第76話 襲来する巨大海洋生物
一度ついた圧倒的大差を覆すのは難しい。どの戦略ゲームでも、この先に待っている展開はその生産力、ないし軍事力を使っての蹂躙。
ある意味、その大差を作り上げるまでがゲームの本編で、残りは、敵の拠点を一つ一つ潰して行くだけの単純作業になりがちだった。
この対抗戦においても同じだ。ここまで侵食力が大きくなってしまうと、押し返すのはもはや不可能に近い。
後はじわじわと飲み込んで行くのを待つだけだった。
「しかし、こうしてのんびりしていても良いのでしょうか? また別の国から魔法が飛んでくるのでは?」
「魔方陣の建築には宝石が要るからね。他の国では宝石は取れないみたいだよ」
もちろん、儀式魔法以外にも特殊な建築による攻撃がある可能性は十分考えられる。
しかし、アイリの顔には疲労の色が濃くなっていた。元気に振舞ってはいるが、生身の体で抑えられるものではない。
ハルとアイリはメイドさんと共に屋敷へと戻り、少し長めの休憩を取っている。
アイリはメイドさんに軽く体を拭いてもらい、ハルも脳の大部分を休眠状態へ移行させている。ハルとしても、常に全ての領域を起動しているのは疲労が大きい。
「こっちはもう夜だしね。完全に決着をつけて、きちんと休もうか」
「わたくしの事はおかまいなく。ですが、決着は付けてしまいましょう!」
「今この時も、浸食は進んで行ってるから、案外何もしなくても勝負は付いちゃうかもね」
侵食する方向の指定が可能になった今、侵攻方向は青チームを除いた全てに設定してある。既に本拠地以外の侵食が完了した紫チームは現状維持だ。
青はシルフィードがリーダーとなり、協調路線を取ってくれている。最初の一度以来は襲撃が無い。
他にも、セレステが既にカナリーの支配下であるため、攻める意味合いが薄い。最後に取っておこう。
「ならば、こちらに居ても向こうにいても同じです! 向こうで決着を見届けましょう!」
「勇ましいね、アイリ」
アイリがそう意気込んだ所で、ルナからのチャットが飛んできた。
どうやら、状況に動きがあったようだ。
*
「来たわね?」
「来たよ。お疲れルナ」
「大規模攻撃よ?」
「首都への反物質砲の直撃も防いだ我が軍に、今更何を恐れる物があるというのかね。……っと、どこだろう?」
ハルは休止させていた脳を起動しつつ、レーダーに目を向ける。
「西端、藍色チーム。怪獣よ?」
「怪獣かぁ……」
怪獣、わざわざ人間の街を狙って破壊していく事で有名な生物だ。街作りゲームには災害としてよく登場する。
やはりこの対抗戦の主要素は、戦略ではなく街作りであったか、などとハルが馬鹿な事を考えていると、レーダーに映る巨大な光点が目に入った。
「藍色の領土がごっそり減ってる。怪獣も魔力を大量消費するんだね」
「国土はほぼ残っていないわ。捨て身の覚悟ね」
「まずは空白地帯を埋めてしまおうか」
ハルは藍の領土が後退して、空白地帯となった場所に魔力を流し込んで行く。
再び国境が地続きとなり、黄色の魔力はカナリーの目となる。その目を借りて、国境沿いから怪獣の姿を目視した。
「見えた。黒曜、中継して」
「《御意に。モニターへ表示します》」
「……海洋生物?」
「おおきいですー……」
敵国内は阿鼻叫喚の地獄絵図だった。自分で呼び出した怪獣に自分の街が破壊されている。
どうやら呼び出す場所は、しっかりと選ばないといけないようだ。
怪獣は敵国の首都を踏みしめながら、こちらの方向へとゆっくり進んで来ている。当然ながら、ターゲットはこの国のようだ。
その姿は、半透明のゼリー状のような見た目の長い体が、重力に逆らって立ち上がっている。先端の、ぶよっと大きくなった部分が頭なのか、それが鎌首をもたげるように、うごめいている。
その体の横側に、びっしりと大量に付いている足のような物は、足ではなく繊毛だろうか。その姿はルナの言うように、海洋に棲む生き物のように感じられた。
