第768話 電脳味覚の今と昔
その後ケイオスに続き、ソロモンの料理も不合格となり二人はすごすごと自分のキッチンへと戻っていった。
特に、ソロモンの評価はお世辞にも良いものとは言いにくい。いや割と散々だったと言っていい。
あのおっとりと優しそうなカゲツの口からもそこそこ辛辣な評価が飛び出すほどだ。
そのスーツ姿と相まって、『上司に叱られている気分』、と視聴者すら震えあがらせた。
それだけ、静かな迫力があったのだろう。
「チッ……、何が『不味い素材をそのまま刺身にしたら、不味いに決まっている』、だ……」
「……あれは、さすがの我も貴様に同情したぞ」
「同情は、不要だ……」
「その不味い素材を用意したのはあちらさんだからなぁ」
「味見をするべきだったね君たち」
ハルは自分のスペースからそんな彼らの様子を遠目に見守りながら、相変わらず食材の『試食』に励んでいる。
先ほどソロモンがダメ出しをされた魚に噛り付くと、確かにこれをこのまま刺身にしたとて、良い評価が引き出せることはないだろう。
ハルが悩んでいるのも、まさにそこである。
基本的に、料理の味と言うものは素材の味が占める割合が非常に大きくなる。良い物を使って作られた料理は、対して手を加えずとも味もまた良い。
逆に素材が悪ければ、どう手を尽くしたところで限界はどうしてもあるものだ。
悪い素材でも工夫次第で、という意見も尤もだが、真にそれがまかり通るなら高級料亭やルナの家の料理人などは、手間暇かけて最高級食材を仕入れる苦労もしないだろう。
「それでお前は、そうやってずっと生の材料をかじっていたという訳か。頭がおかしくなったのかと思ったぞ」
「失礼な。君たちが味見に無頓着すぎるんだよ」
「ハハハハハ! 返す言葉もないな! しかし、仕方なかろう!」
「そうだな。どちらかと言えば、見た目詐欺のハリボテをこれでもかと用意したアイツが悪い」
ソロモンが暗殺者だった時のように目を鋭く細めて睨む『アイツ』はもちろんカゲツだ。
睨まれた当のカゲツは、にへら、と誤魔化すような笑みを浮かべるばかり。おそらく自覚はあるのだろう。
彼女とて、美味しい食材を用意できるものならばそうしたいに違いない。
それが叶わないので、せめてと見た目だけは最高級品を模してみたのだろうと思われる。
しかし、その中身が伴わないのはご覧の通り。それでいて求める物は、現実における美味と同様の物というのだから無茶な注文だ。
《味かー。味は伝わってこないからな》
《見た目はどっちも最高だったのに》
《お腹減っちゃったよ》
《どんな味なんだろ》
《どんなって、多分いつものだろ?》
《ああ、ジャンクフードだろ》
《えー、わかんない》
《分からん人とかいるの?》
《そりゃ居るんじゃない》
《食べ物アイテムないゲームなんてザラ》
《何でザラかというと美味しくないから》
《研究でなんとかならないの?》
《出来たらとっくにやってる》
《そのプロでも出来ないのをやれと!?》
まあ、確かに酷な話だ。無理難題ともいえる。とはいえ、散々酷評はしたが、これでも従来のゲームと比べて、かなり進化しているとハルは評価している。
理想が高すぎるが故にその理想には至っていないが、ゲーム開発に携わるものがこの場に居ればその進化度合いに舌を巻くだろう。
ただ、それは放送を見ている彼らには伝わらない。いかに臨場感の非常に高い形式の生放送とて、『味』は彼らまで届かないのだ。
そこにこそ、味覚の再現が遅れている理由が潜んでいる。
視覚、聴覚はこういった映像コンテンツと共に、常に時代に合わせた最適化が続けられてきた。
触覚も、電脳世界における再現はさほど苦労しなかったという。フルダイブの実用化と共に、真っ先に、先を争うように開発が続けられたという理由もあるだろう。
しかし味覚嗅覚だけは、そんな現代においても相変わらず前時代と同様、現実においての楽しみに留まっている。
「……まあ、開発それ自体はちゃんと行われてきてたんだけどね。運とタイミングが悪かったというか。色々重なって停滞してるのも大きい」
「なんだハル、詳しいのか?」
「まあね」
「……金持ちなら、知ってて当然だな。一発当てれば多額の財を成せる分野だ。参入しようと思う連中は多い」
「ソロモンも、それなりに詳しそうだね」
「フン……」
あまり語るとリアルの自分に繋がる情報を喋ってしまう恐れがあるのか、ソロモンはそれ以上言葉を紡ごうとしなかった。
彼のユニークスキルに<契約書>が発現したことからも分かるように、恐らくは元々ソロモンは商売の知識や経験が豊富だったのだろう。
その包丁捌きからも読み取れるように、彼も、いや彼の家も、また同様に『一発当てる』ことを目論んでいたのかも知れない。
