第867話 七人目の
リコリスに導かれ、ハルは上も下も分からぬ真っ暗な空間へと転移させられた。
ここも先ほどと同じような裏世界かと考えるハルだったが、それにしては少々おかしいところがある。頭上に紋章が存在しないのだ。
誰の担当する空間だろうと、このゲームの神界には常に星座のように紋章が輝いていた。
ここにはそれがなく、見渡す限り一面の闇が続くばかりだ。
「リコリスここは? 表の未設定マップとかかな?」
「いや? ここは通常フィールドじゃない。かといって神界でもない。更に言うならば、もうゲームの中でもないかも知れないっ!」
「ゲーム外……?」
「そのっ通り!」
リコリスにそう言われて、ハルは己のキャラクターのメニューを確認してみるが、特にメニューが開けないといった展開は起こらなかった。
完全にゲームシステムから切り離された訳ではないようである。もしそうならメニューすら存在しない。
ただ、特殊なマップなのは確かなようで、放送をはじめとした通信系は全てダメになっており、マップメニューも『マップの無いエリア』を表している。
「ガザニアの居た、個人エリアと似たような所かな?」
「彼女の実験場だね。確かに近いかも知れない。だがっ! あそこも厳密にはゲーム内だという決定的な違いがあるっ!」
「そんな力説するほど特別なんだ……」
確かに、最初は『バグ空間』、『認知外空間』とゲームの仕様外のように呼んでいた神界も、最近では単なる特殊マップになり下がった感はある。
まるで指輪が神をモンスターに堕とすように、裏側が明るみに出るにつれ神秘性が薄れていったような類似性を感じるハルだった。
もしやこれも指輪の浸食なのだろうか? 神界が大きく表に出て来たのは、この指輪が原因となる部分が大きい。
……いや、それはハルの考えすぎか。リコリスの言う通り、単に表沙汰になってしまった部分を『イベント』として再設定したに過ぎないのかも知れないのだから。
「まあいいや、何処だって。それより聞かせてくれるのかな、色々と」
「もちろんいいともっ! のんびり語らおうじゃないか」
リコリスは演劇じみた大げさな声と手ぶりで頭上に腕を持ち上げ、ぱちん、と指を鳴らしてみせる。
すると足元には床が表れ、壁も二方向にだけ出現し、灯りが灯り小物が溢れた。
部屋と言うには狭くて中途半端。天井もなく壁も二方だけ。そのくせ小物の数はやたらと多い。
まるで自分とリコリスがフィギュアになってジオラマの中に閉じ込められたかのような感想を抱くハル。ヴィネット、という奴だ。
そんなヴィネットの中で大量のクッションに飛び込むようにくつろぐリコリスに合わせ、ハルもまた力を抜いて腰を下ろした。
「さて、何が聞きたいのかな?」
「……そうだね。色々あるけど、やっぱりこの指輪についてだね」
「いいだろうっ。しかし、それはガザニアから聞いているだろう? 暴走ぎみなこのゲームの監査プログラム。オレ達も手を焼いている」
「……まあ、そうなんだけどね。イマイチ納得できない。これはどう考えても、明確な方向性を備えているように思う」
「だろうねっ」
ハルにNPCを守らせ、神と敵対させ、支配者に導こうとする。そこには明確な意思が感じ取られ、自然発生と言われてもにわかに信じがたい。
しかし、ガザニアもリコリスも嘘は言わないので、そこで手詰まりが生じてしまっているのだった。
なんとかカマをかけたりして聞き出そうにも、神様たちの言動は<誓約>により縛られている。
直接的な回答は得られず、ハルは状況から推測するしかないのだ。
「はぁ。毎度のことながら面倒な。NPCを生かそうとするからコスモスの息が掛かってるのかとも思ったけど」
「それは違う。あのお寝坊さんの目的は、プレイヤーの意識を利用してNPCに意識を生じさせること。言ってしまえば、新たな神を作り出すことだからね」
「…………えっ?」
「それに、自然発生だと聞いただろう? そいつは誰か特定の一人の手による作品じゃない。コスモスは無実さっ」
「いや違う! リコリス、キミ今、コスモスの目的を……?」
前触れなく突如として彼女の口から語られた衝撃の事実に、ハルは言葉にならぬ口を大きく開く。
驚いたのはその内容ではない。いや、内容自体も驚愕の事実なのだが、今は置いておくとしよう。
なにより問題なのは、このリコリスの口からそれが語られたという事実。六人の互いの目的は、互いに口にしないよう<誓約>が結ばれていたはずなのだ。
ハルがその驚きの目でリコリスを見つめていると、彼女も肯定するように、にやりと大げさに表情を作ってみせる。
やはり、ハルの条件の見落としや勘違いではないようだ。
「……キミ、どうやったのか神々の<誓約>から外れたね?」
「そのとおりっ! 今のオレは神ではなくただのモンスター! 貧弱な雑魚モンスターには、偉大なる神々の事情など関係がないのだからっ!」
◇
「……いや偉大でもないかあいつら。それに、自画自賛にもなってしまうなっ!」
「ボケはいいからっ!」
ついツッコミにも必至さが出てしまうハルだった。いや、突っ込んでいる場合ですらない。
これは大事件だ。もはや調査も考察も必要なく、ここで目的の全てが完結する可能性すら考えられた。
「……リコリスは、狙ってこれを?」
「ふふふ、そうとも。神界のデータを吸収、改竄するそいつの性能を逆手に取り、オレはあえてその改変処理を受け入れた。いやそうされるように動いたっ!」
「脳筋らしからぬ策士ぶり……」
「照れるじゃあないかっ、お美しいローズ様っ……」
「キメポーズはいいから続き」
