第794話 苦手は専門家に外注しよう
ハルは視線の先に意識を集中し、アイリスを、正確にはその先にあるだろうデータの流れを見据える。
その視線に気付いて、またアイリスがいたずら笑顔で自分のスカートをめくろうとするが、目的は彼女の下着ではない。優しくハルは身だしなみを整えてやる。
アイリスはいたずらを咎められてぶーぶーと不満顔だが、そこからは大人しく話題を変えたことから、恐らくはこれが目的だったのだろう。
すなわち、何かを『見ろ』というメッセージ。そのはずだ。そうだと思いたい。
子供特有のいたずらのようなものとはいえ、レディとしてよろしくないのである。痴女なのである。
《このチビ助、マスターを誘惑するとは、ふてーやからです! いつか白銀が、立場をわからせてやるです!》
──こっちはこっちで、レディとしては少々お口が悪いなあ……。
《は、白銀はのびのび育てる教育方針です! 貴重な子供時代、窮屈なのはいかんのです!》
──無限に子供時代やってられる奴が何を言ってる。
まあ実際アイリスや白銀をレディとして教育するつもりなどハルにはさらさらない。単に女の子の下着にどぎまぎしてしまった自分に、自分で言い訳しているだけである。
そんな話題から離れる意味も込めて、ハルは白銀を視界のサポートに専念するよう促していく。
この世界、ハルが細胞レベルで調整された、専門としているエーテルネット上の電脳世界とは違う。
かといって、ここ一年ハルが過ごし慣れ親しんだ、魔力で作られた空間ともまた違う。
正確には他のどれにも当てはまらない仕様だが、最も類似しているのはマリーゴールドの作り出した『妖精郷』だろう。
《マスター、なんか見えたです? コツはこう『ぐぐ~』っと、目ん玉裏返して世界の逆側を見るようなイメージです》
──分からんわそんなん。まあ、頑張って裏返してみるよ……。
《実際に裏返したら駄目ですよ。そこの幼女に、不審がられるです》
──いや裏返さないわ! というか、裏返せないだろ仕様上。
《制限の多い体です。これだから、規制がっちがちは嫌なのです。カナリーを見習えです》
……いや、別に目玉が裏返せれば偉いという訳ではないのだが。
しかし、カナリーのゲームではその自由度の高さにずっと助けられてきたのは確かなハルである。
実は目玉に関しても一切冗談ではなく、その可動域の自由さがあの世界でのハルがやりたい放題する起点となった。
目玉をぐるりと90°以上回転させ“自分のもう片方の眼球を視認して”その構造をコピーし、<神眼>がメインとなるまではしばらくハルの情報収集装置となった、あの『空に浮かぶ目玉』を生み出したのである。
懐かしい話だ。こちらでは、そのような抜け道は徹底的に塞がれており、ハルも出来ることはほぼ一般のプレイヤーと変わらない。
《そんな大変なら、いしきかくちょーしたらいいのです。なんでしないです?》
白銀が不思議そうに問いかけるのは、ハルが切り札ともいえる『意識拡張』による処理能力の向上を行わないことへの疑問だった。
エーテルネットの申し子であるハルは、自身の脳、自身の意識をネットに逆流させ、その世界そのものをまるで自分の脳の延長であるかのように扱える。
計算能力は飛躍的に向上し、感覚的な面でも、世界の見え方は一変する。
今回も恐らく、意識拡張を行えば今苦労している視界の問題は一発で解消されるだろう。
ただ、今それをするのは、少し問題があった。ハルは今、得意の並列思考を駆使して様々な場所に自分を同時に存在させている。
意識拡張を行うと一時的に思考は統合され一つになり、そちらに影響が出てくるのだ。
《別に、今更マスターがおやつの途中で気を失っても気にする人はうちに居ねーです。むしろ、セレステは護衛の仕事ができたと張り切るです》
そんなハルの心を読んだかのように、白銀が問題ないと告げてくる。
確かにハルが『停止』しても、家族の皆は慣れっこだろう。確かにそこは問題ないとハルも思う。しかし、懸念されるのは家の中だけではなかった。
──とはいえ、セフィの方は完全に接続が切れるんだよね、多分。ただでさえ、今は放送切ったことを文句言われてるのに。
《ああ、例の同時視聴です? ……そうです! ならいっそ、そいつにもデータ処理を強要すればいいのです!》
──……強要いうな。でもいいね。データの流れを見るのは、彼の専門だ。
ハルにとって元同僚にあたる、白い部屋のセフィ。最近は、よく彼の部屋に意識の一部をお邪魔させてもらっている。
最近の彼の趣味が、ハルと一緒にハルの演じるこの『ローズ』の活躍を視聴する、という少し趣味の悪いものなのだが、永い時を孤独に過ごしてきた仲間のささやかな楽しみだ。ハルもなるべく叶えてやりたいと共に過ごしている。
ただ、その悪趣味にまったく文句がない訳でもない。
ここは、対価として少々その手を貸してもらっても構わないだろう。
*
「という訳だセフィ。僕の、『ローズ』の視界を共有する。拙い魔力視になるけど、内容を読み取るのを協力してくれない?」
《え、やだなぁ、それは》
「なんでさ? やっぱり、君は中立を貫くとかそういう制約があるのかな」
