第83話 君の目に映る、星を見る
「二十点ね」
「手厳しいね、濡れ場担当のルナさん」
「……それは何のことなのかしら?」
「映画の話」
記憶から映画を再現しようとすると、配役がそういうことになると説明する。
「そう……、喜んでいいのかしら、これは。ハルはいつも、私をそういう目で見ているの?」
「ルナ、自分を省みよう。こっちに来ると、ルナのお淑やか度は半減、えっち度は倍増している」
「……そうかもしれないわね。少しハメを外しすぎていたかしら?」
「それよりお色気担当が私なのが納得いかないんだけど? そこもルナちーでよくない?」
「女優スタイルですもの、ユキは。映えると思うわよ私も」
「うー……、恥ずかしいなぁ、なんかなぁ……」
アイリとの読書会が終わると、いつの間にか戻って来ていたルナとユキに連行されてしまった。
ハルとアイリが良い雰囲気になっていたので、進展はあったのかと問い詰められる。内容をかいつまんで話すと、評価はあまりよろしくなかった。
「そこは風で熱を引かせたりせずに、一緒に着替えるか、一緒に水浴びか、一緒にお風呂でしょう?」
「ルナ、開き直ってるね」
「お黙りなさい。いつまで健全なお付き合いをしているつもりなの」
「てか、しっかり付き合ってもいないよねー」
昨日お説教したというのに、まるで効果が出ていない、とルナさんはお嘆きであった。
ハル自身も、逃げ腰になっているのは理解しているが、そうそう簡単に割り切れないというものだ。そこも理解して欲しい。
いや、理解はしてくれているからこそ、ルナはあえて口をすっぱくして言ってくれているのだろうけれど。
「ハルの気持ちも分かるわ。けれど、ハルのペースに任せていれば、また先延ばしにしてしまうでしょう?」
「またイベントがあったり、この国に動きがあったりしたら、ハル君そっち優先にして逃げちゃいそうだよね」
「だから二人が結ばれるまで、私はリアルの作業を進展させない事にしたわ」
「ハル君はその間、ルナちーに監禁されている事になります」
「リアルを人質にされた!」
「……流石に監禁は、しないわ?」
恐らくそれは、作業を進展させないというのは、嘘だ。普段よりも肉体の制御に多くの領域を回しているハルでも、そのくらいは読み取れる。彼女のあまり動かない表情が、そう語っていた。
きっとルナは作業の全てを、既に終わらせてくれている。その上で、ハルが逃げないようにこう言ってくれているのだ。
ルナとユキに、そして何よりアイリにも、申し訳ない気持ちがわいてくる。
「カナリー、居るかしら?」
「居ますよー」
「ハルとアイリちゃんを、進展するまで個室に閉じ込める事は出来て?」
「出来ますよー。マイルームに二人を飛ばしてー、転移機能をロックしてしまえばいけそうですー」
「物騒だね!?」
「……少し弱いわね。ハルならそこから<転移>のスキルに覚醒して戻って来そうだわ」
「ありそうだね。これだからハル君はやっかいだ」
「結ばれるまで魔法禁止の誓約を結ばせるのはどうかしら?」
「いいですねー」
「キミたちは本人を前にして……」
人をなんだと思っているのか。流石にそこまで意図が明白な状況に置かれたら、ハルも覚悟を決める、と思う。たぶん。<転移>の習得を目指したりはしないだろう。
ただし口には出さない。出せば彼女らの事だ、本当に実行に移しかねない。
