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エーテルの夢 ~夢が空を満たす二つの世界で~  作者: 天球とわ
第3章 アルベルト編

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第80話 そして世界の扉は開かれた

 酩酊めいていするような感覚に抗いながら目を開ければ、自分を見ている自分と、お互いに目が合った。

 元になったのは、先ほどまでポッドの中で休止していた体だ。急に叩き起こされ、少し意識が混濁こんだくする。それを制御しようとして、違和感に気づく。

 ナノマシン(エーテル)が、無い。常にハルと共にあり、もはやおのが身の一部とも言えるそれが、ごっそり抜け落ちていた。

 当然か。ハルがこの世界に再現しようとしたのは、自分の体のみ、それを読み取る役目を果たしたエーテルは対象外だった。


「ハルさん!」

「アイリ……、ありがと」


 バランス制御が上手くいかず、ふらつくハルをアイリが駆け寄って支える。

 今までプログラム的に半自動で制御していた体を、全て自分の脳一つで制御しなければならない。覚醒直後の体も相まって、骨の折れる作業だった。


「ハル? 大丈夫なの?」

「ああ、成功だよ。そっちの僕ともちゃんと繋がってる」


 分身の方、ゲーム内の体を指して言う。今はそちらを動かす余裕もあまり無い。

 二人目の独立したハルが誕生する、というオカルトめいた事態は起こらず、きちんとこの世界に肉体が作成されたようだ。


「でも随分調子悪そうだけど、ハル君どうしたの? なんか変なの?」

「うん……、エーテルが無い。あ、魔力のエーテルじゃなくてね。ナノマシンの方」

「あー、ハル君、ずいぶん依存してそうだしね」

「依存というより、死活問題ではなくて? ハル、体調に影響は?」

「大変です!」

「大げさだって。……オートで楽してたのがマニュアルになって、少し面倒なだけだよ」


 脳からの指令を直接伝える所を、神経や伝達物質を経由しなければならなくなり、回り道が増えた。その調整に手間取っているだけだ。

 つまりは、普通の人間になった、それだけだ。……普通と言うには、脳が特殊すぎるかも知れないが。


 口には出さないが問題があるとすれば、精神の方だろう。あまりに喪失感が大きい。

 己の半身をもがれた、というのは言いすぎだが、常に共にあったものと急に切り離されたショックは、思ったよりも大きいようだ。

 魔力エーテルの無い神界に、急に飛ばされたアイリもこんな気分だったのだろうか?


「……ん? アイリ、どうしたの?」

「い、いえ、ハルさんに見とれてしまいまして。お美しいなー、って……、あ! しゅ、しゅみません!」


 そのアイリを見ると、ハルの顔に視線が釘付けになっていた。

 ぽー、っと顔が上気し、その白磁の肌を染めている。その肌理きめの細かい肌に手を伸ばすと、一瞬ぴくりとするが、すぐに受け入れてその身を預けて来た。

 そのまま頬を撫でてやると、アイリの方も、ハルの顔に向かって手を伸ばす。


「そこー、いちゃいちゃしないのー! 実験中だぞー! ……ルナちゃん、あのハル君、美化されてんの?」

「いつものハルよ。そっちのハルと大差ないでしょう」

「あ、そういえばそうだよね。ごめんごめん」


 ルナがゲーム内キャラクターとしてのハルを指して言う。


「……最初にアイリちゃんに会った時、ハルもあんな風にトリップしていたわ。何か、お互い感じるものがあるのでしょうね」

「それは見てみたかった」


 それは勘弁していただきたい。アイリの方も、暴走状態をあまり続けさせておくと後で辛いだろう。思い出した時などに。

 頬の手を、そのままぺちぺちとして正気に戻す。


「そんでハル君、その体、何が出来そう?」

「え、何も出来ないよ?」

「わたくしに体温を感じさせてくれます!」

「良かったわね、アイリちゃん」

「はい!」


 ぴったりと体をくっつけてくるアイリ。それはとても素晴らしい事だと思うが、ユキが言うのはゲーム的な部分だろう。

 残念ながら、ナノマシンの無いこの世界においては、ハルの肉体は何の役にも立たない。ゲーム攻略においては、何のメリットも寄与しなかった。


「何も出来ないどころか、走れば体力を消耗するし、喉は渇くしおなかは減る。体は汚れるし、熱さや寒さには不平を漏らす。不便な体さ」

「あはは、やっぱりリアルなんてクソゲーだね」


 しみじみとそう語る、ユキの表情は複雑そうだった。彼女は現実リアルの肉体に、どんな思いを抱いているのだろうか。

 重荷と、かせと感じているのだろうか。それとも、口ではそう言いながら愛着を持っているのか。表情だけでは、読み取れなかった。


 そんな事をぼんやりと考えていると、ふと思い出したかのようにルナから声がかかる。


「そういえばハル? リアルの体はどうなっているのかしら」

「どうって、単に停止してるだけ……」

「ハル?」


 何の気なしに確認しようとして、ぞっ、とした。

 うわついていた意識が急速に冷えてゆく。密着して、そのハルの鼓動を感じていたアイリも、ハルの異変に気づくと、表情を改める。

 “体がここにある”ため、まるで意識していなかった。この体の元となった。ポッドの中のハルは今、どうなっているのだろう?

