第90話 体に依存する不自由な魂
方針はあらかた決まったが、これからまたハルの家に取って帰すというのも慌しい。
最大の問題である世界の移動は解決されていることもあり、残りは後日に回す事にして、今日はアイリとのんびりと過ごす事にした。
アイリを膝の上に乗せてメイドさんの演奏に耳を傾けたり、ルナも交えてトランプで遊んだり、メイドさんの手伝いをしてケーキを焼く準備をしたり、帰ってきたユキも加えて豪華な夕食に舌鼓を打ったり、アイリと一緒にお風呂に入ったりした。
そうして、焼きあがったケーキを皆で食べる。クリームたっぷり三段重ね。
以前にハルが話した、ウェディングケーキだ。ハルも詳細は知らなかったので、メイドさん達が想像で自由に作った作品である。新鮮なフルーツどっさり使用。
「色鮮やかで綺麗だね。崩れないようにしてあるゼリーも華を添えてる」
「ハル君よく食べられるね、あんなに食べた後で。アイリちゃんも」
「わたくし不思議と、おなかがぱんぱんにならないのです」
「不思議な時は大抵ハルが何かしてるわ。そう思っておけばほぼ合ってるわよ?」
「何でも僕のせいにしないで? 今回は僕だけど」
向こうに戻ってナノマシンを連れ帰ってきたので、消化の手伝いなどはお手の物だ。
今日はメイドさんが張り切ってしまっているので、食べきれないほどのメニューがあった。どれもこれも美味しく、全て味わってみたい。
そのため少しズルをした。食材自体もハルがズルをして増殖させた物で、生産から消費までズル尽くしである。
「でもそんなに食べたらアイリちゃん、太っちゃうぞ?」
「い、いいのです! お祝いが終わったら、頑張って戻しますから!」
「ああ、大丈夫。僕が太らないようにそこも調整するから」
「絶好調ね。ナノを得たハルだわ」
「むしろハル君が水側なんじゃない?」
太らないように出来ると聞いて、メイドさんたちの目が鋭く光を放った気がした。
彼女たちも、日々の体型維持には苦心しているのだろうか? そのうちメイドさんたちにもナノマシンを移植する事になりそうだ、と予感するハルだった。
いつもお世話になっているので、それは別に構わない。
そうして安心したアイリは、次のケーキに手を伸ばす。
物理的な処理能力には限界はあるので、食べすぎに注意である事は変わらない、というのは今は黙っておこう。こんなに幸せそうなのだ。
*
おなかがとても重くなってしまったアイリは、当然の帰結ながら、うとうととし始めてしまう。
それをハルが抱えて寝室に運ぶ。半分夢の中のアイリの希望で、今日はいつも通りの客室だ。皆と一緒が良いとのこと。そこにプレイヤー三人と入り、彼女を寝かせる。
「とってもよく食べたわねアイリちゃん。明日は大丈夫かしら?」
「今夜のうちに大丈夫にしておくよ」
「旦那様のお役目だね」
「それはなんか違うと思う……」
かわいらしいお嫁さんの体調管理がお仕事というのも、まあ幸せな話なのかもしれないが。
「私も今日はもう上がるわ。ハル、家の物は勝手に使わせてもらうわよ」
「自由にしていいよ。おやすみルナ」
「ルナちーおやすみー」
「お休みなさい、二人とも」
ルナがログアウトして行く。今日はハルの家からログインしていたので、そのままそこで眠る事になる。
残されたのは、ハルとユキ。ユキにしては珍しく、なんとなく居心地が悪そうにしている。皆と一緒に騒いでいた時は見せなかった顔だ。
ここ数日の忙しさが終わり、お互いに余計な事を考える余裕が出てきた。つまりは忙しさにかまけて見えていなかった事が、目に入るようになる。
ハルはそれにより、観察力を取り戻してきている。ユキの微妙な変化も目に付くようになった。
ユキは、一体何を見て、何を感じたのだろうか。
「ユキは今日どこに行ってたの?」
「神界いってた。新しい施設が出来たんだ、皆集まってた」
「キャラ改造の奴だったかな?」
「そうそれ」
数日前、新システムの発表があった。間の悪い事である。
ハルはその時、こちらに転移してきてしまっており、その話に入る余裕は無かった。オフライン中、という事になっていたのだ。
コミュニケーション用の場所へ書き込みをする訳にはいかない。自然、見る事も少なくなっていた。
「それを見に行ってくれてたんだ。相変わらずマメだなユキは」
「……あー、そのね。そんな褒められた理由じゃないってか。なんだろ」
「急に湿っぽくなったね。まあ、ちょっと何時もと違うとは思ってたけど」
「おのれ、知ってて話ふったなハル君……」
たまに、相手の隠しておきたい事まで読み取ってしまうのがハルの力だ。
敵ならば良い。遠慮は不要な上に策略も丸裸に出来る。だが身内であると、どこまで踏み込んで良いのか判断に迷う。
