第799話 自分との闘いという試練
小部屋の扉が開くと、ハルはごく自然にその中へと通される。
別に、まだ『やる』とは言っていないのだが、ここまで来て『試練は別にやりません』というのも変な話だろう。
やらずに戻ったら戻ったで、後ろは王城の内部だ。それはそれで面倒くさい。
「準備はよろしいですかな?」
「……準備といってもね。どうにも急なことだから。何をすればいいんだい?」
「それが、申し訳ないですが試練の内容は実際に行った当人にしか分からないのです」
「君は、やったことないんだ?」
「畏れ多い。啓示もないままに、勝手にお受けはいたしませんぞ」
真面目だ。真面目過ぎる。まあ、そうした忠実な人員をアイリスは選んで配置しているので当然といえば当然か。
野心を持った者が、次々とレベル1になっていっても、それはそれで国として困るのでまあいいだろう。
そう、一つだけ試練の内容で分かっていることは、試練に挑むに際して確実に一度ステータスを全て支払うことになるということ。
それをまた全て回収することが、<王>へと至る条件となる。
完全に順序が逆だが、偶然にハルはその条件を満たしアイリスの元に召喚されてそれを知っていた。
「さあ、中へ。ですがくれぐれもお覚悟を。試練の内容が伝わっていないそれすなわち、外から中の様子は伝わらないということ」
「確かにそうだ。それじゃあ、これを置いていこうか」
ハルは神官の手元に、<召喚魔法>で小鳥の使い魔を呼び出して預けておくことにした。
別にそれを通じて彼の手助けを受けようという訳ではない。もし試練が終わりハルが再びクリスタの街へと転送されて行った場合、そのことを彼に伝える為だ。
その場合、神官視点ではハルが小部屋に食われて消えてしまったように感じられる。
「なるほど。しかしご安心を。その程度で動じるような、我々ではございませんぞ!」
「……変なところで融通が効くんだから。とりあえず、後は任せた」
「ええ、どうぞご安心してお臨みくだされ!」
その態度が安心できないハルだ。なんだか、また尾ひれをつけて城内に噂を流される気がしてならない。
まあ、それもまた今更だ。目立つことを選んだのはハルである。今後の計画に役立ててしまえばいい。
ハルは促されるままに、その小部屋へと入り扉を閉めるのだった。
*
石臼のようなゴリゴリと重く石同士がこすれる音が再び響き、ハルの背後で扉はまた自動で閉まる。
そしてがっちりと封をされると、確かにこの場の様子は外へと伝わらない。
完全に防音室と化した室内では、泣いても叫んでも助けは来ないだろう。
「まあ、大声を出すつもりなんて元々ないけど。しかしなんだ、何だかここ、ゲーマーズスポットの個室みたいだね」
現代においては、ゲームをするのに場所は選ばない。
もちろん、周囲の迷惑を考えないという意味ではない。そこは時と場合を考えてマナーを守る必要はある。
そうではなく、接続環境の話だ。
日本の全土に、その大気中にあまねく存在するナノマシン、エーテル。それらが織りなすエーテルネット、そこへ接続する為の端末となるのは、人脳、人間自身だ。
よってエーテルネット上でゲームをするのに場所は選ばないのだが、どうしても場所によって、その場におけるエーテルの濃度などによって、接続強度に差が出てくるのだ。
その環境値は『クラス1』『クラス2』などと表記され、ゲームによっては『クラス3以上』、『4以上』といった必須環境を要求するものもある。
特に、フルダイブゲームでは条件は厳しくなる傾向があった。
そうなると居住環境によっては、望みのゲームの推奨環境を満たせない人も出てくる。いちいち家まで帰るのが面倒な場合もあるだろう。
そうした人の為に、接続強度を高く保った、更に周囲に迷惑の掛からず安全な個室、それを提供するサービスが存在する。
