第902話 ねこのかくれんぼ
賢者の石を持ち去り、どこぞへと消えた子猫の使い魔。遊んで欲しいのかも知れないが、持ち去った物の高価さを考えると『いたずら』では済まない事態だ。
ゲーム側も、そうした理不尽さを理解はしているのか、『猫を強制的に呼び戻しますか?』、と選択肢付きのウィンドウが表示されていた。
「なるほど? これで『はい』を選べば賢者の石は何事もなく戻って来るわけだ」
「呼び戻すん?」
「まさかだね。逆に言えば、呼び戻さずに追いかければ何かあると言っているようなものだ」
「だよね」
ゲーム慣れしたユキと、二人で頷き合う。救済措置が用意されているということは、これはイベントだ。ゲームの文法が、そう語っている。
ならばそのイベントを完遂すれば、子猫による転移能力がハルの意思で使えるようになるかも知れない。
……多少、ご都合主義が過ぎる想定のような気がしないでもないが。欲しいと言って手に入るなら、苦労はしない。
《マスター、マスター! 今そこで、大きなデータの動きがあったです! 見てたですか? 白銀は見てたです!》
《おっと、気を抜いていた。“何色か”分かるかい?》
《セフィ様に詳細を聞かねば正確には分かりませんが、コスモスの担当データだと空木たちは考えます》
《NPC関連か》
要は、この展開を望む視聴者たちの無意識により、またもイベントが引き起こされたということだ。ご都合主義なのは、ある種当然のこと。
このゲームは、プレイヤーの『ロールプレイ』に合わせて専用のイベントがリアルタイムで発生することがある。
その方向性を決定しているのも、ロールプレイの優劣を判定しているのも、運営ではなく視聴者の意識ではないかとハルたちは推測していた。
運営が自分でやれば非常にリソースを食い、判定基準にも文句が出るこの問題。それを外部に、『観客』に丸投げしてしまうことで、処理能力の大幅減と納得を得られる画期的な策だろう。
多かれ少なかれ、見る者が望んだ展開だ。その視聴者の『都合』が『ご都合』となって表出しても、納得はあれど文句は出にくい。
その副作用として、納得の得にくい、王道から外れたロールプレイをすると、マイナスのイベントが出やすいという問題もあるのだが。
「あの、では自力で探すとして、失敗したらどうなるのですか?」
「まあそれは、にゃんこのイタズラで賢者の石がどっか行っちゃうんだろねアイリん」
「なんと! 一大事なのです!」
「そうならないようにギブアップボタン付いてるのだ。へーきへーき」
レアアイテム紛失の危機にアイリが慌てふためくが、そこでもユキは冷静だ。この表示は最初だけではなく、イベントクリアまで出続けると確信しているのだろう。
それを例えて『ギブアップボタン』。子猫の捜索を諦めたならば『はい』を押して、いたずら子猫を呼び戻して賢者の石を回収する。
だが当然、そうすればイベントは失敗で終わり、転移を使えるようにはならないだろう。
「なら逆に、クリアするにはどうするの? 追いかけて捕まえればいいのかしら?」
「だろうねルナ。子猫との追いかけっこだ」
「楽しそうね?」
「……そうも言ってられないさ」
可愛らしい子猫とたわむれる様子を想像したルナがハルにだけ分かる程度に頬を緩ませるが、事はそんなにのんきな物ではないだろう。
子猫といえど猫、その動きは素早く、やんちゃすると手が付けられない。その小さな体は親猫以上にあらゆる隙間に入り込み、人間の目から姿をくらますのだ。
「特に、あの子はスキマ以上に裏世界に入り込む。その行動範囲は、自由が過ぎるからね」
《囲いが意味を成さないとか悪夢だ!》
《部屋の中に居るとは限らない》
《気付くと変なところに居る》
《元気だよなー》
《好奇心旺盛なのだ》
《でも普段は放し飼いなんでしょ?》
《普段は勝手に戻って来るからね》
《何処に行っても戻って来る安心感》
《国をまたいでも戻って来る》
《警備された密室でも戻って来る》
《ある意味こわいな(笑)》
だからこそ、普段どこに居ようが気にしなかったが、今はハルが自力で探さなければならない。
そうなると途端に、ずいぶんと面倒だと思い知らされた。
「……どこいったあの子? どこでも入れそうだからな」
