第88話 そこに穿たれた穴
今日から新しい章のスタートです。二章から続いた流れに区切りがつき、展開もまた新しくなる予定です。
また、本格的に行き来するようになってしまったので、必須キーワードの異世界転移を設定しました。作品の内容には特に変更はありません。ハルもこの先は、ここが何処なのかを重視することは少なくなるかと思います。
では、今後もよろしくお願いします。
目が覚めると、隣にあるのは彼女の寝顔。などと、言ってみたいものだ。
眠らないハルは、アイリが眠った後も一晩中を起きて過ごした。それは普段の寝室である客室から、アイリの部屋へと場所を移しても変わらない。
穏やかな彼女の寝顔を眺めて過ごす穏やかな時間。とも、残念ながら言えなかった。
部屋から物音が消えてしばらくすると、メイドさんが入ってきて後始末をしてくれる。非常に気まずい。
薄暗い中でもはっきりと分かるくらいに、メイドさんはにっこにこ笑顔だ。また気まずい。
ハルも眠ってしまえれば、そんな彼女たちと顔を合わせずに済むと思えば、眠れぬその身を恨めしく感じるというものだった。
体を拭いて貰っている間も起きることなく、気持ちよさそうに眠り続けるアイリを見ると余計そう思う。
まあ、警戒心の塊であるところのハルの場合、誰かが寝室に入ってきた時点で目を覚ますのがオチであろうけど。
そうして、もそもそとアイリが起き出して、目が合ってふたりで昨夜を思い出し、はにかみつつも朝の挨拶を交わすまで、ハルは珍しく何もしない時間を過ごすのだった。
*
その後は、昨日に引き続き祝いの席の豪華な朝食を皆で囲み、ルナとユキに冷やかされて過ごす。
身内だけのささやかなお祝い。一国の王女としての物ではないが、彼女はこれ以上をまるで望んでいないようだ。
この世界には結婚式のような儀式は無いようだが、こうしたお祭りムードが数日続くらしい。
日本にもそうした風習が無いでもないが、何だかここだけ妙に古風な感じを受ける。
皆で騒ぎながら、と言っても大人しい者が多いので普段通りの部分も大きいが、そうやって過ごしていると、カナリーを通してアルベルトから連絡が入る。どうやら準備が整ったようだ。
「まる一日近くかかっちゃったのか。小林さんは大丈夫かな」
「どうせあの店、誰も来ませんよー。ハルさん達が訪ねてから、一人もお客さん居ないでしょうしー」
「場所が場所ですものね?」
「人形が一人で居眠りしてても、誰も気に留めませんよー」
「軽くホラーだね」
ルナと行った、このゲーム運営の実店舗、あの迷宮じみたオフィス街を思い出す。
運営に用のある人間以外たどり着けないだろう上に、現代はオンラインサービスに関係する業務はほぼ全てネット上で対応が完結する。リアルで用事がある事などほぼ無かった。
「けどハル君、新婚初日だよ? 今日くらい二人で過ごせば?」
「そうしようかと思ってるよ」
「いえ! わたくしの都合でわがままを言ったのです。ここは一日でも早く解決すべきかと!」
ハルも、奔走してくれたルナ達も気にはしないのだが、アイリ本人が気になってしまうようだ。
半ば強引に出発準備をさせられる。とはいえ、準備といっても特にする事は無いのだが。
服は置いていくので、着るものを気にする必要は無い。そして向かう先はハル自身の家なのだ。帰宅なのだ。
むしろ何かするのは、向こうへ着いてからになるだろう。体調のチェックや情報の更新、諸連絡、やる事は多かった。
「ところでハルさん、アイリちゃんー。アルベルトがこっち来たいとか駄々こねてるんですけどー」
「駄々って……、多分それ普通に言ってるだけだよね彼?」
「カナリー様的には、そうなってしまうのでしょうか?」
「まあ、ここは男子禁制だから、それを破るわけにはいかないよね。僕が言うのもなんだけど」
「ハルさんはもう、わたくしの旦那さまですから! 旦那さま! えへへへ……」
「アイリちゃん嬉しそう」
ここぞとばかりに、夫婦になった事を強調するアイリ。気持ちはハルもよく分かる。
「まあ、何かしたいって言うならギルドホームの店員でもやってもらうか」
「またハル君が思いつきで騒ぎになりそうな事を……」
「大丈夫、既に僕は世界の敵だ。前の対抗戦からこの方ね」
「アイリちゃんとの結婚も噂になるでしょうしね?」
この際、話題の分散になるだろう。その場合は実際に追求が行くのはアルベルトになってしまうが、彼ならそつなく対応してくれるはずだ。
そのアルベルトとの間に回線が繋がり、ハルの意識は数日振りにエーテルネットへと接続されて行く。
「ん、問題無さそうだ。通信強度は弱いけど、走査性が恐ろしく高いね」
「先に戻っているわ。無事に着いたら連絡をよこしなさい?」
「ありがと、ルナ」
一足先にログアウトしていくルナを見送り、ハルもネットを辿り、自分の部屋へと意識を飛ばす。
慣れ親しんだ経路だ。すぐにたどり着くと、宅内のセキュリティを起動、視界を有効化する。
