第792話 密室の第三者
「とりあえず、一度放送を落として考えるね。ちょっと休憩だ、君たち」
《はーい》
《ゆっくり考えてねー》
《今まで雑談回だったもんね》
《仕切り直しじゃ》
《休憩休憩》
《ごはんたべてこよ》
《おつろーず》
《のんびり決めよ》
《配信再開はいつごろ?》
《待ってますね、お姉さま!》
そうしてハルは視聴者に一時休止を告げると、てばやく放送をオフにした。
きちんと接続が切れていることを確認すると、気だるげに力を抜いて、はしたなく部屋の奥にある立派な机の上に腰を預ける。
「めずらしいね、“お兄ちゃん”。即答しねーなんてさ」
「まあね、場合が場合だ。選択によっては、僕のプランを大幅に練り直さなくてはならなくなってくる」
「お兄ちゃんのプランってこの国の<王>になることだったんか。そんな感じには、あんま見えなかったけど?」
「あくまで、『場合によっては』、って選択肢の一部に入ってる程度だね。『王になるぞ!』、って一直線で目指してた訳じゃないさ」
「ほーん。そーなのね?」
その小さな足でアイリスもハルの元へとやってきて、ぴょい、と机の隣に飛び乗って座る。
ほんの少し体重を預けるだけのハルと違って、我が物顔でどっしりと奥まで腰を下ろしていた。
「お行儀が悪いよアイリス」
「お兄ちゃんだって人のこと言えねーのさ。それに、私の机だからいーんだよここはぁ」
「僕だって、ずっとお嬢様のふりは疲れる。普段のような姿勢で息抜きしたい」
「うへへ。人の見てねーとこでは不良のお嬢様だ。ファンが見たら泣くぜー」
お互いに、運営とトッププレイヤーという仮面を一時外して、気の抜けた会話でスタートする。
だが放送を切り自然体になれたのは確かだとしても、ハルのアイリスに対する探りは始まっている。ただただ本当に雑談をして休憩したい訳ではない。
「疲れたんなら座れば? その椅子、おにーちゃんの席だしさ」
「いや、『社長』はルナだから僕の椅子じゃないね。アイリスが座れば?」
「んなら私も座れんなぁ。役員に満たない、下っ端のざつよーですもんで、あっし」
「なら何の為にこの机があるんだ……」
「んー? オプション? オブジェ? だって社長室だしさぁ」
「なんの為に社長室なんだ……」
社長を気取って偉そうにして遊ぶためではないのか。ここで身の程を弁えて遠慮するなら、別に社長室である必要などないだろう。
それともここが、アイリスの望みを知るためのヒントになっているのだろうか?
「アイリスは、社長さんになりたいの?」
それを探るための軽い小手調べとして、ハルは同じ机に隣り合って座る彼女に問いかける。
この神界と称される空間は、彼女らがそれぞれ好きにデザインした場所だ。そこには、その望みが色として表れていることも多い。
例えば電脳世界における味覚の再現に挑むカゲツであれば、非常に分かりやすく食材がこれでもかと鎮座していた。
新たな空間の創造に挑むガザニアは空気の流れまでも詳細に再現したその空間自体が答えとなっていた。
アイリスもまた、この場にヒントが隠されている可能性は高い。
「んー、別になぁ、社長そのものに特にこだわりはないのよ?」
「そうなの?」
「そーなんさ。ルナお姉ちゃんの席を狙ってるーとか、そゆこと特にないから安心して欲しいのよさ」
「そこは別に心配してないけど……」
形の上では、アイリスたち神様たちの共同体である運営陣は、ルナの会社に吸収合併されたことになっている。
新しくこのゲームを開発したはいいが、運営としてサービス提供を開始するのが難しいので、そこを任せたという形だ。
これはまるきり嘘という訳ではない。異世界の存在として次元の壁に隔てられている彼女たちが日本に向けサービス提供を行うには、現地法人の力を借りる方が都合がいい。
特に、今回のような大規模な集客が必要な場合は、どうしても壁のワンクッションを挟む神様たちでは難しかった。
それは、前例となるカナリーたちのゲームを見れば明らかだ。
「でもなー」
「ん? どうしたのアイリス?」
「んあー、なんつーかさぁ。いやお兄ちゃんも分かってんべ? つーかお兄ちゃんが元凶だし。どうしてもこのゲーム、私らの自由には出来んのさ」
「ああ、僕らから魔力の出資を受けて作られてるからね。確かに『売り上げの半分天引き』は、君らにとっては痛い」
「痛いどころじゃねーのよ! 横暴なんよ! ぐむむむむ、あのクソメガネぇ~!」
「あいつメガネかけてない時もあるよ。あと、はしたないよ、アイリス」
「きっとメガネないときは偽物なんさ! あと、おぱんつがなにさ!」
契約を持ちかけた張本人であるジェードを思い出したのか、アイリスは苛立って机の上で胡坐をかくように身を強張らせる。
可愛らしい下着が丸見えになってしまっているので、ハルは丁寧にそれを隠し身づくろいを整えてやった。
「うへへ、そーしてっと、本当にお兄ちゃんみたいよね。今の見た目はお姉ちゃんだけど」
「僕の見た目のことは言うな……、というかこのゲーム、セクシャル関係はオミットされてるんじゃないの……?」
「私は運営だかんなー。特別なんよ?」
そんなどうでもいい所で特別さを発揮しないでもらいたい。何の意味もないだろう。それとも、彼女のパンツが何かのヒントになっているのだろうか?
