第896話 不思議の国への招待状
ハルはアイリスから新たに与えられた権限を使い、自国の制度に手を入れて行く。
とはいえ市民やプレイヤーに関わる部分にはほぼ影響は出ない。あくまで、貴族制度の改正が手を付けるべき仕事であった。
手に入れた権限は言うなれば『領主コマンド』の上位版のような構造をしており、領地であるクリスタの街を弄る時の行動を、更に複雑化したような形になっていた。
「領地を、マップを管理する権限を持つ権力者の<役割>に就いた者はこのシステムが必ずセットでついて来るみたいだね」
「おー。<武王>のソフィーちゃんもそうなんだっけ」
「うん。マネージャーとして見せてもらってるけど、似た感じだよユキ」
「あたま、こんがらがりそ」
難しそうな文字と数字がひたすら並ぶウィンドウに、覗き込んで来たユキが目を回す。
このシステムの複雑さが領主系の<役割>を敬遠させており、であるからこそ、それを使いこなした時の恩恵は大きい。
最近<武王>となったソフィーも、ユキ同様にひと目見ただけで目を回してしまい、実務はサポートのハルに丸投げだ。
武術大会の優勝で王様に成れるリコリスで、いざ成ってみたらこの仕事が強制的に付いて来るのはもはや罠だろう。
とはいえリコリスはこの作業を放棄しても、特に問題ないようには作られている。元々が野蛮で問題に溢れ、それでいながら上手く回っている不思議な国だ。
しかし、アイリスの国は違う。しっかりと管理された社会制度、それにプレイヤーも適合しなくてはすぐにエラーに見舞われるだろう。
「アイリスで<王>になった人は大変だね」
「そうね? この事務作業を絶対にこなさなければならないわ?」
「こなさなかったら、どうなるのですかルナさん?」
「確実に部下の貴族から突き上げを食らうでしょうね。あと、オマケで国が荒れるわ?」
「こわいですー……」
行くところまで行くと弑されるかも知れない。自身の人気にあやかってノリで<王>になりたがるプレイヤーが居たら、痛い目を見そうだ。
国の運営、つまり一般プレイヤーも利用する街に影響が出れば、そのプレイヤー達からも敵視されるかも知れない。
王とはその苦労を誰からも理解されず、なのに文句だけは一身に受け止めねばならぬ立場なのだ。
「……まあ、今回はそこは問題じゃない。その<王>すら、自由に任命できる立場だからね」
「うへー。やばいねハル君。もはや神様じゃん」
「『全権』を得るってのは、そういうことですよーユキさんー。ハルさんは今、アイリスの奴の名代として、あいつの出来る事なんでも出来るってことですー」
「おお、まるでどこぞのカナちゃんだ」
「ですねー。真似っこされちゃいましたー」
「……僕は、やろうと思えば梔子の国でもこれが出来たのか」
あちらは、生きた人間の住む紛れもない本物の国だ。そこでも、こんなゲーム感覚で国政を左右できる状態だったというのだから想像するに怖ろしい。
「そんじゃ、<貴族>の任命も出来るってことっすかハル様?」
「もちろんだよエメ。好きなNPCを抽出して、その者に勝手に貴族位を与えることも出来る。アイリスと同じだからね」
「おー、なかなか便利っすね! ……人数制限は、ないですね。つまりこれを全力でやりまくれば、アイリス国民全員を<貴族>にすることも可能になるんすね。やったっすよハル様! これで、完全に格差の無い社会が実現可能ですね!」
「本気で言ってるのか判断に困る冗談は止めろエメ……」
まあ、その結果どうなるのか眺めて遊ぶ分には面白いだろう。
しかしどうせ、その時は貴族の間での格差が新たに生まれるだけだろうというのは以前にもあったやり取りだ。きっとロクなことにならない。
「やるのは逆に、貴族位の剥奪だ。任命が出来るんだから、逆も可能になってる」
「おお、クビキリ」
「そうだよユキ。ただ、準備が必要なのがここでね。今すぐやれば混乱が起きる」
今はあくまで改革の準備。大きく動くのは、<神王>とやらになった後だ。
「ということで、ミナミ!」
「《うおおおっとぉ! ローズちゃん! えー、こちとら配信中です配信中です》」
「分かってる。大丈夫だ」
「《珍しいな、休憩中のローズちゃんが声かけてくるなんて! こっちも切った方が?》」
「別に構わないよ。二、三、確認したいことがあるだけだ」
