第704話 進化を止めた世界に価値はあるのか
まるで遥か遠くを見据えるようにジェードは語る。
その瞳はハルの方を見ているが、彼の視点の焦点はハルではなく、どこか遠く別の場所で結ばれているように感じられるのだった。
それは、きっと『未来』という彼方の地点であるのだろう。
「私は人の営みが、無限に成長し続ける経済という人の夢の結晶が育つ様を、ずっと見ていたい」
「経済は人の夢の形か。結構ロマンチックなことを言うね、ジェード先生も」
「そうですね。ロマンチックかはともかく、非常にロマンのあるお話だとは思いますよ」
「かもね」
未来を夢想するとき、夢を語るとき、そこに熱が入ってしまうのは老若男女に差異はない。
それが、例え人ではなくジェードのような神であっても同じだということは感慨深く思うハルである。
「その夢の為に、君はあのゲームに参加した?」
「はい。私達のゲームは、どちらかと言えば異世界の為のゲームです。資金収入もありはしますが、どうしても弱い。最低限です」
「まあね。『運営費用をペイ出来ればいい』、くらいの経営感覚だからね、こっちは」
「カナリーを始め、目的がこちらの世界にある者が多いから当然ではあるんですがね」
今どき珍しく有料のゲームであり、課金要素もあるにはあるが、どうしても弱い。
このゲームは規模の割に、収益性は非常に弱く作られていた。
それは運営に大した資金を必要としないこと、多くの神様が資金に興味がないことに起因している。
ハルという個人が目的のカナリーやセレステだったり、日本ではなくこちらの世界の事情が優先なマゼンタやシャルトであったり。果ては、魔法にしか興味のないウィストであったり。
そうした勢力図のバランスから、『日本円』を求める動きは非常に弱かった。
「課金スキルの救済措置も、日に日に増えてるからねえ。今はお金払っても目立てないから、ほとんどやる人は居ないよね」
「元々、最初期の設備投資を賄うことが目的の設計でしたから。正常な推移をしていると言えるでしょう」
カナリーたちのゲームでは、課金をすることで便利なスキルがランダムで手に入るが、それらスキルは特に限定ではない。
レアなスキルでもプレイを続けていればいつかは入手でき、その方法も多岐にわたる。
中には、カジノで『ゲーム内ゲーム』を楽しんでいるだけで全制覇するルートすら存在した。
「だから君は、大きなお金の動く今のゲームを企画した?」
「正解です。しかし、それは半分正解、といったところでしょうか」
「五十点か。もう半分は?」
「求めたのは金銭のみにあらず、私が日本に干渉するための力、言うなれば影響力です」
「それで、奥様と接触したのか」
「はい」
神様たちは、基本的に二つの世界の壁を越えられない。
エメが基礎設計をした神界ネットと、今は日本の全てに普及しているエーテルネット。この二つのネットワークをリンクさせることによって、通信経由でデータを行き来させることは出来る。
しかし、彼らがこちらから日本と直接行き来をすることは叶わなかった。
今のところ、それを達成したのはカナリーくらいのものだ。
彼女に続こうにも、カナリーは“その為だけに”百年を費やした途方もない執念で計画を立てている。容易に真似できるものではない。
「あの方の協力により、私は日本の経済界でかなり自由に動けるようになりました」
「……むしろ、奥様の方が水を得た魚って感じするけどね。今回いくら儲けたんだ、あの人?」
「理想の関係と言えるでしょう」
元はAIであり、情報戦に非常に強いジェードという顧問を得たルナの母は、その力を十二分に活用し大きく利益を上げている。カナリーも協力しているようだ。
もちろんハルも同じことは、いやそれ以上のことは出来たのだが、あまりこれまで経営には関わって来なかった。
むしろ、ハルはずっと小市民的な生活を続けていたくらいだ。あまりお金とは縁がない。
「彼女はよく語っていますよ。ハル様が本気を出せば、自分の助力など必要なくルナ様との婚姻が叶うのにと」
「……出来るは出来るだろうけどさ」
確かに、本気でハルがその能力を用いてお金儲けに走ったら、いくらでも収益を上げることが出来るだろう。
今の時代、エーテルネットを制する力というのはそれだけ強い。
そうして巨万の富を築き、周囲の名家たちを圧倒する財力を見せつければ、ルナとも結婚にも文句を言う輩は出てこない、ということだ。
ただ、ハルとしてはあまりその方法は取りたくない。
力で圧倒するのはいいが、その後が問題だ。言ってしまえば人間関係が面倒なのである。
すり寄って来る者、逆に敵対する者、普通に業務提携を依頼する者。それら全てに常に対応し続けなければならない。
そんな状況、考えるだに面倒くさい。奥様はよく飽きないものである。
「……いや僕の話はいいんだ。今はお前のことだろジェード。君は、僕の代わりに経済を牛耳るのが目的だとでも?」