「私としても、このまま状況が進展しないのは困りますしねー。ハルさんがあまり話してくれないですからー」
「カナリーちゃんとお話すると、どうしても君から答えを聞きたい気分になっちゃうからね」
「……そろそろアイリちゃんが着替えから戻ってくるわね。何にせよハル、常に次に繋げるように意識なさい? 星の話が出たなら、今夜ふたりで星を見よう、と誘うくらいはしなさいな」
「ん、頑張ってみるよ」
ひどく積極的なルナと、現状を楽しんでいるユキが離れて行くと、入れ違いになるようにアイリが着替えから戻ってくる。
大胆に肩を出した、彼女の涼しげな格好に目を奪われていると。とてとてと、またすぐにハルの横に並んでくる。
ハルが何かやる気にならずとも、このアイリの積極性に任せているだけでも自動的に進んでいくのではないか。そのような気がしてくる。
ハルのその考えを肯定するかのように、星を見よう、とアイリから誘われたのはその後すぐのことだった。
*
夕方になってくると、昼の暑さは大部分が風に流されてやわらいで行く。
カナリーが管理しているのだろうか、常に爽やかな風が吹くこの神域。火照った体を冷ましていくそれが心地良い。
使徒としての体の時には、まだ薄かったその感覚。温度の変化の体感も、今この体であればはっきりと感じられる。
もしかしたら、生まれて初めてなのかもしれない。向こうの世界であっても、無意識のうちにナノマシンによって体温を制御しているのが当たり前になっていた。
その昼夜の温度変化を考慮し、紳士的な気遣いで用意したアイリのための上着はメイドさんに没収されてしまった。
非常に自然でさりげなく、また容赦ない動作であった。『寒くなったら貴方の体で暖めるのですよ』、とその瞳は語っていた。
全員がグルである。この屋敷。
「ハルさん! そろそろ行きましょうか!」
「まだ日が落ちきっていないけど?」
「いいんです! 星の出始めから見ましょう!」
そう言うと元気良くハルの手を引いて出発する。ハルの手を取るのにも、随分と慣れた様子だ。ためらいがちだった最初の頃を思い出し、口元に笑みが浮かぶのを自覚する。
もう片方の手に、メイドさんから持たされたバスケットを握りしめて、ふたりは夕方のピクニックへと出発していく。
いつかふたりで行った小高い丘へ、今日もまたそこへ行くようだ。
川の音を近く聞きながら歩いてゆく。ハルが耳に心地良いその音に、夏の訪れを思い描いていると、急にアイリから手を強く引かれる。
「飛んで行っちゃいましょう!」
「そんなに遠くでもないのに?」
「はい! 待ちきれませんから!」
「なら仕方ないね」
行っても、する事は待つ事だけだというのに、それが待ちきれないと彼女は言う。
その事が何だかおかしかったが、ハルとて似た気持ちだ。二人で目的地まで手を繋いで、のんびりと歩むのも良いものだが、今日はその日ではない。
今日は、星を見る日。早く行かなければ目当ての星が出切ってしまう、とでも言いたげなアイリに引き上げられるように、ハルも空へ浮き上がる。
ハルが飛ぶと、指定席とばかりにアイリはその腕の中へと収まる。
ハルの胸へと顔をうずめると、ぎゅっ、と密着して目を閉じている。
「今日は、ハルさんの心臓の音が聞こえます」
「……そうだね。やっと、聞かせてあげられたかな」
「はい。安心します」
<飛行>の速度は、すぐに二人を丘の上へと運んできてしまう。
