第84話 彼かもしくは彼女の要求
「ふおおぉぉぉ……」
「……アイリちゃんは一体どうしたのかしら?」
夜の寝室。就寝時間。アイリがじたばたしていた。理由は明白である。
やってきたルナとユキが、挨拶もそこそこに、またベッドへと顔を埋める彼女の様子をいぶかしむ。
可愛いといえば可愛いが、何だかちょっと心配を誘う可愛さだ。
純粋にこれを愛でるには、メイドさんレベルまでアイリと触れ合いを重ねなければならないだろう。
「……その、ハルさんと、してしまいましたー」
「そう、ヤッたのね? ついに」
「ヤッてないよ。……おしとやかなルナに戻って?」
「ルナちーもだいぶ出来上がってきてるねー」
「……確かに、少しはしゃぎ過ぎているわね」
ルナがこうなるのは、ストレスを溜め込ませてしまったためだろう。頭の隅でそう冷静に分析するハルだった。
ハルが消えるという異常事態。そしてその対応のための奔走。迷惑をかけてしまっている。後で埋め合わせをしなくてはならない。
「そういえば、以前にもこんな事があったのだったかしら?」
「今日は同じ部屋に来れるくらいには成長したんだねアイリちゃん」
「はい、今後も何かあるたびこにょ、……この調子ではいられませんので」
「アイリちゃん、普段はぐいぐい行くのに、自分が受けに回った時に弱いよねぇ。かわいい」
「うー、まさか受けていただけると思っていなくて。不意打ちでした……」
一通りじたばたして多少は落ち着いたアイリが、枕を抱えながら会話に復帰する。
ただ、ハルと目が合うと、また真っ赤になって枕に顔を埋めてしまうので、しばらくハルは聞きに回った方が良さそうだった。
「アイリちゃん積極的なのに、二人がなかなか進展しないのは、そういう所もあったのね?」
「その、どうしても、未経験なことばかりですので」
「そりゃそうだよねぇ。普段のは、お話や何かから?」
「はい! 本の知識です! メイド達も応援してくれるのですが、彼女達もこういった経験は無く……」
ここは陸の孤島、そして男子禁制の女の園。アイリに男女関係の教授をしてくれる人間は居なかった。
普段は、物語の登場人物の行動を模倣したものが多いようだ。その物語も、王女様が読むに相応しい品のある物が多く、なかなか突っ込んだ知識は得られないらしい。
もちろん教育は受けているが、王女としての男との接し方となると淡白に過ぎるものであり、それはハルに対する扱いではない、というのがアイリの認識であった。
ハルが庶民感を前面に押し出しすぎたのも原因かもしれない。
「それで、さっきは経験豊富なハルお兄ちゃんにリードされちゃった訳だ」
「お兄ちゃんてキミね……」
「ハルさんは、兄などという枠には収まるものではありませんよ」
「あ、そういえばアイリちゃん兄弟がいるんだよね。兄属性はダメか」
「……属性ですか?」
「そうね。この世界、魔法の属性があるものね? ややこしいわ」
好きなキャラクターのタイプや傾向といった概念を、属性と呼ぶことがある。決して、兄を射出する系統の魔法ではない。
兄が弱点の女性に対して効果が大きいという意味では、近いのだろうか。その場合は兄を射出しても良さそうだ。
そんな下らない事を考えて、居づらいこの場をしのぐハルである。
「それで、今日はどこまでしたの?」
ルナの追求は続く。話題は最初へ戻って来た。
上手く話題を転換できたと思っていたアイリが固まってしまった。衝撃で。ルナはこういう時、逃がしてくれないのだった。ハルもよく経験している。
「……その、えと、キスを」
「ちゅーだ! ちゅー!」
「ちゅーね? やるじゃない」
「ふわぁぁ……」
非常に盛り上がっていた。特にユキが姦しい。
アイリはちらりとハルの方を、口元に視線を送ると、また目をぐるぐるさせて枕へ沈み込む。
非常にかわいらしいが、今は常のように彼女を愛でて場を収める事も出来ない。ハルとしても冷静な聞き手を演じるのが一苦労だった。
ハルも枕に顔を埋めて良いのならばそうしたい。
「かわいいかわいい。アイリちゃんかわいい」
「……しかし、口づけをしたとなれば、これはもう結婚なのではないかしら?」
「あ、はい、そうかも、知れませんね……」
「そうなの!? いや、話飛びすぎでは」
「ハル、この世界の本はあまり読んでいないの? そうでなくとも、彼女は王族よ? 自然とそうなりそうな物でしょう」
「そう言われると、確かに……」
「ハル君、謀られたね!」
「策士ね、アイリちゃん」
学術書以外にはあまり目を通していないハルである。アイリの蔵書には、キスと結婚でセットにして最後を締めくくる物語が多いようだった。
