第82話 宙の君に、思いを馳せて
転移、転送という概念は古くから人類の夢だった。超高速輸送、その究極。
個人で見ても、好きな時に好きな場所に旅行へ行けるというロマン。
ただし、ハルたち地球人の技術では、現代においても夢物語だ。
一応、最近ではわずかながらの進展を見せてはいる。
この情報制御に特化したエーテル化時代において、人間そのものをデータ化して遠方へ送信するという発想が現実味をおびてきた。
ハルが先日語ったように、分子レベルで分解して再構築するのとも違う。
例えるならば、この世界の<魔力化>と<物質化>に近い。始点で人間を<魔力化>し、終点で<物質化>して元に戻す。
ただし、それも『理論的には可能』という程度であり、一般の人々からは眉唾ものとして扱われている。
「使うエネルギーが膨大すぎて現実的じゃないんだってさ。ワームホールみたいな超空間が存在すればなんとか、らしいけど」
「それはどんな物なのでしょう?」
「神殿みたいなものかな? だから、超空間があるなら、空間そのものを繋げちゃった方が良いよね無駄だよね? って言われてる」
「確かに神殿で転移させていただけるなら、複雑な手順を踏む必要はありませんね」
──……説明、これで合っているのだろうか。ネットと通じていないと裏づけが取れないから不安だ。いかに普段から検索しながら話してたか実感するな。
特殊な学園に通っていた事が、多少は功を奏しているのだろう。これでも普通よりは多少マシなはずだ。
学園の授業は常にオフライン、ネットから遮断されて行われている。
ルナの凄さが分かるというものだ。こんな環境の中で、広く様々な知識をすらすらと披露する彼女の姿が思い起こされる。
「……なんとなく分かった?」
「わかりません!」
「はは、そうだよねぇ」
「えへへへへ」
今はアイリに、転移についてハルの知っている事を説明中だ。
とはいえ、知っている事はそう多くない。実際に転移の魔法があるこの世界の方が、それに関しては進んでいるだろう。
「こっちでは、転移はどこかで使われているの?」
「いえ、少なくともわたくしは、そういった話は聞いた事がありません」
「まあ、そうだよね」
「最近はカナリー様がよく神界に送ってくださいますが、本来はそう気軽に体験できるものではないはずですね」
「神様専用の魔法ってことか」
プレイヤーが日常的にばしばし転移している事を考えると、随分と贅沢な話だ。
ある意味で、この二つの世界に世界において、最も転移に慣れ親しんでいるのはプレイヤー、ゲーマーという人種なのかも知れなかった。
◇
さて、どうしてこのような話をしているのかといえば、ハルのこの体に、<物質化>の魔法に、疑問点が出てきたためだ。
いや、疑問点、ではなく、ほぼ否定されたと言った方が良いだろう。
夜中の間、黒曜と共に、実験時のログを漁っていると、この体が作られた瞬間に実は、<物質化>のスキルが発動していなかった事に気づく。
何らかの魔法が発動したのは確かだった。そのため、問題なく<物質化>が起動したのだとハルは思い込んでいた。
だが、そうでは無いのならば発動した魔法は何なのか。
向こうの世界のハルが消えている事から考えて、転移の魔法なのではないか、という仮説であった。
朝食と共に行われたその報告に、アイリは非常に興味を示した。
そうして始まった転送技術についての講義というわけだ。情報技術についての基礎知識の無いこの世界では、いささか伝わり難い内容だったとハルも反省している。
……昨日の夜、ルナに言われた事を誤魔化す口実になってしまっているのは、自覚しているハルだ。
だが、それを意識してしまうと、まともにアイリと話も出来そうにない。一方で、安堵している部分もあるのだった。
「でもそれは、ハルさんの世界まで魔法が届いたという事なのでしょうか?」
「……それなんだよね。そこだけが腑に落ちない」
「ハルさんの魔法は強力ですから! きっと世界を超えて届きますよ!」
「ありがとうアイリ。でも、もうちょっと理屈で考えたいところだね」
無理やりこじつけるとしたら、ハルの意識の一部が向こうの世界でも起きていた事で、二つの世界が繋がった、とか。そのような感じだろうか。
「でも大前提として、魔法を使うには魔力が要るんだよね」
「ハルさんの世界には、無いのでしたね」
「うん、同じ名前の、全く違う存在が大気を満たしてるよ」
「それが人と人とを繋いでいるのですよね? どんな物なのでしょうー……」
