第781話 塔に囚われの王子様
「君、なにやってるの……?」
「フッ、見れば分かるだろう。こうして外壁を伝い、この忌々しい家から脱出してやるのだ」
「……それ、可能なの?」
「ククッ、可能だ。オレが何だか忘れたか? <忍者>としてこのくらい、なんのことはない……」
外壁を“よじ降りる”ように張り付きながら少しずつ降下していたのは、ハルより以前からこの旧伯爵家に逗留していたソロモンだ。
ファリア伯爵の客人として、ここを拠点に暗躍していたソロモンだが、家の所有者が急にハルに変わってしまったことにより、此処から出ることが適わなくなった。
この最上層にある家のセキュリティは万全であり、高レベルのプレイヤーであっても容易には突破できない。
ましてやソロモンはハルとの『契約』の効果により、そのステータスポイントを初期値まで吸い取られてしまっている。
到底、正攻法では家からの脱出は不可能なのだった。
「窓には鍵がかかっていない、いやそもそも、窓が存在しないのが裏目に出たな! こうして、外へと逃れることを考えなかったようだ」
「……まあ、そんな馬鹿が居るとは考えないよね。ここ、文字通り死ぬほど高いし」
その美しい顔で必死に強がるソロモンが、かえって哀愁を誘っている。
視聴者たちも、彼のそんな姿を生暖かく見守っているようだ。本人は放送していない辺りが、不憫さに輪をかけて加速している。
「それで、脱出できそう? 下までは、遥か遠いけど」
「馬鹿め、地上まで下りる必要はない。同じように、外壁に不用心に窓を開けている家が他にもあるだろう。そこまで辿り着けば、オレの勝ちだ……」
「うん。そうだね。それで、辿り着けそう?」
「……た、辿り着けるに決まっているだろう」
これは無理そうである。まあ、実のところ初めから分かっていたことだ。それが可能ならば、それすなわち逆もまた可ということ。
つまりは壁を上って、室内に侵入する事が適うということだ。そんな甘いセキュリティ意識で、あの家は成り立っていない。
つまりはあれだけ窓が開放的に開いている時点で、外のセキュリティも万全なのだ。
……それ以前に、ソロモンが今もこの地点に、窓から出たハルがすぐに視認できる地点に居る時点で結果は見えていた。
もし可能であったならば、既に彼は遥か下層へと下りて見えなくなっていた事だろう。
「とはいえ、ずいぶんと降りたね。このつるつるの外壁を」
「まあ、滑らかそうに見えても、ファンタジー材質だからな。石とかだろう、きっと。リアルのように、完全な凹凸なしという訳にはいかないさ」
「そういう技能持ってるんだ?」
「……いや、<忍者>の『登攀』スキル頼りだがな」
ハルと会話しながらも、慎重にソロモンは壁を下ってゆく。
その表情は真剣そのものであり、壁の小さな窪みを探っては、そこへ手足をかけてその身を支えていっている。
いかにスキルで張り付いているとはいえ、その判断自体はソロモンのものだ。その小さな窪みの選択を誤れば、そこでまた『詰み』になってしまうパズルゲーム。
この選択のセンスは彼の現実で培ったものか。それとも彼のゲームセンスによるものか。
はたまた、何度も何度も失敗し、この場で鍛えられたものであろうか。
「……ねえソロモンくん。君、僕が来るまで何度落下死した?」
「……チッ。し、死んでなどいない」
「それにしては随分高い位置でもたついているね」
「お前は知らないんだ、この先に待つ難所を……」
つまりソロモンはその難所を何故か知っていることになる。
まだ一度も死んでいないのに、おかしな話だ。未来予知だろうか?
まあ、つまりはその難所で何度も躓き、再び邸内からリスタートになっているのだと自白しているのであるが、ハルも視聴者も指摘はしない。
ただただ、彼の挑戦を生暖かく見守るだけである。その瞳はきっと慈愛に満ち溢れていた。あと皮肉と嗜虐心にも。
「それで難所って、どうなってるの?」
「……しっ、黙っていろ。どうやらこの壁には、センサーが取り付けられているようだ。踏み込めばそれが起動し、ショックウェーブが発せられる」
「そして吹っ飛ばされて、地面まで真っ逆さまか」
「……吹き飛ばされてなどいない」
もちろんそうなのだろう。そういうことにしておく。
「そしてそのトラップはセンサー起動の他に、一定時間ごとの自動発動もある」
「いい仕様だ。中には、センサーを突破するスキルもあるかも知れないからね」
「フッ、その通りだ。オレの忍術は、センサーを無効化する」
そう言うとソロモンはその身を透明にして潜伏し、姿が確認できなくなった。
「これで、あとは自動発動の直後を見計らって一気に降下すれば……」
声だけが響く穏やかな空の下。しかしその声から伝わる尖り切った緊張感の棘に当てられ、見守る皆は揃って息を飲んでいる。
「……今だ!」
そして、ソロモンの言う通りに塔の壁から、ばちり、と紫電が走ったと思うと、彼が一気に、壁を駆け降りる気配がした。
「大丈夫そうソロモン? スタミナ足りる?」
「……だ、黙っていろ! くっ、スタミナ薬なら、まだある」
「まだまだ先は長いからね、節約しなきゃ」
