第760話 雲海を抜けて
ハルたちが先の見通せぬ雲の中を少し進むと、ユキが例えに出した通りに、進むべき道が途切れていた。
すっぱりと断崖絶壁になっている訳ではないので、視界の悪さに誤って足を踏み外すということはなさそうだが、危ないことには変わりない。
ハルたちは慎重に、その足場の切れ目の先をのぞき込むのだった。
「うーん、下も見えないねこりゃ。高いのか低いのか、よくわかんね」
元気さ代表のユキがまず躊躇なく身を乗り出し、続いてアイリも恐る恐る、しかし興味津々に下をのぞき込んでみる。
ハルも彼女らに習って、この『屋上』の端から下を眺めようとしてみるが、厚い雲に覆われ、そこから先は何も見通せないのであった。
「ただのマップの終点なのか、それとも此処から『下の世界』があるのか、確かめてみたいところではあるけど……」
「やめておくがいいハル。『落ちてみる』のはな。ここでは我らは、スキルが使えなくなっているのだ。いかにお前とて、生きては戻れまい」
「あんがい、低い段差になってるだけで先に進めるかも」
「ええい! 止めろと言っておろうに! もしやるにしても、この世界を探索し尽して他に手が無くなった後だ!」
《やる可能性は否定しないんだ(笑)》
《だって魔王様だもん》
《しかしこの魔王、意外に慎重》
《ただのバーサーカーじゃないからな》
《伊達にここまで無敗で生き延びない》
《勇敢と無謀は違うと》
《ローズ様は無謀だと!?》
《お姉さまは、うん、なんだろ……》
《無謀ではないけど、慎重でもないというか》
《人類の物差しでは測れない》
「失礼な。僕ほど慎重な人間も居ないと思うよ?」
勝てる見込み、成功する見込みがあるからやっているのだ。負けそうなときは、決して勝負には出ないハルである。
そういう意味では、ハルはケイオスよりずっと挑戦的に見えながらも、実はずっと保守的だ。
停滞と安寧を好むハルだが、それは『何も行動をしない』ことではない。
出来れば何もせずに過ごしたくはあるが、ハルが何もしなかっとしても、世界はそれを許容するとは限らない。何もしない事は確実にリスクとなる。
ジェードも語っていたように、この世界は、人間は常に、先へ先へと成長しようとする。
言わば人として生まれ落ちた時点で不可避の、『世界のルール効果』だ。
「要するにレベル上げをしないと、アップデートに置いて行かれるだろう?」
《確かに!》
《それにしてもやり過ぎでは(笑)》
《最前線より先に行っちゃってる》
《ゲームはのんびりやりたいなー》
《いや多分これ、お金持ち思考だと思う》
《だね。経営者の考え》
《走り続けないと死ぬ》
《競争に負けちゃう!》
《職業病ってやつか》
《過酷な世界だー》
《一般人でよかったー》
ハルとしては、経営者であろうと一般人であろうと、『現実』というゲームに強制参加させられた『人間』であると考える
そうした世界のルール効果による脅威は、常に認識しておいた方が良い。
ただ、そんなことを気にしない方が平和で心穏やかに生きられるのも確かだ。
そんな、人々の安寧を影から守るのが、『管理ユニット』としてのかつてのハルの存在意義だった。
……話を戻そう。停滞のリスクの話を、視聴者に説いている場面ではない。
「……さて、とはいえここから『落ちてみた』するのは、さすがに違う」
「その通りよ。さて、とはいえどうするハル! 基本に則るならば、この縁を辿って進むことになるが」
「いや、それは止めておこう。退屈だ」
「同感だ! ただでさえ配信映えが最悪なのだ、いつ終わるかも分からんループはナンセンス! そもそも、一周したとて分からぬではないか、これでは……」
「パンくずでも撒いておこうか。童話のようにね」
「ローズ、ここではアイテムが取り出せない。それも無理だ」
「本当に厄介だね」
軽い冗談を、ソロモンに突っ込まれてしまった。実際にやる気はないので安心して欲しい。
「パンくず代わりに仲間を配置するにしても、もし一周できなければ合流が不可能になる。この霧だ、いや雲だったか……」
「フハハ! はぐれるのが怖いのか、ソロモンよ!」
「誰が……! オレは、もともとソロプレイだ!」
「我もだ! 故に我は、はなからはぐれる心配などしたりせぬがな? ハハハハハ!」
「チッ……、こいつ……」
「はいはい、ケンカしないの。考えはあるからさ、僕に」
ここで、ムキになって『別行動だ』などと言われても面倒だ。
ハルは我の強い彼らに釘を刺すように、このマップに対する己の考えを語っていくのであった。
◇
「この屋上のヘリ、辿り着くのがずいぶん早かったと思わない?」
「確かにねー。適当に進んだんだけど、正解だったのか、不正解だったのか」
ユキがそう言いながら再び興味深そうに、切り立った崖から、深い雲の先を見通そうと身を乗り出す。
そんな危ない遊びは、今度はルナに首根っこを掴まれて止められていた。
「おやめなさいな……、何かあったらどうするの……?」
「んー、ごめんねルナお母さん」
「お母さんもやめてもらえるかしら……」
「まあ確かに、雲の底からビーム飛んでくるかも知れないもんねー」
「そうなのですか!? こわいですー……」
「だいじょうぶっすよアイリちゃん! そんな底意地の悪い作りをする運営じゃないですから! このゲームにおけるイベントの傾向は、因果応報が基本になってるみたいっす。そうそう、意味不明な展開は起こらないはずです」
「そんな初見殺ししてきたらー、運営にビーム撃ち込んであげますからだいじょうぶですよー」
カナリーのこれはただの冗談ではない。この子は、やる気になったらやれる権限がある。恐ろしいことに。