「ここに魔力があるの? んー、そう言われてもね。スキルが無きゃ感知できないわけで……」
「またアイリちゃんと繋がったら?」
「はい! いつでもどうぞ!」
「いや、<神眼>で視界移動すればいいだけだったね」
「残念ですー……」
「……それってカナりんだけ居ればよくない? アルベルトさん必要だった?」
「私じゃリアル側への接続権が無いですからー。それに、リアルにエーテルが有るとハルさんが知っていなければ教えられませんしねー」
カナリーの目を借りて、視点移動を試みると本当に部屋の中に視点が定まる。
後はそこへ座標指定して、<転移>を発動するだけだ。
「それじゃ、行ってくるね。服、散らばっちゃうと思うけど」
「お任せください」
「行ってきます!」
メイドさんが歩み寄ってきて、片付けの待機をしてくれる。
それを確認すると、ハルは<転移>スキルを自分の部屋の中へと設定していく。
転移の対象物の指定は割と詳細で、服だけ対象外にする事が可能だ。一応、こちらの世界の素材で出来た物だ。持ち込まない方が良いだろう。
……何か、気になる事を聞いた気がするが、既にスキルは起動してしまっている。それを確認する間も無く、ハルは転移の光に包まれて行った。
◇
*
◇
光が収まると、慣れ親しんだ景色がハルの瞳に映る。薄暗い部屋、静かに駆動音をうならせる機械類、そして口を開けて内に収めるべき中身を待つ、慣れ親しんだポッド。
そして景色よりも鋭敏に、ここがハルの世界だと語りかけて来るもの、それがひと呼吸ごとに体内に取り込まれてゆくナノマシンだった。
数日振りのそれを、噛みしめるように深く吸い込む。
「《ハル様、ネットワークが復旧しました。現在クラス2。上昇中です》」
「……やっぱり帰って来たって感じがする。実家の空気って奴の意味が今なら分かるよ」
「《ハル様、それは確実に違う奴です》
「ここがハルさんのおうちなんですねー……」
「そうだよ。…………えっ?」
「?? どうかなさいましたか?」
振り返ると、裸のアイリがちょこんと立っていた。再びの裸。半日ぶりの裸。
相変わらず美しかった。ハルと目が合うと、もじもじと身をよじる。隠そうか隠すまいか、判断に困っている様子が見て取れた。
思わず見入ってしったのに気づいて、ハルは慌てて目をそらす。
「ごめんね?」
「いいのです! もう、夫婦なのですから、えへへ」
そっと寄り添ってくる。そのままぴとりと。
昨夜の事が思い起こされそうになるが、今はそれどころではないと思い直す。
「どうしてアイリが、って、言うまでも無いよね……、僕の考えが浅かった。転移する時は、今までだって僕とセットだったんだものね」
「はい! 世界を超えても一緒です!」
「ロマンチックだね」
言いつつ、ある意味、ハルがアイリの世界へ飛んだ時よりも内心の衝撃が大きい。すぐさま慣れ親しんだエーテル制御を回し、表面化しないように動揺を抑える。
自分のホームグラウンドに本来居るはずの無い彼女が居る。自分自身が異物であった時よりも、明確に事の重大さを実感する。
「……それはともかく、どうするんだコレ。解決したようで、あまり解決していない」
こちらに来るとアイリまで着いてきてしまうとなると、学園に行っている場合ではない。
アイリは待っていてくれるだろうが、そもそも二つの世界の時間にはズレがあるのだ。登校時間には彼女は眠っている事も多い。
無理に毎回つれてきてしまえば、体への負担は大きいだろう。
「なんにせよルナに連絡か。それと黒曜、アイリにエーテル通信が入り込まないようにネットの監視を」
「《問題ありません。この世界においても、アイリ様はハル様の一部であるという判定のようです》」
「訳が分からない」
「《私も分かりません》」
「良くわかりませんが、素敵なことです!」
待機しているルナへと連絡を取り、こちらへ来てもらう。アイリは裸だ。事情を説明し、アイリの服などを用意してもらう。
当然ながらひどく驚いていたが、すぐに冷静になると、準備に取り掛かってくれた。
「えへへ、裸でいると、思い出しちゃいますね……」
「ん、ルナが来るまで、僕の服で我慢してね」
「……えと、その、ルナさんは、どのくらい時間がかかりそうですか?」
抱きついたままの彼女に、上目遣いで問いかけられる。
彼女の家は近い。そう長くは、かけられなかった。
◇
「彼シャツでお出迎えのアイリちゃんは、破壊力が高いわね」
「いらっしゃい、ルナ。……余裕だね」
「ええ、お邪魔します。一度ここでハルが消えたのを見ているもの、いまさらよ」
確かにその通りだ。現実で起こった衝撃については、彼女の方が先輩であり、ここ数日はずっとその事で迷惑をかけていた。
今更、事件が一つ二つ増えた所で、既に麻痺してしまっているのだろう。落ち着いた様子で部屋へ上がってくる。
「ルナさんはこちらでは背が高いのですね! わたくしの方が驚いちゃってます!」
