第87話 彼と彼女に祝福を
しばらくの間、膝を付いたままのアルベルトの反応をアイリと二人で待っているが、何もアクションを起こす様子が無い。
何となく、何かのタイミングを逃した感を感じる僕らだったが、その微妙な空気を切り裂くように助けが現れた。
カナリーが転移で現れる。実際に空を切り裂いて現れたと言えるだろう。……あまり、つまらない事は考えない方がいいだろう。今はアイリに伝わってしまいかねない。
「いつまで座ってるんですかー、アルベルト。さっさと試合の事後処理をやりなさいー」
「座ってるのではなく跪いているのです。間の読めないカナリーですね。もうじきハル様がその剣で騎士叙任を行ってくださる所でしたのに」
「いや、しないからね?」
「はいはい。余韻に浸ってるところ悪いですけど移動しますよー。それにこれ私の剣ですからねー? 私の部下になりたいなら止めませんけどー」
「それは、遠慮しておきましょう」
やれやれという感じのカナリーと、何となく様子の変わったアルベルトに連れられ、僕らは元居たカナリー神殿の一室へと戻ってくる。
カナリーへ剣を返し、安全が確認されると、アイリと繋いでいた精神リンクを解除する。僕とのつながりを名残り惜しそうにするアイリを撫でながら、僕自身も統合を終わり、僕は再び“ハル”へと分割されてゆく。
「んっ……、もうちょっと繋がっていたかったです」
「慣れないうちは無茶しない方がいいですよー。アイリちゃんの恥ずかしい秘密も読まれてしまいますからねー」
「早く慣れないといけませんね!」
またする気まんまんのようだ。アイリの感覚を借りる事はまたあるかも知れないが、平時に多用するのは危険である可能性もある。
意識の接続は淡い快感を二人にもたらし、互いに対する依存度を確実に加速させた。
元々、相手への理解を求めていた二人だ。互いの同一化はその究極。戻って来られなくならないように、注意しなければいけないだろう。
「それで、アルベルト。君は、そのアルベルトが正解でいいの?」
「はい。これが、私です。確たる私の存在しなかった“私”に、お二人が与えてくださった、確たるアルベルトです」
「いいのでしょうか……? そういったものは、自分で決めるべきなのでは……」
「私自身にとっては、全ての私が等価であり、選ぶ事は出来ません。私は、誰かに私を定義して欲しかった。それに付き合っていただいた事に、感謝と、謝罪を」
自分の事は自分で決めろ、などと言うのは簡単だ。他人に判断を委ねすぎるのが危険なのも、その通りだ。
だが、全ての事を自分で決められるとは限らない。己の事であるからこそ尚更、思考の迷宮へと陥る事は人間でも多くあるだろう。
誰かに指針を、求めたくなる。
ましてアルベルトはAI、プログラムだ。本来は製作者の決定に従い、それを実行する者。自身で選択し決定する事は、苦手としているのかも知れない。
「……アルベルトさんの気持ち、完全に理解できた訳ではないですが。つまり、ハルさんに選んでいただいたお洋服はそれだけでお気に入りになるって事ですね!」
「まさしく」
そう言ってアイリは胸を張り、今日着てきたドレスを見せびらかすように、ぱたぱたとひらめかせる。
出かける際にハルに選んで欲しいと言ってきたものだ。
大切な人からのプレゼントが、己の心を大きく占める事も、ひいては心の一部になってしまう事もある。
アイリとの接続を解いた今であるが、人は繋がって生きているのだと、ハルは強く実感するのだった。
◇
「では、これより私はハル様とアイリ様に忠を尽くし、誠心誠意お仕えしましょう」
「うん、やっぱり、さっきから少しおかしいよね君」
「なんだか残念な感じになってきました……!」
神の間には、勝負に負けると残念化しなければいけない決まりでもあるのだろうか。
ハル達の下に付けなどというルールは定めていないはずなのだが。
「部下にするためにこの体を選んだのではないので?」
「特にそういう理由は、」
「これっぽっちも無いです」
「息ぴったりですねー」
接続の影響か、意識せずとも二人一組の会話が成立する。地味に嬉しい。アイリも心なしか得意げな顔だ。
「逆に、あの試合はどうすれば勝ちの想定だったの? まさか本当に、適当にあの中から選べば、それで終わりなんて事は無いでしょ」
「ええ、確固たる意思が必要でした。『このキャラクターこそアルベルトである』、といった。反面、理由はそれほど重視していません」
「じゃあ! お嫁さんにしたいから、かわいいアルベルトさんを選んだら?」
「勿論、そう振る舞いましょう」
アイリが何か変な事を言っている。別に、常に嫁を求めてさまよっている訳では無いのだが、ハルは。
ゲームごとに好きなキャラクターはもちろん居て、それを指して『嫁』などと呼称したりはするが、ここでは余談だ。
恐らくは、今から自分が嫁になろうとしている事から来る緊張感。それを分散しようとしているのだろう。凄い理屈だが。
「どうしましょうハルさん。かわいいアルベルトさん、沢山いましたよ? そちらにすれば良かったのではないでしょうか?」
