第8話 彼女の葛藤、彼の葛藤
「あ、ハルさんですかー。これ<神託>でしたかー」
「回線分けときなよ……。<神託>って通常のお問い合わせと変わらないの?」
「いえ、こっちは無制限です。通常の方は使いすぎると神罰落ちますー」
さらっと重要情報を口走る運営。事あるごとに何でもかんでも運営を呼ばれたら困るだろうから、妥当ではあるのだろうが、神罰という言い方が怖い。どんなペナルティがあるのだろうか。
しかし無制限とはいうが、それは回数の事だけのようだ。今もMPが減っていっている。そこまで長時間の通信が出来る訳ではないようだった。
「なんかガックリ来ちゃったけど、まずはお礼を。アイリに会わせてくれてありがとう。そのアイリが君の声聞きたいっていうから使ってみたよ」
「おー、ちゃんと合流できてよかったですよー。変に介入されたから冷や冷やしてましたー」
──介入って、迎えが遅れたのは誰かの思惑だったって事かな。
またも重要情報。どうやらイベントの展開は一方向ではない。様々な思惑の絡み合う中で、プレイヤー達は自分の望む方向へ向かうように介入していくのだろうか。
「アイリちゃんー。聞こえてますかー、あなたの神様カナリーですよー」
「は、ひゃいっ!聞こえてましゅ!」
「カナリーちゃん、威厳とかそういうの良いの……?」
今更ではあろうが、信徒に語りかける時だけは取り繕うとかしてもいいのではないか。ハルはガチガチに緊張するアイリの頭を撫でながらそう思う。
「アイリちゃんは気にしませんよねー」
「まあ僕の態度も気にしない出来た子だからね」
「はい! カナリー様はどんな態度でも偉大な方です! ハルさんもです!」
「大人だなー」
カナリーと同列視されたのは誇るべき所なのだろうが、素直に喜んでいいか判断に迷うハル。だが客観的に見れば適当な所などそっくりなので、妥当な評価であろう。
「まあ、もっと話させてあげたいとこだがMPが尽きそうだ。とりあえず聞きたい事だけ」
「レベルを上げるとマシになりますよー」
「ポイント貯めるために大金使って買い物するみたいな感じだね」
回復薬を使ってMPを注ぎ足しながら軽口を叩く。こうして間接的に回復薬を貢ぎ続ければカナリーポイントが貯まってランクアップするのか。
──なんていかがわしいサービスなんだ<神託>。そういう気分的なものの他にレベルアップでなんか実利的な恩恵あるんだろうかこれ。……無くてもそれが自然な気がしてきた。
「アイリは僕の所属が見えてるようだが、僕はアイリの所属が見えない。何が違う?」
「あー、特定の神の信徒はですね、一部使徒と同じ視点を得ます。そしてハルさんのステータスは色付きで見えてますー」
「こちらが神の信徒を見分ける方法は?」
「ありますー」
──有るか無いかではなくその方法を聞いているんだけど。まあ簡単に攻略情報を教えてはくれないか。
「ちなみに<神託>を使ってもプレイヤーと信徒以外にはこの声は届きませんよー。ハルさんならもう幾つか見分ける方法を考え付いてるのではないでしょうかー」
褒める事ではぐらかすつもりなのか、結局教えてはくれなさそうだった。
神託を響かせたりウィンドウを見せたりする方法はいわば結果論だ。結果として特定出来ただけであり、恐らくもっと直接的な方法がある。色付きという言葉からそう推察する。
「じゃあそろそろ切れるに任せるよ。アイリ、ほとんど話させてあげられなくてごめんね」
「いいえ! 貴重な体験でした! カナリー様、お休みなさいませ!」
「はいはいー。アイリちゃんおやすみー。ハルさんもまたよろし」
──切れた。前回と同じで締まらない神である。
今回はハルのMPが原因なので締まらないのはハルである。
《スキル・<神託>のレベルが上昇しました:Lv.2》
MPを七割がた回復させ、またベッドの上のアイリと向かい合う。
0になったままだと<MP回復>の機能もほぼゼロだ。ある程度は能動的に入れてやらなければならない。<神託>のように消費の激しいスキルを使うと回復薬無しではまともに使用が出来ないのは辛いところだ。
今のところ回復薬は貴重だ。初期資金ではいくらも数を揃えられない。
それこそ週単位、月単位で地道に補給を確保して、大規模なイベントで一気に放出するゲームバランスなのかも知れないが。
果たして自然回復だけで相殺できるレベルにまでなるのは何時の日か。
「興奮して失礼な口のきき方をしてしまいました……」
「いいんだよ、カナリーは気にしない。未熟ですまないね、もっと落ち着いて話させてあげられるように頑張るよ」
「いいえ! 普通なら機会すら無いのです。とても感動しました……」
目を輝かせるアイリ。落ち着いてやっと実感が出てきたという感じなのだろう。
実際に神が存在する世界だ。自分の信仰する神と会える、話せるというのはハルには想像が出来ないが、かなり特別な事であるだろうことは理解できる。
「普段は神様はこの世界へは現れないの?」
