第842話 世界の進む音がする
その後も視聴者には一切伝わらないファリア伯爵との会話は続いた。
伯爵から得られた情報は多い。特に、このゲームの世界観の根幹に関わる情報を得られたのは大きいだろう。
彼の話によれば、かつて、<勇者>を中心とした六人の英雄たちは、この世界を覆う脅威と戦った。
激しい戦闘の末、彼らはついにその脅威を討ち果たした。そして、このリコリスの国にその邪悪な力を封印したというのだ。
「**その正体ってなんなの? 『邪悪』と言われるからには、まあ悪いんだろうけど**」
「ははは。**貴女様がおっしゃいますと、その辺の小悪党のようですね。実に頼もしい……**」
「**実際は、とてつもない脅威?**」
「さて? **詳細な情報は、実は私の方でもなんとも……**」
「そうなんだ。**まあ、封印の情報すら僕は知らなかったくらいだからね**」
「**ええ。この国でも、<武王>以外にはほぼ伝わっていないはずです。門外不出、という奴ですね**」
実際に何が封印されているのかは、伯爵にもはっきりとしていないようだ。
まあ、それも仕方ないとは思う。なにせ、これだけのプレイヤーが冒険を重ねていながらまるで噂に上がって来ないのだ。
当時の情報は、歴史の闇に埋もれて散逸してしまったと考えていい。
「**君はよく知っていたね、そんなこと**」
「**ええ。これでもカゲツの国においては、<武王>と遜色ない地位におりましたから。秘密の情報もそれなりに入って来ます**」
「**……僕も、<王>になっておけばその手の情報は得られたのかな**」
「**はっはっは。これはまた不意打ちで、なんとも重大な情報! ローズ閣下は、<王>の資格を……?**」
「**うん。蹴ったけどね**」
「**なんとも貴女様らしい……、見てみたかったものです、ローズ陛下が導くアイリスの国を……**」
「**陛下は止せ……**」
その伯爵の称号が示す通り、元アイリスの貴族でもあったファリア伯爵。抜け目なく、城に設置された<王>の試練についても把握済みのようだ。
あのままハルが<王>となっていれば、このリコリスの封印に関する情報も得られたのかも知れない。
「もし、ご興味がおありでしたら、カゲツにおける地位をお使いになって、あちらで情報収集をするのがよろしいかと……」
「ああ。今僕は、君に成り代わったようなものだったね。家を乗っ取っただけだけど」
「いえいえ。なにをおっしゃいますか閣下。貴女様の市場における存在感は私以上。名実ともに、カゲツの天上人に相応しい……」
「どうだか」
《おっ! 聞こえた!》
《珍しく規制なしだ》
《伯爵の情報は、天上人の地位で得られたもの?》
《ひとつ分かったな!》
《妥当ではある》
《……分かったから、どうなんだ?》
《どうにもならない!》
《だからこそ、制限されず聞こえてきたんだろうな》
《くっそー、蚊帳の外》
《もっと雑談してお姉さまー》
カゲツの有力者としての地位を使えば情報が取れる。このことだけは、隠蔽処理されることなく視聴者の耳にまで届いた。
しかし一方でハルの<王>に関する発言は伏せられたのはどのような違いがあるのだろう?
それほど、国主が握る情報が致命的なのか。それともリコリスとアイリス、『光』側の国が抱える共通点があるのか。
まあ、今はそれよりも伯爵から情報を引き出すことに専念した方が良いだろう。ハルは思考を中断し、再び彼と向き合った。
◇
そうしてハルは、伯爵から様々な情報を受け取った。
かつての<勇者>の事、遺跡にまつわる伯爵の計画の事、そしてハルと伯爵とはまた別の、遺跡を狙う第三の勢力の事など、その内容は多岐にわたる。
「……考えてみれば当然か。**このイベントは世界全てに関わるもの。動くのが、僕と君だけなんてことはない**」
「はい。**様々な者が、様々な思惑で、この地に集結しております。私は単に、運よく先手を打てたに過ぎません……**」
それは、ハルが他のプレイヤーより一歩リードしたプレイをしているからだろう。
ある意味で、伯爵の存在はハルのプレイの一部だ。
ハルの<貴族>としてのロールプレイに立ちはだかる、謎の組織としての敵役。ハルのゲーム進行が加速するほど、組織の活動もまた活発になる。
伯爵が誰よりも早くこのリコリスの地で暗躍を始めたのは、ある意味でハルのせいでもあった。
しかし、他の参加者も指をくわえて見ているだけではない。ハルには届かないまでも、日々ゲームクリアの賞金を目指して突き進んでいる。
そして一大イベントである武王祭に合わせて、このリコリスに集結してきたのであった。
……そう考えると、この武王祭の見かたも変わって来る。
リコリスだけの問題と思いきや、その実、ゲーム全体の進行に大きく関わるイベントだ。
言うなれば、世界の進行段階を一段進めることを告げる鐘の音。
プレイヤーの望むと望まざるに関わらず、ゲーム終了に向けて進みだしたカウントダウンと言えるだろう。
「**その有象無象の目的は、必ずしも封印が目当てではないか……**」
「**はい。その通りにございます、閣下。中には封印を知る者もございましょうが、<勇者>が目当ての者、リコリスの国が目当ての者、武王祭に乗じて暴れたいだけの者。様々かと……**」
それらの勢力が入り乱れ、この地に更に魔力が満ちることを促すのが伯爵の狙い。