 その様子が確認出来ない事に、今になってようやく気づく。


 リアルの体と、通信が行えなかった。





「……ルナ、僕の家に行ってくれる?」

「ええ、了解よ」


 ハルの顔から緊急であることを察したルナが、すぐさまログアウトしていく。

 予想外の事態だったが、逆にルナが居てくれて幸いだったと考えよう。ハルの肉体がある場所、その住まいの中へは、ハル自身とルナ以外の立ち入りを許可していない。

 ルナが居なければ、初動は大きく遅れていただろう。


「ハル君、私は?」

「そうだね、リアルに戻って、僕に連絡を入れてくれる? 結果に関わらず、すぐ戻ってきて」

「うん。じゃ、行ってくる」

「……ハルさん、何があったのですか?」

「向こうの世界との、元々僕の、この体が居た場所との繋がりが途切れた」

「!! そんな……、カナリー様っ!」


 じっと、事のなりゆきを見守っていたカナリーに、アイリが助けを求める。

 これもありがたい。ハル一人であれば、カナリーへと問いかける事は頭に浮かばなかっただろう。どうせ答えは返ってこない、と半ば思い込んでしまっている。

 恐らく、答えは返ってはくるまいが、カナリーも大切な仲間だ。蚊帳かやの外に置いたままでは、無意識に責任転嫁してしまいそうだった。


「安心してくださいアイリちゃん。特殊な状況ではありますが、ハルさんは無事ですよ。体に何も異常はありません。それは、私がきちんと保証しますね」

「はい……、ありがとうございます……」


 何の解決にもなっていない答えだが、文句を言える筋合いではない。ハル自身が招いた事だ。

 アイリを安心させるためか、普段より真剣なその口調が、問題を真摯に捉えてくれている証だと思おう。


 そんな、にわかに緊迫した空気の中、ユキが再びログインしてくる。

 やはりと言うべきか、ハルに連絡は付かなかったようだ。半ば予想された事だ。


「ハル君、どうなってるんだろう」

「分からないね。状況を調べようにも、ネットから切り離されるとは思わなくて、途方に暮れてるよ」

「この中ではそれが普通なんだけどね」

「そういえばそうだった。一人だけズルしてたの忘れてたよ。そこも、普通の体になっちゃったって事か」


 二つの世界に同時に存在するのは、本来ありえない事だ。ハルの特異性によって、無理やり実現させていたにすぎない。

 一瞬、その仕様外の行いを封じるための神々の策謀かと頭をよぎったが、カナリーはハルの不利益になる事をしない。

 カナリー以外の神は、彼女の管轄であるハルに手出し出来ないだろう。この考えは候補から除外する。


「かなりの非常事態だと思うんだけど、ハル君は余裕そうだね。流石ってとこかな?」

「いや、さっきも言ったけど、途方に暮れてるだけ。なんだか現実感が無いんだ。……エーテルが無いからだと思うけど」


 落ち着いている、と言うよりも、慌てる事すら出来ないと言った方が正確だろうか。

 錯綜さくそうする思考はひとところに纏まらず、比較する対象を失った精神は自身の大きさすら定義出来ない。

 ハルという個人は、ネットワークの中において、他者と比較しなければ成立しないのではないか、そんな考えさえ浮かんでくる。


 ハルの不安を察したのか、隣に座るアイリが、ぎゅっ、と身を寄せてくる。ハルの腕に抱きつくように、自分の腕を絡める。

 その、他者を感じさせてくれる体温が、心地よく、今はありがたかった。


「……ん、そうだね。ヘコんでても仕方ない! せっかくだから、今だからやれる事をやっておこうか」

「立ち直り早いね。やれる事ってのはアイリちゃんとのいちゃいちゃ?」

「はい! 元はといえばわたくしの提案が招いた事です。誠心誠意、ご奉仕します!」

「……落ち着こうねアイリ。軽率だったのは僕だよ、僕の行動が悪い」


 とはいえ、彼女の体温を感じていると落ち着くのも事実だ。普段ならやらない事、という言葉にかこつけて彼女を膝の上に抱え上げ、腕の中へ収める。

 やわらかいアイリのお尻の感触が伝わるのを、非常時であると無視しつつ、頭を撫でる。


「おお、ハル君が大胆になってる。アイリちゃん、今なら押せばハル君落とせるかもよ!」

「ふぇ? い、今はわたくし、ちょっとにゃにも考えられなくなっちゃってましゅぅ」

「あ、今度はこっちが思考力失っちゃった。お互いに防御力が低いんだね二人とも」


