第754話 世界は君を待たない
ハルへの攻撃を分身に任せ、安全な後方で待機していたはずのソロモンの本体。
その彼が一瞬で、本当にコンマ一秒のズレもなく、分身の一体を仕留めた瞬間のハルの眼前に瞬間移動してきた。
これは高ステータスからくる超高速などではなく、本当に『瞬間』の出来事であった。
「食らえ。そして死ね」
ハルの頭より少し高い位置から唐突に振り下ろされるその攻撃。今まであらゆるソロモンの攻撃を完全回避してきたハルだが、この攻撃ばかりは回避不可能だった。
分身の一体を屠るのに、ハルも止めの一撃にそれなりに大きな体の振りを使ってしまっている。
無駄なく隙の小さな美しい動作であれども、どうしても自然体と比べれば取れる動作に制限が出る。そこを突かれてしまった。
もし計算してこれを行ったのだとしたら、ソロモンも大したものである。
「……仕留めそこなったか。どういう反射神経してるんだ、お前」
「反射というよりも、あらかじめこれも予想していたよ。『空蝉』の時点で、キミはテレポート出来ると言ってるようなものだからね」
「チッ……、その通りだが、気付くか普通……」
ハルは完全回避とはいかずとも、ソロモンの振り下ろす大剣を無理矢理に体をのけ反らせるようにして回避した。
それにより、本来は真っ二つに両断されるはずのその剣の軌跡から逃れ、肩口を浅く切り裂かれるに留まっていた。
その傷さえも、自慢の回復アイテムによってすぐに癒えていってしまう。
「完治。我ながら反則的な生存性能だ。殺せるのかな、コレ」
「ひらひら回避しまくって、ようやく当てたと思ったら完全回復だからねー。クソボスの謂れ待ったなしだハルちゃん!」
「ユキ? はしたないわ? あまりそういう言葉づかいをするものではないわよ?」
「あー、ごめんね? ルナちゃん」
「誰がお母さんよ」
《ママー!!》
《めっ! ユリちゃん、めっ!》
《俺達も気を付けないと》
《ちっちゃい子の教育に良い喋り方しよう》
《クソボスクソボス言っちゃいかんな》
《じゃあどう言うんだ?》
《堆肥ボス》
《逆にちょっと価値が出ちゃってダメ》
《工業廃水ボス》
《再生不能廃材ボス》
《付加価値ゼロボス》
《債務不履行ボス》
《ブラックボス》
《最後カッコいいんだが?》
クソボスで構わないとハルは思う。言葉など使う場と使う者の問題だ。
どんなに気取って飾り立てたところで、どうせそれの意味するところは変わらないのだ。本質から目を背けてはならない。
それはさておき、渾身の不意打ちが不発に終わり、流石のソロモンも次の一手を取りあぐねている。
ショックで戦意を失う、とまではいかないが、『どうしたらこの相手を倒せるのか』、ということをどうしても考えてしまっているようだ。
攻撃しても攻撃しても、異常な精度で回避をし続けてしまう。
そして苦労の末に一撃を加えることに成功しても、一瞬で全回復して振り出しに戻ってしまう。
こんな理不尽の塊のようなハルを相手にして、いったいどのように勝利を収めればいいのだろうか。
「僕に一撃を加えた瞬間に、すかさず全ての分身で総攻撃すれば良かったね」
「……しようとしたさ。“攻撃が通れば”な。だがあの状態で特攻しても、逆に一網打尽になったんじゃないか?」
「まあ、そうかもね」
ハルは彼の読みを肯定するかのようにおどけた顔で、すぐに取り出せるようにしていた多数の爆弾剣を、どさどさっ、と床に転がしてみせる。
本当は格好良く床に突き立てたかったところだが、伯爵の家なのでそれは踏みとどまった。
超高級の絨毯が、穴だらけになってしまう。
「やはり、な。本来ならば、あの一撃で瀕死になったお前を分身の総攻撃で空コンにかけて浮かせ、そこにトドメの『アイテム禁止』を掛ける戦法だった」
ソロモンは苦虫をかみ潰したような渋い表情で、最初にハルへ奇襲した時の短剣を取り出す。
これに切られることで、ハルの強さを支えている大量のアイテムが無意味となり、大きく勝利に近づくはずだった。
「なら、最初からそれを握ってテレポートすれば良かったのに」
「……警戒するだろう、そうしたら! これは、一本しか無いんだ。間違っても、壊される訳にはいかない」
「フハハハハハ! それが貴様の限界よ! リスクを怖れるあまり、中途半端な手しか取れない。もしこれが我であれば、躊躇なくその短剣で勝負に出ていたわ!」
「黙れ魔王。横から入って来るな!」
《魔王様、無茶好きだもんなー》
《確かに魔王様なら絶対やってる(笑)》
