第713話 生命の秘薬
「ひとまず、試してみるべきはやはり生産系スキルによる加工だろうね」
「食えと言うておろうに……」
申し訳ない。絶世の美味らしいが、プレイヤーにとってはただの強烈な甘未だ。今更そんなもの(と言ってしまってはまた申し訳ないが)に興味のないハルである。
このあたり、電脳世界における味覚の進化についても、いずれ手がけたい気もする。
ともすれば、こうした派手で目立つイベントよりもよほど評価を集められるかも知れない。
それはさておき、ハルは<目利き>によって山と盛られたフルーツの籠から、最も効果量の高い物を選び出す。
無論、食べるためではない。高品質な物ほど、素材として優秀であるためだ。
「おお、流石の目利きなのじゃ。やはりローズ、お主は商人として優秀だの。生まれる国を間違えておろう、完全に」
「いや、僕とカゲツは合っていないと思うけどね……」
「何をいうか! むしろ今からでも来い、カゲツに。歓迎しようぞ。我らで、ここの頂点を目指すのじゃ!」
「えー。超高層ビルはちょっと。これだけ高いと、うるさそうだし」
「何がなのじゃ? 下界の喧騒から切り離されて、実に心地よいではないか」
「ああ、そういえばこの世界って空気が無いもんね」
《空気がないとどうなるの?》
《風がやかましくなくなる》
《上空に行くほど風は強くなるから》
《これだけ高い塔だと、結構だね》
《下界の音も、実は高いと結構響く》
《えっ、こんなに離れてるのに?》
《確かにこんだけ離れてたら届かないかも》
《高いってことは遮る物がないからね》
《お風呂場みたいになるのか!》
《お風呂場(笑)》
《高層に住むなら、静かな住宅街がいいよ》
特に、こうした商業の盛んで活気のある街だと、その活気が街中から押し寄せてきて結構きつい。梔子の首都を、<飛行>しながら見下ろすと分かりやすい。
ちなみに前時代の日本は更に車両の音も多くて大変だったとか。今調べた。
とはいえ現在は防音技術も発達しており、特にそうした高層建築はどれも高級物件となっている。室内に居れば、特に頭を悩ませる必要はないだろう。
しかし、ひとたび窓を開けてしまえば当然のようにそれも無効になる。
物理的な遮蔽物を設けずに完全防音を実現するには、かなりのエーテル技術への知識か出費が必要だった。
部屋の周囲の空気を、常に固定しておくようなものである。ハルたちの天空城もそうなっている。
まあ、現実の話だ。このゲームにおいては、エリア外の音は一切入って来はしない。
「上を目指すって、ここでは塔の頂上に住んでる人が一番偉いの?」
そんな積み木の高層都市について、ハルも少し興味が湧いてきた。果実を細い指の上で転がしそれを観察しながら、この国についてハルはシルヴァに問うてみる。
「やはり興味があるか!」
「いや、移住はしないけど……」
「よいよい、すぐに住みたくなる……、かどうかは、定かではないの……」
「いきなり自信なくすなって」
「なかなかどうして困った国でもあるのじゃ! こほん! そんなことより、最上階についてじゃな。別に、一番上だから一番偉いということはない。その傾向はあれどのう」
どうやらこの国には国王のような実質的なトップは居ないらしい。
力のある複数の家なり会社なりが集まって、合議的に決まりごとを作って運営しているようだ。友好国のガザニアも近い所があるのだとか。
「王なり議長なり絶対のトップを好むのは、お主らのやり方よの」
「決定権が最終的に一か所に集中していた方が、スムーズだと思いません? ねえローズさん」
「ここぞとばかりにローズにすり寄るでない、ミントの小娘!」
「あら。嬉しいですね。もう『娘さん』なんて呼んでもらえる歳ではないのですが」
「呼んどらんのじゃあ!」
カゲツにハルを取り込もうとするシルヴァに対抗してか、ミント所属のテレサがさりげなく隣に寄り添ってくる。
二人は静かに互いのオーラを反発させるが如く、見えない火花をバチバチと空中で爆ぜさせている。
どうでもいいのだが、ハルを間に挟んでやらないでほしい。
「まあ、移籍はしないけど、この国に拠点を持っておくのもいいかもね」
「あら、それならローズさん。我が国の大樹にお家を持ちましょう? こんな国では、維持費が掛かり過ぎます」
「はぁ? お主ん所のような田舎に住んでどーするのじゃ! ここのてっぺんに、ローズは店を作るのじゃ!」
「いや、だから高い所とは言ってないんだけど」
しかし、支店というか、商業的な活動拠点を作るという意味においてはやはりカゲツに軍配が上がる。
この手の中の果実のように、プレイヤーショップでは入手不可能なアイテムがまだまだあるならば、カゲツでそれを回収するための実店舗が欲しい所。
そんな計画も練りつつ、ハルはまず基本の<調合>から試していくのであった。
◇
以前に回復薬をグレードアップしていった時の要領で、ハルはまず通常の<調合>によって薬を作っていく。
出来上がったのは『生命の秘薬』という薬系アイテムで、分かりやすく果実の効果量を向上させたものだ。
これを使えば、果物のまま生で食べるよりも大きくステータスポイントをアップでき、また限界値、アイテムで上昇させられる上限のポイントも多少は高くなるようだった。
「気休めだけどね。これを使ったからといって、僕や僕らにはもう強化の余地は残されてない」
《やっぱり使い道厳しいなー》
《初心者用アイテムには変わらないね》
《しかも値段も上がっちゃいそう》
《実用できる対象が存在しない》
《それこそローズ様本人くらいじゃない?》
《なに言ってるんだ?》
《ローズ様みたいなお金持ちなら課金で》
《なるほど、ゴールドがなくても買える》