悩んでいるならば解決してやりたい。だが、要らぬお節介であるやも知れない。線引きはどこですべきだろうか。答えは出ない。
アイリやルナであれば分かりやすい。必要な事であれば自分から言い出してくれるし、逆に言いたくない事には口を閉ざす。
ユキは、口に出したいのか否か、自分自身でも判断がついていないようだった。
「……焦っちゃってるんだろうね、私」
そんな彼女は、語る事を選んだ。とつとつと語りだす。
彼女らしからぬ弱々しい語り口であるが、茶化す事無くハルは聞く。普段のユキを求めれば、そこで彼女はその通り普段に戻ってしまい、この話はお終いになってしまうだろう。
「焦ってるって、僕に勝てない事に?」
「まーそれもあるかなー」
「今なら勝てるかもよ? なにせ生身だ」
「だめだよ。今のハル君相手だと私が手加減しちゃうもん。ケガさせたくないよ」
会話はたどたどしく、要領を得ないものがしばらく続く。彼女自身も、自分の気持ちについて正確な着地点を見つけられていないのだろう。
何に焦っているのか、自分でもはっきりしない。それを少しずつ解きほぐしていく。
「ハル君がこっちの世界に来て、ルナちーも来ようかなって言ってて、アイリちゃんもリアルに行けちゃって。じゃあ私はどうするんだろ、って思っちゃったのかも」
「ユキは、この世界が好きだもんね。ゲームとしても」
「うん。体が来たら、リアルになっちゃうよ。こっちが」
「リアルはクソゲーだから」
「うん。こっちをクソゲーにしたくないよ」
ユキは電脳世界に恐ろしく高い順応性を持っている。
それは、彼女が本領を、自分の存在価値を発揮できるのは電脳世界だということを示す。
だが、それはゲーム世界に入って暮らしたい、とは少し異なる。ユキにとって、必要なのはゲーム内のこの体。自分が最大のパフォーマンスを上げられる、キャラクターとしての体だった。
そこに肉体は、必要ない。自らの魂を縛るだけの、重い肉の檻などは不要である。
「でも、ユキはこの世界を自分の世界にしたいと思ってる。そのジレンマなのかな?」
「ん、そうだと思う……」
「気持ちは分かるよ。僕も魔法の使えないあの世界に飽き飽きしてたし」
「うー、ハル君はいいよなー、リアル魔法使いになっちゃってさー」
「ユキだってなれるよ?」
「私は違うんだ。思いっきり体を動かしたい、肉体の枷を離れて。そういう衝動があるの」
理屈では説明のつかない、いわば本能のようなものだろう。
エーテルネットに適応しすぎたために、リアルに適応出来なくなる。特化のしすぎによる反動だ。
「リアルの体なんて、こっちに来るためだけの更新不能で不便な道具。そう思っちゃってるのが私なんだ。ハル君とはそこが違う」
「僕だってロクなもんじゃ無いけど。便利な道具の一つでしかない」
「便利なだけ良いじゃーん」
「そうかもね。ただ、最近は少し変わって来たよ。食べ物は美味しいし、お風呂はあったかい、風は気持ち良い。疲れるのだって、それも気持ち良い」
「嫁も気持ち良い?」
「おい」
下世話な発言に頭をはたく。『たはは』と笑うだけで何の痛痒も無いだろうが、とりあえずはたいておく。
いや、AR表示を見ると、5ダメージほど入ったらしい。
「……まあ、調子が出てきたようで良かったよ」
「うん、ハル君に『覚悟しろー』、『決断しろー』、って言っておきながら自分はこの体たらく、って自己嫌悪がビシバシと……」
「今はそこは忘れてじっくり考えなよ。責めないよ?」
「それに今更になってなんだか恥ずかしく……、うぁー」
「さよか」
いつものユキらしくない弱音と、赤裸々な自分語りに、恥ずかしさがこみ上げてきてしまったのだろう。そこも理想とする自分とのズレになる。聞けるのはここまでだろう。
いつの間にかまくらを抱いて顔を埋め、半目で睨んでくる様子はギャップがあって可愛いのだが、指摘するとまた身悶えてしまうだろう。そんな仕草が、少しアイリに似てきたユキである。
彼女のそんな可愛さは、ハルがこっそり楽しむに留めておくことにする。
◇
「それで、改造施設はどうだった?」
「うん、大盛況、必須施設間違いなしだね」
しばらくして再起動したユキと、最初の話に戻る。
神界に、本日新しい施設がオープンした。今まで工事中だった、変化の神マゼンタの担当する施設。『幽体研究所』というらしかった。
プレイヤーキャラクターの体、その改造が出来る施設だ。また採取素材や錬金素材を使うらしい。
──本当に好きだよな、素材使うの……。
「ハル君がやってるようなのを代理でやる感じかなー。HP上げたりね」
「それで必須か。でもこのゲーム、戦闘に興味無い層も増えてきたみたいだよ」
「それがね、見た目も変えられるの。キャラエディットを超えてね。ネコミミとか付けれるよ?」
