第861話 襲い来る神の力
指輪による何らかの干渉で、全身から不吉さをこれでもかと訴えるバグじみた視聴覚効果をまき散らすリコリス。
その黒い空間障害と、耳障りな効果音はやがて止み、指輪はハルの元へと舞い戻ってきた。
「やってくれたねぇ……、油断したよ、ねぇハルさん……」
「いや、僕も戻って来られて困ってるんだけど。むしろ腕の弁償をお願いできるかな」
「かくなる上は、オレは君を滅して強引にでもその指輪を引きはがさないといけなくなったようだ」
「聞こう?」
指輪により運営としての万能の存在から、敵モンスターとしてのステータスのある存在へ堕とされてしまったリコリス。
これは、神である彼女が討伐可能となってしまったことを意味する。
運営は当然ながら、ユーザーに対し万能で無敵。その絶対の前提条件が、覆されてしまったのだ。
それでも今まで出会ったどんな敵よりも強力なステータスが確認出来るが、討伐の可能性が1%でもあるか否かでは天地の差。
神殿の類を構成するような、破壊不可能の設定であるなら。それでは例えハルの<魔力>が一億になろうとも撃破することは適わないのだから。
《同じ地平に立ったからといって、僕はキミを倒そうとは思わないけど?》
《イベントだよイベントぉ、ハル様ぁ! オレたちは良くても、視聴者は納得しないだろ?》
《……軌道修正ご苦労様。でも、僕も一応ユーザーなんだけど》
《かたいこと言うなって! オレを倒したら、良いことあるだろうからさ!》
完全に貰い事故だ、ハルにとっては。
別に今回、ハルは神様たちを倒したい訳ではない。必要なのは彼女らの目的を調査することで、問題がないなら別に倒す必要はないのだ。
しかし、そんな主張は、心なしか嬉しそうなリコリスには全くもって届かないのであった。
《まさかの神様戦!?》
《対神戦!!》
《ビックイベントすぎる!》
《指輪は神様への挑戦権だった!?》
《予想外だ……》
《太陽の時から予想してた人はいた》
《そりゃ数うちゃ考察も当たるだろ》
《神様とは敵対してるってハッキリしたな》
《リコリスちゃんどうなっちゃったの?》
《クソつよボスモンスターとして降臨しちゃった》
《まさか、その為のバトルフィールド?》
《それはまた別の目的だと思うが》
《堕天させられて怒ってるよ!》
《不敬だね。やっちゃったね》
降臨、懐かしい響きだ。かつてのゲームの経験者だろうか。
カナリーたちのゲームにおいても、特定の条件を達成すると<降臨>というスキルで運営の神々をその身に降ろすことが出来る。
色々と弊害はあるが、それを使えば神々との対戦も可能だ。そこも似通っていると言えるか。
「さあ、構えなよハルさん。悪いが強制だ。君を倒して、その指輪を切り離す。抵抗は許そう……」
「一方的すぎる神様らしさどーも」
リコリスは立ち上がり、部屋の装飾であった豪華な剣を手元へと引き寄せハルに突き付ける。『そちらも構えろ』と言いたげだ。
いわゆる、強制イベントと言う奴だ。イベントを『受ける』『受けない』の選択肢は存在せず、しかもどう考えても負けイベント。クソゲーか。
ハルはその強引さに観念し、自身も杖を取り出すと構えをとるのだった。
*
「イベント条件を明示しよう。君の死亡、逃走による戦闘不能は敗北。逃走の場合も、君にはペナルティを負ってもらうぞ」
「まあ、仕方ないよね。ログアウトがノーリスクだと勝負にならない。逃走とみなす範囲は?」
「この神界から外に出たら、だ」
「……そもそも出口があるなら教えて欲しいね」
まあ、問題ないだろう。そもそも出かたをハルは知らない。ログアウトする時があるなら、それは元より用事が全て済んだ後のこと。
「そして勿論、君の勝利条件はオレのHPをゼロにすることだっ!」
「それはゼロタッチでもいいのかい?」
「いいとも。一瞬でもオレのHPがゼロ以下になれば、その場で勝利っ……」
