第758話 天上人となる侯爵さま
明日はメンテなのですね。投稿時間にかぶってしまうので、(可能なら)メンテ前に投稿できるように頑張ります!
「……はい?」
「この家を、どうぞお納めいただきたく思います。ローズ侯爵閣下。我が身の評価のみで恐縮ですが、そこそこの価値はあるかと……」
「いや、価値に関しては疑ってないけどね?」
なるほど、道理でボロボロになった絨毯を『もう不要なもの』として扱う訳だ。
既にハルへと手渡すことを決めていたなら、それはどう扱われようとも考慮に値しないだろう。
「じゃあなくてだね? 正直、キミの考えが分からない。捕まる訳にはいかないのは分かるが、地位も財産も失って、それでこの先やっていけるのかい、キミは」
「もちろんでございます、閣下。ご心配いただき、痛みいります」
「いや、心配して言ってる訳じゃないんだけど……」
どちらかといえば、彼の行動が不気味で言っている。
カゲツの大富豪の中でも、更に一握りの選ばれた者しか住めないこの最上層。そこを、いとも簡単に手放すという。
これを怪しいと言わずして何と言おう。疑うなという方が無理なことだ。
しかし伯爵はそんなハルの疑惑の視線もなんのその。普段通りの、落ち着いた薄い笑みをその唇に浮かべるだけなのだった。
《これは流石に怪しすぎる!》
《おじ様ファンの私でも危ないと思う》
《企んでる顔だよ!》
《気を付けてローズ様!》
《きっと自分が家を出た後爆発するんだ!》
《……その程度じゃローズ様死ななくね?》
《……絶対しなない》
《でも、本気で分からないなー》
落ち着いた壮年の紳士、という立ち居振舞いから視聴者のファンも多いNPC、ファリア伯爵だが、さすがに彼らもこの突然の行動には困惑気味だ。
命惜しさに賄賂を渡して逃げ出すようなタイプではないそのキャラクター性との乖離が、彼らを混乱させている。
「……とりあえず、聞かせてくれないか? 何を考えているのか」
「なに、そう難しい話ではありません。私にとってこの家など、そう価値のあるものではない。しかし貴女さまならば、私以上に有効に活用できるでしょう」
「この家に居るだけで、交渉は有利に運ぶんじゃないかい?」
「それはそうなのですが、既に私にとって、肩書やステイタスなど何も意味を成しません。お取引させていただいている方々には、そんなものなどあらずとも、信頼を寄せていただいています」
《なるほど。ルナや奥様にとって、ブラックカードは何のステイタスにもならないのと同じか》
《……そこで何で私が出るのかしら。まあ、私はともかく。あれを見せびらかさずとも、お母さまの地位を疑う者なんて居ないわ?》
《ルナは?》
《私はまだまだね。そもそも、あれはお母さまのカードよ》
大昔の商家にとっては、お金や商品、家よりも名簿こそが価値ある財産だった、という話とおなじだろうか? 得意先顧客の名簿さえあれば、全てを失っても何度でも事業を成功させられるという。
大切な物はお金や物質的な価値にあらず。商売を成功しのし上がった、己の知識とセンスなのだ。
元は技術者だったという伯爵だ。その知識を活かせば、再びの躍進だって簡単だろう。
かつて技師の『フランツ』という名を捨てて貴族となったように、今度は『ファリア伯爵』を捨ててやり直すだけだ。
……とはいえ、物も金もあった方が良いに決まっている。
それを捨ててまで去る彼を、このまま逃がしてしまって良いのだろうか?
「……やはり、キミをこのまま逃がすのはいかがなものかな。ようやく追い詰めた組織の重要人物だ。ここでまた逃げられるのは、いいかげん僕も避けたい」
「なるほど。閣下も、苦労なされているのですね……」
「いや、どの口が言うのか」
追いついては逃し、追いついてはまた逃しと繰り返してきた謎の組織との攻防。いいかげん終止符を打ちたいハルだった。
とはいえ、その一方で伯爵の誘いに乗ってもいいと思う部分も出てきたハルでもある。
正直、このファリア伯爵を捕まえるのは面倒くさい。カゲツの有力者であり同時にアイリス貴族。高度に政治的な立場である。
貴族としてはハルの方が上位だが、他国の有力者なのが面倒くさい。こちらは、アイリスで例えれば王族クラスだろう。
その地位を自ら捨てるというのだ。見ようによっては、それより後の方が対処しやすいかも知れない。
「ええい! いつまでも煮え切らない態度で悩むのは止めろハル! お前が決めぬというならば、この我が決めてやる! 家を受け取れ、そしてこいつを見逃せ! 伯爵の身柄は、この魔王ケイオスが預かった!」
「……はい?」
「それは良いですね。魔王陛下の後ろ盾があれば、再出発の不安も消し飛ぶというもの」
「しかも受け入れるのか伯爵……」
ハルが決めあぐねていると、その優柔不断な態度に業を煮やしたのか、ケイオスが口を挟んできた。
捉え方によっては、ハルの敵に回るという風にも取れるその発言に、ハルの身に少々の緊張が走る。
そうやって警戒していると、当のケイオスから個別メッセージが入ってきた。
《ハル! なに悩んでんだっての! オレたちの目的忘れたか、最上階だろ最上階!》