「ええぇー……、せっかく『種族・使徒』で統一してるんだから、見た目は変えないで欲しかった」
「目玉びゅんびゅん飛ばしてる奴が人の事言わないのー」
ごもっともである。多分、その目も増やすことが可能だろう。額に第三の瞳、といったように。
ハルが以前、目の挙動を確認していた時、プレイヤーの体は拡張性が高く作られていると感じていたのは正しかったようだ。
その研究所の設置は、企画段階から盛り込まれていた要素なのだろう。
「最近はレベルが伸び悩んでる人も増えて来たし、良いタイミングだったと思う」
「対抗戦でガンガン上がったしね」
「うん。あれ見ちゃうと通常で上げる気は起こらなくなるかも」
対抗戦、『運動会』などと呼ばれていたイベントは、実態は神々の都合による魔力増産イベントであったようだが、ユーザーにも恩恵は大きかった。
各種レベル、プレイヤーの基礎レベルや、スキルの熟練度が大きく上がったのだ。それにより、70レベル以上の伸びにくい範囲に入った者も多く、レベル以外で能力を強化出来る施設は歓迎されていた。
ユキなどは、対抗戦でレベル100に到達している。このタイミングで蒸し返しはしないが、伸びが無くなったという事は、彼女の悩みの原因の一つになっていそうだ。
「まあ、しかし、僕には関係無いよね、その施設……」
「幽体じゃなくなっちゃった人の事なんて考慮してないよねぇ。それでなくとも、ハル君は自分で改造しちゃうし」
「ユキは改造するの? 見たところ、まだ変わってないようだけど」
「うー、ハル君がえっちだー。人の体の隅々まで見てくるー。……そういうのはルナちーとアイリちゃんだけにしなさい!」
「言い方」
ユキの体を構成する魔力を<神眼>で見るも、今までと変わった所は見られない。彼女はまだその施設を使っていないようだった。
……今まで気にした事は無かったのだが、この行為は裸を透視して見る行為に当たるのだろうか? ユキは茶化しているだけだが、ふと気になってしまうハルである。
気になるだけで、改めようとは思わないのもまたハルなのだが。
「でだ、今のところその気は無いかなぁ私は。一応私、カナちゃんの陣営だしね。変な爆弾植えつけられても嫌だ」
「公共施設だし、そんな事はしないでしょ。このゲーム作る時だってそれぞれ分担して作ったんだろうから」
「分からぬぞ? どこかに本人しか知らない爆弾が埋まってるのかも。時期が来たらぼん!」
「ぼん、ではない。……とも言い切れないけど。他の神も目を光らせてるでしょ。アルベルトも居るし」
「ああ! 居た居た! 白衣着てた!」
新施設に対応したアルベルトも、新しく登場したようだ。
「しかし、必須施設か。今までパッとしなかったマゼンタ神も、これで人気出るかもね」
「一躍トップに躍り出たりしてね」
「ゲーマーは実利のある物に弱いからねえ」
「ハル君は効率重視って公言しつつもロマン求めるよね割と。その上で最強なんだから嫌んなっちゃう」
「ロマンを見せる事で相手の対応を誘導出来るから、実は効率的なんだよ?」
それに毎回最適解を打ち続ける作業は味気ない。負けない程度に遊びは入れたいというのがハルの心情だ。
「公園とプールが弱いね、そういう意味では。闘技場とカジノは常に一定の需要があるとしてさ」
「ライトユーザーをもっと呼び込めるかにかかってるね。ユキみたいなのばっかだと、用は無いだろうね」
「ヘビーユーザーも、まあ言うほど数は居ないだろうけどね。掲示板とかで発言が多いだけでさ。それに流される人が多いから、多く見えるだけで」
牽引力の話だ。精力的にプレイしている人間は目立つ。それらを基準に、ゲームの実態が語られる事が多いため、実情よりもプレイ傾向は上ブレして広まる事がほとんどだ。
運営がそれに釣られすぎると、大多数のユーザーはついて行けなくなる。バランスが難しい所だ。
そんな風に、ユキといつも通りのゲーム話で盛り上がる。調子はすっかり戻ったようだ。
しかし話に出ていたマゼンタ、ハルは少し気になる所がある。マゼンタ本人というよりも、彼の担当する赤色を冠する王国について。
この世界の歴史をアイリから教わってきたハルであるが、赤の国に関しては不自然に情報が少ない。この国が閉じられており、距離が遠いという事もあるが、どうも気になる。
そのうち、詳しく調べてみるのも良いかもしれない。
※誤字修正を行いました。ルビの振りミスを修正しました。
表現を少し修正しました。誤字報告ありがとうございます。
ハルとユキの会話、二人の口調が混ざって少し紛らわしかったですね。今回だけではなく、この二人がフランクに雑談しているとよくある気がします……。
改変による大筋への影響はありません。(2021/813)