己の知らぬ世界の、己の知らない技術に思いを馳せるアイリ。その姿を見て、気づく事があった。
当たり前と言えば、当たり前の話だ。
「そういえば、この世界には無いんだ、ナノマシンが」
「どうなさったのですか?」
「……以前、考えていた事があったんだ。この世界について。その、君と、結ばれる為にさ」
「まあ」
お互い、顔が赤らむのを自覚するが、そのまま話を続ける。言葉を止めてしまったら、もう再び喋り出す事はかなわなくなりそうだ。
肉体そのものが来ている上に、ナノマシンの補助が無い。照れが表面化する、その濃度は今までの比ではなかった。
「アイリの世界が僕の世界から見て、どんな存在にあたるのか、その仮説が一つ否定された」
「どういった物なのでしょう?」
「地球から、僕らの星から見て、遠い遠い宙の向こうの星。そこからエーテルを介して、繋がっている。その可能性」
「素敵なお話ですねー……」
「否定しちゃったけどね」
「えへへ」
あの奇妙な空間で、あの名前も知らない神には、確かこう言われた。『生身の体ではないから、ナノマシンに気づかないのかも知れない』と。
だが、今こうして生身の体を持ってここへ来ている。
ナノマシンは、ここには存在しない。それがはっきりと分かった。
「あ、でもでも! カナリー様の凄い力で、転移のような力で、わたくし達の星を繋いでいるのかもしれません!」
「確かにね。そうかも」
「はい! それなら、その素敵な可能性もまだ消えませんよ!」
「気に入ったのかな、アイリはこの話」
「とっても! 出会うはずの無い遠い星の二人が、こうして出会う事ができたのですー……」
「確かに、素敵な話だね」
そう聞くとロマンチックな展開だ。
ハルとしては、宇宙の話となると別のロマンを感じるタイプだ。これは男子だからだろうか。それともハルにロナンチック成分が不足しているのか。
広大な宇宙で、地球と似たような環境、人類と似たような生物、それと邂逅する。その奇跡に感動する心は同じでも、方向性は少し別だろう。
超新星爆発とか、ブラックホールとか、ダークマターとか。そういう物に心惹かれるハルであった。
最近は、宇宙計画も衰退して久しい。計算をエーテルに任せている現代、大気圏から離れる事は、それを手放す事だった。
一部技術が断絶した、電子制御頼りとなる。
余談であった。今は空の彼方へ意識を飛ばしている場合ではない。
心をこの星に、アイリの元に戻さなくては。
「そういう映画も、いくつか見たっけね」
「遠い星の二人が、結ばれるのですか?」
「結ばれたり、結ばれなかったり」
時には殺しあったり……。
「結ばれるやつが見たいです!」
「そうだね。また映画でも見よっか」
ルナが向こうで色々と便宜を図ってくれている。それが終わるまでの間は念のため動かない事にしている。
彼女に言われた通りに、アイリと共に過ごす時間を増やそう。
そのために映画というのは、良い案ではないだろうか。
……決して、『見ている間は会話による照れを抑える事が出来る』、という目論見ではない。ロマンチック成分の補給である。
「《そんなハル様に残念なお知らせが》」
「どうしたの?」
「《映画は外部記憶があって初めて再生が可能です。ハル様の脳内記憶だけでは、再現度に難があります》」
「……忘れてた。ここでもエーテル切れの影響が」
「……なるほど、これなのですね。わたくしも実感いたしました」
世界の断絶を実感し、ふたりで、しょぼーん、とする。
人間の記憶というのは曖昧だ。それはハルであっても変わらない。
映画をこちらで見るときは、向こうのハルが同時に同じものを視聴し、その新鮮な記憶を同時に投影してこちらへ再現している。
ハルが昔に映画を見た時の記憶だけでは、アイリの視聴に耐える物にはならないようだった。
「例えばどんな感じになりそう?」
「《主人公はハル様に、ヒロインはアイリ様になります》」
「!! わたくし! それ見たいです!」
「……単純にそれだけで済む話じゃないよアイリ。背景なんか亜空間のようにぐにゃぐにゃかも知れないし」
「《はい。細部は再現されないでしょう。そして濡れ場になるとルナ様になります》」
「待て、妙な事を言うのは止めるんだ黒曜」
「残念ですー」
そもそも濡れ場のある映画をチョイスする予定は無かったはずだが。
「ユキさんは登場しますか!?」
「《戦闘シーンとお色気シーンは、ユキ様が担当しそうですね》」