「はい、ほとんどそういった事は無いと聞いております。歴史の節目に顕現される事が伝えられているくらいでしょうか」
「へー、じゃあどうやって信徒になるんだろう」
「わたくしの場合はカナリー様の方からお選び下さいました。信仰に生涯を捧げても信徒となれるとは限らないので、大変栄誉な事なのです」
まあそうだろう、その信仰に厚い人には可哀想な話ではあるが。
忠誠心はもちろん大事だろうが、ゲームマスターの視点で見た場合、そのユニットがどの程度盤面に影響を及ぼすかの方が重要だ。
──圧倒的な再生力を誇るとか、個人で軍団に匹敵するとか、そういう派手さがあればまた違うんだろうけどね。
しかしそれを踏まえて考えた場合、神が実在する割には信者の数が少ない。言うなれば宗教が発達していない妙な世界と言えるのかも知れない。
「さて、アイリは寝なくて平気なの?」
「はい! ぱっちりです」
手をぐっと握ってアピールするアイリ。憧れのカナリーと話せた事で興奮している。確かに目は冴えてしまっているようだ。
今日は色々あったろうから早く休んだほうがいいのではないかとハルは思うが、その色々の中に精神的に不安定になる事も入っていた事が感じられるので、強くは言わない。
何より自分もその原因の一部だ。気を紛らわせてやれるなら何よりだった。
「それじゃ今度はアイリが僕に聞きたい事は何かある?」
「ハルさんに……。そうですね、ハルさんはどうしてこの世界に来たのですか? やはりこの世界を救うためでしょうか」
「理由か……なんと言ったものか」
これは少し困った事だ。正直に言っていいものかハルは少し迷う。
なにせ向こうの世界ではここはゲームだ。ルナに誘われたのが始まりだとはいえ、遊びに来たと言って良い気分はしないだろう。
そして何より、ハルがこのゲームを選ぶ決め手はアイリの存在だった。当の本人に向けてそれを言うのは憚られる。
開始直後にいきなりルート分岐だ。アイリの好感度が最初からマックスだからといって、告白じみた返答をするのは恥ずかしい。それに、
──それに、彼女はもはや人間としか思えなくなっている。
どうしても単純にゲームキャラとして接する事が出来ない自分に気付いていた。カナリーの時から出来たAIだと感じていたが、アイリは輪をかけて上だ。
これもルナの言うように思考にフィルターがかかっているのだろうか。好みのキャラクター性であるから盲目になっているのか。アイリを前にすると、自慢の並列思考もそれを鈍らせている。
「変な言い方だけど、アイリを見つけたからかもね」
「わたくし、でしゅ、か」
突然の宣言に驚くアイリ。明るく打ち解けた雰囲気に水を差してしまう事をすまなく思いつつも、ハルは真面目に語ることにした。
ハルの選択は偽らない事を選んだ。人間として見ているというなら、偽り無く接する事で誠実さを示したい。最初はゲームキャラとしてしか見ていなかった事に葛藤を覚えながらも言葉を続ける。
「向こうの世界からルナがアイリを見つけてさ、かわいいねって言ってたらカナリーが会わせてくれてね。ルナには他にも考えがあるんだろうけど、僕はそれだけで。……ごめんね、こんな身勝手な話をして」
──いやこれは卑怯だ。拒否されないと分かっているからこんな話をしてる。正直に語るだけが誠実さじゃあるまいに。これじゃ自分の気分の良さを優先しているだけだ。
アイリの態度から何を言っても受け入れてくれるだろう事を感じ、それに甘えている事に気付き自己嫌悪する。
そうして何か言葉を口に出そうとするたびに、もう一つの思考がそれを否定する。だんだんと自分が何を言って良いかが曖昧になり、言葉に詰まる。気ばかりが焦った。
思考のループに陥りそうになったハルに、アイリから帰ってきたのは予想通りの肯定、そして予想外の言葉だった。驚きはまだあるようだが、真剣に答えようとしてくれているのが伝わってくる。
「いえ、光栄でしゅ……うれしいです。身勝手なのはわたくしの方だと思ってました」
「そんな、ことはないよ。君は僕らに良くしてくれて」
「いいえ、わたくしも身勝手なのです。神殿に現れたお二人に、ハルさんに勝手に運命を感じてました。好意を押し付けてしまってました。だからわたくしの方こそ、こんな言い方も変ですが、ハルさんも身勝手でいてくれて、わたくしはうれしいです……」
たどたどしくも、そうアイリは語る。
言われてみれば、そうなるのだろうか。ゲームであるという視点を除外すれば、突然、知らない世界にやってきたのはハルやルナの方だ。普通なら不安を感じている立場であろう。
そこに無邪気な好意をぶつけられても、理由が分からず困惑する場合もあるだろう。
ハルがアイリの好意を自然に受け入れたのは、『ゲーム的な好感度』が高いのだろうという思い込みが大きいと言える。『理由は分からないが、最初から好感度が高いキャラなのだろう。だから懐いているのだな』と、そう無意識に納得していた。
──これもフィルターか。人間にしか見えないと言いながら、ゲームキャラとしての目線が排除出来ていない。
