第786話 神の子の凱旋
そんなふうにして、エメから各国の事情を聴きつつハルたちの船はアイリスの領空へと入る。
この世界は、広いようで狭い。この飛空艇の速度をもってすれば、雑談しているあいだに海を渡るのはあっという間のことだった。
「ハルさんー、『アイリス』エリアに入りましたよー。進路は、どーしますかー?」
「おっと。そうだねカナリーちゃん。とりあえず、我らがクリスタの街に戻ろうか」
「王城に直接乗り付けないんですかー?」
「それも良いとは思うけど、また要らぬ挑発することになっちゃうからね」
「挑発しましょーよー」
そんなカナリーの発言には笑って誤魔化すしかないハルだ。
アイリスの国では今、既存の権力者、つまりは貴族達にとってハルの存在は非常に脅威となっている。
国民にハルの人気が上がり過ぎたこと、ハルが新興の貴族であることが原因となっている。
この国では貴族は大きく二種類に分けられており、一つは昔から代々続いている『貴族』と聞いて普通にイメージしやすいタイプだ。
彼らはその歴史の深さを重んじており、新参者への風当たりは強い。
そして、もう一つが変な話ではあるが、『今の代で突然生まれる貴族』である。
この国では貴族は神であるアイリスに見出された優秀な人材が、突然その日から啓示を受けて貴族に抜擢されることがある。スカウトのようなものだ。
実は正式な『貴族』という地位は彼らのものであり、代々続く貴族達はその称号を自称しているに過ぎなかったりする。
当然、両者には軋轢が生じ(といってもほぼ一方的な敵視だが)、国の体制に深く根差す大きな問題となっていた。
ハルも当然、後者のいわば『真の貴族』であり、既存貴族からのやっかみは強い。
更には王都襲撃の際にその活躍によって、市民から絶大な人気を得てしまったことが一層それに拍車をかけているのであった。
「そんな状態でこの船で王城に乗り付けたら、また何を言われるか。まあ、いずれやることには変わりないんだけど」
「準備期間を与えてやるんですねー。無駄な準備のー」
「そうだね。言い方は悪いけど。それに、僕の方も準備が必要になるし、何より領民に顔を見せてやりたい」
「そういえば、しばらくわたくしたちの領地に戻っていませんね!」
確かに、とアイリが納得する。
ハルたちがこの国を出る時は、首都の王城から直接出発して行った。国の飛空艇に乗ってガザニアへと飛び、そこから紆余曲折を経てカゲツにそのまま直行したハルたちだ。
自領であるクリスタの街を最後に見たのは、あのカドモス公爵と対決する前のこと。ここらで一回、顔を見せておいた方が良いだろう。
「領民の皆も、王都での事件の話を聞いて不安がっているだろう。あれ以降、僕が戻らないし」
「そうね? それで本音のところは?」
「……今後、僕が<貴族>としてどんなルートに進むべきか決めかねている」
「やっぱり、要らぬことを気にすると思ったのよね」
「言わないでルナ」
「あはは、あの領地のひとたち、多少ハルちゃんの姿が見えない程度で信仰心が揺らいだりしなそーだもんね」
そう、ハルとしては不本意なことに、領地の市民たちのハルへと向ける感情は色々あってもはやユキの言う通り、『信仰』の類だ。
多少領地へ戻らなかろうと、その忠誠が揺らぐ彼らではない。
それでも、ハルは一度クリスタの街に戻ることを決めた。
そこには、他国での立て続けのイベントからの自国の政争イベントと進む前に、一度まず休憩期間を挟みたかったのだった。
*
そうして到着したクリスタの街。その姿は、出発時とはまるで様変わりをしていた。
悪い方向ではない。もちろん、良い意味でである。しかし、例え発展であろうとも、その変化が常軌を逸していれば、見る者は度肝を抜かれるものである。
《うえええ!? 発展すしぎじゃね!?》
《いつの間にこんななってた!?》
