第857話 重ね合わせの地下
バグ空間、それは当初ハルたちがメインで探索していたこのゲームの秘密だ。
自身の<貴族>としてのイベントが忙しくなってきたこと。更に神様に会うには隠し職を通じての正規ルートがあること。そしてなにより、最近はなかなか発生条件を満たせなくなってきたのが大きかった。
「それで、どの辺なんだい白銀?」
「あっちです! 第四試合の、街から少し離れたとこです!」
「へえ。少し意外だ」
「今は、みんな第三試合を見に行ってるですから。それに、あまりにモンスターが出すぎました」
フィールド上に、裏世界への入口となる空間の裂け目が生まれる条件は主に二つ。
人の目が無い場所であること、そしてモンスターが一度に大量発生することだ。
このゲームはプレイヤーが踏み入れることで周囲の空間が確度をもって構成され、見ていない部分はあやふやになる。
これは処理能力を節約する為のテクニックで、ゲーム制作において前時代から変わることなく続いている数少ないものだ。
特定の『サーバー』を必要としなくなった現代であるが、それは空間的な制約からの解除であり処理能力が不要となった訳ではない。
エーテルネットの処理能力とは、すなわち参加者の脳そのもの。
超大人気ゲームなら別にいいが、参加者の少ないゲームであればそれだけ省エネに努めなければお金が掛かる。
エーテルネット接続料や維持費は無料だが、参加プレイヤーの処理脳力(誤字にあらず)で補えない計算力は、外から借りて来なければならないのだから。
よって、今でも大抵のゲームではプレイヤーの周囲以外は『オフ』にして節約しているものが大半だった。
「最近は、『誰も見てない場所』なんて世界のどこにも無くなってきちゃったからね」
「ですです!」
そんな『あやふや』な場所に大量のデータ、すなわちモンスターの出現があると空間が歪み、裂ける。
しかしゲームも後半となり、世界中にプレイヤーの冒険の手が入った今、バグ空間の発見報告は無くなっていった。
これは、ハルがプレイヤーへ依頼をして探してもらったことも影響しているだろう。開拓の速度をハル自身が早めてしまった。
「しかし、これだけの規模のモンスター発生があれば話は別かも知れないと思っていた」
「確度の高い空間であろうと、無理矢理引き裂くレベルです!」
そこで、白銀たち<隠密>三人娘にはその候補地を探すお仕事を頼んでいたハルだ。
この手の、見えないものを探す仕事に関しては、かねてより彼女らの右に出る者は居ない。
ハルは白銀の案内をもとに、彼女を抱えながらその地点へと<飛行>していくのであった。
*
「あったです!」
「なるほど、確かに開いている。久しぶりだね」
「既にモンスターの大群は、飛空艇の主砲により壊滅しています。閉じる前に、お早く」
「空木もありがとう」
その空間の亀裂の傍には、白銀と姉妹のようにそっくりな女の子、空木も待機していた。
彼女の指し示すそれは、徐々に閉じて行っているようでハルに早めの入場を急かしてくる。
「二人とも、よくやってくれたね。偉いぞ」
「えへへへ」「褒められたです!」
しばらく二人は嬉しそうにはしゃぎながら、ハルの周りをくるくると回っていたが、そこそこで満足してくれたのか<隠密>により姿を消した。
ここは忠告通り、早く飛び込んでしまった方がいいだろう。ハルは早速その世界観にそぐわぬSF的な黒い視覚効果と、ジジジッ、という雑音をまき散らす入口をくぐる。
その中は、入る前の景色とはまるで一転。全くの別世界に転移してきてしまった感覚をハルは覚えた。
「地面は、あるね。空は、相変わらず変な紋章が浮かんでる」
紋章の星座が照らす別世界。飛空艇の主砲により吹き飛ばされた先ほどの荒野から、整備された石畳の広い道へとハルは降り立った。
放送中であるために口には出さないが、以前アイリスの所から強制転移させられた<王>の試練の為の空間と似通っているように思う。
あそこより石畳の幅は広く、ゆったりと余裕をもって歩めるが、やはり同様に道の端から先は何もない。
下を見下ろしてみると、深海を覗き込むかのようにどこまでも暗く深く、底なし沼が続いているような錯覚を覚える景色だった。
《ひえ~~》
《ほんと久しぶりだなぁ》
《前より文明的になってない?》
《知らない間に発展した?》
《でも人が居ないね》
《そりゃいないだろ》
《コスモス様の所にはいっぱい居たじゃん》
《あれは別の世界じゃない?》
《別って?》
《それは、知らん……》
《なんというか、『正規ルート』って感じだよね》
《こっちは本来入れない感じ》
《本当にそうなのかなぁ》
通常のゲームとの対応の差に、視聴者たちも認識の着地点を見つけられずにいるようだ。
普通ならこうした『舞台裏』にユーザーが迷い込んだ場合、運営から強制ログアウトが入るか、別のエリアに改めて転移されて謝罪が入る。
しかし、このゲームではそれがない。まるで、あたかもこの場すらも『仕様』の範囲内であるかのようにゲームは進む。
特に今は、初期と違い文明的な見た目の足場が組まれている事実がその認識を加速させていた。
「とりあえず、近くに何か建物が見えるしそっちに向かってみようか」
この足元の道は何処までも続くように見えたが、服の裾を引かれたハルが背後を振り返ってみるとそちらには案外近くに高さのある建造物が見えた。
透明化して潜んで居る白銀か空木、あるいはメタが、その存在を教えてくれたのだろう。
遠目には霧がかかったようにぼやけて見えたそれも、近づいてみるとすぐにハッキリとした輪郭をもって見える。
こちら側でも、プレイヤーの傍に存在しないフィールドはあやふやになるのだろうか?
