第785話 闘技大会の噂
「それじゃあ、任せたよシルヴァ」
「よいよい。大船に乗ったつもりでどーんと任せい。いや、これから船に乗るのはお主じゃったのう。くっふっ」
「楽しそうでなにより」
塔の上層にあるシルヴァの家の、その広大な庭。そこに停泊させてもらっている自分の飛空艇に乗り込み、ハルは出航の準備を整える。
色々と波乱のあったカゲツでの活動も一区切り。これよりハルは所属国であるアイリスへと帰還し、再びそこで活動を再開する予定だ。
恐らくアイリス<貴族>としてのイベントも、帰還後に大きく動くだろうとハルは予想している。
なのでホームグラウンドに戻るからといって、落ち着いた日々は送れないだろうし、また送るつもりもない。
「では、息災での。とはいえ主のことじゃ、また出てすぐに、商売の知らせを入れてくるのじゃろうが」
「まあね。苦労をかける」
「なんのなんの。ワシら商人は、暇なくあくせく動き続けてなんぼよ」
「『不労所得こそが商人の到達点』みたいに言ってたくせに……」
「カカッ、それはそれじゃ! 結局そんな状況でも、商いは飽きないのじゃ!」
これは、ハルのやるような駄洒落ではない。ある意味で正しい使い方だ。
シルヴァの資産規模ならば、それこそ比喩ではなく一生遊んで暮らせるだろうに、今日も今日とて彼女は商売に夢中である。
きっと目的あってお金を儲けているのではなく、お金儲けに至る手段が好きなのだろう。
「じゃ、またねシルヴァ」
「うむっ。また会おうぞ」
彼女に手を振って別れ、仲間たちの乗り込んだ飛空艇を発進させる。
ハルが飛空艇の飛び立つその庭を見下ろしてみれば、シルヴァはこちらが見えなくなるまで、その小さな胸を目一杯に反らして去りゆく飛空艇を見送ってくれていた。
そんな彼女に名残を惜しみつつも、ハルは高速でカゲツの首都にそびえ立つ『成金の塔』から離れて行く船の指揮を取るために、艦橋へと入っていった。
*
「そういえばハル? 最上層の旧、伯爵邸には飛空艇の停泊場所が無かったのでなくて?」
「そうかも。これは、またこっちに来る時は、シルヴァの家を玄関として使わせてもらわなきゃね」
「あはは。シルばーちゃん、文句言いつつも喜びそうだね」
ブリッジに入って来たハルの姿を確認すると、ルナとユキが出迎えてくれる。話題は、遠ざかり小さくなってゆくあの塔のこと。
塔としての特性上、上に行くほど細くなっていくあの場所は、特に天上人専用である最上層でそれが顕著だ。床面積がそれだけ狭くなる。
飛空艇の停泊エリアはカットされ、大胆にそして豪華に、全て居住スペースに当てられていた。
このハルたちの巨大な船が、直接あの家に乗り付けるのは不可能そうだ。
これは恐らく、セキュリティ上の観点からの問題もあるのだろう。
飛空艇による直接降下が可能であると、それだけ気を払うべき侵入者への対応タスクも増えてしまうのだ。
「問題ないんじゃないですかー? 今度は、てっぺんに直で乗り付ければいいんですよー」
「頂上に停泊ですか! 流石はカナリー様、だいたんなのです! 確かに、お姉さまに相応しいです!」
「そうでしょー、アイリちゃんー?」
「……ですが、カゲツ様に怒られないでしょうか? てっぺんは、カゲツ様のお住まいなのですよね?」
「そーゆー『設定』なだけですよー」
「確かに、あのクッキングスタジアムは実際の頂上とは別空間のはずっすね。わたしたちが踏み込んだ『頂上エリア』と、実際の頂上は別のはずです。そもそも世界観的にも神は地上に体を持っていないはずで、『住居』というのはあくまで概念上の話のはずっす」
一方、『頂上から乗り込めばいい』、などという大胆な発想をするのはカナリーたち異世界組だ。
こちらは自身も元神様のカナリーと、カナリーが言うなら大抵のことは納得してしまうアイリ。ハルがツッコミを怠っていると、大抵ろくな事にならない。
特に今は、冷静に情報分析しているようにみえて常識が欠如しているエメも合わさり、余計に収拾がつかなくなっていた。
「まあ、それも楽しそうではあるけど、やっぱりシルヴァの家から入ろうかな。彼女との付き合いもあるしね」
「それに、まだ見ぬ他の最上層の住人との軋轢は避けるべきだわ?」
