第744話 狸同士の化かし合い
ハルたちがファリア伯爵への疑いを強める会話を繰り広げているところに、当の伯爵が素知らぬ顔で入ってきた。
こちらを安心させる人好きする笑みは、まるで闇に潜み暗躍する組織の元締めとは思えない。
だが、完璧に普段通りに取り繕っている伯爵だが、先ほどのハルたちの会話の内容を知っているとみて間違いないだろう。
ハルの予想通り奥に待機するプレイヤーから聞いたか、それとも、盗聴器のような邸内を監視するシステムが設けられているのか。
表情は変わらねど、こちらに近づく足取りには緊張が表れているのがハルには分かった。
沈み込むようにふかふかな絨毯を踏む足取りが、先ほどの案内の際の自信に溢れた軽快さよりも幾分か硬い。
そうした無意識のサインを見逃すことのないハルである。伯爵は本来知っていることは有利なはずが、逆効果だ。
「お待たせいたしまして、申し訳ない。くつろいで、いただけていますかな?」
「ああ、豪華な調度品に囲まれて、楽しく過ごさせてもらっていたよ伯爵。話も弾んだ」
「それはよろしゅうございました。成金趣味でお恥ずかしいのですが、どれもお客様に失礼のないようにと、最高級の物を選出した甲斐があったでしょうか」
「ああ。特にこの絨毯、僕は地面を踏んでいるのか、浮いているのか分からなくなるくらいだ」
伯爵と二人、朗らかに笑い合うハル。その態度も、彼を敵と見定めてその秘密を暴こうという者の振る舞いではなかった。
事情を知らぬ者が見れば、どう見ても心底この場での会話を楽しんでいる貴族のお嬢様にしか見えない。
《お、お姉さま?》
《伯爵様を追及するんじゃないの?》
《めっちゃくつろいでる》
《さっきとまるで別人(笑)》
《流石はリアル貴族》
《化かし合いは慣れてるのかなー》
《他のお嬢様がたも動かないね》
《ローズ様を信頼してらっしゃるんだ》
《魔王様は?》
《堂々としてるね。もう順応したのかな》
《こっちも流石》
《いや、あれは状況が良く分かってない(笑)》
小さなソファーを一つ占領し、その豊満な肢体を投げ出すようにセクシーなポーズでくつろぐケイオス。
その堂々たる態度はまさに王者の貫禄であるが、内面はどうやら視聴者たちの想像通りのようだ。彼らもよく分かっている。
《どういう状況ー!? 直接対決始まるんじゃないのかぁー!? ほら、だってお前の読み通りだぜハル? あいつちょっとビビってんじゃん。絶対、裏でプレイヤーと作戦会議してきたぞ》
《それが読み取れるだけでも大したものだよケイオス。やるじゃん》
《おおよ! 足運びが、不意の攻撃を警戒する奴のそれだったからな》
《そのとおり》
《でも、こんなん自慢にならんだろ。ユキちゃんだって普通に分かってんじゃね? 他の女の子たちもか?》
《そうだね。ユキは分かって当然。ルナとアイリは貴族的な感覚に長けてる。残る二人は、まあ規格外というか、人外だね》
《君のお嫁さんたちヤバくないハルくんちゃん!?》
なにを失礼な、とは言えないハルである。実際ヤバい。
まあ、そんな大物な女の子たちの余裕の態度を見て、ファリア伯爵もいくぶんか警戒を落ち着けたようだ。
恐らく、心境としては『同類』を相手にしていることによる安心感だろう。
もしハルたちが正義感により自身を容赦なく弾劾してくる相手ならば、伯爵も覚悟を決めねばならないが、同類なら、つまり貴族的な要素の非常に強い相手ならやりようはある。
利による取引を持ち掛け、共犯者に引き込んでやればいいからだ。
「……さて、せっかくはるばるカゲツの、しかもこのような上層までおいでくださったのです。ずいぶんと、苦労なさったのではありませんか?」
「ん? ああ、そうかもね。シルヴァに仲介を頼んだんだけど、なかなか許可が取れなかったみたいでね。とはいえ、僕は苦労してないんだけど」
「いえいえ。それでも、破格の早さにございましょう。本来なら、シルヴァ老とて許可を得るには更に時を要していたに違いありません」
「なるほど。我らの行い、つまりはこの国における貢献が評価された故のスピード、ということだな?」
「左様にございます、魔王陛下」
ケイオスの言う『貢献』とは、あの廃工場ダンジョンの制圧のことだろう。
その達成により、ここカゲツの国に土地と物件を所有することになったハルたち。それが条件となって、イベントが進行したと見れば自然だ。
廃工場からの帰還後に、急にシルヴァが『準備が整った』と言い出したのはそうした事情があったと思われる。
「そのような大いなる苦労をされてまで、我が家においでくださったお客様だ。それを手ぶらで返してしまっては、当家の名折れ。それは、到底許容できません」
「へえ。何か、お土産でも持たせてくれるのかい、伯爵?」