「ふむ? なんだろうね、ここは?」
《建物だけど、家っぽくはなーい》
《高さもバラバラ》
《ドアも窓も開きっぱなし》
《生活空間には見えないね》
《でも家としか言えない》
《イエィ!》
《…………》
《バトルフィールド?》
《ああ、それだ!》
《市街地戦のマップか。なるほど》
無人の街、無人の家々、高さも規模もまちまちであり、計画的に作った都市とは思えない。
しかし、そんな滅茶苦茶でバラバラな街が役に立つ場面がある。戦闘のためのフィールドだ。
「なるほど。『闘技場』ってことか。市街地戦のためのコロシアム。あたかも、“外”でやってる武王祭と同じようなね」
強いて言うならば、むしろこちらの方がゲームらしい。実際の街マップで運営されている武王祭は、そのNPCの暮らす家があまり遮蔽物として機能していない。脆すぎるのだ。
派手に吹き飛ぶ様を楽しむ要素としては満点だが、マップの複雑さを戦略に組み込む要素たりえなかった。
ハルはそんな『家』の一つに近づくと、こんこん、と強めに壁を鳴らしてみる。
やはり、こちらは十分な強度を保ってエリアが構成されているようだった。
「さて、まいったねどうも。となると僕はただ、『準備中』の店の中に迷い込んだだけであって、ここに居ても何の旨味もないことになる」
これが、後日ここを使ったイベントの為の会場だとすれば、ここを今ハルが訪れたところで何も起こらない。
別にそれ自体は良いのだが、視聴者もそれで納得してしまいそうな所が問題だ。
放送中である手前、『今は何もないだろう場所』に長居することは、少々はばかられる。特に今は、外で大きなイベントが開催中だ。
視聴者からの評価が第一目的ではないハルとはいえ、大義名分の為にはそこをおろそかには出来なかった。
「んー、ねえ空木? この位置って、“外”と照らし合わせると何があったか分かる?」
「はい、大おねーちゃん。ここはたぶん、遺跡が封印されてたポイントと一致するはずです。お待ちしている間に、空木が周囲も調べていましたから」
「なるほど」
姿を隠していた空木が出てきて答えてくれる。流石に優秀な<隠密>さんだ。
つまりそれなら、この空間は完全に表世界の座標と表裏一体な空間構成をしていると判断できる。
前々からその仮説は立てられていたが、これでほぼ確定と見ていいはずだ。
日本で例えれば地上の街並みに対応した地下施設が舞台裏として必ず存在しているように、この空間もまたこのゲームの『地下』として二重になって存在している。
であるならば、その『地上』の重要な施設と対応した場所に赴けば、それだけ対応した何かがこちらにも存在すると考えられる。
「どうなさいますか、大おねーちゃん? 全ての遺跡の位置にこうした闘技場が用意されていると考えれば、確実に位置を特定できそうですが」
「いや、その探索は止めておこう空木。ここでは飛空艇が使えない。まったく同じ広さがあるのであれば、僕の足でも少々きつい」
「そうですね。確定で時間はそれだけ取られてしまいます」
《超確実だけどなー》
《さすがに時間かかるか》
《いったん無しか》
《一本道だし楽そうだけどね》
《その分暇になっちゃう》
《作業放送好きよ?》
《でも外は武王祭だ》
《今じゃないよなー》
《外に戻る?》
《それも勿体ない気が……》
《せっかく来れたしね》
《どうするローズ様?》
「そうだね。何も起こらなかったら仕方ないけど、それでもやっぱりせっかく来たんだ。一つ、調べてみたいことはある」
まだ今は戻らないことをハルが告げても、視聴者たちからは否定の言葉は出てこない。
彼らとしても、せっかくの『裏イベント』、ここで直帰は勿体ないという意識は強いらしい。
しかし、このままずっと何も成果なしが続けば飽きられてしまうのも避けられないだろう。ハルとしては、次で当たりを引いておきたいところだった。
「そこで、僕は首都へと向かおうと思う。恐らく、首都と対応するポイントにもこうした何かがあるだろうからね」
武王祭の決勝戦の開催地でもあるリコリスの国の首都。すなわちそこにも、遺跡が封印されている可能性が極めて高い。
常識的に考えて、その遺跡こそが最重要の施設となるだろう。
であるならば、対応するこの『裏』でも重要度の高い何かが存在すると思われる。
「幸い、第四会場の付近であるここからはもう目と鼻の先だ。首都であれば、すぐに着くだろう。みんな、付いて来れるかい?」
「はい。空木たちの移動速度は、天下一品ですから」
姿の見えぬ白銀もメタも、自信たっぷり肯定したようにハルは感じられた。
それならば、ここはお手並み拝見としてハルも全力で移動するとしよう。
再び姿を隠した空木も伴って、ハルはこのバトルフィールドの中で最も高い家に三角飛びを駆使して飛び乗って行った。
その屋上をスタート地点として、街の反対側に続いて行く広い石畳を見据えていく。
「よし、それじゃあ競争だよおチビたち。よーい……」
十分に溜めてからのスタートの掛け声と共に、四つの足が一斉に力強く屋根を蹴り飛び出す。目指すは、霧に霞む首都エリアだ。
※誤字修正を行いました。




