第808話 天の門から流れ出るもの
開け放たれた『天国の門』。その光の中に飛び込むと、ハルは再び例の社屋の中に居た。
本来ならば、空中に浮かぶ幻想的なファンタジー空間から、急に現代日本の世界へと飛ばされる落差に戸惑う場面なのだろうが、あいにく二回目だ。
特に驚くこともなく、ハルはまっすぐにアイリスの待つ『社長室』へと一直線で向かう。
「お帰りお兄ちゃん。どだったー?」
「まあ、思ったよりあっけなかったかな」
「そりゃお兄ちゃんだからなんよ。普通はもっと、苦戦と盛り上がりを見せる予定だったんさ」
アイリスの作り出した<王>の試練は、『天国の門』のさらに先があるわけでもなく、あっさりと終了した。
光の道を通る間、その眩い光自体がハルの体へと入り込み、失ったステータスの回収を表していた。
ハルがメニューを開いてみると、試練開始前と同水準のステータスへと戻っている。
本来はこれによって、初めてこの空間にお呼ばれするという流れになるのだろう。順番がまるきり逆になってしまったハルだ。
「それで? 突破報酬みたいのないのアイリス?」
「んあ? ねーよ、そんなん? ここに呼ばれること自体が報酬だかんな。お兄ちゃんはもう、先払いを済ませてたんさ」
「分かってはいたけど、支払い損じゃないか……」
「分かってたなら文句いうなー」
本来ならばやはり、ここで初めて<王>となる権利を彼女から明かされて、隠し職という実に大きな報酬に感動する場面だろう。
だがそれも先に済ませてしまった、更にいうなら受け取るべきか悩んでいる段階のハルにとっては、ただ余計に労力と課金がかさんだのみだ。
「まあ、いいか。どのみち奥様のお財布に戻るお金だ……」
「その意気だぜお兄ちゃん。もっと親の脛かじってこー。その歳であえてママに甘えてけな? ばぶばぶー」
「発想同じかこいつら……」
「えっ!? 誰と!? 私以外にも、このすんばらしいセンスの持ち主が!?」
カナリーとである。彼女との会話は聞かれているはずがないので、これは本当に偶然だろう。嫌な偶然だ。二人は性質が同じなのだろうか。
ちなみに、少しも素晴らしいとは思えないハルである。
「まあいいや。そんでよぅ、どーすん? <王>には、成る気になった?」
「……そうだね。やっぱり、止めておこうかな」
「やっぱかー。ちな、決め手はなんなん?」
「なんか無理矢理に押し付けられてるみたいで嫌」
「『勉強しろ』って言われてる小学生じゃん……」
ここにきて否定はすまい。その通りであると開き直ってハルは認める。
まあ言い訳をさせてもらうとすれば、これ以上ただただ指輪の誘導に従うだけのプレイスタイルは危険となる可能性が出てきたためだ。
指輪が誰の、どんな意図をもってハルに憑りついているのかは不明だが、その目的が怪しくなってきた以上その指し示す方向に沿い続けるのは不安が大きい。
別に、方針と真逆を行くとまでは言わないが、同調を試みるのはここで終わりだ。
「てことは、これからは民をかえりみない暴君になるん?」
「……いや、なんでもかんでも真逆にする訳じゃないよ。NPCのことは、これからも守るさ」
アイリスにもその決定の裏にあるハルの内心は伝わったようで、NPCに対する『慈愛の領主』というロールプレイも終了にするのかと尋ねられる。
確かに指輪の反応を見てそこを強調してきたハルのプレイだが、別にそれは無理してやっていた訳ではない。
元々ハルの性質として、管理者として、エーテルネットの礎となる人間を害するのは苦手であった。そこはこれからも変わらない。
「んじゃ、決まったんなら放送再開しよっかお兄ちゃん。視聴者が居ないままだと、ステも課金も動かない」
「……あれだけ課金されておいてまだ求めるか」
「おうさ! なんせ守銭奴だもん!」
「開き直った……」
恐らくは、彼女の目的としてサンプルが、課金の流入元は多ければ多いほど良いのだろう。
ハルにとっても、それを解析することでアイリスの目的により近づく。
慣れぬ魔力視を途切れさせることのないように気合を入れなおしながら、ハルは休憩にしていた生放送を再開させるのだった。
*
《はじまた!》
《キター!》
《ローズ様こんにちは!》
《こんローズ!》
《休憩長かったー》
《普通だろ》
《一日千秋の想い》
《ローズロスが酷い》
《少しでも会えないと禁断症状が》
《ローズ様分が足りてなかった》
《供給再開たすかる》
《新鮮なローズ様は患部にすっと浸透し万病に効く》
「お待たせ君たち。なんか危ない人が居るけど、まあ遅くなって申し訳ない」
「お姉ちゃんを責めないであげてな? 可愛い私を独り占めするんに、夢中だったんよ」
「おい運営……」
際どい掛け合いをしていい立場ではない気がするが、そこは大丈夫なのだろうか?
