第789話 社長室
「これはまた……、この展開は、さすがに予想外だったかな……」
光の収まった視界でハルは周囲を見渡してみると、そこは思った通り先ほどまでの執務室とはうって変わり、まるで見たことのない空間だった。
この現象には憶えがある。このゲームにおいてもお馴染みとなった、何度目かの神界へのご招待だ。
「さて、今回はいったい何のトリガーを踏んだのやら」
周囲の光景から、恐らくは“正式な”イベント招待だとハルは当たりをつける。
特別で達成難度の高いゲーム内条件をこなすことにより、運営からご褒美のようなプレゼントが与えられることが分かっている。
他にも、謎の指輪による強制転移も存在するのだが、最近はそちらは大人しい。
そして、指輪による転移はゲームのシステムの外、所謂『バグ』のような形で発生するのが常だった。
その際の光景も、見るからに『舞台裏』といった簡素なフィールドに飛ばされる。
今回のような、まるで『現代日本のオフィス』、といったしっかりとしたマップ設定が行われていることはない。
「……しかし、なんだこの世界観のガン無視は。あからさまにデバッグルームだ」
《いきなり日本だ!》
《確かに運営の世界だけどさ(笑)》
《神界は日本だった!?》
《まあ、ゲーム内から見れば……》
《俺らは神だった!?》
《それはない》
《それはない》
《自惚れるな》
《明らかに隠しマップだね》
《また神様の降臨か!》
《しかし突然すぎる》
《いったい何が原因だったんだろ?》
「……さて? 考えられることはいくつかあるけど、どれも決定打はないね。願わくば、『プレイヤーを毒殺した数』、じゃなければいいのだけれど」
ハルは周囲に規則正しく並ぶデスクを見て回り、そこに置かれたオフィス用品を手に取ったり、窓際まで歩いてそこから見える外の風景を確認したりする。
時代設定は特に問題なく今の時代。神様たちの得意とする、百年以上前の前時代ではないようだ。よく勉強している。
外の光景も、実際に存在する日本のどこか、という訳ではなくオリジナルのようだ。
エーテルネットに照合してみても、該当する風景は存在しない。そこから何かヒントが得られないのは残念だが、逆にハルたちの機密情報が漏洩することも無いので良いことだろう。
視聴者たちに、『ここが実在のオフィスか?』、などと特定されても面倒だ。まあ、この運営にオフィスなど存在しないのだが。
「しかし、今回は呼んだのは誰なんだろうね? コスモスの例もある。アイリスに居るからといって、アイリスに呼ばれたとは限らないけれど」
《残ってるのは、あと?》
《リコリス様かな? ガザニア様も?》
《ミント様は?》
《<精霊魔法>が濃厚》
《じゃあリコリス様かな?》
《リコリス様かなぁ。プレイヤー殺傷数とかで》
《戦いの国の神様だからなぁ》
《それなくね? もっとPVP多い奴は居るだろ》
《しかも、毒殺がカウントされるかなぁ》
《撃破カウントは撃破カウントだろ?》
《相当な数をやっつけたもん》
確かにハルは『生命保険』の効力を発動させる為に、ソロモンのクランの構成員をデスペナルティに追い込み続けた。
それが原因であると考えるのが一番自然ではあるのだが、一方でそれではイマイチ腑に落ちない点がある。
「少し、それはどうかなと言わざるを得ない。いや、毒殺か直接対決かの違いじゃあなくってね。そもそも今回のアレは、僕の撃破カウントに入っていないんだ」
《なんと》
《何でだろう? 毒殺は想定されてない?》
《毒殺もあるはずなんだけどなぁ》
《分かった。『相手が勝手に使ってるから』》
《なるほど! <契約書>の効果だからか!》
《そんなんあり!?》
《『僕は毒を用意して渡しただけです』》
《毒を飲んだのは、相手の勝手》
《通るかそんなんー!》
《なんだっけ、ほーじょ罪?》
《リアルじゃないんだ。それはそれ》
《システムがカウントしないなら、そういうもん》
「少し抜け穴じみてるね。まあ、<契約書>が正規のシステムではないからだろうけど」
実際はハルがハルの意思でプレイヤーを撃破しているのだが、実際の判定は『自分で毒を飲んだ』判定となっているようだ。
ハルは毒を用意し送り付けただけ。<契約書>の効果により、アイテムは送り先の相手が自動使用している。
「よって、プレイヤーの撃破数が条件となっているのは考えにくい。ただ同時に、短期間での大量ポイント付与も候補から消えるんだけど」
毒殺が正規のシステムでカウントされないということは、同じく<契約書>によって回収したポイントも正規のシステムではカウントされていない。
よって、条件が大量のステータスアップという可能性も除外される。