アイリは名残惜しそうにハルの胸から顔を離すと、更に名残惜しそうにハルの腕の中から体を降ろす。
「……もっとゆっくりと来ればよかったですね」
「わがままなお姫様だこと」
「人生はままならない事ばかりです!」
「本当だね」
良かれと思ってやったことが裏目に出る。その連続だ。
だがそれも、こんな些細な幸せを見つけられたなら構わないだろう。贅沢なままならなさだ。
バスケットの中から敷物を取り出すと、地面へと広げる。レジャーシートと呼ぶには豪華なそれに、二人で腰を下ろした。
空を見上げれば、日は山の先へと沈む頃。夜を照らす灯りの少ないこの世界、既にちらほらと星の光が二人の目に届いていた。
「一番星には遅かったですね」
「やっぱりもっと早く来れば良かった?」
「えへへ……」
「どれが一番星だろう」
「あれです!」
そうして視界一杯に広がるこの空を、アイリに案内してもらう。
日が落ちるにつれ、その地図は加速度的に埋まってゆく。すぐに満天の星空が姿を現した。
当然ながら、地球から見える星空とはまるで別物だ。
それは単に、見える数が違うというだけの話ではない。星座がまるで異なっている。それは、ここが別の世界だと主張しているようだった。
どうやらこの国の文化に、星座のような物は無いようだ。きっと、最初から天文学の知識を与えられていたために、星座の成立する機会を失ってしまったのだろう。
「星座というのはどんな物なのですか?」
「星と星を繋ぎ合わせて、どんな形に見える、って奴だね」
「あの辺りがシュークリームに見えると、わたくし以前から思っていたのでした!」
「ならあれは、シュークリーム座だね。……まるで雲みたいな事言うねアイリは」
「確かに、雲もたまにシュークリームに見えますね!」
食いしん坊なお姫様であった。
だがお屋敷のシュークリームはとても美味しい。その気持ちはハルにも分かる気がした。
◇
そんな事を話していたらおなかが空いてしまう。今日はまだ夕食を頂いていなかった。長くなった日もすっかり落ちて、もう良い時間になっている。
メイドさんにバスケットに詰めてもらった、二人の好きなサンドイッチ。それを小さなランプの灯りで照らしながら頂く。
「ピクニックデートに、来れましたね」
「ちょっと暗い気もするけどね」
「ですね、えへへ」
「楽しい?」
「はい! とっても」
ならば良かった。こんな事でよければ、いくらでも付き合おう。
今度はちゃんと、明るいうちに来るのも良いだろう。この先暑くなるだろうから、その前に計画した方が良いだろうか。
この世界、六月の気候は日本とほとんど同じ様子だが、梅雨のような物は無く、晴れは多いようだ。出かけるには不便はしないだろう。カナリーも、流石に天候までは制御し切れなかったか。
そんな事をハルが考えていると、アイリから不安そうに声がかかる。
「ハルさん、その、ハルさんは楽しいですか? わたくしとお出かけするのは」
「うん? 楽しいよ。アイリと一緒に居るのはいつでも。どうしたの?」
「わたくし、あまり気の利いた所にお誘い出来ていませんし。ハルさんは、王女としてのわたくしをお望みなのではないかなー、と」
「うぐっ、……それも読まれてたの?」
「はい、何となく、そのような気持ちが流れてきたような」
確かにハルは王女様のような高貴な女の子を好む傾向がある。それを読み取られていたとなると、なんとも恥ずかしい。フィルターの設定は出来ないのだろうか?
