第879話 月乃と美月
歩き慣れぬ街並みの中をハルがゆく。ここは少々時代を感じる、悪く言えば『古臭い』オフィス街で、以前ルナと訪れた新陳代謝の激しかったアルベルトの事務所とはだいぶ雰囲気が異なった。
建て替え建て増しにより複雑怪奇な『ダンジョン』と化すことはなく、軒を連ねているのはどれも長くこの場に居を構えている物ばかり。
そんな少々くたびれたビルの間を、ハルは脇目もふらず“通りすがった”。
《見つけましたー。ここで間違いないですねー》
《ありがとうカナリーちゃん。よし、撤収だ》
《ズコー、ですねー? あまりの何も起きなさにずっこけちゃいますねー》
《まあ仕方ない。今の僕は、ただちょっと遠くの店に買い物に来た学生なんだから》
《最近はがっこー行ってないですけどー》
むしろ企業活動に専念している状態だが、それでも身分の上ではまだ学生のハルだ。問題ない、はず。
そんなハルは目的のビルを通り過ぎると、更に離れた地点にある店へと迷わず入り、ファンシーなお菓子や小物、洋服など、女の子たちへのお土産を買いこんでそそくさとその場を後にする。
なお、ハルが足早だったのはその店が本来の目的地ではないから、だけではない。普通に恥ずかしかったからなのは、隠し切れぬ事実であった。
《だめですよー? もっと堂々としていないとー。店員さんの印象に残っちゃいますよー? 彼女にプレゼントを買う、微笑ましい彼氏ですよー》
《うるさいな……、いいんだよ、残ったら残ったで。僕がこの店に来たのは偽装なんだから》
《照れ照れですねー。もっと男の子用の店にすれば良かったですねー》
《無かったんだよねえ。わざわざこの街まで来るような店が》
今回、この本来ハルに用のない街へと足を延ばすにあたって、『理由』が一応必要になった。
情報戦に強いのは月乃も同じ。何の意味もなくあの場にだけ赴いたのが知れれば、怪しまれるのは必定だろう。
そこで、わざわざこの場にのみある物理店舗、いわば『穴場の名店』を調査し、物理的にハルが足を延ばす意味を捏造したのだった。
《まあ、ソフィーさんに色々女の子らしいアイテムが必要だしね。お菓子のバリエーションも増やしたい》
《お菓子は必要ですもんねー》
《……カナリーちゃんも、ソフィーさんくらい運動しようね?》
《あんなに動いたら死んでしまいますー》
ハルはそんな両極端の女の子へのお土産を左右に抱えつつ、用は済んだとばかりに地下鉄へとトンボ返りする。
そうして一見、極秘の調査などではなく、単にプレゼントを買いに来た男の子として、足早にこの街を去って行ったのだった。
*
「という訳で、これから現地へと潜入する」
「せんにゅうにんむ! ですね!」
「そうだねアイリ。まあ、チートで最低難易度になっちゃってるんだけど」
「正面から突入するハルさんも、見たかったです!」
お屋敷へと直帰したハルは、すぐに再び疑惑の地への潜入準備を整えてゆく。
先ほどは下見でここからが本番、とも少し違う。先ほどの通りすがりで、全ての準備は終わっているのだ。
「すれ違いざまに、魔力を放出してきたのですね! 久々です!」
「うん。あのゲーム内では<魔力操作>系の技術の出番はなかったからね」
「地下に流し込んだ魔力の中に、<転移>で入り込むのね? これ、セキュリティもなにもあったものではないわ? 本当にチートよ?」
ルナの言う通りだ。ズルすぎて少々気が引ける。
ハルは例の目的地の前を通りすがった際に、その身から魔力を生み出し目的の地下へと浸透させた。
これにより、いかにナノマシンを通さなかろうと、いかに分厚い壁だろうと、問答無用で侵入出来る。
地球上で魔力を扱えるのがハルのみであるが故の強権であった。
「前回同様、アンチエーテルの密室も形無しね? それで、内部はどうなっているのかしら? もう<神眼>で見えているのでしょう?」
「うん。さほどの広さも物もないね。でも、一緒に来るには少し覚悟が居るよルナ?」