「……そもそもその条件なら、他に候補が出てもおかしくない。リアルで大人気な人の初参戦時とかね」
《確かに凄いのあった》
《芸能人の人な》
《ランキングとかあるの?》
《集計取ってる人は居る》
《お姉さまの記録は三位》
《意外と低い!?》
《これで三位! 上は化け物かよ……》
《あくまで瞬間風速だからね》
《ローズ様は継続的だから》
《総量ではトップよ》
人気が力となるこのゲーム。当然、現実で元々人気の人物が、そのファンを引き連れて参加すればそれだけステータスは上がる。
開始当初はそうした元々の著名人が無双して終わりの白ける展開になることが懸念されたが、実際はそうはならなかった。
ハルは置いておくとしても、活躍しているのは無名の者が多い傾向にある。
まあ無名といっても、ケイオスを始めとしてある程度他のゲームで名をはせたプレイヤーは多く混じっているのは当然だが。
「撃破数も違う、ポイントも違う。ただ、どう考えても<契約書>によるポイント回収が理由なのは間違いない。難問だね、これは」
ハルはオフィスの見分をしながら、この場に呼ばれた理由の推理を続ける。
神界に呼ばれるのは、今までの傾向から何かしらの『偉業』を成し遂げた時だ。ランダムではない。
コスモスは『賢者の石』の作成。ミントは<精霊魔法>の件で政府高官に渡りをつけること。カゲツは最上層の物件の所有。
それらに並ぶ偉業を、何かハルは知らぬうちに達成していたのは間違いない。
「<契約書>の効果を除外すると、僕自身に理由があることになる。だたそれがハッキリしないね。でもまあ、“誰が”呼んだのかは分かるよ」
ハルはこの、現代日本のオフィスを模した周囲の空間を眺めながらやや呆れぎみにそう語る。
その空間を支配する神様の趣味が反映された、この神界。こんな世界を作り上げる相手に、ハルは心当たりがあった。
まあ、まだ見ぬリコリスがそうだという可能性もなくはないが。
「どうせアイリスだ。こんな世界を作るのは」
ハルは言いつつ、オフィスの奥にあった扉を開き先へと進むのだった。
*
「コングラーっ! せーかいだぜ、お姉ーちゃん! そしてようこそ『社長室』へ。よく来た、歓迎するんさ」
「何が『社長室』だ。社長じゃないだろ、君は」
社長はルナである。アイリスは運営責任者ではあるが、社長ではない。
要らぬことをつい口走ってしまった感はあるが、これは公開情報だ。視聴者も少し混乱しているようだが、どうやら『製作会社は確か外注だった』という事情を知っている者もそれなりに居たようで、しばらくすると沈静化した。
今は、その幼く可愛らしい容姿。美しい金髪。首から下げた、大きく『運営』と書かれたタグのシュールさなどに話題が集中している。
舌ったらずで生意気そうなその語りに、聞き覚えのある者も多いようだ。
《おいおい、困るぜぇおにーちゃんさぁ。どっかでバレないように、気ぃつけるんよ?》
《黙れ守銭奴。何が社長だ。というかアイリスも、『お姉ちゃん』は口を滑らせたな?》
《お、『お兄ちゃん』と言わなかっただけ褒めて欲しいのよさ! 直前で私の高度な危機管理能力が働いたんよ!》
《不安すぎるこいつ……》
ということは、ブレーキが掛からなければ何時ものように『お兄ちゃん』呼ばわりされていたということか。
腐っても運営だ。アイリスのその言葉は、ハルの中身の性別を疑われるには十分な火種だろう。危なすぎる。
「まあまあ、いーじゃんさぁ細かいことは。そして“初めまして”諸君! 私がアイリス、この国の神様なんだぜぇ。敬えー」
「……公式放送でお馴染みだね。“初めまして”アイリス。それで、僕はどうして呼ばれたの?」
「そりゃもちろん! ユーザーが運営専用マップに呼ばれる理由と言えばだな!」
「レア職の授けだね」
「そこは『違反行為のペナルティ』だろぉ! 話合わせろよー、おねーちゃんさぁー!」
嘘のつけない彼女らの悲しさかな、こちらが合わせてあげないと、冗談も一苦労だ。
だが今は彼女との愉快な語らいよりも、ハルも視聴者も知りたいことがそれだった。いったい、どんな条件にてハルはここに呼ばれたのか。
「にゃるほどな、気になっちゃって仕方ない訳だ! まー確かに、うちの条件は特殊だからなぁ」
「だろうね」
「では、はっぴょーいたします! ……どうしてここに呼ばれたか、お分かりですね!? それは、“一度ゼロまで下がったステータスを、元の数値まで復旧したから”なんさぁ!!」
「分かるか、そんなもの!!」
アイリスが告げた条件は、通常プレイではどう考えても達成不可能なもの。そして、ハルが呼ばれた理由としては実に納得せざるを得ないものなのだった。