この空間に入って、そうした個室を思い出したハルだった。
なお、ハルの家は二つの世界のどちらにおいても、最高レベルである『クラス9』に保たれている。
余談であった。今は目の前のこの石の小部屋に集中しよう。
「あからさまに怪しい台座だ。というか台座しかない」
「《今だ! それに手を置くんだぜお兄ちゃん!》」
「いやそれは分かるけど……、急に出て来るなよアイリス……」
「《んだよぅ。お兄ちゃんは私が邪魔だってのかよぅ。あいつらの前で喋るとうるさいんよさ》」
「それは分かる」
アイリスに導かれるままに、というかやることはそれしかないので腰くらいの高さの台座にハルが手を置くと、すぐに反応があった。
台座の上にオーブのような光の玉が現れたと思うと、それに重なるようにウィンドウパネルが表示される。
そのメニューにはイベントを開始する為のメッセージが親切に表示されており、ここで初めて内容が分かるようになっているらしい。
「仰々しい注意書きだね」
「《そらなー。後で文句言われても困っし》」
メニューには、『一時的にステータスがゼロになる』こと、更には『イベントが終わってもその全てが元通りになるとは限らない』ことが目立つ注意書きで示されていた。
いささか雰囲気が台無しだが、まあこれは仕方ないことだろう。キャラクターのステータスも、一応ユーザー個人の資産ともいえる。
ハルはそのメッセージを適当に読み流して同意すると、改めてこの試練イベントを開始する。
すると再び、ハルの視界をもう最近は随分と慣れ親しんだ光が覆い隠すのだった。
*
視界が晴れると、その場はもう狭苦しい石室ではなかった。
広々とした視界の先には、開放的な世界が続く。少々開放的すぎて、下手したら足を踏み外してしまいそうだ。
「空中庭園、って感じかな」
「《お兄ちゃん知ってっか? 空中庭園ってよ、別に空中にぷかぷか浮いてる訳じゃないって》」
「とはいえ、ゲーマーにとっての空中庭園ってのはこういう場所だ。仕方ない」
「《まあなー》」
支えもなく石の道、足場だけが、空中に浮いて通路を形作っている。
脇には木々や花で装飾されているが、壁はない。落ちればどうなるのか? まあ、あまりいい結果にはならないだろう。
空を見上げれば、昼間のような青く澄んだ空だというのに、太陽はなく代わりに星座のような光が天空を彩っていた。
「いつもの神界だね。最初のバグ空間に近いかな。完成したってことかな?」
「《んだよぅ。別に未完成だった訳じゃねーのよ? お兄ちゃんが勝手に、舞台裏に入ってきただけ》」
この星座のような紋章の空。空間の裂け目から侵入した例の世界にお馴染みのものだ。
当然だがアイリスの管理する神界にて、試練は行われるらしい。趣のある世界だが、作り自体はあまり凝る気はないようである。
設置物は最小限にした結果、こうなったという感じ。
「《マップの確認もいいけどよ、お兄ちゃんステ見てみ、自分の》」
「ああ、確かにまたゼロになってるね。お馴染みの感覚」
「《お馴染みなのおかしいんだよなぁ……》」
どうやら台座に現れた神のオーブに力を全て吸い取られたという設定のようで、ハルのステータスは完全に初期値へと戻っていた。
超人のようなジャンプ力を誇っていた肉体も、今は十センチ程度飛び上がるのが精一杯。
この感覚はこれで三度目だ。以前のものはソロモンの<契約書>に力を渡した時、そしてカゲツの神界で平均化された体に切り替わってしまった時だ。
「……ただ、カゲツの時とは違うね。専用ボディに入れ替わったって訳じゃなくて、実際に僕のステータスが減ってる」
「《そらそーよ。そーじゃなきゃ意味ねーもん》」
「だね。このステータスを元に戻すことが、<王>になる条件か」