「はしゃいでいる自覚はありました。でもハルさんが、ルナさんも受け入れてくれたので自分を止める事が出来ませんでした。ご迷惑になるのは理解していたのですが」
アイリは続ける。唐突に変わってしまった空気に戸惑いながら、自分の弱さを見せる事に不安を覚えながらも、ハルの言葉に真剣に答えようとしていた。
──しかしそれなら何故アイリはこんなにも、いや、今は彼女の言葉に答えなきゃ。
お互い様だと、気にしなくても良いと言ってくれているのだろう。
不安を感じながらも確かな意思を感じる瞳は王女としての資質であろうか、ハルはそれに見惚れる。言葉は自然と口をついて出た。
「迷惑なんて何も無い。なら、そんな僕でも、これからも君のもとにいても構わないかな」
「はい、もちろんです。こちらこそ、今後とも、こんなわたくしをよろしくお願いしますね?」
「うん。力を尽くすよ」
「よかった……。えへへ、照れますね!」
「そうだね」
ハルは能力を総動員して可能な限りクールに振舞った。内心どうだったかはお察しの通りである。
◇
しばらくの間、お互い内心を吐露し合った事による照れがあり、いじらしくも心地良い沈黙が続く。とはいえ、二人ともその性質により再起動は早かった。
アイリは持ち前の快活さで気持ちを切り替え、ハルは照れを思考の一部に押し付けて強引に表面上の冷静さを演出した。
とはいえ、カナリーの話をしていた時のような大げさな気持ちの昂りは過ぎ去り、おだやかな時間となって流れていく。
「アイリはずっとここで暮らしてるの?」
「はい、一応わたくしの領地という事になっています。領民は居ないお飾りではありますが。カナリー様の神殿をお守りするという名目ですね」
有り体に言えば、中央から、政治から遠ざけられたのだろう。修道院がそんな感じだっただろうか、などとハルは考えるが、しかし流石に危険が大きすぎる環境が気になる。
「そうは言っても、周りに誰も居ないのは危なくないかな」
「人数は少ないですが、腕利きの方が詰めてくれているんですよ。それに誰も居ないからこそ領地に人が侵入すればすぐに解ります。街中よりかえって安全なのです」
「なるほど、結界みたいのがあるのか。流石ファンタジー」
カナリー神殿が予想通り一部の者しか入れないなら、そこに避難する手も使えるだろう。
リアルで言えば私有地の山に人体感知のセンサーを張り巡らせて引きこもるようなものか。どちらの世界もエーテルがセンサーを兼任するので、人件費は最小限に抑えられる。
「そしてどちらも害獣という名の魔物の方がやっかい、か」
「魔物は本当にやっかいです! 神殿へ行くには出会わない事はありませんし」
──プレイヤー用の仕様が本当にすまない。しかしアイリは日常的に戦いに身を置いてるって事だよな。
彼女のMPの現在値の低さや、逆に最大値が高い事について尋ねようかと考えるハル。だがその目にうつらうつらと眠たそうなアイリの姿が映った。
興奮が、落ち着いた話題へと移ったことで弛緩し眠気が出てきたのであろう。
「今日のところはお開きにしようか」
「はい、すみません、もっとお話していたいのですが……」
そう言いながらもその場を動こうとはしないアイリ。
──ここで寝る気なんだな。まあいいけど。何か目的があるっぽいし。
ハル達と話をしたかったのは無論本心なのだろう。だがよく観察してみればそれ以外にも、ここに居る事そのものに目的があるような節が見えた。
今日見ただけで、この家の中の事情だけでも中々いろいろとありそうだ。ハルは彼女の思惑に任せる事にする。
「明かりを消すよ。寝ちゃわないうちにベッドに入って?」
「ふぁい。……おやすみななさーい」
そう言うと、もそもそとベッドに潜っていく。
すぐに小さな寝息が聞こえてきた。
◇
照明が落ち暗くなった部屋で、ハルももう片方のベッドの上に座る。横たわりはしない。
ハルにとっては、これから長い夜の始まりだ。
──AIについての話でも集めてみるか。『AIは人間になり得るか』、『技術的特異点』、逆に『人間は有機的AIであると言えるか否か』。ちょっと古いな。エーテル以前のか。確か以前読んだっけ。
外部に置いてある思考の方でネットに潜る。そうして永夜を読書して過ごそうとして、途中で止めた。
──もう少し後にしよう。自分の目で見て、自分で判断しなきゃ意味が無い。
読書は取りやめ、昼と同じくスキルレベルを上げる作業をして過ごす事にする。ブラックカードを目の前に移動し、<透視>で操作を始める。
「あ、横から光が漏れちゃってる。まいったね、これアイリには見えるんだよね」
寝ているアイリの邪魔にならないように色々と試行錯誤するがイマイチ決まらない。結局、<闇魔法>を発動して覆う事にした。
「って<闇魔法>で包んだら<透視>通らないのか! カードが基準にされてるから移動しても暗闇ついて来るし……。この中に更に<光魔法>。ま、まぶしい……」
やかましかった。
幸いにも、アイリが目を覚ましたりはしなかった。