第826話 確たるものとなる世界
《おちびたち。何か、試合を見ていて気になったことはある?》
ハルは地上の様子を眺めながら、<隠密>し姿を消している白銀たち三人娘に所感を尋ねる。
この武術大会の勝者が誰になるかの予想、ではない。そこは正直、誰が勝とうがハルたちにとっては大きな問題にはならないだろう。
聞いているのはもちろん、この地に流れるデータの動きに対してだ。こればかりは、現地に身を置いていなければ確認のできないことだ。
《データ量が多すぎるです。この量は正直、異常と言って構わんです》
《そうですね。おねーちゃんの言う通り、これは平均値を逸脱しています。大規模イベントなので当然、ではありますが》
《……バグ空間、出るにゃー》
メタがぽつりと呟いた発言に、白銀と空木の二人も無言で同意する。
バグ空間。かつてハルたちが発生条件を特定するため調査を重ねていた『舞台裏』への入口。
神様たちに直接接触できると知れた後は、そちらがメインとなっていったが、未だにハルたちの気がかりの一つである。
《確かにです。この密度のデータがぽこぽこ発生しているですから、何処かで空間の裂け目が現れてもおかしくねーです》
《はい、おねーちゃん。すでにこの場のデータ量は、かつてクリスタの街で起こったモンスターの暴走の時を超えています》
《……でも開かない、にゃー》
おさらいしておこう。バグ空間、謎の空間の裂け目が現れる条件は以下の通りだ。
ひとつ、一度に大量のデータが発生すること。例えばモンスターの大群が急に発生するようなイベントが起こったりして、周囲の空間に負荷が掛かる。
ふたつ、そのデータが発生した空間が“あやふやで”あること。このゲーム、プレイヤーの目の届かない位置にあるマップデータは定義が曖昧だ。そこで大きな負荷が発生すると空間が裂ける。
今回は、一つ目の条件を十分に満たしておれども、二つ目の条件が未達成だった。
故に、莫大なデータが渦巻く地表においても、当時のようにバグ空間が現れはしない。
「……世界が開拓されきって、人の目が行き渡りすぎたか」
「ハルお姉さま? どうなさったのですか?」
「いいや、大したことじゃないよアイリ。あれだけモンスターが出たんだ、例のバグ空間も出そうなのになって思ってね」
「それは、大したことなのです!」
「そうだったね。すまないアイリ」
まあ、そうかも知れない。とはいえこんな大会中に出られても、選手たちが混乱するだけだ。
運営、特にリコリスとしては、そんな条件を満たさないように注意くらいはするだろう。
「……そういえば、最近は話を聞かないわね? もう有志の探索も、下火になってしまったのかしら?」
「単に、条件を満たせる土地がこの世界にはなくなってきたことが大きいんだと思う」
「それが、さっきハルちゃんが言ってたヤツか。『世界が開拓されきった』って」
「そういうことだよユキ」
ハルのぼやきに、女の子たちが隣へ集まって来る。彼女らにとっても、興味を引かれる話題のようだ。
この世界の空間は、プレイヤーがその地を訪れることで定義される。
逆に、人間の見ていない時はその定義はあやふやな状態だ。きっとリソースの節約の為に、そうして処理すべきデータを減らしているのだろう。
しかし、このゲームにも人が増え、そして攻略も進んで行った。
更には進行も後半戦に入り、既に人の手の入っていない地はほとんど存在しない。
そうやって世界全体が確たる強度をもって定義されたともいえる今、あの時のような、空間に亀裂が入るような不具合は起こり得ないのかも知れなかった。
《それにしても、おかしーです。別に、今だって等間隔にプレイヤーが配置されてる訳ではないです》
《そうですねおねーちゃん。『死角』は確実にあるでしょうけど。今はそれを感じさせません。はっきりと彼方まで、見通せるようです》
《……処理能力、増えたにゃー》
エーテルネットの仕様上、接続する日本人の数が増えれば増えるほど処理能力は上がる。ゲームの認知度が上がり切って、文字通りの『頭数』が増大した。
彼ら参加者の脳は無意識にこの世界を構成する為の処理を肩代わりし、マップはいちいち省エネで『消灯』をする必要がなくなったということか。
加えて、プレイヤーが発生させる魔力はこの魔力空間そのものの容量をも増大させ、その事実は世界を更に確固たるものとする。
《とはいえ、気になる。直感は大事にしないと。ねえメタちゃん?》
《……にゃっ!》
今このリコリスの国には、大会参加、または観戦のため、各国からプレイヤー達が一同に会している。
それ故この国全体の空間強度が盤石に定義されているというのも納得できる話だ。
しかし、だからといって白銀たちの観測したデータ量の異常さというものも見過ごせない。
人が集まり過ぎたことによって、何かしらの新たな現象が発生しないとも限らない。
そうすると逆に、人の減った他五ヵ国の様子も気になってくる。この地の定義が強化されたということは、逆説的に他の国は今、定義が曖昧になっているのではないだろうか?