「……ユキはスタイル良いもんね」
「ですね! カッコよさそうですー」
誰がどんな配役で映画に出るのか。映画を見る事は適わなかったが、意外とその話で盛り上がるふたりだった。
◇
「そういえば何の気なしに話しちゃってたけど。この世界には星についての知識はあるんだね」
「はい。わたくし達の立っている大地は星の上であり、空の星と同じものなのですよね?」
「そうだね。僕の世界と同じならば」
「きっと同じですよ。だってそれは、カナリー様に教わった知識なのですもの」
「なるほど」
少し時代が進みすぎた知識ではないかとハルは感じるが、そういえば天文学の歴史は古かったようにも思う。
宇宙の事と言うと最先端に聞こえるが、古来から人は夜空を仰ぎ、星に心を奪われてきた。
魔法による近代科学の再現もこなすこの世界。決して早い知識ではないのだろう。
「遠くの星に住む二人の恋物語も、あるのですよ?」
「そうなんだ。……そんな部分も、同じなんだね」
「はい! そうだ、一緒にそのお話を読みましょう!」
すぐに本が手元に届けられる。この展開を予想していたのではないかと思うくらいの素早さだった。
相変わらずメイドさんの仕事は完璧だった。主人の意を汲む事にかけては、彼女らの右に出るものは居ないだろう。
だいぶ高くなった初夏の日差し、少し薄暗くなった屋敷から出て、アイリとふたり、庭にある大きな木の下へと入る。
日差しで紙が痛む事を心配したハルだが、この風情の前には無粋な口出しだろう。
焼けた紙も、きっとその跡がこの日の記憶になるのだろうから。
文章の記録やその閲覧に、ほとんど紙を使わなくなったハルの世界。骨董品として保管するだけの価値観を、この世界に持ち込んでもしょうがない。
浴びていると汗ばむような陽光を木陰がやさしく遮り、その下でふたり、静かに読書にふける。
本と言っても一抱えもある大きな書物ではない。詩集のような小さな綴じ物。
日本語で綴られたそれを、ゆっくりと読んでいく。
火の星に住む王子様と、風の星に住むお姫様。二人が幾多の苦難を乗り越えて結ばれる物語。
登場する星はとても小さい物で、星々の間は魔法で飛んで行き来できるようだ。この発想はハル達の世界でもよく見られた。ゲームにも。
宇宙には魔力が満ちているらしく、ちょっとした感慨を受ける。その発想も似通っているのだろうか。
実際には、高高度に達する前にエーテルは無くなってしまうのは、言わぬが華であろう。
「属性の勉強にもなるんだね」
「はい。火と風は良合性ですから。でもわたくし、そこは少しだけ不満なんですよ?」
「相性の悪い二人が、それでもそれを乗り越えて結ばれる方が見たい?」
「はい! 流石はハルさんです!」
障害があった方が恋は燃え上がるという奴だろう。二人の間には十分に障害が立ちふさがっていたので、ほどほどにしてあげて欲しい、とハルは思うが。
「でも、最近はこれでも良い気がしてきました。わたくしとハルさんは、相性が良いですから!」
「現金な子だ」
「えへへへ」
本を閉じて甘えてくる。ハルがこの体になって、アイリは以前に増して、何かとくっつきたがるようになった。
ハルの体温を感じられる事が、鼓動が聞こえてくる感覚が、嬉しい様子だ。
ハルも嬉しいが、ちょっと問題がある。
この陽気だ。暑いのだ、わりと。気恥ずかしさも加わって、初夏の空気に体温が上がる。
アイリの方は気にする様子は無いようだ。ずっと自然の中で暮らしていて慣れているのか。
彼女の肌を見ると、それでもしっとりと汗ばんでおり、アイリも暑さは感じているようだった。それでも離れる様子は無い。
目が合うと控えめに笑みを返す、汗ばむ肌が木漏れ日にきらめき、その様子が非常に艶めいて感じられる。
なんだかいけない雰囲気になりそうだったので、ごまかすように魔法で風を起こし、火照った身の熱を冷ましていった。
「気持ちの良い風です……、ハルさんは、風のお姫様だったのですね」
「そこは王子様にしよう?」
「……ルナさんが女の子の服で着飾らせたい気持ちが分かった気がします」
「あの濡れ場担当とは一回よく話し合わないといけなさそうだ」
妙な文化を持ち込むのは止めていただきたい。
ぱらぱらと風にページがめくれる音に合わせ、控えめにふたりの笑い声が響いていった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2025/6/29)