無くなったのはステータスだけであり、スキルもアイテムも問題なく使えるようだ。
その、培ったステータス以外の力で、困難を突破しろということだろう。
「ヌルゲーすぎない? 特にスキルを封じなきゃ、やりたい放題なんだが?」
「《そーでもねーのよ。居るんさ、人気に任せたゴリ押しが。元々本体が数字持ってる奴だなー》」
「ふむ? 芸能人とかか」
このゲーム、視聴者さえ付けばステータスは上がる。しかしスキルはそうはいかない。
スキルの発生条件は本人の演技の結果。『ロールプレイング』次第だ。この世界での自分を演じられていない者には、それが付いて来ない。
ただ人気があるだけの者では、スキルは伴わないということだ。
「《でもよぅ、お兄ちゃんさ?》」
「なにかなアイリスくん?」
「《……<支配者>使うのだけは、やめね?》」
「そうだね。マジモンのヌルゲーになるしね」
「《ほっ》」
スキルが使えるということは、<支配者>が使えるということ。ハルを信奉する国民NPC達から、ステータスを吸収して超強化するハルの切り札だ。
同じような状況となったソロモン戦では、それを使ってステータスゼロの状態からソロモンを圧倒した。
自分の丹精込めて用意したイベントが、同様に蹂躙されることをアイリスは恐怖しているのだ。
アイリスとそんな話をしつつ天空の通路を進んで行くと、ハルは少し開けた足場へと出る。
大部屋ひとつ分くらいのスペースが取られており、少し動いた程度では足を踏み外してしまう危険はないだろう。
「つまり戦闘用か。素のプレイヤースキルを、試されるって訳だ」
「《ご明察ぅ。流石はお兄ちゃん》」
まあ、伊達に数多くのゲームを渡り歩いていない。ステータスを弱体化されて、かつ『試練』とくれば、予想もつくというもの。
「《だが、これは予想できたかなお兄ちゃん! 戦ってもらうのは、ただの雑魚じゃないぜー!》」
そのアイリスの言葉と共に石畳の隙間から湧き出るようにして現れた黒い液体。それは、ぶくぶくとスライムのようにより集まり、人間の姿を形作る。
人の姿を真似た、顔のないモンスター。『ドッペルゲンガー』などと呼ばれることが多いだろう。
その姿は髪の長く胸のある、つまり女性のシルエットをとってドレスのようなスカート状の衣服を纏った。
「ふむ? 誰だろうか。強いキャラなのかな?」
「《お兄ちゃんだろどお見ても! ふざけてんのかー!!》」
「……だよね。どうも、あの姿が自分だとは認めたくなくて」
「《そのキャラクリしたの自分でしょーが……》」
まあ、そうなる。少し現実逃避してしまうハルだった。お嬢様のキャラクター、『ローズ』を操るハルだが、中身はれっきとした男である。
「『自分との戦い』って奴だね。初手から来るか」
「《ふっふー、油断してたろ? こゆのは最後だもんなふつー。だが安心なお兄ちゃん。力は全盛期のものじゃないのよ?》」
「よかった。全盛期だったらさすがに<支配者>使わないと勝てない」
「《使えば勝てるのはおかしいからな!?》」
そんな二人のコントを聞くのに飽きたのか、真っ黒な『ローズ』は開始の合図もなく容赦なくハルへと襲い掛かる。
その動きは実に俊敏で、どう見てもステータスゼロの物とは思えなかった。
「いやいや、ヤバいでしょこの動き! 達人レベルのプログラム仕込んでるだろ勝たせる気ある!?」
「《おっ、自画自賛かお兄ちゃん? これは、お兄ちゃんのプレイで最も良い時の動きなんよ? 『最高の自分を越えろ!』、それがコンセプトなんよねー》」
「なるほど!」
一気に余裕のなくなったハルだ。なるほど良くある話である。
誰しも『ゾーンに入った状態』という普段よりも一段階動きの良くなる時がある。相手はその状態で、常時襲ってくるようだ。
なかなか、気の抜けない試練が最初からスタートしたようであった。