「いえいえ。そんなことはしませんよ。言ったでしょう、私は人類の輝かしい未来が見たいと」
「そうだね」
「私が支配する未来など、まったく輝きがありませんよ」
管理社会は停滞そのものだそうだ。発展こそ正義のジェードはお好みでないようである。
「ただ、ディストピアは論外としても、ユートピアもそれはそれで危うい。今回私が日本への進出をも目論んでいるのも、そこが関係しているのです」
何か、また深遠な目的がありそうだ。ハルは引き続き、自身の夢を語るジェードの話に耳を傾けるのだった。
◇
理想社会も経済にとっては問題があると、そうジェードは語った。面白い話である。
ディストピアを本能的に嫌う者は多かれども、ユートピアが嫌いという話はあまり聞かない。
天国のような満たされ切った世界。多くの人間が、そんな世界を一度は夢に見るからだ。
「『満たされている』、ということは、『それ以上先に進む必要がない』、ということに他ならない。私は、それを決して望みはしません」
一理あるとハルも思う。現状で満足すれば、それ以上の躍進を望まないのは人も社会も同じなのかも知れない。
常に成長をし続ける経済の姿を愛するジェードは、そんな社会を望みはしないのは納得だ。
「……要は君から見て、今の日本の経済は停滞している、いや、停滞する未来が予想されるってことだね?」
「正解です。流石はハル様! 現状を見て、そう判断できる者は少ないでしょう」
「無意味に持ち上げるな。今の話を聞けば、誰だってそう思う」
「いえいえ。優秀な生徒さんは、きちんと褒めなければ」
「調子に乗るなよお前……」
彼のことを『ジェード先生』と呼ぶハルではあるが、それは彼のキャラクターになぞらえてのこと。本気でジェードに師事するつもりは特にない。
まあ、それは置いておいくとして、話を総合すれば、ジェードは今のエーテルネットが普及した日本を、『ユートピア』であると定義しているのだろう。
そして、その理想郷は停滞を生む原因になると。
「現在、経済は破滅的な大暴落から立ち直り、再び右肩上がりの好調さを取り戻しています」
「まあ、当然と言えば当然だけどね。下がり切ったら、というかほとんどゼロになったんだから、後は上がる以外にない」
災害からの復興、過去のデータの復旧作業、新たな技術の発展。こうしたプラスの行動の積み重ねにより、驚くべき早さで再び経済成長が行われている。
だが、それはある意味当然。下がり切った物が、元に戻っているだけのこと。
それ自体は良いことだ。しかしジェードはそこには重きを置かず、それが以前の水準を取り戻した後のことへと思いを馳せていた。
「しかし、今の社会には以前と決定的に異なる部分がある」
「エーテルネットだね」
「正解です。これ自体は、画期的な技術革新。人を未来に押し上げるパラダイムシフトと言えるでしょう。しかし」
「何か問題が?」
「……エーテルネットワークの理念は、あまりに“内向き”過ぎます。人口が拡大し、このネットワークの強度が完全なものとなった時、そこで世界は『完成』してしまう」
「……なるほど。面白い考え方だ」
確かに、エーテルネットの処理を担う人間の脳。その絶対数すなわち『人口』が十二分に確保されたならば、エーテル技術で出来ないことはほぼ無くなるかも知れない。
物理的にも、精神的にも、あらゆる生きるために必要なものはエーテル技術で用意できる。
そんな社会が『完成』したら、人間はそこで満足して更に先を目指さなくなってしまうのではないか?
ジェードはそこに危機感を覚えているようであった。
「それで、そんな社会に警鐘を鳴らす為にも君は“あっち”に出て行きたいと」
「そうなります」
「なんとまあ壮大な……」
随分とスケールが大きい。それでいて、自分は『傍観者であれ』というのだから不思議なものだ。
こういうのも、また黒幕というのだろうか?
「しかし、ある種危険な思想じゃないか、先生? 君は、自分の存在の根源であるエーテルネットを否定するのかな」
「滅相もない。あくまで、問題点は問題点。一つ問題があるからと、技術そのものを否定することはいたしませんよ」
「だといいけど。頼むから、世界を壊す系ラスボスにはならないでくれよ? 少し、不安になってきた」
「ははは」
まあ、あくまでより良い未来を求める彼だ。そんな暴挙には出ないと信じよう。
それはともかく、なかなか面白い話が聞けたと感じるハルである。ジェードが、そんなことを考えていたとは。
とりあえず、当面は彼については心配はいらないかも知れない。
今は、運営の六人の彼女らについての対処を優先すべきなのだろう。ハルは、そう結論づけるのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/27)