そしてルナの語るように彼女は王族。伴侶以外にみだりに唇を許す事は無いだろう。
アイリがあたふたと弁解しているが、プレイヤー二人の盛り上がりは火をつけたようで、抑えるのは厳しそうだ。
その後、現代知識で武装した二人によっての恋愛講座が開催されてゆく。
恥じらいながらも食い入るように話を聞くアイリは、その日珍しく夜更かしをするのだった。
*
そうして次の日、『事態が進展したら再び是非を問う』、という決意をアイリから聞き出した二人によって送り出され、ハルとアイリは神界へと赴いた。
聞いた途端、『ならばさっさと進展させろ』という変わり身の早さであった。リアルの対応を止めているという設定はどこにいったのか。
一晩寝て、再び元気いっぱいのアイリへと再起動した彼女と共に、神界にあるカナリーの神殿、その応接間へと直接転移をしてくる。
アルベルトと会うのが目的だ。彼、もしくは彼女と会うならば、商店街の適当な店に入れば済む話だ。だがハルは今オフライン環境に居る事になっている。
なるべくならプレイヤーに姿を見られない方が都合が良い。そのためにはここ、カナリーの神殿以外にプレイヤーの目の無い場所は無かった。
一度来た場所へ転移してこれる仕様があった事に、ハルは感謝する。
「カナリーちゃん。アルベルトは呼べるの?」
「呼ばなくてもきっとすぐに来ますよー。あの子は律儀ですから、お客様が来たことは分かっているでしょうー」
「なんだか、他の七色と比べてカナリーちゃんとは距離がありそうだね」
「そうですねー、区分けが違うのは確かですよー」
「アルベルトさんは、何を司る神様なのでしょうね」
アイリと二人並んで腰かけ、ウィンドウ越しにカナリーと話す。
今はハルの体は一つだ。少々不安は残ったが、分身は消してきた。
神界へ来るときは、原則、全ての体が同時に来てしまう。カナリーに頼めば可否を個別に分ける事も可能だが、操作が効くのは一方の世界のみだ。
停止させている間も、多少は意識が取られ、処理能力が落ちてしまう。感傷だけで出しておく事は出来なかった。これから、何が起こるか分からない。
「なんだか緊張してしまいます……」
「場慣れしてるアイリには珍しいね」
ちょこん、と腰かけ、それでもお行儀よく背筋を伸ばすアイリがそう語る。
確かに豪華な部屋ではあるが、王女様としてはこのような席など慣れたもののはずだ。
昨日の今日で、ハルが隣に居るからという事も多少は関係していそうだが、緊張の原因は別の所にあるだろう。
「そうは言いましても、神々とお会いする機会などありませんよ。例え王族であっても」
「でもアイリはその中でも、神様と会う機会が多いよね」
「うー……、確かにそうですね。ハルさんと共に歩めば、今後も増えるでしょうし。慣れていきませんと……」
NPC、現地の人間としては、神と接する機会は格別の多さになるアイリだ。
屋敷を我がもの顔で飛び回るカナリーに、たまにセレステも。そして唯一、神界への進入が許可されている。
アイリの言うとおり、今後のハルの選択によっては更に機会は増えるだろう。
「そう考えると、そわそわしちゃいます」
「カナリーちゃんに飲み物を持ってきて貰えばよかったね」
「すぐにお持ち致しましょう」
二人がそう話していると、背の高いスーツ姿が視界に入ってきた。アルベルトだ。
以前ここ、神殿で会ったのと同じタイプの体、要人警護でもしそうな、物腰の丁寧なキャラクターだ。
短く整えられた髪に、常に優しげな微笑を浮かべる整った顔。優雅でいて手際の良い、洗練された動作。
男のハルから見ても、完璧な美男子であった。
「お邪魔してるよ、アルベルト」
「はい。ようこそおいで下さいました。歓迎いたします」
「お、おじゃましましゅ!」
「アイリ様も、どうぞお寛ぎください」
「ふえぇぇ」
相変わらず、神にへりくだられて、アイリは対応に窮している様子。
その間にもアルベルトは流れるようにお茶を淹れて行く。しばしの後に、二人の前に香りの良い湯気を昇らせるカップが差し出された。
「い、いただきます!」
「あ、美味しいこれ。神界製じゃないね?」
「ええ、現地の、下界の物を使っています。……こちらの物は、味気ないですので」
「気を遣わせちゃってごめんね」
「いえ、こちらの都合もあって用意した物でもありますから」
「と言うと?」
ハルが聞くと、一瞬どうしたものかといった顔をするアルベルトだったが、次の瞬間には問題ないと判断したのか、その理由を語りだす。
その顔はこのキャラクターとしての物ではなく、それを統括するアルベルト本体の感情が見えるようだった。
