第839話 機密保持契約書
ファリア伯爵の作り出した小型装置と対峙しながら、ハルは彼との言葉を交わす。
聞こえてくるのは伯爵の声だけで、現代のように空中に浮かぶモニターに映し出された姿や、立体映像の姿が無いのは少し物足りない。
しかし、この世界において小型の通信機を作成する技術というだけで、かなりのオーバーテクノロジーなのは間違いないだろう。
ちなみに、プレイヤーが行うシステム的な通信は考慮しないものとする。あれは、変な話になるが世界観的には『無いもの』として扱われている。
「……さて、ひとまずは再会を祝おうか伯爵。君にとっては、会いたくもなかったかも知れないけどね」
「《ふふふ。何をおっしゃいますか。貴女様との再会、嬉しくないはずがございましょうか?》」
「なるほど? それはよかった。見送りも出来なかったからね、家を追い出して嫌われてしまったかと思ったよ」
「《その節は、きちんとご挨拶もせず失礼いたしました。お帰りが何時になるか、定かではなかったもので……》」
互いに友好的なセリフを口にしつつも、言っていることは『まんまと逃げやがって』と、『捕まらなくてよかったー』である。
かつての伯爵邸にて、ハルがその家の権利を手にした瞬間イベントの発生条件を満たし、その場に居た一同はカゲツの神界へと転移してしまった。
その際にファリア伯爵は、無人となったのをこれ幸いと悠々と家から脱出し行方を完全にくらましたのだ。
「あれから元気にしていたかな? 出来ればまた、食事でもしながら話したいところだけど」
「《それは、少々難しゅうございますね……、今の私は、かつてのように貴女様をもてなすだけの準備が整えられませぬ……》」
「気にしなくて構わないよ。どうせ、僕の舌は味音痴だ。高級品など用意する必要はないさ」
「《どうか、そのようなご謙遜をなさいますな。存じておりますよ? 貴女様はカゲツの神に認められたお方だ。それは、天上の美食に通じている事に他ならない!》」
「……本当に耳が早いというか事情通というか。何者だよ君」
あの場に居合わせたとはいえ、本来NPCには認識できないはずのプレイヤー用のイベント内容までも理解している。
どんな情報網で仕入れたのか、ハルが隠し職にあたる<天人>となる資格を得たことも伯爵は理解しているようだった。
まあ、<飛行>について知っているならば、先ほど見せたのでそれかも知れないが。
とはいえその知識がある時点で、まず普通ではないのは確実なのだった。
「まあいいさ。別に僕も、今は無理に君を追おうとも捕らえようとも思わない。だが今は、その広い知識を借りたくてね」
「《あまり持ち上げられては、むずかゆいですね……》」
「そうかい? 事実、君の知識量は僕を凌駕しているじゃないか」
「《そうとも限りますまい。事実、貴女様は私が開けぬこの遺跡の扉を、いとも簡単に探し当て、開いてみせました……》」
「開けただけさ。此処が何なのか、まるで理解もしてないよ」
互いに互いを褒めあうハルとファリア伯爵だが、この茶番もまるきり無意味な雑談ではない。
つまりは、互いに相手の欲しいものを、自分が持っている状態だ。取引が成立する余地が、そこにはある。
「……ねえ伯爵? この遺跡、いやこの国の遺跡群はいったい何なんだい? 事と次第によっては、協力してあげられるかもよ?」
「《それは、実に願ってもないご提案……、しかし、困りましたね……》」
「僕が協力する保証がないかな?」
「《いえいえ滅相もございません。ただ、ローズ<公爵>閣下を私の勝手で雑事に巻き込んで良いのかと……》」
協力する保証が無いどころか、内容によってはハルは敵に回る。計画を邪魔され台無しにされてしまう恐れがあるのだ。
伯爵としては、おいそれとハルに情報を渡すのは躊躇われるだろう。
「必要ならば、<契約書>を書いても構わないよ? 君の邪魔はしないとね」
「《それはなんとも破格の条件。しかしながら、協力するか否かを貴女様がお決めになるのは、私が情報を提供した後、ということになりましょう……?》」
「まあ、それはもちろん。僕の不利益になることに、加担する訳にはいかないからね」
「《それはいけません。話の内容によっては、ただ私の『話し損』になってしまう事になりかねません》」
そう、伯爵にとっては、話の内容をハルが気に入らなければ、ただ自分の企みを知られてしまうだけになりかねない。
非常に分の悪い賭けだ。もちろんハルはする気はないが、話の内容如何に関わらず、最初から協力する気のない相手も居るだろう。
しかし、そんな分の悪い取引であっても、伯爵は若干この話を飲まざるを得ない状況に追い込まれている。
「だが良いのかい伯爵? 話さないことを君が選択した時点で、僕はそれを敵対行動とみなす。100%黒判定だ。白にしてもらえる可能性が少しでもあるなら、乗った方がいいのでは?」
「《…………》」
そう、ハルは現在、対伯爵において戦略的に非常に優位な立場に居る。上からの立場で、交渉を持ち掛けられるのだ。
まず、伯爵の目的までは知らないまでも、その手段が『遺跡へ魔力を供給する事』と分かっている。
そして、その計画を阻止する為に、魔力を使わずに手駒の機工兵を殲滅できることを実演して見せた。
更にハルが情報を持っていないはずの遺跡の位置も、その機工兵の気配頼りに芋づる式に発見できてしまうことも。