《どうしましょうマスター。この機にやはり、調査を敢行すべきではないでしょうか?》
《空木の言うとーりです! のんびりと、お空から観光している場合じゃねーですよ!》
《……公務、にゃー》
《……そうだねメタちゃん。気になったからといって、僕がここで飛空艇から飛び降りる訳にはいかない》
《ならば<飛行>で飛んで行くです! こんな時の為の<飛行>です。飛び降りてないから、セーフです!》
《おねーちゃん。そんな訳ありませんって。トンチじゃないんですから……》
《……ふにゃっふ♪》
ここでハルが勝手をすれば、今回の招待主であるガルマに迷惑が掛かるだろう。ひいてはアイリスの大物<貴族>としての、己のロールプレイにも支障が出る。
《だったらやっぱり、ここは白銀たちにお任せです》
《そうですね。空木たちはこの場に居ないはずの存在。唯一、自由に動くことが出来ます》
《それが良さそうだね。頼めるかな、おちびたち?》
《……にゃん!》《はいです!》《お任せください》
揃って元気に返事をしたかと思えば、すぐさま三人は姿も音もなく、飛空艇から地表に向けて降り去った。
その姿を認識しているのは、この場においてはハルたちと、<忍者>であるソロモンのみであった。
*
「……ローズ、何か厄介ごとか?」
「まだ分からない。これからそれを調べるところさ」
「フッ……、何時でもオレを使うといい……」
「必死か。出番が欲しくて必死なのか。とはいえあまり君に頼ると、また悪だくみしそうで嫌なんだよなあ」
同じ潜伏スキルを使える者同士の感覚で、何となく三人組の存在を察知していたソロモン。
何か事態が動いたことを察した彼が、この機に乗じよとばかりにハルへと協力を持ち掛けてくる。
確かに彼のスキル<契約書>は、使いようによっては唯一無二の効果を発揮するが、あまり調子に乗らせてまた力を付けさせると、その力で今度は何を企むか分かったものではない。
「それより、二回戦の『チケット』の売り上げはどうなってるの? 僕の役に立ちたいというなら、そこで稼いで『上納金』を上げてくれないと」
「なかなか好調だ。オレのステータスを見れば分かるだろう」
「確かに。ずいぶんと回復しちゃってまあ」
一度ハルに敗北してゼロまで落とされたソロモンのステータスだが、今回の武術大会を使った『ステータス賭博』によって勢いよく回復を見せていた。
ハルもまたその半分を、<契約書>を許可する対価として受け取っており、何もせずとも自動で強化を受けていた。まさに不労所得である。いいご身分である。
「とはいえ、<契約書>を使うとは言ってもね。どう使ったものやら」
「あら? 簡単よハル? 何か探し物をしているのでしょう? ならばあなたの莫大なそのステータスを使って、他のプレイヤーを自由に動かせばいいわ?」
「なるほど! 行動を自由に操れる、<契約書>ならではなのです!」
他者からステータスを巻き上げるだけではなく、逆に支払うことで他者を動かせとルナは語る。
確かに、ある種システムを逸脱して、プレイヤーに行動制限を掛けられる<契約書>はこういった事態には有効だ。
もしも探索の結果、何か全体に知らされたくない事実が発覚したとしても、かつてソロモンがやったように言動さえも縛ることのできる強制力がある。
「そういうことらしいけど、出来る? ソロモン?」
「フッ……、誰に言っている、当然だ……」
「なるほど、頼もしいね」
「ただしその場合、今度はオレがお前から手数料を貰うことになるぞ、ローズ」
「なるほど、商魂たくましいね」
ハルの都合で動く以上、見返りがなければスキルは使わないと取引を持ち掛けるソロモンだ。
こうして少しずつ、かつての力を取り戻し、いや更に上を目指そうという野望があるのだろう。
危険ではあるのだが、しかし危険を避けようと死蔵しつづけてもまた仲間にした意味はない。
ハルは、そんな彼の提案も真剣に候補の一つに組み込むことを考えるのだった。
※誤字修正を行いました。(2023/4/13)