そんな馬鹿なことを考えつつも、ハルは引き続き注意深くこの部屋を探っていくのだった。
◇
パンツと言えば、彼女のパンツを見て気になったことがあるハルだ。
……いや、えっちなことではない。かつてデータを改竄して勝手に好みの下着を実装していた、エメのことである。
あれ以降、派手な介入は禁じているが、引き続き白銀たちも含めてデータの流れについての調査は行ってもらっている。
最近はゲーム本編の進行が忙しかったせいもあって影に隠れがちになっているが、ハルもまた裏で引き続き、彼女らにその技術についての訓練をつけてもらっていた。
その特訓を思い出しつつ、ハルはその目に意識を集中してじっとアイリスを、そしてその裏に流れているであろう魔力データの構成に向けて目を凝らす。
「ん? どーしたん? あ、分かった、もっかいおぱんつ見たいんしょ! もー、しょーがないなぁお兄ちゃんはぁ」
「……見せんでよろしい」
「でもよぉ? せっかく作ったんだし、この機会に盛大に見せといた方がよくね?」
「見せる機会がないなら作るな!」
意味不明な理屈に呆れつつ、ハルはアイリスの身を持ちあげて丁寧に座り直させる。
机の上ということを除けばお淑やかな姿勢にさせられてしまったお転婆なアイリスは、しばらくぶーぶー言いつつも大人しく従ってくれた。
「……まったく。この場に僕以外が来てたらどうするつもりだったの?」
「んー? 安心してよおにーちゃん。そん時はてきとーだからさ。まあ、お兄ちゃんがアイリスで始めた時点で、他の奴が来ることなんかないっしょ」
「それはまあ」
自惚れではあるかも知れないが、この条件、ハルより先に満たせる者はおるまい。
そんな、まるでハルを狙い撃ちにしたかのような設定と言動。それはすなわち、ハル自身が、アイリスの目的と何か関係があると見てもいいのだろうか?
いや、そう決めつけるのは軽率が過ぎるだろう。ハルが目的であるならば、このゲームを作らずとも“あちら”でハルと直接接触すればいいだけだ。
「……狭い世界で、どうあがいても対象者は一人。アイリスは、あまり多くの人間の意識を必要としていない?」
「まーたそうやって探ろうとするぅ。別に、ミントみたいに特定の個人を狙い撃ちにしてる訳じゃないから安心していーのよ?」
「そうなの?」
「だって考えてもみんさいお兄ちゃん。国で最もステータスの高い奴ってことは、それすなわち最も視聴者が付いてる奴ってことなんよ」
「確かにね」
その一人を引き込めば、それは自動的にその人物のファンも大量に引き込めると考えることも出来る。
まあ、納得できなくはない考えだ。ただ、やはり何かが引っかかるハルだった。
そこには他の神様たちに見られる、積極性のようなものに欠けている印象がある。
「探るなら、やっぱ私のおぱんつにすべきなんよ! どだった? さっきの? お兄ちゃんの好みはどーゆん?」
「そしてこの露骨な話題反らし……」
ある種の必死さすら感じる。見た目通りの子供らしさといえばそれまでだが、これも神様らしくない気がする。
彼らは『言えない』が非常に多い者たちであるのは、これまでも散々経験してきているハルだ。しかし、その時ははっきりと『言えない』と口を噤む。
こんな風に、無理に話題を反らそうとすることは稀である。
よもや、そこに何か糸口があるのだろうか?
たとえば、ここでその話を続けること自体に問題がある、とかそのような。
とはいえ、ここにはハルとアイリスの二人、他に誰も聞いている者など。そう考えそうになるが、改めて思い直す。
もう一人、と言っていいか分からないが、この場には二人の他に状況を察知している存在が居る。
常に静かにハルの右手にて佇む、最近大人しかったあの指輪の存在を、ハルは思い出したのだった。