「そうだねルナ」
結局、ルナの言うように他の天上人はカゲツへ滞在中、影も形も見えなかった。
互いに不干渉を貫いているのか、単にハルや他者にそもそも興味がないのか。隣人となった後も一切の挨拶等、接触が皆無であったのだ。
どうやら真の金持ちは、自分だけで完結しているらしい。
そんな、まだまだ謎の多いカゲツの国。その謎の掘り下げは、他のプレイヤーに任せることにするハル。
食材アイテムに潜む謎。ハルの手に入れた工場のようなダンジョン経営の向かう先。それらはこれから、ケイオスを始めとした野心溢れる者たちが解き明かしてくれるだろう。
カゲツの情報開示を活気づけるというハルの目的は、十分に達せられたと言っていい。
「そういえばエメ、他の国の、他のプレイヤー達の進行状況とか。今どんな風になってるんだい?」
「ネタバレしてもいいんすか!?」
「え、いいけど……、どんだけ我慢してたのさ、凄い勢いだね……」
「コホン! いえいえ、大丈夫っす。別に言いたくって言いたくって仕方なかったけど、ハル様が『ネタバレ禁止』って言うから必死に我慢してたとか、そんなことはまるでないっす! わたしは、『待て』が出来るおりこうさんです」
「でも、出来れば言いたかったと」
「はいっす!」
さすがは嘘のつけない神様である。正直でたいへんよろしいことだ。
情報を集積し分析する。それが今回エメに与えられた仕事である。その成果を発表し、ハルに評価される瞬間を今か今かと待ち構えていたのだろう。
今日のエメは、いつも以上に張り切っていた。
「よろしい。ではエメくん、集めた情報を発表してくれたまえ」
「はいハル様! では、まずは『ミント』の国ですけど、どうやら伝説の召喚獣的な何かが発見されそうな気配ですよ。伝説っす、伝説」
「されそうな?」
「そうっすよ! わたしたちが乗ったでかいドラゴンいるじゃないすか。あれみたいな感じで、特殊な儀式で呼び出す奴が居てですね、例の巫女さんを中心にイベント進行中っすね。まあ、とはいえ参加者は一部のプレイヤーに留まってます」
「ああ、あの国は確かに、攻略よりも可愛いペットと触れ合いたい人が多かったもんね」
「はいっす」
「ちなみに、同じ<召喚>を使う者としてエメは興味は?」
「ないっす」
無いらしい。こう断言するからには、本当に無いのだろう。
あくまでエメの役割はハルのサポート。ゲーム内における<役割>には、一切の興味がないようだ。
「次は『ガザニア』っすね。こっちは派手な動きはないですが、新製品の開発ラッシュが地味に加速してます。ハル様の渡したミスリル系素材とかが引き金になってるのは、想像に難くないっすよ。流石はハル様っすね!」
「無意味におだてるな。ああ、そういえば、あの鉱山はどうなってるの?」
「例の組織の潜伏先っすね。あそこ、実質ハル様の支配下に入ったんじゃないですか? ソロモン様にお聞きになってみては」
「ああ、あそこ、伯爵の所有地じゃなくてソロモンの個人所有だったんだ。彼もなかなかやる」
全てが明らかになった今なら、あの地で何が起きていたのかも理解できる。
伯爵を通じてあの山を買い取ったソロモンが、その権利を悪用し内部に潜伏、拠点としていた。
そしてハルが踏み込んだその時から、現場責任者に裏で通信を入れる。彼に対し、『ハルに装置を決して渡すな』と強要していたのだろう。気の毒な話だ。
「僕とソロモンの板挟みになった彼、元気にしているといいのだが」
「今度はそのお二人が、揃って上司に就任っすね。にししっ!」
「……まことに気の毒と言わざるを得ない。彼の胃に合掌」
「ご冥福をお祈りするっす」
敵対していた二人が同陣営となったことで、今後はより無茶な要求が飛んでくることが容易に想像される。というかする、ハルが。
かつて上司の命令で逆らった相手が、その更に上司になろうなど、どうして予想できようか。
一応相変わらず、命と生活は保証するつもりのハルである。そこだけは安心して構わない。
「そんで、『カゲツ』は今まで居たからいいとして。『アイリス』も、これから帰るからいいとして。残るは『リコリス』と『コスモス』っすね。どっちが聞きたいっすかハル様? いちおう、大きな動きがありそうなのはリコリスの方っすけど」