《だがよぉ、ハルってあんま料理関係のゲーム興味なかったんじゃないっけか? なんかあったんだっけ?》
《ああ、君たちやユキとは別ルートだね。これはルナと二人での事だったから》
《あー、お前の幼馴染のお嬢様、最近までオレらと接点なかったからな》
《そういうことだね》
《ってなにかぁ!? ということは、俺らとバカやって遊ぶ裏でお前は、幼馴染キャラとキャッキャウフフしてたっていうのかハルゥ! お料理教室で新婚シミュレーターかぁ!?》
《もうなに言ってんだよケイオス。キャッキャウフフ、ではない》
急に嫉妬に狂う独り身の炎を巻き上がらせてきた。魔王ケイオスではない、いつもの『顔☆素』だ。
いつもこんなことを言いながら、自分は常に色恋沙汰からは一歩引いた立ち位置に身を置いているのだからおかしなことだ。
《そうじゃなくて、仕事だね。ルナのお母さんから、ヤバいことしてる料理関係のゲーム潰してくれって頼まれた》
《あー、なんか聞いた記憶がある特命係ハルくんの初仕事だったか?》
《そうだね。その関係で、味覚界隈には多少詳しいよ》
《お義母様のライバル会社を、そうしてハルは人知れず闇に葬っていたんだな……》
なんだかハルの仕事について、妙な想像を膨らませている気配のあるケイオスだがそのまま放置しておこう。
別にハルはルナの母の密命を受けてライバルを潰していた訳ではない。
確か以前にケイオスにも話したと思うが、そのゲームのやっていることが普通に法的にヤバかったのである。
詳しくは割愛するが、遅々として進まぬ『美味』の再現に彼らは業を煮やしていた。
電脳全盛の時代が来れば、わざわざリアルでお金と労力を払わずとも、いくらでも絶世の美味を味わうことが出来ると思っていたのだ。
そうした誇大広告も打ってしまい後に引けなくなったその企業は、最後の手段に打って出る。
味覚ではなく、直接的に脳内麻薬に作用させ、『多幸感』を『美味』として錯覚させる荒業に出たのだ。
美味しいものを食べた結果幸せになるのではなく、幸せを感じているのだから美味しいに違いないという逆順の錯覚だ。
《ニュースにもなったよね。某企業が電脳ドラッグで取り締まられたって》
《あー、あったあった。あそこからだよな。味に規制が入ってゲーム食がジャンクフードで落ち着いたのは》
《そうだね》
つまり、間接的にこの今の状況を作り上げてしまったのはハルであるともいえる。なんとか出来るならば、なんとかしたいのがハルの本音だ。
ルナの母としても、可能ならハルに電脳世界における味覚の発達を進めさせ、功績を上げて欲しいと仄めかされていた。
もしやこのカゲツの望みに関しても、あの奥様が一枚噛んでいるのだろうか?
まあともあれ、どちらにせよ、彼女らの望みに添ってやること自体は構わないとハルは思っている。
今すぐこの場でどうこう、という訳にはいかないが、なんとか最初の足掛かりくらいは作りたい。そんな決意で、ハルは改めてこの場のカゲツへと目を向けるのであった。
◇
「さてカゲツ。遅くなったが僕も、作る物が決まったよ。それでなんだけど、少し用意して欲しい調理器具があってね」
「はいなはいな。なんなりと言ってくらはいなぁ。とはいえ、大抵の物はそこの厨房に用意されてるはずですよぉ?」
「いや、多分無い。むしろあったら目を疑う。『遠心分離器』が欲しい」
「……調理器具、ですよねぇ」
「調理器具だね」
まあ、『あったら目を疑う』、とか言っている時点で、ハルも調理器具とは思っていないのは確実だ。
そんな遠心分離器をはじめとして、ハルは様々な化学実験の用具をカゲツに頼んで用意してもらった。
中には却下された、というよりもゲーム内に用意されていない装置もあったが、それは仕方ない。それでもハルはめげずに、思いつく限りの『調理器具』を要求していく。
そうしてハルのキッチンの有様は、家庭科室から理科室へと完全に様変わりしてしまったのであった。
「お前……、何をする気だ……」
「……まさかとは思うがハル、この場でリアルばりに合成食材を生み出す気か?」
「まさかもなにも、それしかないだろうケイオス? 幸い、カゲツの用意した食材はそれなりに優良だ」
彼女本人の舌には不合格の烙印を押されてしまったこれらの食材の数々だが、それでも現状の電脳世界の味覚事情からすれば革新的だ。
くどさも雑味もなく、非常にすっきりとした味わい。ただ深みがないのが欠点だ。
それを、強引に補おうとハルは考える。多数の食材から必要な要素を取り出し、そして合成する。
そんなリアルさながらの化学的調理法。それによって、カゲツにも日本の美味をどうにか味合わせてやりたい。
ハルはその想いで、『調理器具』たちを動作させていくのであった。