《でも失敗したら?》
《『失敗したらそこまでよ』、らしい》
《どのみち優勝には無茶するしかない》
《成功し続けた者だけがトップに立つ!》
《気合はいってんなー》
《一歩間違えれば転落一直線だろ》
《だが真理》
《ソロモンくんちゃんには『覚悟』が足りなかったか》
確かに、『何を置いてもハルを倒す!』、という強い意識があるならば、先ほどの一撃に全てを賭けるべきだっただろう。
そこをソロモンは、『もし外したら』、『もし倒しきれなかったら』、『もし短剣が壊れてしまったら』、という可能性を怖れて最大攻撃に賭けきれなかった。
「チッ……、リスクを取って大勝ちするだけが、道じゃないだろうに。失敗しても、次で勝てばいい……」
「その通りだね。ただしそれは、リアルの話」
どんなに事業で失敗しようと、致命傷は負わず、最終的に成功していればいいのが鉄則だ。
しかし、これはゲーム。とくにこの世界には制限時間があり、ライバルが居る。堅実なだけでは、何処にも辿り着けないことだってある。
「キミは『次で勝てばいい』と言ったが、残念ながらもう次はない」
「フン。そんなことはない。確かにお前の生存性能はやっかいだが、一方でお前もオレを倒せない。必ず、チャンスは巡って来る」
「それはどうかな? 今、キミが僕を切ったダメージをよく確認して、もう一度考えてみるといい」
「なに……?」
恐らく、ソロモンが想定していたダメージよりもその数値は下回るはずだ。
ハルが回避したのでそのせいだと思ってしまったようだが、仮に直撃したとして、それでもソロモンの満足するダメージ量は出なかっただろう。
そこに、ソロモンの最大の誤算があった。彼に絶望を与えるべく、ハルはその種明かしをしていく。
「僕の今のステータス、戦闘開始前の二倍ほどになっているんだけど、どう思う?」
◇
このゲームは、戦闘中であろうとステータスがアップすることがある。
いやむしろ、戦闘中こそ最もその機会が多いと言って過言ではない。
それは別に、モンスターからの経験値や、スキル使用の経験値でレベルアップしたということではない。
このゲームではレベルアップによるステータスへの恩恵はほぼ無いからだ。
ではその出所は何なのか。それは言うまでもなく、戦闘に沸いた視聴者からの応援のポイントである。
「キミは、生放送は全くしないから実感が沸かないかな? 今も僕には、キミに負けないで欲しいという思いから応援のステータスポイントが入って来ている」
「……クソッ。これだから、このゲームは嫌いだ!」
「まあ、気持ちは分からないでもないけど。でも、それだから好きだって人もいる」
「我とかな! 我もハルも常に、そうして戦いの中で成長し苦境を乗り越えてきたのだ!」
「……いや正直、僕もこの感覚を味わうのは初めてだね」
「お前ーっ! これだからーっ! 常に楽勝で蹂躙していく奴はーっ!」
そう言われても、仕方がないのだ。ハルもどちらかと言えば、ソロモンのように戦闘の前に勝敗を確定させてしまうタイプなのだ。
勝てるから戦いを挑む。勝てないかも知れない相手との戦いは避ける。
戦闘中に強敵のステータスに近づくように成長していくことなど、あまり想定には入れないのだった。
弱体化してしまったハルがこのソロモンに襲われていることに危機感を感じたハルのファンたちは、ハルが負けることなどないようにこぞってポイントを投げてくれている。
これが普段、ケイオスが常用している戦略だ。あえて自分よりも強い敵に挑み続け、視聴者たちからの応援を受けやすくする。
……なんだか、それを目当てに弱体化したように思われても困る。ハルのブランドイメージとは違うので、早々に力は取り戻そう。
ハルが弱体化したのは、このソロモンのような油断したプレイヤーを誘い出すためだけだ。
「……という訳で、理解したかな、ソロモンくん? キミがチャンスを待っている間に、僕のステータスはどんどん上がって行く」
「……機会を待てば待つほど、勝率は下がるってことか」
「そうだね。チャンスってのは、取り置きが出来ないのが現実だ」
「そんな、リアルを持ち込んだゲームは嫌いだ」
一理ある。ハルも、ゲームに過度なリアルは求めないタイプだ。
だが、このゲームにおいてはそれがルールであり真理。そんな世界の理不尽を体現したような敵に必死に食い下がるかのように、ソロモンもその美しい顔から余裕を取り払い、その身に最大のリスクを負う覚悟を決めたようだった。




