第864話 埋没費用の罠
ハルの元に届いたソロモンからのメッセージ。それには、彼が新たな<契約書>を使った準備をし終えたことと、その詳細が記されていた。
契約の内容は、いつものステータス賭博。ハルとリコリスの戦いにおいて、勝者がどちらになるか予想する。
掛け金となるのはゴールドではなく己のステータス。見事的中させられれば、レートに見合ったステータスアップが見込めるのだ。
お手軽ステータスアップ方法として、武王祭の裏で今最も熱いイベントと言っていいかも知れなかった。
《分かった! この手数料で強化するんだ!》
《またまたローズ様レベルアップ!》
《ちがうよ》
《買えばわかる》
《この<契約書>は手数料なし》
《値段も1ゴールド》
《完全に誰でも買える》
《……それ意味あるの?》
《ソロモンきゅんにとっても無意味では?》
《ただの賭けでは?》
《なんだっていい! 強化のチャンスだ!》
《お姉さまに賭けます!》
《これで頑張って!》
そう、この<契約書>には、本来設定されている『手数料』が存在していない。
ハルたちの行っているステータス賭博、これはもちろん慈善事業ではない。必ず、ハルとソロモンに利があるように作られている。
それは<契約書>を使う際に必ずハルたちにほんの少しだけステータスを支払うことで、その手数料分ハルたちは絶対に強化されて行くことだ。
だが、今回はそれがない。アイテムの取引価格自体も最低値の1ゴールド。<契約書>の生成にも材料費が掛かるので、当たり前のように赤字である。なおハルが補填している。
「《賭けの結果が出ているぞハル。まだ中間予想ではあるけどな。現状、四対六でリコリス優勢だ。今も徐々に差が開いているな》」
「まあ、当たり前だが僕の負けが濃厚と考えられてるか」
「《ククッ! 残念だったな、最高人気プレイヤーハルさん?》」
「問題ないさ。むしろ健闘している方だ。それに、これで勝てば僕のファンに良い思いをさせてやれる」
「《対抗馬が居なければ、レートは動かないからな》」
賭けは客同士がステータスを奪い合うゼロサムゲーム。勝者が出るには、必ず損をする者が必要となる。
今劣勢であるハルに賭けてくれたプレイヤーは、ハルが勝てばそれだけ大幅な強化が見込めるだろう。
「嬉しいねぇ。それだけ、オレの力の絶大さを知る者が増えたということっ! このまま、オレの信者になるがいい……」
「言ってなよリコリス。これから君を倒して、その信者たちから僕のファンがステータスを巻き上げる」
「あははっ! もうまるで悪役だ。しかし、そうやってただ君のファンサービスをする為にこんな大規模な計画を?」
「そうかもね」
「いや、やっている場合じゃないだろう……、何が狙いだ……?」
そう、この窮地において、まず考えるべきは勝った時のファンサービスではない。いかにこの難敵に勝利すべきかだ。
そのためには、微々たる強化であっても手数料を取るのがどう考えても正しい。
そんな当たり前を行わないハルに、能天気なリコリスもさすがに違和感を覚えたようだった。
当然、ハルだって考えなしでこんなことを指示していた訳ではない。きちんと狙いあってのこと。
その狙いを、発動するその時がやってきたようだった。
「《お前に賭けた人数が規定数に達したぞ。発動しろ、ハル》」
「オーケー、ソロモンくん。<契約書>の隠された効果を、発動する」
「隠された、効果だと……」
「その通り。刮目しなよリコリス」
「って隠していたら詐欺じゃあないかっ!!」
……大変ごもっともな意見だ。まあ、本当に隠してあるわけではない。言葉の綾だ。
実際、無駄に長い<契約書>の内容をきちんと読んでいる者が居ればそれが記してあった事に気付いただろう。
だがほとんど全ての者は、手数料無料に惹かれて即座にアイテムを使用してしまった。
「隠された効果の内容は、<支配者>の効果対象となることだ」
*
「まっ! まさかっ! <支配者>は使えないという話だったはずっ……!」
「……本当に新鮮な反応を返すねリコリスは」
確かに、使えないと彼女には語った。しかし、それは以前のようにNPCを対象とした時だ。