目をつむり髪をかき上げ、己に酔ったポーズを決めるリコリス。やりすぎて女の子からも声援より顰蹙を買いそうな格好つけだ。
「その指輪はね、方向性が設定されているのは事実なのだが、自動的なのもまた事実なんだよハル様」
「ふむ? つまり、生物ではない、意思を持っている訳ではないと」
「そゆことっ」
裏に黒幕のような存在が控えていて、遠隔操作で指輪を操っている訳ではない。
その行動はプログラム化された反射行動であり、その設定を読み切れば対応を利用することも可能である。
こういった計算は、彼女ら神様の得意分野。運営として内部データの全てを見ることの出来るリコリスなら特にだろう。
「……しかし、いい加減だな神の<誓約>。こんな簡単に回避出来ていいのか」
「『バグ』が残ってたんなら、仕方ないさ。元々、急ごしらえのゲームだしねぇ」
「まあ、僕に有利なバクだからいいけど。それで、何でも聞いていいの?」
「ああ! 何なりと聞くがいい!」
唐突すぎる事件の解決に、何だか寂しさにも近いあっけなさを感じるハルだ。これが探偵ものだったら、大ブーイング待ったなし。
しかしハルは探偵ではなく、そしてプレイヤーの安全は何においても優先される。一気に解決するなら喜ばしいはずだ。
「じゃあ、キミの目的」
「アメジストのお手伝いでデータ取りだ。今回はデータだけが目的で、超能力の発現は視野に無い」
「なるほど。嘘はないようだね」
「当然っ」
神様は嘘をつかない。その前提と合わせると、リコリスに次々と答えさせていけばそれが真実であると確定できる。
……まあ、『自分は今モンスターなので嘘をつくのだ』とか言い出す展開も絶対に無いとはいえないので注意は必要だが。
「ミントは誘拐対象の選定を終えた?」
「今のところ、見つかっていないようだね。彼女の理想は高すぎる。子供の遊びだと思って放置していいんじゃないかな?」
「そうもいくか……」
「大変だねぇハル様も」
「……そう思うならキミも止めてくれ。まあ次、ガザニアは本当に計画を凍結した?」
「したよ。今は本当に何もやっていない。ちなみに、指輪のデータ解析については彼女の功績がデカいっ!」
「カゲツ、は無害そうだからいいか……」
「そうだねぇ。カゲツは今も活動中だが、彼女の目的も全て公開済みだ。動き出すのは、むしろこのゲームの終了後になるだろう」
「コスモスの目的は聞いたが、その成功例は?」
「皆無。今のところ、新たな神の誕生はゼロ。ああ、ちなみにその指輪も神ではないよ」
本当に容赦なく、ペラペラと彼女は仲間の目的について語る。
もちろん詳細なデータは個人個人によって秘されているが、彼女らは互いを常に相互監視している。
そのリコリスの語る嘘のない情報だ。ひとまず信じて構わない。
「じゃあ、アイリスは?」
「『お金が欲しい』、だとさ」
「……それだけ? 本当に?」
「それだけ。お金稼ぎをする。更にお金を稼ぐ為にお金持ちの出資者を探る。今までの行動とも一致してるよハル様」
「わからん……、あの娘は……」
本当にただの守銭奴だった。それでいいのか、神様。
「しかし、これで六人」
当初の目標であった、全ての神様の目的を知ることができた。そして、今のところは問題ないと言える。
もちろん、願いの全てを公開していると断言はできない。データ採取だけが目的のガザニアやリコリスも、今後の動向には注視が必要だろう。
しかし、このゲームの運営中にどうこう、という心配が薄くなったのは事実だ。
ここで、ハルの目的も終了だろうか。あとは、一プレイヤーとして普通にゲームを楽しめばそれで、構わないのだろうか?
◇
「……いや、やっぱりこいつが謎だ。これを放置したままで終われない」
「だろうねぇ、ハル様としては」
ハルは改めて右手の指輪をまじまじと見つめ、その輝きを睨みつける。
神々の目的が明らかとなってなお謎の存在は、不気味さが一層増したとも言えるのだ。
「調停プログラムからの自動発生とは言うけど、その元となったデータが当然ある訳だ」
「それはそうだね。無から有は生まれない。基本的にだがっ!」
「……興味深い話だが後にしよう。なら、君からそのソースを渡してもらえば解決なんじゃないかな?」
「それは……、無理そうだね……」
「制限から解放されても?」
「ああっ。あくまでオレは、『オレの制限』を取っ払えただけだ。他の連中の領分までを、侵すことは出来はしない」
「なるほど」
つまり、六人の共有データに手を出すにはあと五人分の許可が必要という訳だ。
この、誰の目的からも生まれていない、全員と敵対する正体不明の亡霊のような指輪。
その謎を解かないうちはなんだか気持ちが悪くて、ただの楽しいプレイが出来はしないだろう。
「……しかし、やはり方向性を与えたというならば、その元となる誰かの意思があるはずなんだ。思い出してよリコリス。他の五人に、そうした理由がなかったものかを」
「いや、五人じゃないぞ?」
「…………え?」
「だからプログラムの設計者はオレたち六人だけじゃないって」
リコリスは、何を言っているのだろうか。このゲームには他に運営の神はいないはずだ。
協力者にジェードとマリーゴールドも存在するが、彼らはハルの完全な配下としてそうした企みはしないと言い切れる。
だが一応もう一度確認しておくべきか? ハルがそう考えたとき、更に思いもよらぬ回答がリコリスの口から放たれるのだった。
「オレたちのゲームの出資者、ああ、日本側のなー? ハル様の言う『奥様』も、主に法律上の制限だとかで設計に関わってるぞ?」
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/6/2)