《今更スタートする富豪とかいるかなぁ》
このゲームではアイテムの売買も、普通に日本円で行うことが出来る。
まあ、ゲーム内通貨で買えるものにわざわざ現金を出す物好きは多くはないが、それでも時間短縮のために取引に応じるものは一定数いる。
現金で手に入れた強力アイテムによって攻略を進め、それにより人気を得て払った以上の現金を入手するのだ。ある種の自己投資である。
それを狙って、レアアイテムの売買により収入を得ることだけに目的を絞ったプレイヤーも一定数存在した。
生放送により人気を得るのが不得手でも、それなら稼ぎにつなげられる。
「……まあ、そうしたスタダ向けの商売も不可能ではないけど、難しいね。労力に見合わない」
「一人当たりの生涯単価が、どうやっても数個しか見込めませんからね」
ハルの考えるその商売の問題点に、保険屋もすぐに思い当たり同意する。
例えば同じ薬にしても、ずっと値段の安い低級な回復薬の方が商品としては優れている。どんどん消費する物であるからだ。
例え高級品であっても、数個使えばそのプレイヤーには永久に用無しになる薬に、見た目ほどの価値はない。
開催期間が定まっているこのゲーム。無限に新規開拓する必要のある商売とはすこぶる相性が悪かった。
「要は赤子を多少健康にしてくれる薬じゃな。確かに論外じゃ。こうして生でそのまま食う方が、ずっと商品価値が見込めるのじゃ!」
「食料は無制限に消費が見込める商品だからね」
つまりは、この『生命の秘薬』は加工の手間を掛けて、商品価値を落としているという<商人>として最悪の行為を行っていると言えよう。
だが、それはこの薬をそのまま売った場合のこと。ハルの行う秘儀の行程には、これより更に先があった。
「ではこれを分解する」
「なんじゃと!? せっかく作ったのにか!」
「むしろ分解する為に作った」
「妙なことをする奴なのじゃ……」
完成して別物となったアイテムを分解すると、元の素材には戻らず対応したエッセンスが得られる。
それは素材の代用品として使用可能で、使用する際に量を増やしたり減らしたりできる便利なアイテムであった。
「あ、分かりました。そのエッセンスのお薬一つあたりの濃度を濃くして、効力を上げていくんですね」
「詳しいねテレサ。もしかしてやったことある?」
「いえ、私自身は。しかし、うちの国は調薬も盛んですから」
「ミントの森には薬草もどっさりじゃからのう」
森の国ミント出身のテレサが、ぱちり、と手を叩いてハルの狙いを推理できたことを喜んでいる。
彼女の言う通り、そうして有効成分の割合を増したり、他の素材を高級品に入れ替えたりすることで高品質アイテム、更には上のレベルの別アイテム化が可能であった。
「でもハズレ。方向性は合ってるんだけどね」
「あらまあ……」
《違うんだ!?》
《私もてっきりそれかと》
《超々秘薬を作るんだと思った》
《だよねー》
《でも、確かに作っても意味ないよね》
《どんだけ高めても、どうせお姉さまに効果ない》
《たしかに、ローズ様のステは絶対上がらん!》
《ドーピングするには強すぎる》
そう、レベル1相当の者にしか効果がないアイテムを、レベル2レベル3と頑張って強力にしていったところで、レベルが1000を超えている今のハルには効果を発揮しない。
どれだけ手間とコストを掛けたところで、ハルから見ればただの誤差。多少の販売対象プレイヤー層が広がるだけの強化に、そんな手間は見合わない。
「それなら、何をする気なのじゃ?」
「濃縮するのがハズレなら、あとは決まってるよね。希釈する」
「なのじゃ!?」
「……どういう驚き方だよそれは」
鳴き声か何かだろうか?
それはどうでもいいとして、ハルが考えているのは弱化の方、薬を弱くする方向だった。
そんなことに何の意味があるのか、と思われても仕方がないが、意味ならある。単純に、大量生産が可能になるのだ。
この『生命の秘薬』を生成するにあたって、障害となるのはやはり貴重なアイテムである『生命の果実』。それ以外は、回復薬に使うような一般アイテムだった。
ならば、果実の使用割合を薄くすることで、果実一個から作れる薬の個数を向上させることが出来る。安価での大量生産だ。
「水増しの酒は好きじゃないのじゃー。大衆向けは、儲からんぞ?」
「大衆向けだからこそ儲かると僕は思うけどね。まあどのみち、これは一般販売する気はさらさらないんだけど」
「この世界は長いが、イマイチお主の考えていることが読めぬわ。保険屋の話を聞いている時の感覚に近い」
「私もさっぱりですねぇ。たぶんこれが巡り巡って、なにかしら異常な結果を生み出すのでしょうけど」
既にハルから受け取った神獣を通じての<存在同調>と、<隠密>のコンボによる遠隔潜伏を経験しているテレサは『またハルが何か妙なことを企んでいる』と察しているようだ。
そう、この薬それ自体は単なるパーツ。単体では意味を成さない。
これや、保険屋の作り出す『生命保険』を利用して何か面白いことが出来ないかと思っているのだが、まだ決め手になる何かが不足している。
ならば、その何かが見つかった時にすぐに行動に移れるように、手持ちの材料を最適化しておこうというのが今の狙いとなっている。
「さて、完成かな? 極限まで果汁を薄めた、超低品質の薬!」
「粗悪品ではないか! いばることではないのじゃ!」
「なんと<体力>を1だけ上げることが出来る! 最低値達成!」
「聞いてないのじゃ! まっこと、何を企んでおるのかのう?」
手間を掛けて薬にしたのに、元々の果物よりも効力が低い。そんな粗悪な薬の完成に、ハルはひとり達成感を噛みしめるのであった。