「……いまさらよ。それに、行かなくたってどうせあなたを通して知ることになるわ」
先んじて魔力内に<神眼>で視点を通しているハルには、現地の状況がよく見えている。
書類を見た段階で覚悟はしていたが、そこはルナの出生の秘密と深く関わっているようだった。
「どうしよ。うちら、お留守番してよっか?」
「気を遣う必要なんかないわユキ? どのみち、すぐに共有されることになるんだもの」
「私は残りますねー。現地はエーテルネットから遮断されてますー。オペレーターが必要でしょうー」
「頼んだよカナリーちゃん。一応、僕も魔力を通して接続は出来るけど」
そんな月乃と、そしてルナに関する秘密が隠されているであろう謎の地下室。どうやら上にある会社も、その存在については知らないようだ。
以前、どこかでも見たこの開かずの間。そんな密室へと向けて、ハルたち一行は<転移>での無断侵入を決行するのであった。
*
一切の光源の無い真っ暗な闇の中へとハルたちは降り立つ。地下室であるのは元より、分厚いアンチエーテルの壁に阻まれたこの室内には何処からも光など届かない。
ハルは手早く魔法で光を灯すと、室内が見渡せるよう光量を調整していった。
「不思議なお部屋ですー。“えすえふ”、ですね!」
「そうねアイリちゃん。言うなれば、『超古代文明』の遺跡よ?」
「まぁ」
「……たかだか十年二十年だろうに。アイリにでたらめ吹き込まないのルナ」
「あはは。ルナちゃんのお母さんは古代人の末裔かな」
ハルと、三人の女の子たちは室内を見渡してそれぞれの所感を抱く。
部屋の中には、その天井までを占める大きなカプセル状のポッドがメインアイテムとして鎮座して、その周囲をゴテゴテとした機械やチューブが取り囲んでいる。
逆側の壁には資料の棚や別用途のコンピュータ。そしてベッドなど申し訳程度の生活スペースが設けられていた。
それは、アイリがよく遊んでいる古いゲームによく出てくるような未来的な実験室。しかし、現代から見れば古臭さを感じる、時代遅れの機械設備が詰まっただけの趣味部屋だ。
「ここに、お義母さまの秘密の通信手段が眠っているのですね!」
「ないわよアイリちゃん?」
「なんと! ハルさん予想通りの、地下室ですのに! あの“ぴーしー”が、“いんたーねっと”しているのではないのですか!?」
「あれはオフラインだろうねー。ほら見えるアイリちゃん? ケーブルが繋がってないね」
「本当です! ユキさんも、詳しいですね!」
一応、光回線の他にも電波式の通信なども可能ではあるが、まあそれも考慮しなくてもいいだろう。電波の中継器が無いのだ。
そして、そんなコンピュータの機能以前の問題として、この場がハルたちの最初の調査目的である神と月乃の接触場所な可能性はほぼゼロだった。
「……ここ、僕ら以前に人が訪れたのはもうずっと昔のことだ。奥様は、もうこの部屋には入っていない」
「あ、なるほど。お部屋に入っていなければ、隠れて通信も出来ないのですね!」
「そういうことだねアイリ」
この上は月乃の系列の会社であるのは確かだが、彼女がわざわざ足を運ぶことはない。
足を運ばないのだから、この隠し部屋にて秘密の通信など出来るはずもなし。
一応、何かの拍子に部屋の存在が露呈しないように、土地の権利だけを持っている状態なのだろう。
では、それが分かっていながら何故わざわざこの地下室へと<転移>したのか。それは、まるで見えぬ彼女の『動機』が見えてくるような気がしたためだった。
「では、このお部屋はなんの為の場所なのでしょうか? この機械は、何に使うのでしょうか。わたくし、よく分かりません」
「それはねアイリちゃん。私はきっと、ここで生まれたんだわ?」
「なんと! ルナさんが!」
「……ねえルナちゃん、それってさ」
「ええ。あの仰々しいカプセルの中から、赤ん坊の私が出て来たんでしょうね?」