「そうなんだ? じゃあ、リコリスの事情で」
「りょっ! っす!」
元気よく了解の意を表し、ハルたちのまだ見ぬ国のイベントについて解説し始めるエメ。
一応、本当に一応だけ、『賢者の石』を通して接触のあったコスモスと違い、未だ一切の関りがないのが戦士の国、リコリスである。
とはいえ実は、この国に関してはハルはそれなりに熟知していた。
しかし、そのことをここで口にする訳にはいかない。ハルはまるで初耳であるかのように、エメの説明へと耳を傾けるのであった。
◇
「リコリスは『戦士の国』の異名の通り、バトルが最も盛んな国っす。特に近接戦闘っすね。この国では、強いやつは偉い、偉いやつは強いを地で行っていて、今どき珍しく権力者も殴り合いの強さで決めてるような国です。気合入ってるっすね!」
「……気合はともかく、分かりやすくはある。ただ、政治として成り立つのかなあ、それって」
「だいじょぶじゃないっすか? 結局、政治闘争であっても、勝負を決めるのは『知力』、『体力』、『戦闘力』っすよ!」
「『時の運』はどうした……」
「圧倒的な力の前には運など無力っす!」
言いながらエメは、熱のこもった視線でハルのことを見つめてくる。
彼女は恐らく、その『強いリーダー』にハルの姿を投影しているのだろう。確かにハルは管理者として、何者にも害されない大きな力を備えた存在だ。
かつてそれは権限としての在り方に過ぎなかったが、今は戦闘力においても、比肩する者のない存在となっているのも確かである。
……そんな彼女の視線を努めて無視し、ハルはエメに説明の続きを促していく。
「それで? それがどんなイベントになってるのかな?」
「おっと、失礼しました! とはいえ別に難しい話ではありません。強いやつが実権をも握る。そんな国で起こる大規模なイベントと言えば、これしかないでしょう。ズバリ、国を挙げた闘技大会ですよ!」
「だろうね。ぶっちゃけ冷静に考えると、正気の沙汰ではないけど」
「でも事実なんすよ! 残念ながら! なんでも定期的に開かれていたその『選挙』が行われる定期ってのが、今の時期らしいですね。都合いいっすね。ゲームですもんね」
「まあ、サ開から既に決まってたんだろう。プレイヤーの戦力が熟してくるだろう、このくらいの時期を見計らって大会を開くって」
なかなかに強力な力を発揮していたケイオスやソロモンの例を見れば良く分かるように、ハル以外のプレイヤーも上位の者は、それなりに派手めな実力を手にしてきている。
そんなタイミングを見計らい、戦士の国ではその力を存分にぶつけ合う為のイベントが開催される。
この世界にも人の手が行き渡り、開拓も一段落した頃合いだ。言い方を変えれば、ただ前に進むだけで良かった時代は終わったとも言える。
今後は攻略の為の準備により時間を使ったり、謎の解明に頭を使ったりと、一筋縄ではいかない展開が増えてくるだろう。
それはある意味、順調さの途絶えた抑圧された不満の溜まる状況だ。
そのフラストレーションを、何も難しいことを考えずに発散する。その絶好の場でもあるのだった。
「ハル様も出場なさいます?」
「……いや、僕は止めておくよ。僕は僕で、逆に単純さの欠片もない泥沼の政争に挑まないといけない」
「そっすね。こっちは、より腹黒い奴が勝つ爽快感の欠片もない舞台っす! そんじゃ、大会はどうなると思うっすか? ハル様が出ないとなると、勝敗の行方はまた読めなくなってくると思われますが」
「……そうだね。やっぱり、ソフィーさんなんかは有力候補なんじゃないかな。よく、知らないけど」
嘘である。良く知っているのである。ハルは人間なので、神様と違い平気で嘘がつけるのである。
リコリスの国で今日も元気に剣を振るっている、戦闘大好き少女のソフィー。
彼女はハルが、そう、『ローズ』ではなくハルが『ハル』としてだ。並列思考の一つを割いて付きっきりでサポートしている、腕利きの人気プレイヤーであるのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/29)