「趣味じゃないわ」
「気持ち悪いですー」
「ここが陸地じゃなければ、まだ擁護できた」
どことなく不安感を誘うその姿に、女性陣の評価は低いようだ。
「あれは『儀式用魔方陣』のような特殊な施設で生み出されたのかしら? ユキは『怪獣だ!』って言ったきりで。要領を得ないの」
「ちょっと待ってね。…………、『神獣召喚』だってさ。掲示板に書いてある」
「強化ポイントを、『神の強化』に入れて行くと、使用可能になるのでしょうか?」
「そのようだね」
ハルの神様は強化するまでも無くとても強いので、そこの要素は手付かずだった。
どうやら『侵食力』の方向制御と同じように、閾値を越えると使用可能になるコマンドがあるようだ。
レイドボスの召喚、といったところだろうか。大人数で戦うこのイベント、こうした巨大モンスターが出てくると、とても盛り上がりそうだ。
実際に藍の国に面していた青チームのメンバーや、国土を失いやる事の無くなった紫チームのメンバー、建築物を破壊されて激高した藍の住人までもが、大挙して巨大生物に殺到していた。
「自国の民からも攻撃されているのですね……」
「……呼ぶ位置が悪かったわね。誰でも呼べるのかしら?」
「MVPだけかもね。侵食も、方向操作できるのは僕とアイリだけだし」
「皆、楽しそうね? ……うちの元気娘たちも居るわ」
「そういえば、ぽてとさんはどうなさったのですか?」
「彼女はおねむみたいよ」
大勢で巨大モンスターに立ち向かう、というのはやはり楽しいのだろう。皆、生き生きとしている様子だった。
遠方からも続々と増援が到着している。これならハルが手を出すまでもないか、と思われたが。
「再生してるね。これ、周囲の魔力を食ってるんだ。藍の陣地が更に減ってる」
「藍色チームの魔力が無くなれば、消えて行くのでしょうか?」
「試してみようかね。藍方向に全振りして食べてしまおう」
「はい! わたくしがやります!」
侵食方向をアイリが操作し、小さくなっていた藍チームが更に急速に縮小されていく。
ハル達が不在時に得たポイントも加わって、侵攻スピードは更に加速している。しばらくすると藍の領土は本拠地を残してゼロになった。
「消えませんね……」
「今度はあれ、僕らの魔力食べてるね」
「生存特化という事かしら」
歩みは遅く、攻撃力もさほど無い。だが異常に打たれ強い。百人以上からなるプレイヤーの弾幕に、耐え切っては再生し、時に反撃の魔法を口から放って、数を減らしていた。
そしてその再生のコストとなるのはハル達の領土だ。許されざる行為と言えよう。非常に効率的な兵器だと感心はするが。
「どうにかなさい、ハル?」
「じゃあ準備しよっか。やってみたい事もあるし」
「今すぐ討伐には向かわないのですか?」
「うん、今はお祭りムードだしね。参加したい人は全員参加してもらおう」
そしてその間に、手薄になったそれぞれの領土を併呑させて貰うとしよう。
◇
皆が巨大生物と戦っている間、ハルは今は自陣となった元、紫の土地から宝石を採取していた。儀式用魔方陣の作成のためだ。
怪獣に対抗するには儀式魔法が最適だろう。威力は元より、あれは国土である魔力を外周から消費する。敵の餌を枯渇させる一石二鳥の策だった。
そのためにまずは、半端に侵食が進んでいる赤の国を飲み込んでおかなくてはならない。東端である赤の国は、ソフィーの主戦場であり、各地に空間の傷が刻まれている。
そこから、まだら模様に侵食が進んでいたが、このまま撃つと、そこが外周として消えてしまいそうだった。
「ハル君ただいまー」
「ただいま!」
「ユキ、ソフィーさん、おかえり。どうだった?」
「再生早すぎ。そろそろ皆もダレてきたかなー」
「私達は回復薬を取りに来たよ! あ、あいつの名前は『ウミエラ・ハイエロファント』だって!」