 アイリが予想外にオーバーヒートしてしまったので、結局やろうと思っていた事は出来なかった。





 そうして二人であたふたし、ユキに呆れられていると、ルナが戻って来た。

 予想通りと言うべきか、ハルの家にその体は存在しなかったようだ。ポッドの中は空であり、部屋には虚しくエラー音が響き渡っていたようだ。

 軽くホラーである。卒倒しそうな状況だ。動かない、人形のようなハルが入っているよりはマシだろうか。


「ありがとうねルナ、そんな確認をさせちゃってごめん」

「いいのよ。何となく予感はあったわ。しかし、どういう事なのかしら?」

「ハル君がこっちの世界に転送されて来たってコト?」

「……僕がやったのはコピーであって、転送じゃないんだけどね。何となく、転送みたいだなって意識はあったけどさ」


 そもそも、あちらの世界の体が消える理屈が分からない。

 現代に転送技術など存在しない。エーテルが空間を超えて伝えるのは情報だけだ。物質をそのまま転送する事は不可能だった。

 転送、転移の魔法があるのはこの世界だけである。


「転送みたいというのは?」

「いわゆるトランスポーターだね。分解して、全く同一の物質を遠くの場所に再構築するタイプのやつ。でも僕は向こうの体を分解したりはしてないし、ナノマシンにそこまでの分解機能は無い」

「ポッドのログにも、そんな記録は残っていなかったわ。データ的には、一瞬のうちに、ハルを見失っていた」

「ますますホラーだね。ごめんね、ルナ」

「自分の事でしょうにハル君……」


 常識的に考えてありえない事だが、実際に起きてしまっているのだ。受け入れるしかない。

 理屈は後回しにして、今は事態の収拾を付けなければならない。それも早急に。


「でなければ、学園をサボってしまう事になる……」

「置いておきなさいな……、今はそんな事……」

「やっぱ余裕じゃんハル君」

「それは、ハルさんにとって大変なことなのでしょうか?」

「全然、大変じゃないわよアイリちゃん? 今週は休ませるわ、私の権限で。だからくれぐれもこれ以上、うかつな行為は慎むように」

「はい」


 うかつにもこの世界に体を作って、この事態を招いてしまったハルだ。返す言葉も無い。

 焦って戻ろうとして、また余計な事態を引き起こしては目も当てられない。


「そうだルナ。黒曜は、僕のAIはどうしてた?」

「《ハル様、黒曜は此処に居ます》」

「えっ、どうして? 君の存在する位置ってエーテルの中じゃないのかな」

「《黒曜にも、わかりかねます。ハル様の脳に付随する形で、コピーされたとしか……》」


 分からない事がまた一つ増えたが、今は味方が増えた事を喜ぼう。問題の先送りは、ハルの得意分野だ。大抵の事は時間が解決してくれる。

 さっそく肉体の制御を一部任せる。意識する必要がなくなった分、脳に多少の余裕が出来た。


 しかしながら、黒曜がこちらに居るのは一長一短かも知れない。彼女が向こうに残っていれば、ネットワーク上の対応を任せられた部分もあった。

 何せハルは今、完全にオフライン状態だ。単純な話、もしメールが来たとして一切対応出来ない。

 その事をどうしようかルナと相談する。


「そこは私が上手くやっておくわ。元々、私達の学園は完全にオフラインだもの。ハルが何日かネットから切り離されても不自然ではないわよ」

「僕も授業中は繋いでないしね」

「このゲーム以外にはでしょう?」

「ハル君、不良」

「残念、僕は成績優良児だ」

「おのれー、勉強出来ると思ってー!」

「代わりにこちらでお勉強しましょう!」


 アイリ先生の有り難い提案だ。流れ弾を受ける形になったユキが、謹んで辞退している様子がおかしかった。


「ルナちー、ハル君がいじめる。ハル君はルナちーの部屋に泊まってる事にしちゃってよ」

「いいわね、それは」

「良くないが?」


 あらぬ噂が広がってしまいそうだ。それを避けるためにも、早めに解決した方が良いだろう。

 見ようによっては、この状況は好期だった。思わぬ結果を生むことになったが、この世界の事を知る、その大きな足がかりになるだろう。

 そのように思い、ハルがカナリーの方を見ると、彼女はただ柔らかく微笑むのみであった。

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