《あれ? 知らない人いたんだ》
《あっという間だったぞ》
《だから知らないんだってば(笑)》
《俺らローズ様の配信専門だし》
《こっちじゃご領地は映らなかったしなぁ》
《こんなことになってたのか……》
《なんで飛空艇の発着場があるんだよ(笑)》
《そりゃ、ローズ様が飛空艇をお造りになられたからよ》
《ご主人様を困らせる訳にはいかんからな》
《また街の構造が一変しておられるぞ!》
そう、ハルたちの船は街の郊外に空き地を見つけて降りるといったミナミたちのような降り方ではなく、街の中心部へと向けて堂々と乗り込んで行った。
かつて商業施設がひしめいていた街の一等地はいつの間にか、この巨大な船がすっぽりと入るほどの空き地、空港が作られており、ハルたちはストレスなく飛空艇を着陸体勢に入れられた。
ここならば、自宅でもある領主館への移動もすぐだろう。
その『空港』の周囲には、空からでも一目で分かるほどのNPCの人垣が出来ている。
ハルの、敬愛する領主の作った黄金の船を一目見ようと、そして領主の凱旋を直に出迎えようと、市民たちがこの場に詰めかけて来ていたのであった。
「でも確かに、いつの間にハルちゃんこんなんなってたん、この街?」
「びっくりした、ユキ?」
「うんうん、サプライズさね。びっくり、びっくり」
「それなら、こっそり進めてた甲斐があった」
「なにゆえこっそり進める必要があったのか……」
まあ、別にこっそり進めていた訳ではない。特に言い出すタイミングが無かっただけである。
ハルは外遊の間にも、領地における領主としての仕事はきっちり進めていた。
何度かユキたちや視聴者にも言っていたが、執務室に使い魔である小鳥を配置して、その使い魔に『存在同調』して政務を行っていた。
スキルによりハル本人であるという判定になった小鳥は、遠隔操作で問題なく全ての業務を執り行うことが可能だ。
それにより、日々の業務をこなす傍ら、このように街の大規模な改造と、更には手に入れた飛空艇の発着がスムーズに出来るように準備をしていたハルなのだった。
全ては、思考を複数持つハルの能力、その本領が発揮された結果であった。
「なーんか、街そのものがでっかくなってない?」
「そうだよユキ。この街も、移住希望者が増えたからね」
「それって、もすもす公爵のトコのひとたち?」
「まあ、彼らもそうだけど、純粋にここに住みたいって引っ越してきた人も多いね。それこそ首都からも人が来てるよ」
カドモス公爵が送り込んで来たクリスタの街攻略用の軍隊。それらは無傷で全て、ハルの街で保護されることとなった。
それに留まらず、今この街が発展していると聞きつけて、NPCの移動が起こっている。
これは、首都でのハルの大暴れも影響しているのは間違いないだろう。
「ふーん? なんだけ? えむあんどえーってやつだっけハルちゃん?」
「ヘッドハントかな、ユキが言いたいのは? 別に、買収でも引き抜きでもないが……」
「でも、やっていることはそれに近いかも知れないわね? 首都というライバル都市から、住民という社員を大胆に引き抜いているわ?」
「ルナまで……」
首都側から見れば、喧嘩を売られているのと変わらないかも知れない。
ハルにそんな気はなくとも、歴史ある貴族との、そして王室との確執はこれでまた深まったとも言えた。
「着陸しました! お姉さま、どうなさいますか?」
「そうだねアイリ。せっかくだ、彼らにも顔を見せておこう」
「はい! それがいいかと思います!」
そんな完成したての空港にハルたちの飛空艇は降り立った。
この地から、再び<貴族>としてのアイリスにおけるハルのイベントが進行していくことになる。
*
「お出ましになられたぞ!」「おおおおおおお!」「領主さま! 領主さま!」「ローズ様ぁああああぁあ!」「お美しい……」「いまこちらをご覧になられたぞ!」「なんと神々しい……」「神の子のオーラが見えるようだ!」