それが派手だったので忘れがちだが、もともと<支配者>は、プレイヤーを対象にとって発動するスキル。
実はNPCに使う方が、<精霊魔法>が無ければ難しい邪道なのだ。
その<支配者>の効果対象にされてしまうことが、今回の<契約書>の真のコスト。
それによりゲーム全体という反則じみた効果範囲から、次々にハルに力が集まって来た。
輝くオーラは極光にゆらめき、莫大な力となってハルに強化を掛けてゆく。
「し、しかしっ! 賭けはオレの勝利が優勢のはずっ! 君へと力を貸すのは多くて全体の四割なのだろう!? ……十分多いがっ!」
「ああ、十分だ。実はだけどね、その三割四割を確保する為の餌なんだ、キミは」
「《フッ……、さっきも言っただろう。対抗馬が居なければ、賭けが成立しないと……》」
「オレが踏み台ぃ!?」
その通りだ。ハルの勝利に賭けたくても、見返りが期待できなければ足踏みしてしまう。しかし、リコリスの勝利に賭ける方は躊躇がない。どう見ても勝ちそうだからだ。
そのレートの大幅な変動を見て、『もし勝てば見返りが大きい』という意識の後押しが、今の状況を生み出している。
「だがっ! 君に賭けたからといって<支配者>を受け入れる保証があったのか!? それこそ賭けじゃあないかっ!」
「《フッ……、ハルに賭けた者は、必ず<支配者>を受け入れるさ……》」
「損したくないからね」
「《サンクコストバイアスだ》」
ハルのこのスキル、<支配者>は強制効果ではない。効果対象に指定されても、任意で発動を受け入れるか否か選べる。
もちろん、ハルのファンは喜んで受け入れてくれるだろうが、それでもやはり敵が強すぎて踏みとどまる気持ちが出る。
その意識障壁を取っ払ってやるのが賭けの存在だ。ハルが勝てば自分が得をする。
いや、勝ってくれなければ自分が損をするのだから。この、損失を嫌う人間の本能は非常に強い。これを利用したソロモンの、悪魔じみた策なのだった。
《お姉さま頑張ってー!!》
《俺のステ、あんたに預けた!》
《倍にして返してくれー!》
《いけー! 勝て勝て勝て勝て!》
《応援します! もちろんします!》
《ローズ! ローズ! ローズ!》
《いけいけいけいけいけいけ!》
《ローズ様は神! ローズ様は神!》
《うわぁ凄い熱気……》
《欲望がすごい見えてる……》
《私も普通に応援してます》
「もちろんだ。君たちの応援には必ず勝利で応えようとも」
「……くっ! 例え少しばかり強化されたってぇ!」
物理的な圧力を発している錯覚を受けそうな<支配者>のオーラ。その輝きが更に増さぬうちに、リコリスは決着を付けてしまおうと攻撃を放ってきた。
彼女もまた、対抗するかのごとくオーラの放出。こちらは実際に、物理的な破壊力を伴った爆風じみた攻撃だ。
先ほどまでのハルであれば、飲まれれば即死。
だが<支配者>の力は、その死を運ぶ風に抗ってみせたのだった。
「また<復活者>か……、いや違うっ……!」
「その通り。ついに僕のステータスは、キミの雑なオーラの放出に耐えるに至った」
圧倒的なステータスの暴力により、技巧も戦術もなくオーラをばら撒くだけで敵が死ぬリコリスの攻撃。その人を舐めた雑さが、ついに咎められる時が来た。
オーラを浴びたハルはダメージを負うも、即死はせず踏みとどまる。
この状況なら通常の回復薬での回復で間に合い、在庫の少ない完全回復薬に頼る必要がなくなった。
そしてハルがその勢いに乗りついに攻勢に出る。
リコリスの剣を受け流すだけで精一杯だった先ほどまでと違い、今度は正面からまともに打ちあえていた。
さすがに鍔迫り合いに押し勝つまでは行かないが、剣を合わせた衝撃で吹き飛ばされるようなことはない。
そんな状態に持ち込めれば、ハルの剣技、技巧が生きてくる。
ステータスに任せた大ぶりの剣をいなし、受け止め、未熟が生んだ体勢の崩れに的確に斬りこむ。
大ぶりで自ら作ってしまった死角の横腹に、振り下ろしの際に生まれる硬直に、スイング直前のほんの少しの間隙に、ハルはちくちくと突き込み、細かく切り刻んでいく。
互角に打ち合っているなか、三回に一回はハルの刀がヒットするようになっていった。