そんな、視聴者に見せつけるように関係をアピールするアイリスは適当に流しつつ、ハルは放送再開の挨拶と状況を説明しつつ視聴者を待つ。
そして放送に気づいた彼らがあらかた集まったのを見越したタイミングで、休止前の続きとなる話を始めていくのだった。
「さて、そろそろ本題に入ろうか。僕が<王>となるか否かだ」
《ドキドキ……》
《なろう!》
《ローズ様こそ支配者に相応しい》
《帝王の貫禄》
《女帝》
《女王様!》
《絶対なるべき》
《踏むべき》
《……ん?》
《私は反対かも》
《ローズ様はご自由な立場であるべき》
視聴者個人個人によって賛否は分かれるが、その多くは賛成に回っているようだ。
やはり、成り上がり物語の行きつく先は王様になってハッピーエンドという感覚があるのか。それとも、もっと他の理由なのかは分からないが、ハルが<王>となることは歓迎されていた。
その空気を裏切ってしまうことは心苦しいが、ここは勿体ぶらずにハルは先ほど下した決定を告げる。
「思った以上に肯定的なんだね君たち。だが、答えは『拒否』だ。ぼくは<王>にはならないことにした」
「ほいよー。一名様お断りー。新<王>政の樹立は、キャンセルされましたー」
《ええええええええ!》
《勿体ない!》
《でも何となく予想はしてた》
《悩んでた時点でね》
《それでこそローズ様ではある!》
《他人から与えられた頂点など無意味!》
《自分でつかみ取らなきゃね》
《残念だけど、仕方ないか》
《ちなみに、決め手はなんだったんですか?》
「決め手かい? やっぱりそれは、ラインくんの存在かな。あの幼気な少年から、これ以上立場を奪うのは気が引ける」
「あいつ正直、お姉ちゃんが相手なら喜んで受け入れそうだけどな」
「受け入れるからダメなんだよ……」
まあ、ライン少年王が未熟なのは仕方がない。少年なのだから。
ちなみに彼の為の決定というのはもちろん嘘である。大嘘だ。その嘘をおくびにも出さず、ハルはいけしゃあしゃあと話を続けていく。
「僕が簒奪者となって強権を振るえば、この国は更にこじれるしね。それは避けたいというのもある」
「いや、フツーに受け入れられると思っけどな? この国でお姉ちゃんの人気度は異常事態だ」
「それは、避けたいというのもある」
アイリスの反論を強引に無視しつつ、ハルはあくまで<王>の否定を前提に話を進める。この決定はもう覆す気はなく、方針は確たるものとなった。
「じゃあ今度は、あのおこちゃまを誑しこんで王妃の座を狙うんだな! 裏から政権を操る、影の王の誕生だ!」
「たらしこまんわ! 余計に国がこじれる案やめろ!」
《そうだ、それはよくないぞ!》
《あんなちびっ子にローズ様は渡せん!》
《いや、結構いいかも……》
《お嫁さんはかっこいいお姉ちゃん……》
《おねショタ……》
《いかーん! ローズ様は女の子と結婚するの!》
《その通りだ! サクラちゃんやボタン様がお相手!》
《……お前らは何を言っているんだ》
まあ、実はその通りなので微妙に反応に困るハルだった。共にプレイしている女の子たちと、ローズの中身であるハルは結婚している。または結婚の予定がある。
これ以上話がそちらへと発展する前に、ハルは強引に軌道修正を試みるのであった。
「……もう<王>様の話はいいさ。それより、僕が気になるのはスキルの方だね。まだその話、聞いてなかったね?」
「あー、オマケなー。こっちに興味津々なのお姉ちゃんくれーじゃんよ。本来は、使われる予定なかったはずなんよねこれ」
「そうなんだ」
隠しイベントでの<役割>を断った際には、その代替品として特別なスキルが授与される。
それらはどれも特別なもので、唯一無二であり強力な効果を備えているものばかりだった。ハルとしては、こちらを楽しみにしているのも確かであった。
「んじゃ発表すっぜー。<王>を選ばなかった場合の隠しスキルは~? ごごごごごごごっ、どじゃん! <天国の門>だぁ! やったねお姉ちゃん、盛大に拍手拍手!」
「あ、うん。すごい、ね?」
ハイテンションでぱちぱちと手を高速で打ち合わせるアイリスに促されて、ハルも適当に手を叩く。
当然ながら、いまいちノリきれない。その<天国の門>がどんなスキルなのか、まるで見当がつかないからだ。
先ほどの試練で通ってきた『天国の門』と同じ名を持つそのスキル。いったい、どんな能力なのだろうか?
「効果発表だ、じゃじゃん!」
「それ先にやろうね?」
「こまけーこた気にすんな? この<天国の門>はなー、アイテム放り込むと、それに見合った様々な効果を発揮するんよ」
「様々な?」
「そう、様々な。使ってみてのお楽しみよ?」
なるほど。そこは先の『天国の門』と同様の仕組みを備えているということか。神に自分のアイテムを差し出しお供えすることで、その力を借りるというイメージだろう。
……経緯を知らない視聴者の手前口には出さないが、先ほど手持ちの全てを奪い去る要求をしておいて、スキルで更に追加でむしり取るのは実に容赦がない。徹底している。
「……アイリスらしいね。<信仰>と似たような感じか」
「そうなー。ただ、あれと違ってエネルギーチャージはできねーのよ? 一括払い限定だ」
「支払い言うな……」
《お姉さま向けのスキルですね!》
《課金の力を見せてやる!》
《また『神罰』が出るのかー》
《上位互換っぽい》
《これはワクワク! 期待!》
《門ってことは、何かを呼び出す?》
《天使とか!》
《門からパンチが飛んでくるんだよ!》
《水がだばーっ、って》
その効果を想像し、視聴者たちが盛り上がる。確かにどんな内容か気になるが、使用者であるハルはその効果以前に要求される供物の量に今から気が重い。
きっと、ろくでもない量を求められるに決まっている。本質は小市民のハルとしては、使わずに済ませたいハルだった。
ただ、<王>の道を断った以上、有効活用していかねば視聴者も納得しないだろう。
ハルは頭の痛くなる思いを振り切りつつ、この<天国の門>を受け入れるのであった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/30)