渋い顔をしつつ、部屋をうろうろと探し始めるハル。家具の隙間を覗き込み、置き物をずらして奥を確認し、屈みこんでテーブルの下へも目を向けた。
《お姉さまが困ってる》
《なかなかレアなご様子だ》
《子猫に困らされるローズ様かわいい》
《エレガントさに欠けましてよ!》
《はしたないですよー》
「……うるさいな。仕方ないじゃないか」
確かに、テーブルの下を覗き込む様子は淑女として、貴族としてどうなのか、という意見は分からないでもない。
そしてこういう所こそ、ロールプレイの乱れとしてカウントされてしまいそうな理不尽さがある。
あくまで優雅に、お嬢様ロールプレイを崩さずに、自由に奔放に逃げ回る子猫を捕まえる。
それは思ったよりも、大変なイベントなのかも知れないのだった。
*
「……なら貴族としてはどうするか。簡単だ、使用人に任せればいい」
「おっ、わしらですかな?」
「やれやれ、行くとしますかな」
「どっこいしょっと」
「……座ってろジジイども。……ボケはその脳みそだけでいい」
「……シャールは言い過ぎだけど、確かに貴方がたではないね。どうか座っていて欲しい」
ご老体をこき使うのも、またロールプレイとしてあまり良い結果にはならないだろう。子猫に翻弄されるお爺ちゃんたち、というのもまた微笑ましいかも知れないが。
「カナリアを使う」
《出た、スパイ鳥》
《探索任務ならお手の物》
《こねことことり》
《同業者》
《労働環境に大きく差があるようですが……》
《一方は自由気まま》
《もう一方は常に監視下に……》
《それどころか体を乗っ取られる》
「こら、人聞きの悪いことを言うんじゃない君たち。相応のお給料は支払っている」
そんないつも過酷な労働を強いられていると噂の小鳥の使い魔を、今回も便利に酷使するハルだ。
お嬢様として、決して潜り込む訳にはいかないテーブルの下。そこへ小鳥は羽ばたいてその身をくぐらせて行く。
子猫の痕跡はここで見つけた。本当にこの召喚獣が居てよかったと思うハルだ。
もしこの小鳥が居なければ、お嬢様として優雅にテーブルを持ち上げて、華麗に道を作らねばならないところであった。
「じゃあ、行ってくる」
説明もそこそこに、ハルは小鳥をテーブルの下でこっそりと開いていた空間の裂け目に突入させる。
その瞬間、小鳥の代わりにハルの身体の方が異空間へと強制的に転移させられた。使い魔で安全に探索させない為なのか、なぜか初期からある仕様であった。
驚く仲間と視聴者を置き去りにして、ハルは紋章の星座が輝く裏世界へと踏み込んだ。
そこには、予想通りに子猫が座り込んでおり、賢者の石をボール代わりに前足で蹴とばして遊んでいたのだった。
「こーら。いたずらしないの。ボール遊びしたいなら、こっちのボールあげるから」
「みー!」
ハルの姿に気付いた子猫は、嬉しそうに賢者の石を蹴っ飛ばす。どうやら、そちらの高級ボールがお気に入りのようだ。ブルジョワな猫である。
いったい誰のせいでこんな育ち方をしたのだろうか? 謎は深まるばかりであった。
「まあ、用途不明の物体だから別にいいと言えばいいんだけど」
《こっちのボールがいいのっ♪》
《そんな安物じゃやだやだ!》
《さすがに高すぎだろ……》
《国宝どころじゃ済まんぞそのボール……》
《普通ならいくら可愛かろうと許されん》
《お姉さま、懐が深い》
《こういうのは適当って言うと思うの》
《お金持ちは余裕がある》
《代わりのボール、なんか見たことあるな……》
《なんだっけ》
《ヒュージスライムの核じゃない?》
《超高級素材じゃねーかっ!》
《やはり躾けの問題なのでは……》
どうやらハルが甘やかしすぎとの評価が優勢のようである。心外な評価であった。
そんなコントを視聴者と繰り広げている間に、子猫は再び石を咥えるとハルから逃げるように駆けだして行ってしまった。
まあ、ハルも元々一度でイベント終了とは思っていない。子猫を追って行くと、再び通常空間へと戻される。
「……ここは、まだコスモスの国かな? うん、どうやら同じ施設の、別の部屋みたいだね」
《第二ラウンドだ!》
《かくれんぼスタート》
《今度はどこだろ?》
《さっきより入り組んでるなー》