そういうことだ。ルナがデザイナーズチャイルド、遺伝子操作によって月乃の胎を経ずに生まれて来ただろうことはハルがアルベルトに語った通り。
ハルもルナも、そのこと自体は暗黙の了解として知ってはいたが、その現場を見るのはこれが初めてのことだ。
月乃はそのことについて語らず、ハルたちもまた触れなかった。触れないことで、親子として成立していたのだ。
「……わたくしも、ゲームや映画ではよく見ましたが、本当にこのようなことが可能なのですね」
「改めて、内容が偏っているわねアイリちゃん。誰の影響かしら……」
「……あはは。間違いなくハル君だね。でもルナちゃん。お義母さんは、どうしてそんなことを? 不妊治療とか、今は相当進んでるんでしょ?」
「ええ。特にお母さまは病院経営もしているわ? そもそも、お母さまの子宮は健康そのものよ?」
「うん。だと思った」
ルナは、月乃が妊娠不全により代理母の機能をこのカプセルに求めた訳ではないと当然のように語る。
そこには、健康上の理由ではなく、政治的な理由が存在するのだと彼女は淡々と語っていった。
「結婚はしたくない。でも子供は必要。その二律背反を解消するのにうってつけの策ね? それだけお母さまにとって、政略結婚がウザかったのでしょうね?」
「おお、ルナちゃんが珍しくお口わるい……」
「わたくしもそれは、分かる気もします」
政治の道具になるのを避けて、政争の末カナリーの神域で隠居の立場を勝ち取ったアイリだ。月乃の気持ちに共感する部分もあるのだろう。
そんな共感とある種の尊敬の念を抱きつつも、その結果生を受けることとなった目の前のルナに、どう言葉をかけていいか迷っているようだ。
「そんな顔しないでアイリちゃん? 私は別に、自分の出自を恨んだことはないわ? 一応、あの人は良い人だしね?」
「まあ確かに、うちの親なんかよりずっとマシだよねー」
「ですね! まあ、わたくしもお父様を恨んでいる訳ではありませんが……」
「僕なんか『備品』だよ?」
そんな、プチ自虐ネタ大会と化してしまった狭苦しい個室。
重苦しい空気感は倍増し全員が苦笑いで流そうとする中、中心に居るルナが『この話はここまで』とばかりに軽く手を叩いて不幸自慢を切り上げた。
「それは、今はいいのよ。私のことよりハル。ここにわざわざ来たのはその話をする為ではないでしょう?」
「……そうだね。とはいえ、完全に無関係じゃない。奥様が君を作ったその理由、単に結婚逃れの言い訳の為だけなのか。そこが気になっている」
「ここの資料に、あの人の内心についてのヒントがあるかも、と考えている訳ね?」
「そういうこと。少し、悪い気もするけどね」
「いいわ? 私が許可するから、存分におやりなさいな。“私の事”だもの、お母さまに文句は言わせない」
「ルナさん、頼もしいです!」
そんなルナに力強く促され、ハルは機器から離れ奥の棚へと足を向けると、そこに残った資料の束へと手を伸ばす。
ユキも隅の孤立したコンピュータのスイッチを操作し、電源が入らないかチェックを始めた。
これらの残された記録から、月乃の秘められた内心が見えてこないかとハルは考えたのだった。
月乃はルナを自身の完全なクローンとしてではなく、遺伝子操作をして生み出した。そこには、法の目を逃れる意味もあっただろうが、他にも何らかの思惑が見えてくるはずだ。
ルナをどのように『設計』したのか。どのように『運用』しようと考えたのか。それを知ることで、月乃のまだ見ぬ一面が見えてくるはずだ。
……この調査を、まるで嫌悪感なく行えるハルもまた異常なのだろう。自身の出自はこれに輪をかけて異常であり、またその事実をまるで気にしていない。
アイリとユキからはまだ、ルナを気遣いつつも多少の憤りの気持ちが感じられてくる。本来、ハルもこうあるべきなのだろう。
そんな、月乃へというよりは自身への葛藤を抱きつつも、表面上それを見せぬように、ハルは資料の調査へと没頭していった。




