第806話 お金の価値を決めるのは
ハルの身から、『天国の門』へと膨大なエネルギーの流れが流入して行くのが見える。
この世界における魔力視には不慣れなハルだが、その未熟を差し置いてもまるで問題にならない程はっきりと視認できるそれは、コスモスの空間で見た人々の意識と酷似しているように見えた。
「《いけいけぇ! 課金だ課金だもうヤケだぁ! 責任はお兄ちゃんが取りまぁすっ!》」
ヤケクソではしゃぐアイリスの声だけが、周囲にBGMとして響きわたっている。
いや、耳を凝らしてみれば、その魔力のうねりは音として、轟と濁流の激しさを聴覚へも訴えてきた。
《うっ、新しい感覚だ。頭が痛くなってきた……》
《我慢してハル。情報は多ければ多いほどいい。解析は僕がやるから、観測に全力を注ぐんだ》
《ああ、任せたよセフィ。しかし、君は四六時中こんなのと向き合ってるんだろ? すごいね》
《僕にはハルと違って、痛む頭が無いからね》
《君はまたそういう自虐ネタを……》
かつて体を日本に置き忘れ、精神体のような状態になったセフィ。触れづらいその体の話についても、彼の反応はあっけらかんとしている。
セフィの部屋には常にこれと同等かそれ以上の魔力データが渦巻き、彼はそれを息をするように処理し続けていた。
そんなセフィにこの濁流の解析を任せ、ハルは少しでも多くのデータを得ようと神経を集中していく。
《……しかし、ここには僕一人しか居ないのに、こんなにデータの流れが生じるものかな?》
《それだけ、ハルの存在が特別ってことじゃないの? よっ、<王>さまっ! 流石は未来のネットワークを統べるべく生み出された存在っ!》
《茶化すなセフィ。というか君も同じだろそれは》
《僕なんか到底ハルには及ばないよ。それより、データ量についてだったね》
《そうやってまた唐突に話を戻す……》
のんびりしているようで、反論の隙を与えない独特の会話テンポだ。ちゃっかり王様を嫌がっているハルを弄って来るおまけつき。
とはいえ、今は本題が気になるハルだ。セフィへの反撃は、またの機会へ回すとしよう。そんな機会があればだが。
《本来、お金にデータの流れは存在しない。エーテルネット上ならともかくね》
《そうだね。魔力上に作られた神界ネットの亜種だ、あそこは。データとして流れるのは魔力だけだから》
《ということは、お金で魔力が買える時代が来たってことだね。画期的じゃあないか》
《……まあ、すごい量ではあるけど、“あれだけ”払ってこの量と考えるとコスパ最悪だけどね》
《新技術というものは高くつくものだよハル》
《違いない》
セフィと二人して、うんうん、と頷くハルだが、もちろんそんな訳がない。
もし本当にそうなら、経済系の神様が喜びそうな事実だが、現実には魔力に値段は付けられない。
そもそも買ったところで、ハル以外の日本人には活用する術がないのだ。
《……真面目な話で言うと、これはお金そのものではなく、それに付随したプレイヤーの意識だろうね》
《だね。ハルの推理にひとつ付け足すとすれば、これを構成している意識はプレイヤーだけじゃない。視聴者や、このゲームに無関係な日本人まで含まれてるはずだ》
《視聴者は分かるけど、それ以外も?》
《うん。そうでなきゃ説明が付かない》
このゲームの運営目的の大きなものに、魔力を集めるということがある。
魔力というものは何故かは分からないが、日本人の精神から生まれるらしい。特に、彼らが異世界へと意識を飛ばし、そちらで活動することでその効率は非常に顕著に上昇する。
故に、このゲームの舞台となる魔力空間は異世界の惑星上に存在しているのだ。
その中で日本人が活動することで魔力空間そのものが拡張していき、この星から枯渇した魔力を回復していく。
いずれは、もっともっと参加人口を増やし、星の全てに再び魔力を行き渡らせる。それが、ハルたちの計画なのだった。
《でも、それにはゲームに参加してもらうことが必要だ。人の形を取って活動するのが、特に望ましい》
《ゲームに興味ない層からも魔力が徴収できるなら、こんなに楽なことはないもんね》
セフィの言う通りだ。参加しない、意識すらしなくていいならば、リスクを冒してゲームを作る必要などなくなる。
そう、ゲーム運営は大きなリスクだ。異世界の存在が広く知れ渡ってしまうのは混乱を招き、あまり望ましいとは言えないだろう。
意識させずにひっそりと魔力回収が出来るなら、それに越したことはないのだ。
《アイリスは、その方法を見つけた? それが、お金ってこと?》
《それはまだ分からないよハル。凄いエネルギーに見えるが、これはあくまで『データ量』の多さだ。魔力の多寡には直結しない》
《……確かに、そうだったね》
《でも、妙と言えば妙なのは事実だね。ハルの言う通り、ここに流れるデータは魔力に関わるものだけ。そして、お金は魔力に関係ない》
《となると……》
データとなって表れているのはお金そのものにあらず、それに関係するなにかだ。
なにかとは何か? コスモスの時と類似している状況からみて、高い確率で人々の無意識。
お金に関する、何かしらの想いなのだろう。
《まいったね、どうも。お金ほど妄念の関わる物はない。それでいて、お金そのものは中立であり、ただの数字だ》