「……迂闊だったわ。アイリちゃんは見るのは初めてだったわね」
「いえ、ルナさんはルナさんだってすぐに分かりました!」
こちらでは背が高く、髪も黒く変わっているルナにアイリが一瞬面食らう。
衝撃といえば、こちらも衝撃があるだろう事を失念していた。ハル達にとっては、肉体とゲーム内キャラクターの姿が違う事は常識になっている。
どちらも同じ姿のハルのような者の方が少数派なのだ。
「アイリちゃん、体は平気?」
「……えと、はい、まだまだ大丈夫ですよ!」
「辛かったら言わないとダメよ?」
こうして見ると、お姉さんと妹だ。落ち着いたルナの表情が、それを更に加速させている。
持ってきた服を着せてやっているルナと、されるがままに身を任せるアイリを眺めながら、ハルはそんな感想を抱く。
当然ながら、服はぶかぶかだった。
「旦那様、調整してあげなさいな?」
「僕でいいの?」
「ハルの方が得意でしょうに。リハビリにもなるわ」
「それじゃ。アイリ、服がちょっと動くよ?」
「ふえ? ……わわっ! きゅっ、ってしました!」
ナノマシンにより伝わる情報で、伸縮が自在な素材。それを使用した服をルナは持ってきた。アイリの体に合わせて、そのサイズを調整してやる。
建材を自在に動かしての建築が可能なように、衣服においてもそれが応用されている。サイズを多く取り揃える必要が無く、店に優しい。
ただ、ルナは自分用のサイズの一点ものを好むために、あまり所持はしていないようだ。
「サイズがぴったりです。すごいですー……」
「もっとかわいらしいデザインの物があれば良かったのだけど、これで我慢してね?」
「いいえ! とっても素敵なお洋服です!」
ルナの好みは、彼女の表情と良く合った落ち着いた物。これも、イブニングドレスのようなデザインで暗い色だった。体のラインに合わせてフィットさせるため、伸縮素材を選んだのだろう。ちなみに色の変更も可能。
だがアイリはルナの用意したままを着こなしている。彼女が持ってきてくれた物をそのまま着る事が嬉しいのだろう。
アイリにとっては未知の素材。謎であろうそれも、気に入ったようだ。くいくいと、あちこちを引っ張っている。
「……ハル、いたずらしちゃ駄目よ?」
「しないって。……この様子を見てるとしたくなるけどさ」
「……そうね。一度しましょうか。警告のためよ?」
「いたずらですか? ……きゃんっ」
試しに、アイリに断ってから、腰の辺りの布をきゅっと絞ってみる。かわいらしい声で驚いた。
エーテル操作で伸縮出来るので、なんというか、色々と出来る。着用者以外に操作権を与えるのは厳禁だ。
「えっちな服ですぅ……」
そうして三人、しばらくこの世界特有の物でアイリの目を輝かせて遊ぶのだった。
◇
「それで、結局どういう事なのかしら? 本当にこの世界にも魔力があるの?」
「有る物は仕方ないとしか。理屈については分からないよ。もしかしたら、カナリーちゃん達にも分かってない可能性もある」
「まあ」
「ハルの推測は?」
「コトが僕だからね。考えられるのは、二つの世界に同時に意識が存在するのがバグになって、そこが穴になって漏れ出したとか」
「ありそうね?」
ひとしきり遊んだ後、話は事の発端へ。すなわち、何故かこの世界に魔力が溢れて来ている事に関してだ。
正直な所、ハルは『わからない』としか言いようが無い。
ハルの世界の認識では、アイリの世界は単なるゲームでしかない。そのゲーム内の魔力がこちらに出てきていると言われても、首をかしげる以外に取れる反応は無かった。
重要なのは、その事実をどう受け止め、どう対応するかだろう。
「ハルはこちらでも魔法が使えるの?」
「……使える。夢が叶った事になるのかな、これは」
「良かったじゃない。ハル、世界を支配する気はあって?」
「無いってば。分かってるくせに」
魔法が、当然スキルも問題なく使用可能だ。ハルの体には今もキャラクターの核が融合されている。
<魔力化>、<物質化>も、使用出来る。ありとあらゆる存在の無力化と、複製が可能だった。
「ならば、その力は混乱を引き起こすだけよ?」
「そんなに大変な事なのですか? こちらの世界の方が、よほど魔法らしい事を行っていますのに」
「それでも出来ない事は多いんだ。中でも僕が持ち込んだのは致命的でね」
「このまま永遠に隠し通すか、誰にも手出し出来ないように、完全に掌握するかしないとならないわ」
「神様に喧嘩売るの?」
「必要ならばね。ハルの問題が解決した以上、もはやサ終も厭わないわ」
「相変わらずなんて身勝手な……!」
ハルにその気がなくとも、この事実が知られればそれだけで騒ぎになるだろう。
どちらの道も、前途は多難そうである。
「まあ、ひとまず今はそんな事より。ハル?」
「分かってる。これだね?」
「なんでしょう!」
以前ルナから送られてきた、水着用の布のサンプル。それをいそいそと取り出す二人だった。