「今から変更なさいますか?」
「しないから! 台無しだ……! もっと僕の選んだ君を大事にしなよ!」
がっくりと脱力しそうになるが、あまり相手のペースに流されている訳にはいかない。ここに来た目的、アルベルトと戦った目的を果たさなくては。
目的は、アルベルトの自己を定義してやる為でも、ましてや嫁を探しに来た為でもない。
ハルが向こうの世界へと帰還できるように、その橋渡しをしてもらわなければならない。
その話を開始させてもらおう。
「……そうですね、嬉しさのあまり舞い上がっていたようです。ご容赦ください」
「アルベルトにしては珍しいですよねー。基本的にこの子は仕事に忠実ですからー」
「そうなんだね」
「それだけ、私にとっては重要な事だったのですよ。……さて、リアルへの帰還でしたね」
表情を締め、気持ちを切り替えた事を表した彼が話を始める。
「結論から言えば、可能になります。ただ、少々お時間をいただきたい」
「どういうことだろう」
「順を追って説明しましょう。まず、ハル様は戦いの最中で<転移>を習得されましたね?」
「していましたね! わたくしもその様子が理解できました!」
「あれ? じゃあアイリも<転移>使えるの?」
「……はて? どうなのでしょうか?」
「とりあえず、今はそれは置いておきましょうか。その<転移>を使用する事で、リアルへも問題なく移動出来ます」
この世界とハルの世界、基本的に物理法則は同じであり、違うのは互いの世界のエーテルのみだという話だ。
……薄々は理解していたが、深く考えるまでもなく大問題だろう。もはやゲームでも何でもない。理解しているハルに対して、そこを隠す気は無いようだった。
本来互いに交わる事の無い二つの世界。行き来できるのは基本的に情報のみであり、ハルのように体ごと転移してくる事は、あり得ないらしい。
「あり得ないのは僕も同意見だけど、事実こうなっている以上はあり得てしまってる。そこはどうなの?」
「これも、結論から言いますねー。ハルさんが暮らしているお部屋、そこにこっちのエーテルが漏れ出してると考えられます。それしかないでしょうー」
「カナリーちゃん。制限はもういいの?」
「いじめないでくださいよー。ギリギリだったんですからねー? ハルさんが『どうしても』ってお願いして来たら、私には運営として安全に帰す義務がありますしー」
「え、帰してよそこは」
まあ、理由はハルにも何となく想像がつく。基本的に物体は移動出来ないとアルベルトは語った。基本的にだ。
恐らくは莫大なリソースを投入する事で、強引にそれは可能になるのだろう。向こうの世界で例えて言えば、地球を何度も破壊しつくす程の出力が得られれば、空間を捻じ曲げての亜空間航法が計算上は可能なように。
きっとそれは、ゲームの運営が立ち行かなくなるレベルの消費。彼女らの目的達成の頓挫を意味する。
ハルの軽率な行動で、そんな状況に陥ってしまうのはハルも本意ではない。
「あー、ハルさん理解してますねーその顔はー! 理解してるのにいじめますー」
「まあ、カナリーちゃんが喋ってくれないから、要らぬ苦労をした部分もあるからね。その位は許してよ」
「うー、うー」
「カナリー様のこのようなお姿も、滅多に見られませんね!」
涙目でうなる主神を見ても、アイリの信仰は揺るがないようだ。筋金入りである。
信者と言うよりファンなのではないだろうか、これは。
ハルもそんなカナリーを撫でて、なだめながら愛でつつ、心の中で謝罪する。ハルに説明する訳にもいかず、ともすれば全てが崩壊するかも知れない瀬戸際。心労は推し量って余りある。
しばらくはおやつを増量してもらうよう、メイドさんに頼んでおこう。
「……えっと、つまり纏めると、僕がアルベルトの協力でエーテルネットに繋いで、僕の部屋にある魔力に向けて座標を指定できれば」
「はい。そこへ向けて転移が可能になるでしょう」
「状況は難解だけど、やる事は単純だ」
「それで、時間が掛かるというのはどういう事なのですか?」
そうだった。アルベルトは難点として時間が掛かる事をあげていた。
話を聞く限り、すぐにでも実行可能な作業に感じるが、それは一体どういった事なのだろうか。
「その、申し上げにくいのですが。ハル様とアイリ様によって、私の本体は作業領域、いわば『神の座』とも言うべき場所から、この体へと移されました」
「あー……、つまり、」
「戻れなくなっちゃったんですね。ハルさんのように……」
「ハルさんは本当ドジっ子ですねー」
先ほどの反撃とばかりに、笑いながら弄ってくるカナリーの頭をわしゃわしゃして対抗する。悔しいが、返す言葉がない。
幸いにも、ハルとは違って、しばらくすれば自力で戻れるようだ。そのくらいは待とう。
そうしてひとまず解決の目処を見たハル達は、今日の所は屋敷へと帰還するのだった。
*
そうして、アイリと共に屋敷へ戻る。待機してくれていたルナやユキへと説明を済ませ、戦いの疲れを癒していると、すぐに夜になってしまった。
ハルは特に疲れが出たようだ。慣れない肉体のままの戦闘であり、更にはナノマシンによる補助も無い。