「ええ。ここはひとつ、お互いにとって有益となる、お取引など結んでいかれませんか? 聞けばローズ侯爵閣下は領主であられると同時に、名うての商人でもあられるとか」
「特権を使って大口の取引をさせてもらってるに過ぎない。キミから評価されるほど、大したものじゃないよ」
《そうだね、大したものじゃないね(資産額トップ)》
《大したものじゃないね(飛空艇自力建造)》
《そうそう、全然すごくない(レア鉱石独占販売)》
《まだまだだよな(全ての国の有力者と交友あり)》
《やべぇ(笑)》
《ぜ、全然すごくなんかないんだからねっ!》
《いや凄いわ!》
《改めてなんなんこの人?》
《でも伯爵様って、それより上なん?》
《さあ? でもまぁ、そういうこともあるかもな》
《結局どこまで行ってもプレイヤーだし》
《手に入らない特権なんかもあるのでは》
実際、そうした特別な権利というものは非常に強い。大抵何でもお金で解決してきたハルであるが、全ての物が買える訳ではない。
事実、シルヴァに対し、ハルの有り余るゴールドでこの最上層を買えないかと訊ねてみたことがある。
分かっていたことだが答えは『ノー』。どれだけ金を積んだとしても、その権利を買うことは出来ないようだった。
まあ、これが更に二桁、三桁、四桁と額を増していけば、強引に『実弾』を撃ち込んでの購入も出来る可能性はあるかも知れないが。そういう自由度の高いゲームだ、これは。
「閣下は、そして魔王陛下も、きっとこれから更に躍進成される御仁にあらせられる。どうでしょう? そのお手伝いを、この私にさせていただくという事は」
要するに、『自分の持つ強力な特権を使わせてやるぞ』、『だから見て見ぬふりをしろ』、そう言外に言ってきているのだ。
相手が貴族の対応が通用するとみるや、堂々とそれを仕掛けてくるのは流石の強かさ。
実際、悪い話ではないのも確かだ。
ここで、ケイオスの追っている謎の最上層の秘密への足がかりが出来るのは、今後の展開を非常に有利にするだろう。
自分一人のことなら当然断るハルではあるが、ケイオスが望むなら、ここは彼の有利にイベントを運んでやってもいいと思うハルであった。
◇
「……どうする、ケイオス? キミはなにか、伯爵と取引したいこととかあるかい?」
「そう言われてもな? 我はお前のように、ちまちまとした商売には長けておらぬ。戦い、壊す。そして奪う。それだけよ、それが『魔王』というものよ。対等な取引など、出来ると思うか?」
「そこは『出来る』って言っておこうよケイオス……、嘘でもさ……」
どうせ伯爵の方も、自分有利になるように画策するのだ。そこはきっと、お互い様である。
馬鹿正直に気に病む必要はないとも思うが、そこもまた、『優しい魔王様』と評価される所以なのだろう。
「はは、正直なお方だ。構いませんとも。可能な限り私の方にも利が生じるように、こちらで調整いたしますので。そこが商人として、また貴族としての腕の見せ所……」
「フン。容赦はせぬぞ? せいぜい財産を根こそぎにされぬよう、気を付けるのだな! ハハハハハ!」
恐らくケイオスの心中では、何の取引をするのかまるで分かっておらず、『?』マークが乱舞していることだろう。
しかし、ここでも『虎穴に入らずんば虎子を得ず』の精神でもって、とりあえず突撃してみるようである。
相変わらず、ギャンブラーの魔王様だ。
《どうしたんだ、ハル? こいつの悪事を暴くんじゃなかったのか、急に取引とか言って。言いくるめられてるぞ》
《知ってるよ。ただ、ケイオスにとってはチャンスだろう? それを優先するといい。僕は僕で上手くやるから》
《……おう。んー、気を遣ってくれんのは嬉しいんだが、施しを受けるのは気分がもにょもにょするっつーか、特にハルにはなぁ》
そうして脳内でボヤきつつ、彼女は黙って腕を組んでしまった。これは、無神経なことをしただろうか?
ハルをライバルとして、どうにかハルに届かんと必死に手を伸ばし続けているケイオスだ。
その進むべき道の先の方からハル自身が、彼女に向けて手を差し伸べるのは、ケイオスにとって『違う』のかも知れない。
これは、ケイオスのプライドを傷つけてしまったか。相変わらず、身内の機微には疎いハルだ。
「なに、焦ってことを決めることはありません。私の事業なども、まだ何もご説明しておりませんことですし」
そういって笑うファリア伯爵が、自然な態度で“メッセージウィンドウを”こちらに提示してくる。
内容は、新たなイベントの展開を知らせる表記とその開始時刻。その日時は、日本時間で二十四時間後。
「本日はひとまず我が家に、お泊りになられてはいかがでしょうか」
それは、ハルたちから『ログアウト』という退路を断つための、伯爵からの事実上の挑戦状であるのだった。
※表現の修正を行いました。本筋に影響はありません。(2023/5/28)