このゲームは厳密な話をすれば、HPがゼロになっても死にはしない。
普通のプレイヤーやモンスターでも、HPが尽きてもMPが残っていれば、それを急激に消費することで踏みとどまれる。逆もしかり。
大抵の場合はどちらかがゼロになれば死亡と同義だが、稀に致命傷にはならない場合があった。
ハルの場合は特にだ。ただでさえ膨大なMPが命を長らえ、<復活者>のスキルもあって致命傷でも悠々と回復できる。
だがリコリスはそうした小細工は行わず、どんな奇跡でも彼女のHPゲージが一瞬でもゼロに触れれば、こちらの勝利としてくれるらしかった。
……舐めるな、とは言わないハルだ。正直なところ、ハンデを貰わないと苦しい立場なのは動かぬ事実。
「条件は以上っ」
「簡素が過ぎるっ!」
「長々と<契約書>のようにルールを詰めるのは苦手でね!」
そんなことよりもさっさと戦いたいと言わんばかりだ。まあ、これもありがたいことだろう。
ハルの方は卑怯、搦め手、何でもござれのし放題。そのくらい、今のハルであってもステータスには絶望的な開きがあった。
「では! そろそろ行くぞ!」
「やっぱりもう少し詰めない? 僕の心の準備出来るまで」
「問答無用ぅ!! いざっっっ!!」
必勝のおたけびと共に、リコリスの顔がハルの視界にいっぱいになる。何が起きたのかは明白だ、一瞬で至近距離まで詰められたのだ。
普段はハルが得意とする一足飛びでの間合いの侵略。それを、まるきり同じ要領で返された。
「このまま彼岸に散るがいい!」
「くっ、あっ……」
真っ赤な髪の毛を花弁のごとくなびかせながら、リコリスは力任せに剣を振り抜く。
だがこの程度で不意を突かれるハルではない。こちらも手に持つ杖でその速度にも的確に対応して合わせるが、しかしそれは何の防御にもならなかった。
「人の装備など、脆弱の極み! 手折るように砕けると知れっ!」
神の剣の前に、ほんの少しばかりの抵抗にもならずに砕け散るハルの杖。
装飾過多ぎみであるとは言え、<鍛冶>に特化したルナの作った最上級品だ。それが、こうも容易く砕かれるとは、つまりはどんなレア装備であろうとリコリスの剣の前では木の棒同然だということ。
「成敗!」
そのまま彼女の剣はハルの身を切り裂き、その衝撃はハルを思い切り吹き飛ばす。
真後ろの、もと来た通路へ吸い込まれるように派手に放り込まれ、この神殿の入口から吐き出されるようにハルの体は飛び出した。
「かっ、はっ……」
その一撃によって、ハルのHPは容赦のひとつなくゼロを通り越しマイナスになり、必死にそれを補おうとするMPも一秒たりとも保つことがない。
ただの無造作な初撃の一振りで、現行プレイヤー最強である『ローズ』は撃破されてしまったのだ。
「だが、これでも死ぬ訳じゃない!」
HPがゼロになったとしても、ハルは敗北とはならない。きちんと死亡判定が出ないうちは、まだ負けていない。
先ほど例に出したスキル<復活者>の力によって、ハルは消滅前待機時間に数秒の猶予がある。
その猶予期間のうちにHPをプラスに戻せば、死亡判定は免れるのだった。
《あぶねえええええ!》
《キターーーーー!》
《ローズ様復活! 復活っ!》
《完全回復薬の力を見せてやれ!》
《死ななきゃ安い》
《死んでも安い》
《安くはないけどな……》
《常人は持ってない》
《持ってても使えない》
《相変わらず<復活者>とのコンボはえぐいぜ》
《……えぐいのは神様の攻撃じゃない?》
《ローズ様が一撃とか……》
《やばすぎ、バグじゃん》
《流石は神……》
《まだ挑む時じゃなかったか》
《じゃあ何時ならその時なの?》
《ローズ様は何十歩も先を行ってるのに……》
そう、致命傷を難なく回避したハルも大概だが、そのハルに一撃で致命傷を与えたリコリスもまた大概。
最強のステータスを持つこの身が一撃で屠られるのであれば、それはつまりどれだけ仲間を集めても無意味であることを示している。