しかし、そんな事まで分かってしまうとなると、何かの拍子にアイリと心が繋がってしまったのは確実と見ていいだろう。これも随分と謎な現象だ。謎が多い。
「確かにきっかけはそうだったかも知れないけどね。今は、そんなこと関係なくアイリが好きだよ。アイリはそんな事気にしなくていいんだ」
「実態は田舎娘で、デートが野原でも、いいのですか?」
「どこに居たって、アイリは王女様だよ」
実際は、別にもう王女様である必要も無い。きっかけはきっかけだ。今は重要な事ではない。
そんな気持ちも伝わったのか、ほっとした様子でサンドイッチにかじりつくアイリ。小動物的なかわいさが二割増しになった。
「もっと煌びやかな場所がお望みなのかと、わたくし心配しちゃいました」
「煌びやかでも良いけど、人が多いと苦手かなあ」
「ルナさんとは、デートする時はどうしているのですか?」
「……そのルナは、デート中は他人の話をするなと」
「わたくしだから良いのです!」
どうやらデート観も女の子によって色々のようだった。少し賢くなった気がする。
ルナと一緒の時は、街に出る事が多いだろうか。これは好みの問題というよりも環境の問題だ。
近くに街があるから、そこに行く。この辺りには街は無いから、自然を感じに行く、それと変わらない。何処に行くかよりも、一緒に居る事が重要だ。
こう口にすると、何とも主体性の無い事だと、自分でも思うハルである。
「あとは、一緒にゲームをする事が多いかな」
「ハルさんらしいです! ……それがハルさんの主体性なのでは?」
「……なんか、自分が凄くつまらない奴に見えてきた」
「面白い必要なんてありませんよ!」
ハルもそう思う。相手に面白さを提供してもらう必要性は特に感じない。
ふたりで居て、楽しければそれでいい。
意見の一致を得た二人は、安心して残りのサンドイッチを片付けていった。
◇
さて、ルナの話が出て、彼女に言われた事を思い出す。
ハルはまた、穏やかに時を過ごしている。穏やかさとは、つまり現状維持だ。ルナの、ひいてはアイリの求めるデートとは程遠い。
何かしら行動しなければならないのだろう。
──しかし、何を? ここで急に口説きにかかったり、抱きしめたりするのだろうか?
それも少し変だろう。いや、心の中のルナがその意見に勢い良くゴーサインを出した気がするが、見ないふりをする。
考えあぐねて、星を見上げるアイリの顔を見つめる。瞳の中に星が入り込んで、美しく輝いていた。
視線に気づくと、アイリもハルを見つめてはにかむ。
その様子にまた流されそうになっているハルだ。この繰り返しではいけないのだろう。
「ハルさん?」
「ん、どうしたの?」
「その、ハルさん。焦っているのですね!」
「……参ったね、何でもお見通しなんだ」
「えへへ、わたくしも最近のコレ、ちょっとズルいと思うのですが。でもでも、ハルさんも似たようなものですものね!」
「うん、使える力は使っていいと思うよ」
ハルのその考えは、アイリにまた読み取られてしまったようだ。苦笑するしかないが、切り出す手間が省けたとも言える。
ハルがそう意を決して口を開こうとすると、その口をアイリのちいさな指がそっと塞いだ。
やわらかな感触が唇に触れる。その事にどきりとする。アイリ自身も、ハルの唇に触れてしまった事に急速に顔を赤くしていっている。
お互いに、辺りが暗くて助かったと思っているだろう。
「その、ハルさんがわたくしの為に、答えを出そうとしてくれているのは分かります。でも、今はまだ良いのです」
「でも、そうしたら僕はまた、このまま先延ばしにすると思う。それはきっと、ルナの言う通りだ」
「それでも、今は良いのです。ハルさんが帰れるようになったら、その時は、また必ずわたくしから聞きますから」
そうして、ハルが答えられずにいると、アイリはそのまま言葉をつむぐ。
ゆっくりと、言い聞かせるように。
「今、ハルさんが帰れない状況で聞いてしまったら、それはわたくしが、貴方をこの世界に閉じ込めてしまう事になってしまいそうです」
きっとハルは、帰る事を止めてしまうだろうと。
「だからハルさんが帰れるようになったらその時は、その時こそ、わたくしと此処に居る事を選んでください。だから今は、このままで良いのです」
「その時になったら?」
「その時は! 覚悟してもらいます!」
そうして満面の笑みで微笑む彼女。
何とも、ハルにとって都合の良い話だ。どうして自分からそれを選べるのだろう。ハルをこのまま、この世界へ閉じ込めて、自分の物にしてしまう事だって出来るのに。
ハルはどうだろうか。同じ選択肢を選ぶ事が出来るだろうか。その自信は、ハルには無い。
「で、でしゅが! 一つだけお願いが!」
「いいよ。何でも言って」
「……えと、その、……キスを、してもいいですか?」
「うん」
そうして満天の星に照らされながら、ふたりの影はひとつになった。