「くっそうぅ、これで、離れろっ!」
「もうその攻撃は無意味だ。即死しないならば、HPでそのまま受けるさ!」
「ちいぃっ!」
そんなハルを振り払う為、リコリスは時おりオーラを爆発させてくるが、ハルは回避も防御もせず体で受ける。
死ななければ安いを地で行く構えで、逆に隙ありと硬直したリコリスを切り刻むことに全力を注ぐ。
ハルの捨て身の猛攻を受けて、膨大すぎるリコリスのHPも徐々に減少する様子が見えてきたのだった。
「ははっ! このまま斬り合えば、今度こそ僕の勝利が見えてきたね!」
「そそそそ、そうはさせん! オレに賭けた方のプレイヤーは、オレを応援してくれるぞ!」
「まあ、そうかもね。でも残念。応援の声が力になるのは、プレイヤーであり<支配者>である僕だけだけどね?」
「ひきょうだぞぉハルさぁんっ!」
別に卑怯ではない。ルールだ。リコリスは今モンスターであり、モンスターは応援したところで強化されたりしない。
ファンの声援を受け取って強くなるのは、いつだってプレイヤーの特権だ。
「《チッ。だが、確かにノイズが酷い。お前の配信に、お前の負けを望む者が多く混じって来たな》」
《当たり前だー! この詐欺師ー!》
《俺のステータス……》
《絶対儲かる試合だと思ったのに……》
《ローズ負けろー!》
《うるさいですね。BANしちゃいましょローズ様》
《ただの自己責任じゃん》
《まあ、ソロモンくんは詐欺師》
《うん。詐欺師なのは違いない》
《味方になっても弱体化しない詐欺師》
《どんな誉め言葉だ(笑)》
「《ククッ。まあ、それじゃあ救済措置を用意してやるよ。ありがたく思え? 新しい<契約書>を出しておいた。それを使うがいいさ》」
「すごい楽しそうに笑うねえソロモンくん」
その美しい顔を邪悪に歪めて、ソロモンは次なる一手を展開する。
新たなる<契約書>の内容は、なんとリコリスの方へと賭けたプレイヤー向け。
しかしその内容は、当然リコリスの利になる物ではない。ハルのステータスを、更に押し上げるものだった。
それが何で救済になるのかと、皆がいぶかしむ中ソロモンの言葉が続く。
「《この契約を結ぶことで、貴様らが『投資』したステータスが戦闘終了後に倍率をかけて戻ってくる。安心しろ、これはハルが負けても変わらないノーリスクだ》」
「……その原資は僕のステータスとか、いい根性してるね」
「《必要経費だ、受け入れろ。この戦いに勝つことだけを今考えろよ》」
「それはその通りだ」
《くっ、背に腹は代えられんか……》
《どのみちローズ様優勢だ……》
《なら賭けには負けても勝負には勝つ!》
《ステータス頂戴しますローズ様!》
《<支配者>も受け入れます!》
《調子いいなー裏切り者ー》
《まあまあ、またローズ様の力が増えるし》
《ローズ様のステ頂けるなんて生意気》
《死ぬ気で力を捧げるんだな!》
「《ちなみに、これもまたサンクコストバイアスだ。リアルでは気を付けるんだな貴様ら》」
損失をなんとか取り返そうと、冷静ではいられなくなる。ソロモンはこのお祭り騒ぎの熱狂も合わせて、巧みにユーザー心理を操っていた。
リコリスに賭けたポイントが無駄になるなら、せめてハルへの投資で元を取らなければならない。
そして、ハルに投資したのだから、今度は自分も<支配者>を受け入れて応援しなければならない。
ハルが勝つのが分かったのだから、自分の追加投資は間違いではない。
そんな意識誘導によって、ソロモンはリコリス側からも<支配者>の対象者を多数生み出していた。まさに詐欺師の手際だ。
「さて、これで更に<支配者>のエネルギーは集まった。これで僕が負けたら、本当に詐欺になっちゃうね。このまま、勝たせてもらうよリコリス」
「くっ……、神たるオレが、このまま負けると思うなよっ……! まだまだ奥の手があるんだからなっ!」
苦し紛れか、それとも事実か。ともかく二人はお互い退けない状況で向かい合う。勝負はまもなく、ごく短い時の中にてつくだろう。いやつけなければならない。
動き出したハルたちの策は、<支配者>を受け入れたプレイヤーの体力という制限時間があるのだから。




