第862話 技巧と暴力
「かはっ……!」
ハルの黒い分身『黒薔薇』の一撃を受け、リコリスはその身に初のダメージを受ける。
これは、なにもこの戦闘初のダメージというだけではない。彼女がゲームを運営して、初のダメージであろう。
なにせリコリスはこれまで無敵の存在。そもそもがダメージを負う体ですらなかったのだ。その衝撃は思ったより堪えたらしい。
「なかなか、やるじゃあないか。オレのこの身に、傷を付けるとはっ!」
「……まるで効いていないくせによく言うよ」
「効いているとも! 神の体に傷を付けたのは、この世で君が初めてだっ!」
「それは光栄だね」
「今のを何十回か繰り返せば、オレを、倒すことが出来るかもなぁ?」
「じゃあその自動回復を止めてくれる?」
ハルが与えたリコリスへのダメージ。見ればそれは徐々に回復していっている。
神ともなれば自動回復の値も相当なものだ。割合に直すとHPゲージの戻る速度はそこまでに見えないのがまだ救いか。
これがあるから、『あと何回当てれば勝利』という単純な目論見がとれなくなっている。
少なくとも、完全回復する前に次の一撃を入れられなければ永遠にリコリスを倒すことは適わない。
「そのくせこっちは当たれば一撃死とか、ゲームバランスどうなってるんだ……」
「いいじゃあないか。即死回避のスキルが、実戦で役に立っただろう?」
「<復活者>が前提のボスなんて存在しちゃいけないんだよっ!」
普通のゲームでもたまにある。味方側に、ストーリーの節目などで超強力なスキルが実装されたとする。
それは現行の戦闘では過剰な強さであり、それを持っていけば安心感が段違いだ。
しかし、過剰であるが故に、正当に活躍している感は薄い。
そこで、その過剰スキルが生きるような敵を作ってしまうと、一気にゲームバランスがクソゲー方向へと傾くのだった。
「まあまあ。ハルさんだって、それがあるからって安心しきってたろう? どうせ死なないって? オレはその慢心を咎める、運営からの刺客って訳さ」
「刺客どころか運営そのものじゃないか……」
まあ、こうしてゲームの方から『咎めて』くれるのは実のところハルにとってはありがたい。
ハルのスキルは強すぎて、優勝を目指す他のプレイヤーから不満も出ている。『どうせこの先どんな敵が出て来ても、あの人が倒すんだろ』、といった感じでだ。
それが、ハルですら対応できない相手が出てくることで、単純な戦闘力のみではどうにも出来ない展開になるのではないか、という希望が出てくるからだ。
ここでハルが負けてしまえば、その方向性は更に確固たるものとなる。他のプレイヤーのことを思えば、むしろハルはここで負けておくべきだ。
「……まあ、ダメージを与えられるってことは倒せるってことだ。どの世界だろうと、それは変わらない」
……だがハルには、そのような『賢い』選択は取れはしない。ハルは知ってのとおり、非常に負けず嫌いなのだった。
「おっ、まだまだやる気だねぇ。いいねいいね。この力の差を見ても、全く心は折れちゃいない」
「そりゃあね」
「だが、君の方はどうかな? 致命傷を受けても死なない、なんて言っても、それは無限でも無敵でもない。アイテムの在庫という、終わりが、あるっ……!」
「…………」
その通りだ。これでハルが一方的有利でリコリスを殴り続けられるのであればハルの言う通り勝機はあるのだが、ハルは決して無敵ではない。
これは言うなれば『残機制』。ハルはアイテムの『完全回復薬』を残りライフとして、その数だけしか攻撃を受けられない。
リコリスの馬鹿げた攻撃力の前には、ハルのそれなりに馬鹿げたHPであろうとHP1しかないのとさほど変わらなかった。
「完全回復薬が尽きた時点で、オレの勝利っ! オレは冷静に、君に攻撃を当てていけばいいだけだ。たったの数回か、数十回か」