《ああ、そんな話もあったっけ。というか『オレたち』じゃなくて、『キミの』目的ね?》
《それでも良いから受け入れてくれハルゥ! さもなくば、この場でオレがお前を倒して家をぶんどる!》
《……そんなことになったら、家が粉々に吹っ飛びそうだ》
「……わかったよ、伯爵、ケイオスも。伯爵を見逃す代わりに、ここの権利を頂戴しよう」
「お聞き入れくださり、感謝の極みにございます」
「ここを手に入れることで、少なくともソロモンは拘束することが出来るしね。二兎を追う者は一兎をも得ずだ」
「はぁっ!?」
ここで、ハルたちの話を静観していたソロモンに急に流れ弾が飛んでくる。
家の所有権などどうでもいい。どちらがオーナーでも構わないから、さっさと正面扉を開けて欲しい。そういう顔をしていたソロモンに第三の選択肢が襲い掛かってきた。
すなわち、どちらのオーナーも、正面扉を開けないという可能性だ。
「力を奪い、クランに入ってもらったとはいえ、『ここでまた逃がすのは、そろそろどうなのかな?』と思ってたところだ。伯爵の代わりに、彼を逮捕して満足するさ」
「それがよろしいかと。組織の活動の中でも特に、アイリスへの関与は彼の暗躍です。閣下の目的にも、沿いましょう」
「おいっ……、ファリアお前……」
「案ずることはありませんよ、ソロモン。この方は、主と仰ぐに値する素晴らしいお方だ。決して、悪いようにはしないでしょう」
「チィッ……! 完全に売り渡す気でいるなお前! ならお前が手下になればいいだろうに……!」
「私には、まだ私の目的がありまして……」
「オレにだってある!」
対立していたはずの二人が、今や完全に同調してソロモンの敵となっていた。
まさに降って沸いた悪夢のような状況に、一度は落ち着いたはずのソロモンも、再び気取った態度の演技を忘れそうになっている。
なんとも可哀そうなことだ。逆境に負けず頑張って欲しい。まあ、原因はハルなのだが。
《ん? んん? どゆこと?》
《ヒント、セーブポイント》
《あっ、ソロモンくん、この家を宿代わりに……》
《つ、詰んだ!(笑)》
《高級ホテルの宿泊料、高くついたな(笑)》
《チェックアウト不可能!!》
《お代は命で》
《美少年監禁?》
《お姉さまの籠の鳥?》
《やめろやめろ》
《うらやましいじゃん……》
そう、ソロモンの復活地点はこの家の中。彼が死んでも、再びここからゲームを再開できる。
しかし、それは裏を返せば、『例え死んでもこの家から外には出られない』、ということを意味するのであった。
「フハハハハハ! 詰んだ、詰んだなソロモン! 敗北のリスクを甘く見るからだ、馬鹿め! くっ、くくくく。せいぜい、ハルに泣いて頼むのだな。『どうか外に出してください』、と!」
「黙れ魔王……! 誰が泣くか……!」
「ははは、歯噛め歯噛め。しかし、これで貴様のクランのみならず、貴様自身もハルの完全な下部組織として組み込まれてしまった、という訳だ」
「くっ……」
《確かに!》
《完全勝利だ!》
《どちらも、死んでも逃げられない……》
《真のゲームオーバー》
《そういえばミナミもこの状況恐れてたな》
《公爵邸でセーブしちゃった時か》
《全力でローズ様にすがってたな(笑)》
《奴は正しかったのか……》
《プライドなんて邪魔なだけだと証明されたなぁ?》
《ミナミ(笑)》
《本人じゃん!》
《ミナミも見てます、と》
《いや、ミナミはもう少しプライド持とう?》
《情けないぞミナミ!》
どうやら大きくゲーム展開が動くであろうこの状況、他のプレイヤーも興味深く注視しているようだ。
かつてハルと行動を共にした、ミナミも一般の視聴者たちに混じって放送を見ているようだ。
そんな彼らも、もし一プレイヤーがこのカゲツの最上層住宅を手に入れたらどうなるのか、興味が尽きないようだ。
口では『ローズ様の選択を尊重する』といった発言をしつつも、どうしても本音が見え隠れしている。
「……まあ、確かに僕もこの家に興味がないと言えば嘘にになるね。いいだろう、伯爵の提案を受けようか」
《やった!》
《天上人ローズ様の誕生だ!》
《大貴族で大金持ち!》
《二つの国を制覇!?》
《制覇はしてない(笑)》
《お金に関して無敵になったな》
《地位も権力も飛空艇もある》
《ローズ様は商売において最強……》
《このまま他の国もいっちゃえ!》
別に制覇する気はないが、格段に動きやすくなることは確かだろう。
伯爵が商売の為にアイリスの爵位を得たように、ハルの政争にこの地位が有利に働くのは間違いない。
「では閣下。合意と見て、よろしいのでしょうか?」
「ああ、キミを見逃す、代わりに僕は家の権利を受け取る。ソロモンは逃がさない」
「もう好きにしてくれ……」
「じきに、良いことがありますよソロモン。では、ローズ侯爵閣下。こちらが、家の権利書となります」
そういってすぐさま、伯爵はハルの眼前にモニターを表示させる。きちんと、ゲームシステムに則ったイベント扱いのようだ。
それを確認しハルが承諾のボタンを押すと、その瞬間、ハルの目の前が謎の光に包まれたのだった。
※誤字修正を行いました。(2023/5/28)