これは伯爵にとって致命的だ。彼のやっている事はリコリスへの不法な軍事力の配備であり、逆にハルには大義名分がある。
リコリス側のガルマからの後押しによって、ある程度国内を自由に動くことが出来るのだ。
「いやはや困った。伯爵のやっている事が不明瞭なままでは、僕は友人の領主に『有事である』と報告せざるを得なくなる」
「《それはなんとも、私の浅慮にてご心労をお掛けしてしまっていること、お詫びの言葉もありませんね……》」
「うん、大丈夫。知ってることを話してくれれば、僕の心労はきれいさっぱり消えてなくなるからね」
《メチャクチャだよ(笑)》
《このお嬢様、言いたい放題である》
《圧迫面接すぎる……》
《『教えろ、さもないと武力で台無しにするぞ?』》
《言ってること外道すぎん!?》
《大丈夫、国家権力が背後に居るから》
《余計に悪い(笑)》
《まあ、伯爵様は悪人確定してるからね》
《透明なロボット兵を抑えられた時点で勝負はついた》
《本来なら、死ぬほど厄介なはずだもんなぁ》
《ローズ様じゃなかったら手の打ちようがないよ》
《せっかく作った機工兵が人質に!》
そう、本来ハルは伯爵と対等な取引をする為の情報を一切有していないのだが、彼に強烈なマイナスを押し付けることで、それをゼロにする手札を生み出していた。
外道のやりくちである。どちらが悪役か、分からないのである。
ただ、場合によっては協力するというのは嘘ではない。
ハルが欲しいのは<勇者>に関する情報のみ。それ以外の部分では、伯爵がこの地で行う活動を補佐してやってもいい。
その為にまず、協力可能な内容か否か、情報を得ないことには始まらないのであった。
*
「さてソロモンくん、出番だよ」
「フッ……、ようやくか……」
伯爵との脅迫を終えてハルは一旦、仲間の待つ飛空艇へと戻ってきた。
結局彼はハルの出した条件を飲み、自身の計画の全容についてをハルに語ることを約束した。
これから、あの浮遊装置の案内によりファリア伯爵本人の元に訪れる手筈となっている。
しかし当然、ハルが情報を聞くだけ聞いて踏み倒し可能な条件を飲んだ訳ではない。
伯爵から情報提供をする際の追加条件が提示され、ハルはそれを許諾したのだった。その内容を、これから<契約書>に記していく。
「それで? どんな内容で書いていく? どうせ実際はローズに有利なルールで纏めるんだろう?」
「いや、そうした小細工を見逃す伯爵じゃない。ここはフェアに行こう」
「……まず、この取引そのものが脅迫でありフェアでもなんでもないがな」
「失礼な。詐欺まがいなことしてるソロモンくんに言われたくはないね」
かつての仲間であるファリア伯爵を憐れんでか、ソロモンが大げさにその綺麗な顔を曇らせる。
だが、ここで同情してはならない。彼らの整った顔や落ち着いた態度に惑わされがちだが、二人とも紫水晶に関わる事件で暗躍した、組織の構成員だった者だ。
「まあいいか。まずは、僕からの伯爵と機工兵に対する『攻撃禁止』だね」
「……本当に構わないのか? 今更だが、デメリットが大きすぎやしないかローズ?」
「こうでもしないと、彼から情報を引き出せなかっただろうしね。『攻撃しないでくださいお願いします』と伯爵に言わせる為に、僕は力を見せたんだから」
「結果、奴がお前の敵だった場合は?」
「その時は、『僕以外』に攻撃してもらう。それは封じないようにしてねソロモンくん」
「大丈夫だ。そもそも、<契約書>で本人以外の行動は縛れない」
「そうだったね」
正確に言えば、『攻撃禁止』などという条件も<契約書>では設定できない。プレイヤーの人権、行動の自由を侵害するからだ。
なので書面に記される内容としては、攻撃してしまった際にステータスがゼロになりダメージが極小に抑えられるような処置。更にあらゆる攻撃スキルのキャンセル。そのようになっていた。
「更には、『情報の拡散禁止』か。ローズ、これは、飲む必要があったのか?」
「まあ、多少求めすぎではある。僕が少々強気に出れば、この条件は否定ないし緩和できたはずだ」
「少々……」
「なにかなソロモンくん?」
「いや……」
少しだけおどかしてやるだけである。立場を少し、分からせてやるだけなのである。
まあ、冗談はともかく、この条件は確かに少し求めすぎだ。これを飲んでしまえば、ハルはせっかく伯爵から得た情報を誰とも共有できない。
仲間に指示して潰しに行かせることも、ハルの利益の為に協力を仰ぐこともままならない。
ただ、伯爵も必死だ。己の計画が広く明るみに出れば、それは気が気ではなくなるだろう。
非常に落ち着いた大人の彼からは、そんな姿はあまり想像できないが。
「これはさ、実を言うと<契約書>のテストも兼ねてるんだ。この条件を課した時に、どんな風になるのか見ておきたい」
「……また妙なことを考えているな? 別に、大層なことは起こらないぞ? 発言はその場でキャンセルされ、文字による書き込みも即座に『運営削除』されるだけだ」
ゲームとはいえ、禁止事項はそれなりにきちんと設定されている。
不適切な発言、不適切な書き込みを制限するシステムとして、それらを抑制する機能が元々備わっていた。
ソロモンの<契約書>はそのシステムを間借りし、『発言禁止』系の縛りを課すことが可能となっていた。
ハルはある目的の為に、その機能について少し試してみたいのだった。
※誤字修正を行いました。「再開」複数→「再会」。凡ミス失礼しました!