そんな、これより先ハルの餌食となる<貴族>の一員であるミナミ。その彼にハルは通信を繋ぐ。
プレイヤーの中では珍しく<貴族>を演じている彼は、実はハルの力を唯一受け付けない貴族でもあるのだ。
アイリスから全権を任され、彼女と同等の権限を有するハル。しかし、そのアイリスでも元々手出しが出来ない領域があった。
それが『プレイヤー』だ。この世界の住民である以前に日本人である彼らは、日本の法律によって守られている。例え運営であろうと、彼らの財産を自由には奪えない。
「《なにかななにかなぁ! へっへ、羨めお前ら! ローズちゃんから内緒話をして貰える俺を羨めぇ!》」
「これから君の地位を剥奪してみようと思う」
「《そんな馬鹿なぁああああ!! やめて! 神様仏様ローズ様! 私は誠実に職務をこなす国家に忠実な公務員です!》」
「諦めろ。その神と同等になったのが僕だ」
《ミナミ……(笑)》
《無職になっても忘れないよ(笑)》
《いやー、うらやましいなー。ローズ様の内緒話》
《配信外ローズ様から声がかかるとか》
《滅多にないからなー》
《いやー、嫉妬しちゃう嫉妬しちゃう》
「《て、テメェら……、ここぞとばかりに……》」
「まあ、心配するな。君に恨みがある訳じゃない。ただの実験さ」
「《実験で爵位奪われそうになるの俺!?》」
なるのである。哀れなミナミに合掌。ハルは容赦なくコマンドを実行した。
「どうだい?」
「《……あー、ええっと? 『<役割>の変更を受け付けますか』って確認が出てるな。俺がこれを承諾しなければ、剥奪はできないようだ》」
「なるほど。やっぱりね」
「《承諾しておく?》」
「ありがたいけど、そこまでしてくれなくていい。ただの確認だ」
変なところで素直なミナミである。根が真面目な彼のことだ。ハルに何か考えがあっての事と察しているのだろう。
「悪かったね。あと、出来れば後で協力して欲しい」
「《おー。どうせ<貴族>だしなぁ。巻き込まれるの確定だし、乗っておいた方が良さそうだ》」
「頼んだよ。お礼と言ってはなんだけど、昇進させてあげよう。上手く使うように」
「《っっっしゃあ! 見たかお前ら! 俺には分かってたんだよ~ん。これが、ローズちゃんの試し、試練だってなぁ? はっはー、無礼を詫びろ詫びろ! ごめんなさいするまではローズちゃんと、でかアイリスちゃんの尊い宗教画の販売はお預けだ!》」
「なんだかなー、こいつはまた……」
《汚いぞミナミ!》
《調子に乗るなミナミ!》
《ローズ様に怒られてしまえ!》
《べ、べつに欲しくなんかないんだからね!》
《欲しいけどミナミに頭下げるのはいや(笑)》
《その通りだ》
《こうなりゃ根比べよ》
《売りたくなるまでこっちも絞るか》
《ああ、ポイント入ると思うなよミナミ?》
「《あっ、テメェら汚ねーぞぉ! 支援は止めるな! ステータスポイントを人質に取るなぁ!》」
ハルはそんなリアクションの激しいミナミの対応に肩を落としつつ、とりあえず彼の爵位を上げてやる。
これから彼には、現地の<貴族>としてハルの手足となって働いてもらう予定だ。その為にも、権限は強い方が動きやすいだろう。
なお、ミナミの言う『宗教画』とやらは、ハルの額にでかいアイリスが口づけをしたシーンを切り取ってアイテム化したものだ。高く売れるらしい。
一瞬、手に入れた強権で販売を禁じようかとする自分を抑えつつ、ハルはミナミとの通話をオフにしたのだった。
◇
「……さて、僕らもそろそろ放送を再開してコスモスに向かおうか」
「もう良いん?」
「ああ、待たせたねユキ。元々こっちは、裏でやっても問題ないものだから」
時間をとったのは、視聴者の休憩とクランメンバーの方針決定の時間を取る為だ。
今回急遽、この神国へと飛空艇を移動させてしまったハルたち。その中にセーブし、ログアウト後はここに現れるクランメンバーも、同時にコスモスへ行くことになる。
その方針をどうするか、この時間で決めてもらったのだ。
アイリスでセーブし直し国に残るか、このままハルたちと共にコスモスへと行くか、はたまたここで飛空艇を降りて神国に留まるか。
それを決めてもらう為の時間が過ぎ、飛空艇の出航の時を迎えたのだった。
「よし。再開だ。待たせたね君たち。これより僕らは神国を出て、コスモスの国へ向かう」
