第775話 料理大会を終えて
「はいなはいな。それではではでは、優勝賞品の授与式になりますぅ。ずずいと前へおこしくださいなぁ~」
カゲツが、ちょいちょい、と手招きするのに誘われて、ハルは彼女のすぐ近くまで歩み寄っていった。
なんだか、ふんわりと果物の良い匂いのする女性である。天然の香水という奴だろうか。
香りの技術もまだまだだと思っていたが、カゲツから香ってくると思えば、それも非常にいい匂いに感じなくもない。
「おやおやぁ? ウチの美人さんっぷりを近くで見て、見とれちゃいましたぁ?」
「いや、君の匂いを嗅いでいた」
「へ、ヘンタイさんですぅ~……」
「変態ではない。果物の甘い香りがするね。食べ過ぎでは?」
「女の子に向けたデリカシーのない方ですぅ!」
別にいくら食べても良いとハルは思うのだが、指摘するのはダメなようであった。
どうせ、神様はいくら食べても太らないというのに、複雑な女神ごころだ。カナリーを見習うべきである。
……いやむしろ、カナリーがカゲツを見習った方がいいのであろうか?
「まあ、いいでしょ~。ウチはいくら、たーくさん食べても、ぴっちりスーツにすっきりボディーですからなぁ。むふん」
「その小さなおなかの何処に入ってるんだろうね」
「こんどはお腹をじっくり見つめるヘンタイさんですぅ……」
「変態ではない」
おなかを押さえて隠す、というあまり見ない妙な仕草だ。胸などではなく、そこを押さえるのは珍しい。
さて、あまりじゃれ合っていても話が進まない。ハルとカゲツは、お互いにそれを察して馬鹿を言うのを止めて、イベントの進行に戻って行った。
個人的な交流がしたいならば、後でゆっくりやればいいだろう。
「はてさてさて、それで優勝者のハルさんは、どちらが欲しぃんですぅ? <天人>となって新たな<役割>を得るか、はたまたそれは蹴って、<飛行>を得られますかなぁ~?」
「<飛行>だね。分かってるでしょ? まあ、<飛行>がそんなに欲しい訳でもないんだけどね」
「<天人>をお蹴りあそばせるんですなぁ~」
「お蹴りあそばすね」
後ろのケイオスから、『要らないのならば我によこせ!』、と聞こえてくるが、努めて無視するハルだった。
欲しくはないが、要らない訳ではない。似ているようで大きく違う二つの感情だ。重要なことである。
「それでしたらばぁ~、こちらをどうぞぉ~」
「……これは?」
カゲツが何処からともなく取り出した、豪華な装飾で飾られたトレイ。その上には、赤と青の二つの宝石のような物が乗せられていた。
カゲツはそのうちの一方、青い方の宝石、いや、これは飴玉なのだろう、それをつまんでハルへと差し出してくる。
「どぞどぞぉ~、ぐいっと、いえ、ぺろりと。こちらを食べれば、それで新しくスキルが生えてきますよぉ~」
「へえ、そんな便利な物が。そんな物があるならむしろ、本編に欲しいくらいだけどね」
「はて? どうでしょうなぁ~?」
まあ、望み薄だろう。そもそも、この空間で操作しているハルたちの体は、実のところ本編とは無関係の体であるはずだ。
アイテムもスキルも、関係性は切り離されている。故に、こちらでスキルを得たとて、元のキャラクターには引き継げないはず。
つまりこれは、ただの演出。イベントに区切りをつける為の、ただの儀式のようなものだとハルは検討をつけた。
「まあ、頂こうか。そっちの赤いのは、<天人>用?」
「はいなぁ。お選びいただけるのは、どっちらか片方のみ、となっていますぅ」
「あまり好みの演出ではない……」
手に入れられる物が目の前にあるならば、その全てを手に入れてしまうたいと考えるのが強欲なゲーマーというものだ。
別に、全てのプレイヤーがそうだとは断言しないが、その傾向は非常に強いとハルは考えている。
コンプリート欲、とでも言うのだろうか。その欲の前に、二者択一でしか手に入らないアイテムの提示は実に堪える。
まあ、このゲームはそもそも、あらゆる状況において自分のキャラクターとしての人生の選択を繰り返すゲームだ。
選べる<役割>は一つのみ。全てを得ることは出来ず、人生は一度きりだ。
ただし、死んでも問題なく生き返るものとする。
「ウチを倒して、もう片方も手に入れなさいますぅ?」
「いや、別に要らないけど……」
「ほえぇ~、それは残念ですなぁ」
「もしかして、『両方欲しい』っていう欲を沸かせる為に、あえて二つ見せたの……?」
「はて、どうでしょうなぁ?」
だとすれば良い性格をしていると言わざるを得ない。それで仮に負けたりしたら、両方とも没収だろうか?
