見せつけられたばかりだ。
そのレベルの現象が、今度は自分の身に降りかかると想像してしまったのだろう。
もちろん、なんの根拠もない。コストなどハルの出まかせ。しかし、ただの功績欲しさの勇み足でその可能性に踏み込めるほど、彼の覚悟は崇高ではなかったようだ。
「……こ、ここはやはり、封印石発見の功労者たる、ローズ卿にお願いをしよう、かな、あ、あはは」
「そうかい?」
「臆病カス…………」
シャールも思わず嘆く小物っぷり。いっそ清々しい。
そんな、ハルによって全てが思い通りに誘導されたこの場の空気。その集大成が、ハルの手へと渡される。
「お読みになれますか?」
「うん。問題ない」
「流石……」
ゲーム内でもまだ見たことのない謎の文字で記されたメモを<解析>をかけて無理矢理に日本語訳する。
そのメモの呪文を記憶すると、ハルは手のひらサイズのペンデュラムを掲げ、その呪文を詠唱していくのであった。
「メア・メア・タイア・クンス・ワスィル・エルア・クルム・ナンマ・サニア」
果たして伝承の呪文は正確に鍵と反応し、この部屋全体を眩い輝きが満たしていった。
なお、発動の瞬間、ハルですら死ぬ程のMP消費があったことは特筆すべき事実だろう。
ハルは図らずも、愉快な男の命をひとつ救ってしまったようだった。
*
目がくらむような光が空間を満たした、そこから推測されるのは一つ。もはや慣れたものだ。
光が収まるとハルたちは、先ほどまで居た円卓の間とはすっかり別の場所へと転移していた。
周囲を見渡すと、仲間たちの姿はあれどNPCたちが居ない。相変わらず、ここ『神界』にはプレイヤー以外は立ち入れないようだった。
「……見たことがあるわ? ここ」
「うん。きっとモスモスのお部屋だね。今回は、直接あの宮殿の中に来たんかな?」
「そのようですね! あの時の、人魂のダンスホールなのです!」
仲間たちが口々に、既視感を言葉として出していく。確かに、かつてハルが『賢者の石』を作り出した時に招かれた、コスモスの管理する裏世界であるようだ。
今回は人魂の行きかう城下町はスキップして、直接彼女のかつて居た宮殿の中へと飛ばされたらしい。
カナリーとエメが、興味深そうに、そして露骨に警戒を露わにしつつ周囲の状況を見まわしていた。
ハルたちはそのホールの中心へと歩いて行くと、やはりかつてのように場違いなベッドと、巨大な本の群れが出迎えてくれる。
そのふかふかなベッドの中から、もぞもぞ、と小さな体の女神様が半目をこすりながら登場した。
「なにー、また来たのー? コスモスは今日は、ねむねむのねむ、なんだけどぉ……」
「悪いねコスモス。しばらくぶり。……もし眠くない日があれば、日を改めたい気持ちもあるけれど、どうなのかな?」
「ないよー、そんなのー」
「だろうね」
この、カナリー以上に間延びしたテンポの持ち主が、魔法の国の神コスモス。
彼女自身が、そして視聴者の想いが作ったご都合主義に半ば導かれつつも、ハルは異例の二度目となる邂逅を、ここに果たしたのだった。