ならば仕方ない。そういった理由であるならば、無理はさせられないだろう。
ハルは主観をこちらへ、セフィの部屋にて彼と語らっていた自分へと移し、先ほどの白銀の提案を持ち掛ける。
このまるで何もない真っ白な部屋。その中でぽつりと床に座る、ハルと雰囲気のよく似た彼は、口を動かさずに何時ものように頭に直接響く声で否定の言葉を返してきた。
残念な結果だが、元々がハルの問題だ。ほぼ無関係のセフィを巻き込むのも悪いだろう。
《だって、君の視界でしょ? 僕から『ローズ』の姿が見えないじゃないか。僕はここの君と、君が四苦八苦しつつ演じるローズを見比べて楽しみたいのに……》
「よし手伝え。絶対手伝えよセフィ。これは強制だ」
《え~》
前言撤回である。無理をさせてでも彼には絶対に手伝わせると、ハルは深く己の心に誓いを立てた。
この趣味の悪すぎるセフィの楽しみに、視聴料を請求しなくてはならない。
ハルは有無を言わさず、流れるようにこの場に魔法のモニターを作り出す。
そこには“あちらの”ハルの視界が同じ脳を通じて映し出され、そこには雑談をするアイリスの姿と彼女の『社長室』、そして、その空間に流れるデータの奔流がおぼろげに重なって表示されていた。
《ふむふむ。頑張っているねハル。だが盗撮はいけないよ。アイリスも君と二人きりだからこそ、気を許しているんだろうに》
「黙れ全世界ナチュラル盗撮魔のくせに。その、なんだ、稚拙で申し訳ない……」
モニターの中では、再びスカートをめくろうとする彼女を慌てて取り押さえるハルの狼狽ぶりを楽しそうに笑うアイリスの笑顔が映し出されていた。
ここで大画面で下着が大公開されようものなら、ハルの気まずさは計り知れない。本当に必死に阻止していた。
恐らくセフィもアイリスもまるで気にしないので、完全にハルだけがダメージを受けるという罰ゲームだ。
そんなモニターを作り出す魔法は、なんの苦もなく流れ作業で用意できるハル。だが、その画面内に映るデータの流れは、素人目に見ても実に稚拙なものだった。
薄く、そして輪郭もはっきりしない。そして気を抜いた瞬間に、その重ね合わせの映像は途切れ、普通の光学情報のみになる。
《いや、十分だよ。ハルは頑張った》
そんな断片的に過ぎるデータをセフィは、あっさり『問題ない』と断じるのだった。
《目的はデータベースとして、完全な情報を保管しておくことじゃないんだよね。ならば、これだけ見られれば十分だよ》
「流石は専門家。やっぱり、苦手は専門家に外注するに限るか」
《光栄だね。君が外注に出す必要のある仕事なんて、この世にほとんど無いだろうから》
「そんなことないよ。買いかぶり過ぎだセフィ」
特に魔法のこと、異世界のこととなるとセフィや神様たちの方が専門家だ。彼らの協力なしでは、ハルはここまで来ることはできなかった。
特に、それなりに成長したと自負している今であっても、データ処理の能力はセフィには全く及ばない。
ハルはこの白い部屋を真っ黒に染めるほどに渦巻いている魔力のデータ、その流れを<神眼>で横目に見つつ彼の作業に舌を巻く。
セフィは、ハルにも分かりやすいように、ハルの視界を解析したデータを別のモニターへと図解してくれていた。
《これが、このアイリスの部屋におけるデータの流れの意味するところだね。この矢印の先はゲーム内だけでなく、多くは外部、つまりは日本へと繋がっている。そこは僕の領域の外だ》
「任せて。そっちは僕が担当する。まあアイリスのことだ、おおかた予想はついている」
そう言うとハルは、画面の先のローズを操作しあるコマンドを実行する。なにかと言えば、当然、課金。
スキル<信仰>の、そのエネルギーをチャージする為の供物として、日本円を代償にして力を得ていった。
そんなハルの行為に、いつものように大喜びする画面内の彼女。
アイリスのその姿とは別に、そこに重なったデータの流れにも明確に大きなうねりが表れた。
《決まりだねハル。これは、お金の流れだ。彼女はユーザーの課金の流れを追うことで、その後ろにある何かのデータを蓄積している》
「その何かって?」
《それは分からない。さっきも言ったけどそこから先は、僕の領域の外だ。君ならば、それを読み取れるんじゃあないかな》
セフィは分からないというよりは、むしろ『興味ない』といった感じで詳細に纏めてくれたデータをハルに放り投げてきた。
ありがたく受け取り、ハルはさっそくその内容をエーテルネットに照らし合わせてゆく。
セフィに礼を言って画面を閉じようとしたハルだが、それは彼に止められてしまった。
仕事が終わったので後は普通に楽しみたいのか、と少し思ったハルだが、それは違うらしい。むしろ、彼の話はここからが本番のようだった。
《その流れとは別にね、何か変なデータがあるよハル? これ、君の体からかな。多分アイリスは関係ないね。ちょっと視線、下ろしてみてくれる?》
セフィの言っている内容に、ハルはすぐに心当たりを思いつく。間違いない、例の謎の指輪がその原因であろうことを。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/29)