《なんか、俺らの擬人化が一杯いる》
《俺らは人ではなかった……?》
《まあ、そうかも》
《人と言うにはおこがましいかも》
《ちょーっとおこがましいか》
《いったん止めとくか、人》
《俺も人間を止めるぞ!》
《勝手に巻き込まないで?》
《主語がでかい》
《でも、ある意味ファンのひと達だよね》
《加わりたい》
「……ちゃんと『人間』だよ、君たちは。それと、参加したいなら参加も出来る。別に、プレイヤー禁止じゃないからね、列への参加は」
「そうそう。まだ間に合うぞー。後ろの方になっちゃうだろうけど、そこはモニター越しに見れるのがプレイヤーの特権じゃ」
「……ここの視聴者たちは、プレイヤーキャラクターを持っていないのではなくて? それに、クリスタの街に滞在していないでしょうに」
「あ、そかそか。残念だ、せっかくお屋台も出てるのに」
「何で出てるんだ……、屋台なんて……」
目の付け所がユキだった。この『祭り』の特需を見込んで、群衆の一歩外には食べ物や飲み物を売る即席の屋台が見える。
もちろん、カゲツでの料理大会の時のような美味は見込めないだろうが、この場においてはこの盛り上がりこそが最大のスパイスだ。
物が屋台のジャンクフードであったとて、その味は不思議と満足感を感じられるものになる。
このあたりは、ユキの意見に賛同してもいいと思うハルなのだった。
「まあ、現地にいるプレイヤー諸君は楽しんでくれたまえ」
ハルは特別に開放された空港内へと押しかけた大群衆の、人の壁で作られた道をゆっくりと進んで行く。
ときおり手を振ったりして彼らにアピールしてやると、それだけで大歓声が上がるのだった。もはや領主ではなく、芸能人か何かである。
「しかしハル? セキュリティは大丈夫なのかしら? いえ、あなたのことだから、物理的な脅威などないのでしょうけれど……」
「そうですね。ハルお姉さまを暗殺するのは不可能でしょうけれど、この集まった民たちそのものが標的にされることも考えられます」
「ああ、それは大丈夫だよアイリ。ルナも、あまり心配する必要はない」
「それは、何時ものようにカナリアで空から警備しているから?」
「流石はー、優秀な子たちですねー」
「それもあるけどね」
ハルの頭上には普段通り、使い魔のカナリアたちが旋回して地上の様子を警戒している。
その監視網は怪しい行動をする影を即座に捉え、この場を警備する兵士兼スタッフは即座にそこに駆けつけるだろう。
しかし、ハルが安全を確信するのはそんな理由ではない。
そんな事後対応の強度による安心感ではなく、事前に安全はほぼ保証されているようなものだった。
「……ここの参加者は皆、『感染者』の人だから」
「おお、例の<精霊魔法>だ! てか感染ゆーなハルちゃん」
「なるほど! 皆、お姉さまの『面接』に合格した熱心な者たちなのですね! この熱狂も、納得です」
「いや、順序が逆というかねアイリ。みな喜んで自分から<精霊魔法>を受け入れるような人たちでね。そもそも『面接』する必要がなかった……」
「なるほどね? あなたに喜んでその心をオープンにする者達ならば、そもそも警戒の必要は薄いと」
そういう事である。ルナの言うように、彼らはその心に浸食するハルの<精霊魔法>を喜んで受け入れている。
そんな者たちが反逆する心配はほぼ皆無であり、これだけの大群衆であっても特別な警戒は必要ない。
ただ、その状況自体が異常なことであるのもまた確か。
ハルはどこからか聞こえてくる、『神の子の降臨だ』、などという言葉に、どうしてこんなことになったのだろうかと、そう自問せざるを得ないのだった。
※誤字修正を行いました。ルビの振り忘れを修正しました。誤字報告、ありがとうございます。