「対して僕は、たった一撃当てるにもかなりのリスクを取らなきゃいけない」
「分かっているじゃないか!」
当然分かっている。これでもハルは歴戦のゲーマーだ。忌々しいまでの自分の不利をこれでもかと理解している。
だが、そんな『ステータスお化け』のリコリスにも、付け入る隙は存在した。ハルは劣勢にありながらもそう分析する。
彼女は、『戦士の国の神』でありながら、さほど戦闘能力が高いとは言えない。
いや、もちろんステータスは高い。ここで言うのは、そうしたRPG的な強弱ではなく、もっとアクションゲーム的な技能面の話であった。
ふとした拍子にバランスを崩し、ハルの軽い誘いに乗り反撃を許す。体術、戦術の面で、リコリスは『戦いの神』とはほど遠い。
これが武神セレステだったら、ハルはもう死んでいるだろう。
「ならば、リスクを取る割合を減らしてやればいい」
「むっ!?」
自身のHPが回復するからと、リコリスはハルとのお喋りに余裕で付き合ってくれていた。この辺りが、彼女の甘いところだ。
隙を突かれたところで大したダメージが与えられないというならば、一気に押し切ってハルの『残機』を刈り取ってしまえばいい。
それをしなかったがため彼女は、ハルの盤面がまた少しだけ整うことを許してしまった。
「リキャスト明けだ。再び開け、<天国の門>」
「なんだとっ!?」
◇
天国から降り注ぐ課金の輝きが再びハルの身を照らす。
既に表世界でも見せたように、ドッペルゲンガーの召喚は一体までに限らない。ハルの影はまた黒い粘液と化し、三体のハルがこの場に揃う。
「さて、これで僕の手数は二倍だ。僕が体を張ってキミの攻撃を止め、ブラックローズが刺す」
「ふふふ。確かに驚いたが、たかだか二倍、とも言えるんじゃないかな? 少なくとも十倍くらいにしないと、誤差の範囲だよハルさん」
「かもね。僕がちまちまとミリを二ミリにしたところで、キミは一撃で十割だ」
「それに、忘れてやしないかい? オレに対抗できる武器は一本だけ。例え手数を増やしたところで、有効打の数までは二倍にならないっ!」
「さて、それはどうかな?」
「なん、だと……?」
なかなかノリの良い神様だ。ハルの行動に、いちいち新鮮な反応を返してくれる。
しかし、そこが甘いところでもあった。神様ならば、このくらいの事は予想しておいて欲しい。
ハルは武器を持った分身を牽制に置いて一歩下がると、リコリスから距離を取る。これもセレステであれば、許されない行動だろう。
そして、後ろに待機していたその者から、追加の武器を受け取るのだった。
「……にゃっ!」
「ありがとうメタちゃん。撫でてあげたいけど、危ないからすぐにまた隠れておいで」
「……にゃう!」
誰もいないはずだったそこから、<隠密>を解き姿を現したのはメタ。小さな猫耳の彼女が手にしていたのは、その身に不釣り合いの巨大な武器の数々だ。
そう、この裏世界に来たのはハルだけではない。メタをはじめとした、<隠密>三人娘も一緒であった。
吹き飛ばしたハルを追い一対一になったリコリスは彼女らを神殿に置いたままにしてしまっており、彼女らが通路の装飾品になっている装備を拝借する暇を許してしまったのだ。
ハルはそんな大胆不敵なメタから受け取った武器の一本を、今しがた生み出した分身へと投げ渡す。
「さあ、これで本当に手数有利だよ……、はぁっ……!」
ハルは率先して本体を、触れれば即死の生きた危険物に向け突っ込ませて行く。
自分もまた武器を手にした今、あえて体で受ける必要はない。斧槍のような普段使わぬ長物で、防御を目的とした攻めの姿勢でハルは攻め込む。
「背中ががら空きだリコリス!」
「この程度、痛くも痒くも、痛ぁああっ! いやいやいや、痛い痛い痛い! ええい、ちょこまかと鬱陶しい!」
「おっと。やらせないよ」
「躊躇なく命張って来たー! もっと命を大事にしようぜ!?」