「私のこの見た目ですから。その、出したお茶が味気ないと格好が付かないと言いますか」
「あはは、出来るSPの顔で、所作で、出てきたのがフレーバーティーだと拍子抜けだよね」
「全くです……」
キャラ付けにも色々と苦労があるようだ。
商店街にあるのも気楽な安いお店といった雰囲気の物で、高級レストランのような施設は存在しなかった。ちょっとドジな店員さんを配置しているのも、仕方なさを表しているのだろう。
「このお茶は、わたくしの家の物と同じですね。親しみがあります」
「あ、カナリーちゃんに頼んでお屋敷の茶葉の素体を仕入れたんでしょ。そして<魔力化>してストックしたと」
「……よくお分かりのようで。相変わらず聡いお方だ」
「僕もまあ、似たような事をしてるからね」
「ええ、そのお体ですね。本当にハル様には驚かされます」
当然ながら、ハルが物質的な体を保有している事は見抜かれているようだ。
彼もまた神。<神眼>やそれに類する視点を持ち合わせているだろう。
ハルの体の話が出たのでちょうどいい。本題に入る。彼個人に用があった事を切り出すとしよう。ハルはアルベルトへ向かって話し始める。
「この体の事で、今日はアルベルトに話を聞きに来たんだ」
「そうだったのですね。私でお役に立てるならば、なんなりと」
思っていたよりもすんなりと、協力が取り付けられる。いや、彼の、このキャラクターを演じているだけなのだろうか。
この後、自分では役に立てそうにない、という展開もあるかも知れない。
何にせよ、状況を話してみない事には始まらないだろう。
「この体、向こうの世界の物なんだけどさ」
「ええ、流石はハル様でございます」
「それがね、向こうへ帰れなくなっちゃってるんだ。だからアルベルト、手を貸してくれるかい?」
「…………はい?」
どうやら、この状況は彼にとっても予想外であるようだった。
◇
「……一体どういった状況なのでしょうか。カナリーは何をしているのです」
「カナリーちゃんは何も教えてくれなくてね」
「カナリー?」
「…………」
聞こえてはいるはずだ。今も<神託>は繋がっているし、いなくとも、この場所はカナリーの神殿であり、ハルの体はカナリーと繋がっている。
つまりは自分からは何も言う気は無い、という彼女の意思表示だ。
仕方が無いのでハルから現状の説明をする。
<物質化>で肉体を作ろうとした事。向こうの体をコピーしようとした事。一見成功はしたが、何故か向こうの体が消えてしまった事。
「それで、<物質化>は動作していなかった事を考えると、行われたのは転移なんじゃないかと思うんだけど」
「素晴らしい。その通りでございますよ」
「……相変わらずアルベルトは正解を出すのが早いね。話が早くて助かるけどさ」
「カナリーがもったいぶり過ぎるのです。そこまで理解しているのならば、開示しても構わないでしょうに」
カナリーの事を擁護するのであれば、当てずっぽうで言っている段階のハルの言は、まだ理解しているとは認められないのだろう。
そして、AIらしい即応のアルベルトの対応よりも、より人間らしい。問いに自らが答える事によって、その後の展開が変化する事を予想しているのだろう。
どちらの方が良い対応なのかは、今は置いておく。
「それで、アルベルトは向こうの世界に繋がるチャンネルを持ってるよね。小林さんを動かしてたんだし」
「ええ、今更隠し立ては出来ませんね。それを使えば、ハル様も地球との通信が可能になるでしょう」
「本当に話が早い」
まさしくそれがハルの要求だった。言いたい事を汲んでくれる。
アルベルトの保有している、向こう側に繋がる回線を使わせてもらえば、少なくともエーテルネットとの接続は可能だろう。
そうすれば、対処療法的な処置ではあるが、向こうの問題も半分は解決出来る。
肉体の帰還が叶わなくとも、小林さんのように人形を遠隔操作しての対応も可能だろう。登校はそれで何とかしよう。
まるでリアルとゲームが入れ替わるようで、少々妙な気分になるが。
そこまで話して、お茶を口にして一息つく。彼の反応が見たい。
反応はあまり無かった。普段どおりな設定だろう。いや、それはつまり“反応しない”という反応をしている事になる。
ハルに、その観察力に読み取られる事を避けている。この時点で既に、何か駆け引きが始まっているのだろうか。
「承知しました。お手伝い致しましょう。ですが、条件が一つ」
やはり、何かあるようだった。無条件で何でもやってもらえるとはハルも思っていない。
そうして、アルベルトの要求が語られる。