転移した先は、乱雑に資料が積み上げられた研究室のような部屋。比較的に整った客間よりも隙間が多く、子猫の隠れ場所には最適だ。
そんな散らかった本の隙間にかくれんぼするように、子猫は姿を隠しているようだ。
実に楽しそうでけっこうだが、探す方としては一苦労だ。これでは小鳥も身動きが取れない。
「……対策してきたとでもいうのか。生意気な子だ」
とはいえ、本を一冊一冊どかしている暇もないし、優雅に部屋ごと吹き飛ばすのも避けたい。
周囲の魔力を<神眼>で探査したいところだが、あいにくこのゲームではそんな便利なスキルは所持していないハルだった。
だがしかし、<神眼>ほどの制度ではないとしても、こちらでも魔力視は可能になったハルだ。ゲーム内のMP的な魔力ではなく、このゲームを構成している本来の魔力に目を通す。
数々のデータの流れの中に、子猫の作った空間の乱れをハルは見つける。それは視界の中に違和感として、本の下に隠れようとハッキリと浮かび上がってきたのであった。
「ここだっ! まったく、子猫が遊ぶには少々危ないね。本の下敷きになったらどうするのか……」
《おお!》
《お姉さま冴えてるー》
《よく一発で分かったね》
《危ない場所で遊んじゃだめって躾けなきゃ!》
《召喚獣だから危なくないと思うの》
《言っちゃった》
そもそも普通の子猫はテレポートしない。相手が普通の子猫だったらこんなに苦労しないだろう。
その後も、ハルは子猫に翻弄され続けながらも追いかけっことかくれんぼに付き合っていった。
計算なのか野生の本能なのか、子猫は常にハルの裏をかくように隠れ続けた。
ハルが魔力視で空間の歪みを探していると分かれば、あえて転移せず物理的に隠れ潜んでその目を欺き、同じ室内だろうと捜索していればちゃっかり隣の部屋でくつろいでいる。
次第に舞台が外へと移って行けば、今度は池の水の中や街灯の上など、物理的に踏み込みにくい場所へとゲートを開く。
魔法で水を避け、<飛行>で街灯の上へ飛ぶ。
……今回ほど<飛行>を取って良かったと思ったことはない。お嬢様として、水の中にじゃぶじゃぶと踏み込むことも、街灯の柱をよじ登ることも避けねばならないのだ。
「……なんだか、だんだん街から離れて行ってる気がするんだけど」
《こねこのだいぼうけん》
《外だと探すの大変だ》
《次は森の中かな?》
《ひえー》
それでも、必ずヒントはあるようで、どう考えても捜索不能な所には子猫は隠れない。
更には出てきたその場所の一定範囲内からは離れないルールがあるようで、その様子はなんだか探索パズルのよう。
即興で周囲の地形を使って、そんなパズルを組み上げているとは子猫もやるものである。
そんな猫と人の知恵比べも、どうやらラストスパートのようだ。明らかに、先ほどまでとは様子の違う雰囲気がする。
裏世界を通って出てきた場所は町はずれに広がる森の中。自然の隠れ場所がそこかしこに広がる空間は見るからに難易度が高いが、問題はそこではない。
空間の裂け目は最初から見えていた。一見簡単すぎるパズル。しかし。
「裂け目がいくつかあるね。きっと、正解は一つだけだろう」
なんとも意地悪な子猫のクイズ。ハズレを選べば、きっとここまでの苦労が水の泡だ。
しかし、こうした目に見える物であるならハルの敵ではない。ここまでずっと、子猫の作るゲートは何度も目にしてきた。
ハルは記憶にあるその特徴から、周囲の偽物を除外していく。そして、草の間に自然と隠れるようにある、本物のゲートをついに発見するのであった。
これで終わりだと良いのだが、と思いつつハルはその裂け目を通って行く。しかし、異空間の中に猫は居ない。
間違えたのか、引き返した方がいいのではないか、そう心配する視聴者の声に惑わされることなく、ハルはそのまま道の先へと進んで行った。確実に、このゲートが正解だという自信がある。
果たしてその通りに道は正しかったようで、ハルは最初の客室へと戻って来ていた。
そしてその視線の先には、遊び疲れて体力を使い果たしたか、テーブルの上で安らかな寝息を立てる子猫の姿と、その隣に転がる賢者の石があったのだった。
どうやら、これにてイベントは終了。猫は満足してくれたようである。
※誤字修正を行いました。