今も彼女の号令一つで、異世界の衛星軌道上に待機している戦闘艦から運営に向けてリアルビームが撃ち込める状態なのだ。
……さすがにハルが止めるだろうが。
「……まあ、ビームはいいとして、エメの言った内容はそこそこ信憑性が高い。運営の癖ってのは、イベントに出る」
「はいっす! 参加者がほとんど生放送してるゲームっすから、データの母数もそれなりにでてますよハル様。その傾向から見て、一見突拍子もない状況でも、理屈立てて考えれば突破できるよう構成されてるはずです!」
「つまり、ここもそのはずだ」
「しかしだハル! この雲の中だ! 我らに与えられたヒントは、恐ろしく少ないぞ?」
ケイオスが大げさな身振りで置かれた状況を表現するが、その仕草すらも厚い雲に覆われて霞んでしまっている。
確かにこんな中ではヒントもなにもないだろう。あってもまず、それが目に入らない。
「それでもヒントはあったんだよ。最初からね。こうして『端』に着いたことで、ほぼ確信してる。白銀?」
「はいです!」
「うお! いつの間にそこに!」
ハルが声を掛けると、ケイオスの後方から突然かわいらしい声が上がる。いつの間にか合流していた白銀だ。空木とメタも居る。
彼女らは離れた位置でこのマップに転送されており、遅れて合流してきた。
そう、ここで重要なのが、白銀たちだけは初期地点が離れていたことである。
「この空間に移動してきた瞬間のことは憶えてる? 特に、それぞれの立ち位置」
「オレたちはそれぞれ、近くに居たな。それが、どうかしたのかローズ?」
「当然ではないか? イベントの始まりとして。いや、<隠密>娘たちは、はぐれていたのだったか……」
「そう。そして僕らの立ち位置も、伯爵の客間での立ち位置と全く同じだったんだ」
「ハァ……、よくもまあ、そんな細かい事をいちいち憶えているものだ……」
呆れているのか感心しているのか、ソロモンが深いため息を吐く。感心してくれていると思っておこう。
「重要なのが、おちびたちの位置だ。この子らは離れた宝物庫の位置のまま、スライドするようにここに来た」
「あー確かにね。別マップに転移させてイベント始めるなら、最初は全員、一か所に集めるもんね」
「そう思うよね、ユキも」
特に確認するまでもない、ゲームにおける『常識』だ。
……そういった常識という概念を苦手とする神様、AIたちであり、時に常識が通用しない運営陣なのはカナリーたちもそうだが、今回は信用するとする。
そんな常識を外れ、ある意味で手抜きともいえる転移方法を取ったことには訳があるとハルは思う。
それこそが恐らく、この空間を攻略するためのヒントなのだ。
「つまり、ここは伯爵邸における『窓』にあたるってことだね。邸内の間取りは把握してある。とりあえず、中心を目指してみようか」
*
豪邸と言って差し支えないファリア伯爵の家だが、それでも『歩いて移動するのに難儀する』程の床面積はない。
前提として、塔の最上層である。巨大な塔であるが、当然ながら上に行くほど細く小さくなってゆく。
そんな伯爵邸の見取り図と、ハルや白銀たちの転移位置を照らし合わせ、中心の位置を逆算する。
何かあるとしたら中心だろう。これもまたお約束だ。これでもし適当な端っこであったら、ハルも宇宙からビームを打ち込みたくなってしまうかも知れない。そうならないことを願うばかりだ。
「お、なんかあるよハルちゃん!」
「わたくしにも見えます! これは、一段高くて大きなものがあるようです!」
ハルが示す先へと元気に先行していた二人が、一足早く何かを発見したようだ。
そこに追いついたハルたち一行も、ユキとアイリの見つけた物を目の当たりにする。
その影は、雲の向こうに見上げるように起立して、最初は巨大な壁かモンスターかのように感じられた。
突然動いて襲ってくる様子はないようなので距離を詰めて行くと、すぐにその正体は判明した。
「……階段だね」
「おお、当たりではないかハル! これは、『上れ』と言わんばかりだな!」
「分かってみれば簡単なことだったな。しかし、適当に動き回っているだけでは見つけられなかったか……」
「ハハハハハ! 外周を周回していたら、永遠に発見できずにいただろうな!」
「何を笑っている魔王! お前が提案していなかったか、それは!?」
「フハハ! 取り乱すなソロモン。美形が台無しだぞ。まあ、それも今は見えんのだがな!」
「こいつは……」
雲に紛れてケンカする二人は放置しつつ、ハルはその階段を観察する。
石造りの荘厳な雰囲気があるそれは、神様関連のものと判断していいだろう。
「なんだか神殿の階段みたいだね」
《あれに似てるね、前回の》
《コスモスちゃんのとこだ!》
《確かに》
《でも今回は人影がないね》
《実はこの雲に隠れて今でも……》
《ヒエッ》
《おどかすの止めろ!》
《指輪の神殿もこんなじゃなかった?》
《どっちなんだろ》
《ローズ様、早く入ろう!》
「待て待てっ、慎重に、と言いたいけど、慎重にしてても何も分からないね。行こうか」
「そうそう、行こう行こうハルちゃん!」
「競争しましょう、ユキさん!」
「駄目よ、アイリちゃん? 今はアイテムが使えないのだから、転んで怪我したらコトだわ?」
「たしかに! ルナさんの言う通りなのです」
そんな風に騒がしくしつつも、ハルたちは階段を上って行く。
そうして一階層ぶんも上がった頃にはもう、あんなに厚く無限に続いているかと思われた雲は見る間に薄くなっていった。
ハルたちは分厚い雲海から顔を出し、その先にそびえる神殿の姿を、はっきりと目に捉えた。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/28)