「黙っていろと言っている!」
必死の声色は、徐々に徐々に下方向へと下がって聞こえてくる。
この瞬間にも見えないソロモンは、可能な限り急いで、しかし決して足を踏み外さないように、下降を続けているのだろう。
慎重になりすぎれば二波目の衝撃波に吹き飛ばされ、急ぎ過ぎれば支えを失い自ら落ちる。
その狭間にある細すぎる最適な道。それを渡り切った先に、脱出への光明が見えてくるのだ。
「っ、おおおおぉ! はぁっ!」
「まるでアクションゲームだね。見えないが、きっとスーパープレイが繰り広げられているんだろう」
「黙れ! 気が散る! ……ここだっ!」
ソロモンが一気に、それこそジャンプするかのように大幅なショートカットをしたような気配の直後、再びの衝撃波が空を照らす。
残念なことに、いや幸いなことにソロモンの悲鳴は聞こえず、彼はその少し下にてその姿を現した。
「フッ、フフフ、やったぞ! ついに突破だ!」
「ついに?」
「いや、なんでもない。当然のように、初回で突破した」
「そうだね?」
達成感から素直に嬉しそうな、子供っぽい表情を浮かべているところに水を差してしまった。これは、反省しなければいけないだろう。
視聴者からも、抗議の声が上がっている、大変に申し訳ない。
……一方で、『いやナイスツッコミですローズ様』という声も同等数上がっているのが業の深いところだ。美少年が羞恥に顔を反らすのにも需要があった。
「だが後は、このまま一気に下るだけだが……」
「先が長いね。窓なんて見えやしない。どうなってるんだろう、この中は」
「きっと、エレベーターだろうな。お前たちもここに来る時に乗ってきただろ?」
「上層と最上層は、ずいぶん物理的に離れてるんだね」
「フン。無意味にな。金持ちの道楽だ」
まあ、その長さをもってセキュリティとしているのだろう。今のソロモンを見れば、その有効性は明らかだ。
「ところで、この長さだけどスタミナは持ちそう?」
「ああ、スタミナ薬はそれなりに買い込んである。それに、いざとなったらローズ、お前のように課金で、」
ハルの言葉に、一旦落ち着いて回復をしようと思ったのか、塔の窪みにしっかりと体を固定するソロモン。
だがその瞬間、その接地圧に反応したのか、がちり、と何かの機構が反応する音がその塔から響いてきた。
「あっ」
「…………チィッ!!」
生体センサーを潜り抜けた先には、感圧センサー。
まるでソロモンの気の弛みを読んだかのような見事な二段構えに、彼の体は紫電に飲まれ、地表に叩きつけられるまでもなくゲームオーバーと空に散るのであった。
*
「クソゲーだろ、これ……」
「お疲れ。せっかく突破したと思ったらあれだもんね。まあ、元気出しなよ」
「出せるかよ……、というかお前は何してたんだよ……」
「ん、<飛行>の練習」
「チッ……、その<飛行>さえあればな……」
確かに、<飛行>があれば塔の壁を伝う必要もなく、悠々と地上まで降り立てるだろう。
別に、その為に作られたスキルでは決してないだろうが、流石はカゲツの隠しスキル、実にこの場に適した作りとなっていた。
「それ、スキルコストはどうなっている? それで実は燃費が死んでいるとかだったら、壁を殴りそうだが」
「ああ、それがね、なんとスタミナのみ。まあ、君にとっては、今やスタミナすら貴重かも知れないけど」
「……まあ、確かに。いくらでも手に入るから、必要以上に確保はしていないしな」
安全なこの地には、薬をドロップするモンスターは出ない。そういう意味でもソロモンにとっては、この地は『詰み』の監獄感を増していた。
「まあ、髪の毛でも伸ばして地上まで垂らすといいさ」
「童話かよ……、ロープにしても、なん“キロ”必要何だか……」
「なんだか面白そうに思えてきたね、僕も」
「全く面白くない……」
この脱出不可能な鉄壁の(石壁だが)監獄。そこから知略と技術を振り絞って脱出するのも、またコンテンツとして面白そうだ。放送にも映えるだろう。
「お前が逆の立場なら、どう攻略するんだ? ああ、<飛行>はないのものとして」
「そうだね? んー、とりあえず『生命保険』があるから、それを発動して地上にダイブかな?」
「発想がヤバイ……」
この国で仲間になった『保険屋』がそのユニークスキルで作る『生命保険』。高位の保険であれば、死んだその場での復活が叶う。
これは、ソロモンの部下であったハーゲンで実証済みだ。
落下死した地点で復活すれば、晴れてそのまま自由の身である。流石はユニークスキルだ。
「君は、このまま脱出アクションを続けるかい、ソロモン? まあ別に、止めはしないんだけれど」
「……いや、取引したい。条件次第では、また<契約書>を書く。とりあえずここから出してくれないか?」
「んー、まあ、僕もこれから国に戻るからね。君をここにお留守番させたままだと、弄りがいもなくてつまらないし」
「おい……」
ハルにとっても、彼の<契約書>は非常にメリットがある。それに、放送映えもする彼だ。このまま幽閉して終わりは勿体ない。
ハルは彼に要求する交換条件と、彼に課す制約をどうすればいいのか、少々思考に沈むのであった。