ここで明かされる新事実、あの海洋生物は、ユーザーズメイドだった。ネーミングセンスが神のそれとは違う。
「どうりでバランスが悪いと思った。倒されないための敵だったんだね」
「運営の作る、倒されるための設計思想じゃないよねぇ」
基本的に敵モンスターというのは、ユーザーに倒してもらうために作る。そのために隙や弱点が設計され、そこを攻略する事で、プレイヤーは気持ちよく勝てる。
だがあの巨大生物は別だ。ひたすら倒されない事を重視して考えられている。
倒されなければ、敵の領土である魔力を無限に削ってくれる。……ただ、出す位置は失敗だったようだが。
「厭戦ムードなら丁度いいね。こっちも準備が整った所だし」
「はい、赤、橙共に十分に侵食が行き届きました。儀式用魔方陣を建築します」
アイリが城の中庭へと出て行き、そこに魔方陣を設置し始める。
ハル達もそれに続いて門をくぐった。
「うちと橙の間にある、緑色チームには、あんまり侵食が進まないんだね。ハル君どうして?」
「緑チームの得意としてる建築物が、侵食力を上げる効果があるんじゃないかな。本来は侵食力重視で攻めるのは、緑だったんだと思うよ」
「緑に居るのは商業の神様だもんね。それっぽいそれっぽい」
アイリによって儀式用魔方陣が建築され、砲撃の準備が整う。
設定項目は使用魔力量、魔法の種類、目標の設定と多岐に渡る。使用魔力量を、ウミエラ・ハイエロファントが国境外に出るように選択。
「そういえばハルくん! ハルくんのエーテル爆弾は、周囲の魔力を消費し尽くしちゃうんだよね? それを使えば良かったんじゃないかな!」
「……まあ、そうなんだけどね。爆発させる量が多すぎて、周りの人たちも死んじゃうしさ?」
「あはは、ソフィーちゃん、ハル君は儀式魔法が見てみたかったんだよ」
「そっか! かっこいいもんね!」
「……コピーなさるのですね?」
こっそりと耳打ちしてくるアイリに頷く。
戦略級の大魔法だ。使う機会は無いだろうが、その構築式は知っておくと役に立ちそうだ。
全ての設定が終わり、国土の外周から、魔力がこの場に向かって収束していく。
「ルナちーは待たない?」
「体調アラート鳴っちゃったから。ルナは暫くお休み」
「動画撮っておいてあげようね!」
「君らはよく平気だよね……」
「うん! まだまだ元気!」
「今更だねハル君」
アイリと、サポートの黒曜によって照準が微調整され、ウミエラ・ハイエロファントの長い胴体、その中央部に狙いが定められる。
ハルの<神眼>で核がその部分に確認された。通常モンスター同様、コアの破壊によって一撃で消滅させる事が出来るだろう。
「ハルさん。撃てます」
「発射」
先だってこの城へ打ち込まれた雷の魔法が、今度はこの城から放たれた。
*
ハルは視界を敵方面へと飛ばす。
餌となる魔力が急に失われたウミエラ・ハイエロファントは、それを求めて、もがくように前進しようとしているようだ。
それを多数のプレイヤーが押し留めている様子が見えた。
ハルたちの城から大魔法が発射されたのを誰かが確認すると、彼らはにわかに活気立ち、その攻勢も激しくなって行く。なんとしても、この海洋生物もどきをこの場に釘付けにする、その意気が遠目からも見て取れる。
そして、ほどなく魔法は巨体へと着弾。大歓声が上がる。
近くに居た物は余波でダメージを受けているようだが、気にする様子も無くはしゃいでいた。
「アイリ、僕らも行こうか」
「はい!」
自然な調子で手を伸ばしてくるアイリを抱え上げ、ハルは先に出発したユキたちに続き<飛行>で飛び立つ。
魔法はコア付近に狙い違わず着弾したが、コアを破壊するには至らなかった。
しっかりと、止めを刺さなければならない。この国の侵食力は高い。放置しておけばまた魔力の波が敵まで到達し、復活してしまうだろう。
ハルはアイリを抱えたまま全速で<飛行>し、もはや残骸となった巨体へとたどり着く。