アイリとの意識接続は、エーテルネットへのそれとは違いさほど負担は無かったが、戦闘中は全ての領域を覚醒させていた。脳の疲労感は大きい。
休眠においてもナノマシンの補助の有無は大きかった。
夜までの間はしばらく、ソファーでだらりとしながら、カナリーと二人でお菓子を食べて過ごした。
疲れると甘いものがが欲しくなる、という感覚を実際にハルが味わうのは初めての事かも知れない。
おかげで今ではだいぶ回復してきている。
「アイリちゃんはあまり来ませんねー。珍しいですねー」
「……元気だよね、アイリは」
「元気だからこそ、どうしたのだと思いますかー?」
「分かってるくせに、カナリーちゃんはそうやって聞くー」
「準備があるんでしょうねー」
アイリはあんなに戦った後だというのに元気いっぱいだ。
メイドさんと色々と何かやっている様子が響いてくる音から伺える。どちらかと言えば、メイドさんが特に慌しい様子である。やる気十分だ。
何のやる気なのだろうか? と、とぼけられない程にはハルも現状を理解してしまっている。
「独身最後の夜を堪能していますかー?」
「なんて事言い出すのさ、このカナリーちゃんは……」
そう、言うまでも無い、結婚準備だろう。
問題が解決したら再びプロポーズする。アイリのその言葉は違わず実行される運びであるようだ。しかも非常に迅速に。
アイリは念入りに体を整えて、メイドさんは場のセッティングとその後の準備に大忙しだ。
正直、それを感じながら待機してるだけで恥ずかしいハルである。
そうして、しばらくカナリーと話して待っていると、ついにメイドさんから声がかかるのだった。
*
案内されたのはいつもの寝室ではなくアイリの部屋。以前入った時は堅い印象を受けたその部屋も、今は雰囲気良くセットアップされている。
ハルが奥へと足を向けると、すぐにメイドさんが退室する気配が背後から伝わった。
……なんというか、こう仰々しくされると必要以上に緊張する。
緊張はするが、立ち止まっている訳にもいかず、そのままベッドに腰掛けるアイリの下へと歩みを進める。
白い、薄手の衣装だけを纏ったその姿は、これからどのような展開になるのかを言外に物語っていた。
「ハルさん! そにょ、お待ちゅしゅてました!」
そして噛んでしまう。アイリの方も緊張している。その事に少し心が軽くなったハルは、彼女の隣に座ると、いつものように頭を撫でる。
くすぐったそうに、しばらくそれを受け入れると、やがて意を決したようにアイリは語り出した。
「……性急なわたくしを、どうかお許しください。まだ、本当に解決を見た訳ではないですのに」
「構わないよ。ルナにも、念を押されちゃったしね。僕の方から来ようと思ってた」
「それはそれで憧れますぅ……」
瞳がとろんとしている。調子が出てきたようだ。
「あの時、ハルさんの心に触れて、ハルさんの想いを知って。そうしたら、どうしても我慢できずに……」
「……一体、何を読まれてしまったやら」
ハルもアイリの心に触れたが、彼女の感覚を受け入れるので精一杯だった。
どうやらアイリの方が感受性が高いらしい。ハルの方は彼女の心を感じる余裕はあまりなかった。
アイリの様子を見る限り大丈夫だとは思うが、あまり恥ずかしい物を読み取られないよう、今度接続するときは気をつけなければ。
「えと! いつもハルさんがわたくしで想像してる事! 今日は存分になさっていただいて構いませんから!」
「大丈夫じゃなかった! ばっちり読まれてた!」
一体何を読まれてしまったというのか。本当に、本当にだ。頭を抱えてしまう。
うずくまりたい気分でアイリを見ると、してやったりという表情で舌を出していた。
「……もしかして、謀った?」
「えへへへ……、その、一体何をされてしまうのでしょう、わたくし……!」
どうやら、カマをかけられたようだ。いつもはハルが得意とする所を、完全に返された形であった。
恥ずかし紛れにアイリの頭をわしゃわしゃすると、きゃー、と目を閉じて喜ぶ。
いつも通りのふたりが、少しずつ戻って来た。
「……ハルさんの心に触れて、あなたの気持ちはもう理解しています。これは本当です」
「うん。僕もアイリの気持ちは、よく知ってる」
「ですが、わたくしワガママなので。ハルさんの口から、言っていただきたいのです」
語りながら、彼女はハルの手から離れると、しゅるり、と薄手の布を脱ぎ去って、白く美しい裸身をハルの前にあらわにしていった。
透き通るようなその白い肌に、目を奪われる。
見ればガチガチに緊張してしまっているようで、足は震えて立っているのもやっとだ。
思わずその体を支えて抱え上げ、ベッドへと横たえる。
戦いの中では気にする余裕の無かった、アイリの体の柔らかさが、手にはっきりと伝わって来た。
押し倒す形で、見つめ合う。
「……ハルさん、わたくしと、結婚していただけますか?」
「喜んで。結婚しよう、アイリ」
そうして再び、ふたつの唇が合わせられる。
二人の口は、その後は言葉を必要としなかった。