《やったー!》
《待ってたよー》
《休憩感謝》
《コスモス楽しみだー》
《ローズ様は初めてだもんな》
《初めてじゃないよ。初期に行ってる》
《シャールちゃんのおうち》
《直接転移だったからな。印象は確かにない》
《そういえばそうだった》
「そうだね。その時も、この塔の上部から転移で行っていた」
この『六花の塔』には、施設に内蔵された機能としての転移装置がある。国家の緊急時と各国の代表が認めた時にのみ、登録されたポイントへの移動が可能となっていた。
あの時は紫水晶の解析のため、コスモス代表の毒舌少女シャールの家まで飛ぶこととなったのだ。
「今回も、とりあえずシャールのとこに行こうかな? コスモスの知り合いといえば、彼女しか知らないし」
正規の移動手段、海路による定期便や、国境に建てられた関所エリアを通っての入国。輸送用の飛空艇に相乗りしたり、豪華なものになるとハルたちのやったように国家の専用艇での移動。
他国へと入る際は、そうした元からゲームに用意されていた手段であれば手続きは必要ない。
しかし、今のハルたちのように自前の乗り物で国境を越える際は、許可がないままだと違法になる危険がある。
下手すれば密入国、領土侵犯として、犯罪者扱いにすらなりかねなかった。
それを防ぐため、乗り物には許可証がセットとなる。夢の飛空艇も、色々と面倒なものなのだ。
ハルはそうした許可証を発行する手間を待てないので、いつもこの神国で知り合った外交官の面々に頼んで入国許可を出してもらっていた。
コネ、フル活用である。
「……という訳でシャール。君の国に入りたいんだけど、いいかな?」
「《唐突だなローズ。私も、帰ったばかりだというのに。まあいいさ、勝手に来いと言っておくが、もてなしは出来ないからな?》」
「ん? シャールの家に行っていいの?」
「《むしろどうする気だったんだ。……いいか? まずここに来い。……間違っても、直接首都に乗りつけたりするんじゃないぞ?》」
「うん。じゃあ、お邪魔させてもらうよ」
《念を押しちゃうシャールちゃんかわいい》
《大好きなローズちゃんを招待しちゃう》
《……ローズ様の暴走を恐れているのでは?》
《首都は大混乱》
《下手したら責任問題》
《頭の痛い話だ》
《バカ! 会いたいだけに決まってるだろ!》
《お前にシャールちゃんの何が分かるんだ!》
《お前らこそ何なんだよ(笑)》
ずいぶんと人気のあるNPCである。ハルと深く関わっているNPCの中では、ミントの議員テレサと人気を二分している。
その人気の高さ、すなわち大量の視聴者の意識データの流れは、彼女と彼女を取り巻く環境に作用して新たなイベントを起こしかねない。
コスモスの担当すると推定されているゲームシステムによって、そうした展開が起きかねない状況だ。
とはいえ、それを避けていても話は進まない。ハルの目的はそのコスモス本人。むしろ積極的に、そうしたイベントを起こして行くべきだろう。
「よし、残る者は船を降りたね? 出航するよ」
《だいじょうぶでーす》
《神国でイベント見つけるぞー》
《クラマスも頑張ってー》
クランのメンバーたちも各々方針を決め、それぞれの国に分かれていく。
コスモスに同行する者たちだけを乗せ、飛空艇は神国を出発した。
ガザニアの神核石を再び搭載したこの飛空艇は、その核が生み出す圧倒的な出力で海を渡りコスモスへと入る。
空から見るコスモスの国は、思った以上にカラフルで見ごたえのある土地のようだった。
上空から見える街の屋根は、色とりどりの塗料で装飾された不思議な家が連なっている。
もっと落ち着いた研究者たちの街という想像を裏切り、むしろおとぎ話に出てくるような『魔法使いの街』といったイメージの雰囲気。
ポップで楽しそうな国風は、陰気さをまるで感じさせない。夜は灯りもカラフルに輝いて、この原色めいた家々を幻想的に照らし出すそうだ。
そんな不思議の国の上空を抜け、ハルたちはシャールの屋敷を目指す。
その目的地は、そんな愉快な街々とは違い、最初に想像した陰気な研究者の家、といった風体をもってハルたちを出迎えてくれるのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/6/23)