遺跡周囲にて罠を張り、相手の所属がどうあれ、その場で戦闘に引きずり込む。そうして遺跡へと魔力を流し込む気だ。
遺跡を制圧すると同時に魔力確保も達成する一石二鳥の策。そうして十分に力が満ち起動した遺跡へと、真っ先に乗り込むのが伯爵、ということになる訳である。
その伯爵の計画、ハルが協力して事に当たるのはそれなりにメリットの大きな事であろう。検討の余地はある。
まず、両者の目指すところは別の位置にある。ハルは<勇者>、ファリア伯爵は封印された何か。互いが別々の目的へと走って行けば、『報酬』で揉めることはない。
更には戦闘など待つこともなく、ハルが遺跡へのエネルギー供給、伯爵がハルに足りぬ実行部隊の手数を担当すれば、すぐにでも作戦が遂行可能だろう。
「しかし、君と僕が手を組むか否かとなると、また別の問題だ」
《おっ》
《聞こえた》
《交渉決裂か?》
《それはそう》
《悪人と手を組んじゃダメお姉さま!》
《悪人かは微妙なとこじゃね?》
《相当悪くない?》
《どうだろう? 伯爵様はいわばただの技術者だし》
《そうかなぁ……》
《悪事を働いてたのはソロモンきゅん》
《どっちにしろ、そのソロモン君も今は仲間だし》
《そうそう、今更だよ》
《伯爵も仲間にしちゃえ》
《いや、どう見ても怪しいだろこの人(笑)》
そう、信用して手を組むには、ファリア伯爵は怪しすぎる。
嘘は言っていないようだが、それでも心のうちを全て話しているとも限らない。『本当のことを隠してはいけない』などという条件は、<契約書>には記載されていないからだ。
まるで、かつてのカナリーたち神様を相手にしているような気分のするハルであった。
「出来れば私としては、貴女様にお力添え頂きたいものですが……」
「**その為には少し、情報不足だね。** まあ、構わないだろう? 最低限の要件は、僕と<契約書>を交わした時点で達成している」
「はい。ローズ閣下が敵に回らないという時点で、こちらは胸を撫でおろす心地にございます」
「僕としても、それなりに情報は得られたよ」
協力関係を結ばないまでも、互いに利のある取引となった。ハルは労せず一度に様々な情報を得られ、ファリア伯爵は安全を保障される。
……冷静に考えると、伯爵側はハルの強引に押し付けた強烈なマイナスをゼロにしてもらっただけなのだが、それは今はいいだろう。
実に、対等で実りある素晴らしい取引だったのである。
「それじゃあ、僕はそろそろお暇するよ。互いに、頑張って行こうじゃないか伯爵」
「ええ。どうか、ローズ閣下のご活躍、お祈り申し上げます……」
そうしてハルはファリア伯爵との会談を後にし、再びリコリスの地へと戻って行く。
これから両者は双方ともに、互いの目的に向かって邁進してゆく事になるだろう。
その道は直接交わることを封じられたハルだが、このリコリスの地に渦巻く思いは二つのみではない。
数多の思惑が複雑に絡み合う中での、たった二本の糸なのだ。
その絡まった複雑な糸玉を通じて、再び伯爵へと干渉する手だてもあるだろう。
ハルはその今後の戦略を脳裏に組み立てながら、遺跡を出て仲間の待つ領主館へと戻って行くのだった。
*
「おかえりなさい、ハル。どうだったかしら? 敵情視察は?」
「ただいまルナ。色々と、面白い情報が聞けたよ。口には出来ないのが、残念なところだけどね」
「そうね。とっても残念」
この地の領主と挨拶を終えたハルは、彼の館にて武王祭二回戦の観戦をしている仲間たちの元へと戻ってきた。
とりあえず二回戦の決着までは、ここでのお客さんとしてゆっくりと観戦を楽しむようだ。
ハルたちが伯爵から得た情報を元に動くのは、その後ということになるだろう。
少々もどかしい気もするが、主催であるガルマの手前、これは仕方ない。それに他国からの賓客である、テレサやシャールを放り出して行く訳にもいくまい。
《とはいえ、私たちは発言が封じられたところで、“なんとなく”あなたの得た情報は分かってしまうのよね》
《……バグだよねえこれ。かなり致命的な》
《むしろチートよ? はてさて、規約は大丈夫だったかしらねぇ?》
《まあ、規約の何処にも、『精神を融合させて心と心で情報共有してはいけません』、なんて書かれてはいないからね……》
そもそも、ゲーム内で得た情報を外部でやり取りすることは運営には制限できない。
ハルは確かに、<契約書>にて情報規制を受けてはいるが、その内容を現実で公開したとしても何の罰則も受けることはないのだ。
とはいえ、そんなことをしては興醒めも良いところ。一切そんな気はないハルだった。
一見メリットしか存在しないように感じるが、そうした姑息な手段を取れば確実に人気に直結する。
そして、人気が下がることは、このゲームにおいて致命的だ。人気こそ力、人気こそステータスの根源なのだ。
「さて、喋れないとはいえ、得た情報はフルに活用していく。問題は、これをどうやって世間に波及させて行くかだけど……」
「大きな力が動けば、それに合わせて世界は自動的に追従するものよ? あまり、難しく考える必要はないわ?」
伯爵に直接手出しできなくなった以上、周囲を巻き込むことは大前提だ。
ハルは激しさを増す武王祭の戦いを眺めながら、その計画について密かにルナと詰めていくのだった。