ハルとアイリが降りてくると、群がっていたプレイヤーは波が引くように場所を空けて行った。
「主役の到着だ。クライマックスだねハル君」
「まだ生きてるんだ……、こんなになっても」
「恐ろしい生命力ですね……」
「普通なら上半身が飛んだ時点で死ぬのにね」
倒れ伏した下半身はぐったりと動かず、上半身は頭の一部を残して消滅している。
胴体からは既にコアが露出して離れており、接続を断たれた体は少しずつ空へと消えて行っていた。その体にプレイヤーが思い思いに攻撃を加えて消し去ろうとしている。
だが彼らも満身創痍のようで、思うように威力が出せないでいるようだった。
「アイリ」
「はい、ハルさん」
アイリに目線を向けると、それだけで意を汲んだ彼女が魔法を発動する。ハルはそれに魔力を注ぎ込み強化していった。
その半透明の長い体の内部に、黒い球体が並んで多数生み出され、それに引き込まれるようにして、ウミエラ・ハイエロファントの体が圧縮されてゆく。魔力を吸収する球体のようだ。
しばらく吸い込むと、今度は一気にそれを開放するように、黒い炎が列をなしていった。
その体そのものを燃料とするように、炎は勢いを増して行く。体が魔力の塊として作られている以上、抵抗は難しい。プレイヤーにとってもこの魔法は天敵となる、恐ろしい効果だった。
「ここまでやってもコアは消えないね」
「あれには、わたくしの魔法が通らないようです……」
「他の皆も傷つけられなかったってさ。どこまで生存特化なのかね」
「まるで乾燥した種だね!」
遅れて追いついたソフィーも合流する。
彼女の感想、なかなか言い得て妙だ。種の状態で耐えしのぎ、魔力と言う名の水を待つ。水を与えられると、ウミエラの体が芽吹き、巨大な花を咲かせるのだ。こわい。
「ソフィーさんなら、壊せるんじゃない?」
「うん! たぶん! でも、最後はやっぱりハルくんがやるのがいいと思う!」
ソフィーの<次元斬撃>は空間を切り裂く。コアの防御も物ともしないはずだ。
だが、彼女は止めをハルへと譲ってくれるようだった。
周囲を見渡すも、皆、異論は無いようだ。ならば期待に答えなければならない。ハルは神剣を取り出すと、この試合そのものに決着を付けるように、ゆっくりと歩みを進める。
「ハル君、ケーキ入刀しないの?」
「!! やりたいです! わたくし!」
「やらないっての。締まらないなあ……」
どうやら感慨に浸るのはガラではないようだ。苦笑いしつつ、ハルは神剣をぞんざいに振り上げると、一息でコアを切り裂いた。
コアは何の抵抗も無く二つに分かれると、すぐにキラキラと空気に溶けて行く。何時も見るモンスターの撃破処理だった。
今度こそ終わったようだ。大歓声が上がる。
皆、思い思いに喜びを表現し肩を叩き合う。どさくさに紛れアイリに触れようとする者が出ないよう、ハルは彼女を後ろに庇った。
どれだけギスギスするのかと思ったこの試合だが、全ての陣営が入り乱れて和気藹々(わきあいあい)としている。
中々良い光景だ。この後、ユキとソフィーが全員平らげてしまわない事を切に願うばかりである。
「よし! じゃあみんなで此処に記念碑を作ろう!」
どうやら杞憂だったようだ。ソフィーの号令に、更に歓声が大きくなった。彼女の下に人が集まって行く。
残り時間はあと半日ほどある。残りは、勝負の事は忘れて思い思いに過ごすのだろう。
「ハル君。感慨にふけってるようだけど、早く逃げた方がいいんじゃない?」
「……そうだね。僕、世界の敵だからね」
レーダーを見れば、最後まで抵抗していた緑も飲み込まれていく所のようだ。もはや世界には、黄色を押し返す力は残されていない。
ハルは侵食方向の設定を解除し、全方位に向ける。
「帰ろっか、アイリ」
「はい。わたくしも、さすがに疲れてしまいました」
陽気なプレイヤー達の騒ぎを遠目にして、ハルはアイリに手を引かれるように、戦場を後にしていった。