《とくに現代はね。物質としての形が存在しない以上、一か所に怨念のように留まったりはしない》
便宜上『現金』と語りはするが、現代において形をもった貨幣などもうほぼ使われない。
資産はエーテルネットの個人データに蓄積され、そこの数値が上下するのみ。当然、ただの数値に魔力が宿ったりなどしない。
《さあ、名探偵ハル、腕の見せ所だよ? どんな意識が、このデータを発生させていると思う?》
《……名探偵はやめてセフィ? ……そうだね。とりあえず、解析したデータの詳細を見せてよ》
《はい。どうぞ》
単なる魔力のうねりを、セフィがハルにも理解しやすい形に図解して表示してくれる。
そこには魔力の流出入経路、それが既にかなり詳細に記されていた。
《流出経路は異様に具体的だ。流れは綺麗に束ねられて、出口はいくつかのポイントに絞られる……》
その先はこの世界ではなく、日本へ、エーテルネットの何処かへとなっている。そこは自身の領分ではないと、セフィの解析結果はぷっつりと途切れていた。
ハルはその先の照合を、既に日本に適合した肉体を得ているカナリーへと飛ばして頼む。
その結果が出るまでの間、ハルは経路の逆側、データの『入口』について探っていった。
《流入は……、逆にひどくぼんやりしてるね……》
《それだけ、対象の範囲が広いってことだね。全人類のお財布が対象かな?》
《さすがにそれはない。いかにお金が人類共通とはいえ。それに、使ってるお財布は奥様一人のものだけだ》
《とってもお金持ちだねぇ》
本当にだ。改めて、これだけの金額を問題なく使えてしまうルナの母の財力は異常の一言。
《とはいえ、流入経路から見てもあの方一人の意識じゃあない。まあ、一人の意識でこれだったら神かなんなのかなって話だけど》
《ハルならこのくらいできるじゃない。遠回しな自慢?》
《意識拡張したときの話でしょ、それは……》
その意識拡張のことを口に出して、ふと思い立った事がある。
ハルの行う意識拡張とはすなわち、エーテルネット上をハルの脳の一部として拡張して定義すること。
その最中は、いわばエーテルネットそのものが『大きなハル』として人格を持っていると言うことが出来る。
そのイメージに、なんらかのヒントがあるように思えてならない。
ハルはその細い糸を頼りに、手探りでこのデータの根源に迫っていくのであった。
◇
「《ひょわぁー! 来てる、来てるぜお兄ちゃん! お給金ががっぽがっぽだぁ!》」
「……いや、君のお金にはならないでしょアイリス。課金の大半は、経営母体である奥様の会社の取り分になる。だからこそ、僕もこうして遠慮なく使えるんだけど」
「《いーんだよ。こまけーこた気にすんな? それに、私を通せばそれだけ手数料で潤うしな!》」
ソロモンもやっていた手数料ビジネスだ。これが、非常に馬鹿にならない。なにせリスクも損害も全て当事者に丸投げして、自分だけは確実に儲かるのだから。
とはいえ、アイリスの目的がそこにあるようには思えない。もっと別の、お金の先にある何かを求めているように感じられるハルだった。
「アイリスは、そんなにお金が必要なの?」
「《んー? まあ、そうかも。お金はあって損はないってのが、世の中の常識だろ? 愛はお金で買えないが、愛の土台はだいたい買える! お菓子とかな!》」
「君らが常識を語るか。それと、お菓子の食べ過ぎには注意しなよアイリス」
お菓子と聞いて、どうしても甘い物大好きな自分のパートナーを思い起こさずにはいられないハルだ。
食いしん坊のカナリーには、そろそろダイエットの概念なども教えた方がいいのかも知れない。
「しかし、常識か……」
基本的に神様たちに不足、いや欠如している概念だが、それを聞いて急速に線の繋がっていく感覚のするハル。
常識というのはすなわち、人々の無意識が表面化したものと言える。
言うまでもないこと、当たり前のこと。それでいて、言語化するには難しいこと。言語化しにくいが故に、神様たちのデータ収集において穴となる。
お金に関しても、当然それは関わってくる。それこそ根本的な、『何故お金は価値を持っているか』について人々は普段、意識をしていない。
変な話だが、それは皆が『価値を持っていると思っているから価値を持っている』。そんなあやふやな物なのだ。
繰り返しになるがお金自体はただの数字の羅列。もしお金を知らない人間が居たとして、そこに交換価値など見出さないだろう。
「ああ、なるほど」
《つまりはアイリスはお金を通して、その価値を決定している人々の無意識を収集してるのか》
《へー。なんだか良く分からない話だね。てことは、やっぱり対象は全人類? 対象がぼやける訳だね》
《いや。さすがにそれは不可能だろう。恐らくは今回の『お財布』である奥様に、その会社に関わった人たちだ》
《ふーん。そのハルのお義母さんの資産の価値を定義してる人たちか。多いね》
《奥様の影響力は強いからね》
お金というツールを介することで、少ない労力で広い範囲からデータを集められる。アホっぽく見えて実に賢いアイリスのやり方だ。
しかし、それでもまだ彼女の目的が見えてこない。そのデータを集めて、何をしたいというのだろうか?
その疑問に答えるように、データの『出口』についての解析を頼んだカナリーから、返答があるのだった。
※誤字修正を行いました。