リコリスが死角からチマチマと攻撃を差し込んでくる邪魔な分身を始末しようとする様子を見せれば、すかさずハルは『命がけで』その攻撃を止める。
その捨て身の必死さにより攻撃はキャンセルされて体勢は隙を生み、分身が一斉攻撃を与えるチャンスとなる。
保険としてではなく、攻撃手段として<復活者>を使うことの厄介さである。
狙われた仲間を、強キャラが命を捨てて庇い、守り切る。その一度きりの展開が、何度も何度も遠慮なしに繰り返されると思ってもらえばいい。
感動シーンが台無しである。敵からしてもたまったものではない。
「……がふっ、今度は、守れた、ね」
「今度はって何だよ『今度も』だろぉ!? それに庇ってるの自分自身だし! なんの小芝居なのかなぁ!?」
「いいツッコミどうも。お礼に、守りがいのある味方をもう一人追加だ。<天国の門>」
「また増えたしぃ!!」
未熟な剣技を捌き、防ぎ、時には受ける。その繊細なループで本体が作った隙を、分身が刈り取る。
その繰り返しによって、少しずつだがリコリスの膨大なHPは削られていった。
更に、ハルは分身を一体ずつ着実に増やしていくことで、その速度を徐々に加速してゆく。
このペースで進めれば、いずれ一気に押し切れる。死闘を見守る誰もがそう確信しハルの勝利を叫んでくれているが、ハルだけは内心焦りを感じていた。
このペースのままでは、完全回復薬のストックが先に尽きてしまう。その計算結果が否応なしに理解できてしまったのだった。
◇
「ちょっ! 待って、まって! やっぱ卑怯じゃない<復活者>さぁ! オレ事実上もう何回も勝ってるよねぇ!?」
「ははははっ! それが嫌なんだったら勝負のルールに盛り込んでおくべきだったね! お互いに、ゼロタッチで負けになるように!」
「こんなにしぶといと思わないだろぉ!」
ハルが念入りにルールを確認したのはこのためだ。例えゼロになったところで、巻き返せる特殊スキルがあったらどうしようもない。
自分が出来るのだから、相手も出来ると当然考える。
そんな、『自分がやられたら嫌なこと』を率先して繰り返すことによって、この絶望的なステータス差の中ハルはなんとか立ち回っていた。
「くっそー……、しかも上手すぎだろぉ……、なーんでこんなに当たらないかなぁ……」
「戦神なんでしょ? 言っちゃ悪いけど、技巧に難がありすぎるんじゃない?」
「あー。いま君、**セレステと比べただろ。ダメだぜ、目の前の相手を他の女の子と比べたりしたら**」
「そりゃ失敬」
バレていた。考えていることが。まあ、それだけ有名なのだろう、対人戦のスペシャリストであるセレステは。
これがもし彼女の操るキャラクターであれば、ここまで手玉に取れはしない。
ハルとセレステの戦いでは、ステータスの差があれば高い方が必ず勝つと言い切ってしまってもいいくらいだ。
「まあいいさ。オレとは少し、考え方が違うみたいだし」
「戦いに技巧は、必要ないと?」
「ないとは言わない。あればお得だな。……だがっ!!」
言いながらリコリスは、持っていた剣を地面に突き刺すと、胸の前で両手を打ちつけて気合を入れる。
見るからに隙だらけだが、そのあまりの迫力に分身達は動きを止めた。
何をしている、とは言わない。ハルでもそうするだろう。そのくらい、リコリスの様子はハルにとっての不吉を濃厚にはらんでいた。
「ならば数か? 戦略か? ないとは言わない。あればお得だ。しかし最後にものを言うのはっ! 圧倒的な! ただの暴力っ!!」
見れば、今まで一切使用していなかったリコリスのMPが急激に消費されていっている。
膨れあがる彼女のオーラに、分身達が<飛行>により全力で距離を取るが、もう手遅れか。
その回避も間に合わず、まるで爆発するようなリコリスの雑なオーラの噴射のあおりを受けたそれだけで、その場で全員が一瞬で蒸発してしまうのだった。