「よく耐えた。流石は、オレが見込んだ人間だ」
「まあ、耐えてはいないんだけどね」
「それに、あの状況でも実に冷静だ。まさか吹っ飛ばされながらも、オレのコレクションを掴み取っていようとは!」
「手癖が悪くて申し訳ない」
神殿の階段を転がり落ちたハルの手には、一振りの剣が握られている。
リコリスに吹き飛ばされ、もと来た通路を強制逆戻りする際に拝借した物だ。あの通路には、所狭しと装飾の武具が飾られていたのだった。
「僕の手持ち武器では、何を使おうとキミの武器に対抗できなさそうだったからね」
「あの一瞬でそれを判断したか……、なんという戦士の直感っ……!」
「どーも」
「やはり、この儀が終わればオレの元へと来るがいい。君こそ戦士の国に相応しい!」
「《ふざけんなー! お姉ちゃんは私のだー!》」
「……アイリスちゃん、少し静かにしてようか」
それに、もうハルが負ける前提で語られているのが腹立たしい。言い口が『ハルを下して配下につける』と言っているようだ。それが許容できぬハルである。
アイリスの妄言の方は、もはや何時ものことなので無視することにした。
「まあ、そのアイリスから貰った力、出し惜しみせず使うとしようか。開け、<天国の門>!」
「むっ!」
ハルは神殿の入り口でリコリスが余裕を見せている間に、<天国の門>を起動し自動操縦の分身『ブラックローズ』を生み出す。
門から溢れる黄金の光はハルの身を照らし出し、その逆光に落ちる影は、どろり、と人の形を取って行く。
そうしてハルのキャラクターと、うり二つの姿を取った真っ黒の影。その影に対して、ハルは手に持っていた剣を手渡すと影は以心伝心とそれを受け取り装備した。
この分身はアイリスがハルの行動パターンを解析し作り上げたもの。本体の考えを即座に汲み取った。
「死んでも構わぬ消耗品でオレを足止めすることにしたかっ! だがその行動、愚かなりっ……」
「愚かでも消耗品でもないさ。そいつにいくら掛かってると思うんだ!」
「おっと、これは失礼……、だが高級品であればこそ、オレにぶつけるなどナンセンス……!」
「それはどうかな?」
リコリスは、せっかくの武器を捨て身の分身に持たせるなど判断ミスだと言いたいのだろう。一理ある。
彼女の剣を防げる唯一の剣。それは、ハル本体の身を守る為に使うべきだ。使い捨ての分身に預けるなど無意味な事。
だがリコリスに突撃した分身は、彼女と、そして多くの視聴者の予想とは裏腹に、彼女の最強威力の斬撃をその剣で受け止めたのだった。
「なんとっ!」
「“それも僕だ”。僕の技量をブラックローズも受け継いでいる。キミの攻撃の威力は確かに馬鹿馬鹿しいが、なんとか受け止められないこともない!」
ハルは一撃受けた己のダメージ量から、その攻撃力を瞬時に導き出した。確かに凶悪だが、武器が互角であれば受けれぬ威力ではない。
少し前には、ステータスゼロの状態でソロモンの猛攻に耐えきったのだ。考えようによっては、それよりマシと言えるかも知れない。
「だが! 君の体が無防備なのは変わらないぞ! 徒手空拳で受けきれるものか!」
「まあ、受けきれないよね。だがそれでいい。<復活者>で受ける」
「なにぃっ!?」
ハルはあえて飛び込んで来るリコリスの剣を防御せず、まともにその身で受け止める。
当たり前のようにまたHPはゼロになるが、やはり即死は免れる、そして回復する。
これがあるからこそ、ハル本体と分身の命の価値は逆転し、今は分身の身を守ることの方が優先されるのだった。
そして、リコリスがハルの本体を狙ったということは。
「隙だらけだ。やれ、ブラックローズ」
「……!」
その攻撃の隙を突いて、神の武器を装備した分身がその刃を持ち主に突き立てるのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。