まあ、ここカゲツは商業の国で、このカゲツはその神様だ。別に戦わなくとも、何らかの交渉で両方手に入れられるなんてこともあるかも知れない。
ハルは<天人>に興味がないので、特にその方法について考えることもしないのだが。
「さて、それでは、ぐぐぃ~っと」
「水じゃないんだから……、まあ、いただきます……」
妙に急かして来るカゲツに促されるまま、ハルはその飴玉を口に放り込む。なかなか大きくて、上品に食べるのに苦労する。
そして、その飴が舌先で転がり、唾液と混ざって溶けだしはじめると、予想だにしなかった強烈な衝撃がハルの全身に走るのだった。
毒、ではない。しかしある意味、それ以上の衝撃だ。このうえなく『美味しい』のである。
どうせ神様の作った物だからと、ハルは完全に油断していた。その隙を、これ以上ない形で突かれてしまった。
まさに、天上の美味。表現に難しいこの複雑怪奇な味わいは、恐らくはハルの行ったような、様々なエッセンスの融合であると思われる。
それでいて、両者は全くの別物。この味は、ハルも今まで日本の何処でも味わったことのないものだ。
「……やられた。まさに、神界の美食だ」
「驚かりましたぁ? ほんならもっと、めっちゃ美味しそうなリアクションしてくらはい~」
「しないよ……、君じゃないんだし……」
「え~、つまんないですぅ~」
リアクションはともかく、心の底から感動している。ハルのその感情が伝わったのか、カゲツも無理にはそれ以上求めてこなかった。
認められた嬉しさと、悪戯が成功した喜びで満足げな表情だ。
「いや、してやられたね。本当に不意打ちだった」
「……そんなに美味かったのか、ローズ? お前の作ったあれと、どちらが上だ」
「ええい、ズルいぞお前ばかり! 我にも食べさせろ! というかむしろ、そんな美味いものが出来るならば最初からそれを用意しておけばいいものを!」
確かに、ケイオスの言う通りではある。“これ”が作れるのであるならば、今もハルたちの前に並べられているこの大量の食材群はなんだというのか?
美食の再現技術が現行人類よりも高まっているならば、無理に味気ない材料で料理をさせる必要はなかったはずだ。
「それはそのぉ、これは何というか、試作品でしてぇ。あまり、褒められた手段で作ったものではないんですぅ。神様のチートと思ってくらはい」
「くらはい、ではない。急に不安になってきたんだけどカゲツ? まさか、違法行為じゃあないだろうね?」
「そ、それは安心してください! 私はそんなこと決してしませんので、怖い顔しちゃ、いけません!」
ハルが睨みを利かせると、一瞬で面白いように訛りの取れるカゲツであった。
まるで余裕たっぷりだった社長が、突然更に上の会長などの前に引き出されたようで面白い。いや、面白がっている場合ではないのだが。
まあ、信じてもいいだろう。ミントではあるまいし、そんな危険なことは考える子ではあるまい。
《なんでなんでー! なんであたしはダメでカゲツは信じちゃうのー!?》
《いや、カゲツを信じるというか、ミントみたいなのが二人も居るとは正直思いたくないというか……》
《がーんっ!!》
ハルがミントと比較して考えていると、脳内に当人から抗議が入った。それを受け流しつつ、意識をカゲツに戻していく。
確かに以前の電子ドラッグ騒ぎの例しかり、味覚を使った騒動や犯罪行為を起こすことも可能ではある。
だが、それならもっと上手いやりようがある。効率を重んじる神様が、それを捨てるはずはない。
そして、こんな所で企みがバレるような無駄なお披露目などもするはずがなかった。
「ウチは、皆さまの美味しいと感じる料理を食べたかっただけなんですぅ。確かにこれは美味しゅうございますけど、自作ですからなぁ~」
「確かにな! 我も、自分で作った物など、次第に味気なく感じてきたものよ……」
「貴様は単に、栄養補給としか考えていないからじゃないか?」
「ぐぐっ……! ソロモンのくせに、ナマイキなことを言う……」
「くせにとか言うな……」
まあ、図星ではあるのだろう。ゲームの合間の栄養補給、そうとしか考えていないフシは確かにケイオスにはありそうだ。
美味しく頂くよりも、単に警報の出ないように効率的に食べる。それでは、自作であるどうこう以前に食事そのものが味気ない行為だろう。
「まあ、多少驚いたが、ハルに出来るのだ、運営に出来ても不思議はない。次は我にも、味わわせるのだぞ!」
「……次だと? 次が、何かあるのか?」
「ハハハハハ! だから貴様は駄目なのだソロモンよ! こんな愉快なイベント、一回で終わりにするものか! それに、カゲツの料理アイテムにはまだまだ謎が多い。我は、引き続きそれを探っていく」
「……確かにな」
そう、確かに、『生命の果実』や伯爵家の料理、それらを始めとした食材アイテムにはまだ秘密がありそうだ。
とはいえハルのカゲツにおける目的は、ひとまずの達成を得たと言える。
そこに興味は多少あるにせよ、ハルはそろそろ自国であるアイリスに戻らねばならない。
ケイオスがこの国に留まるというならば、一旦、別れの時が来たのかも知れないのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/28)




