第703話 商業神の経済講義
ちょっと複雑な話が続きますが、どうか聞き流しちゃってくださいー。
神様たちの行動には、必ず何らかの望みが関わっている。願いと言い換えてもいい。
そんな彼らの求めるところは時に行きすぎなくらい真っすぐに突き進み、ハルが見ていて危なっかしいくらいだ。
ジェードにも、もちろんそうした望みはあるだろう。
今はハルの指揮下に入っている彼ではあるが、その心のうちまですべて掌握しているハルではない。
ここはひとつ、その目的を確認しておかねばならなかった。
「君や、他にもマリーゴールドは、ある種なし崩し的に僕の陣営に入ったからね。君自身の目的が果たしやすい状況とは言えなくなったろう」
「とんでもない。それは大いなる誤解ですよハル様。貴方の庇護下でこそ、私は気兼ねなく己の事業に専念できるのですから」
「そうなの?」
「ええ。マリーゴールドも、きっと同じでしょう」
「……あの子については正直よく分からん」
後で、マリーゴールドについても同じようにこうして“面談”する必要があるだろう。
とはいえ今は、目の前のジェードとの対話に集中しようか。
「そうですね。ではまず、私の事を話すより先に、ハル様にひとつ問いを投げさせていただきましょうか」
「質問? ああ、前提から詰めて行くってこと? 好きだねえ、そういうの」
「性分でして。申し訳ないが、お付き合いを」
「いいよ。ジェード先生の個人授業だ。君のファンなら必死にこの席を勝ち取ろうとしそうだ」
彼も乗り気になっているのか、再びメガネを指で押し上げると、モニターのパネルを学校の教壇にあるように大きく広げ、いつのまにか教鞭のような差し棒を取り出していた。
「さて。では改めて。ハル様、問題です、『もし貴方が世のあらゆる金融商品を自由に買えるだけの財力をお持ちだとしたら、確実に儲ける為にはどんな方法を取りますか?』」
「……ああ、これは知ってる。『何も考えずに、あらゆる金融商品を均等に買う』、だったね」
「正解です。流石はハル様」
「ルナの受け売りさ。奥様だったかな?」
一見、儲ける為なら今最も成長している株などに財産を投じるのが正解に思える。
しかし、ジェードは『確実に』と語った。一つの会社、一つの商品に一点賭けするのは、リターンは大きくともリスクが高い。
もし予想だにしない状況でその企業や商品が暴落してしまえば、一気に財産は目減りする。
その点、世の中の全てに幅広く投資しておけば(実際は、本当に細かな物は除外することになるだろうが)、そうした予期せぬマイナスがあっても軽傷で済む。
「しかし、なぜそれが『正解』となるか、そこは理解していますかハル様? それが伴っていなければ、70点です」
「厳しいね、ジェード先生は」
「今は、学校のテストでも回答欄を埋めるだけでは点数は取れないのでしょう?」
「そうだね」
日本人のほぼ全てがエーテルネットに“常時”接続している現代だ。それは、テスト中であっても例外ではない。
当然テストの回答などもその場で検索し放題なので、前時代の答案用紙を埋める試験内容では立ち行かなくなった。
よって現在は、いかに回答を暗記するかのテストは廃され、いかに情報を上手く扱えるかを計るようになっている。
ただし、エーテルネットから完全に遮断されているハルたちの学園においては、未だ旧来のテストも行われていることは付け加えておこう。
「さあハル君、回答を。『何故全ての金融商品を均等に買うことが、確実に儲かる道と言われているのですか?』。全体を買ってしまえば、当然粗悪な商品、上昇の見込めない企業なども含まれてきますよ?」
「これは、『経済は全体で見れば常に成長しているから』、だったね。全てを買うということは、経済全体の成長、ひいては輝かしい人類の未来を信じることに他ならない」
「正解です。そして、美しい答えだ。先生は嬉しいですよ、ハル君」
「……浸ってるねえ。別に、『様』付けして欲しい訳じゃあないけどさ」
「みゃっふっふ」
いつの間にか『ハル様』から『ハル君』に呼び方が変わるほど役に入り切っているジェードに、膝の上のメタからも笑いが漏れる。
どうでもいいが、笑い方が完全に人間だ。猫はどうしたのだろうか?
「そう、より良い未来へと進もうとする人類の意思は強大だ。その力は経済にも反映され、今日よりも良い明日、今年よりも良い来年へと常に成長して行っています」
「だからこそ、全体的に投資しておけばその成長をあまねく享受できる」
「その通り。当然、リターンは低いですけどね」
成功の裏には失敗もある。時には市場全体が伸び悩む時もある。そうしたマイナスも、このやり方だと『確実に』ダメージを覚悟せねばならない。
ただそれを踏まえても長い目で見れば世界は右肩上がりであり、短期間の上げ下げは誤差にすぎないという考え方だ。
「……それで、そのことがどうしたのかな?」
「落ち着いて。本番はここからですよハル様。ここからが、この問題の面白い所です」
「まだ前提の前提だったか……」
話の長い神様だ。きっと、こうした議論が好きなのだろう。
まあ、ハルも嫌いではない。仲間との交流、会話に花を咲かせるのは何も無駄な時間ではない。特に、彼の夢に関わることだ。
そんな、経済大好きな商業の神ジェード、彼は高揚した喋り口で、身振り手振りを合わせてモニターに表示された資料を切り替えていった。
そこには今まで絶好調で右肩上がりだった折れ線グラフが、一気に底の底まで下降する絶望的なグラフに切り替わっていた。
「しかし、もし! 経済全体が“全て”同時に打撃を受けるような壊滅的打撃を受けるとしても、その投資法は続けるべきか否か! さあ、どうですかハル様?」
◇
今ハルたちが語っていた、いわば『必勝法』とも言えるシステムは、今の経済システムが未来永劫ずっと続いて行くことを前提としたものだ。
実は、そんなことはあり得ないのかも知れない。それもまた当たり前の話だ。
無限の経済成長などいつかは崩れる夢物語なのかも知れない。資本主義がいつか破綻しないとは言い切れない。人類は、どこかで進むことを止めるのかも知れない。
そうした、ルールそのものをひっくり返すリスクについて、今回のハルの答えは無力であった。
「前提からひっくり返ってしまっては、『確実』とは言えません。少し後出しで意地悪な問いではありますが、これもまた真実」
「そうだね。その『もしも』のリスクを無視していたら、実際にそれが起こった時に耐えきれない」
「はい。そして、この世界で『もしも』は実際に起こってしまいました」
こちらの異世界の人たちの、大規模な魔法実験の副産物、それが地球を襲った大災害だ。
機械文明、電気文明に終焉を齎した忌まわしき記憶。
エーテル技術により建て直しには成功したが、人々は完全に生活スタイルの変更を余儀なくされた。
それは、当然のように経済も同じである。
「人類の未来を信じ、せっかく投資した多額の資金。それも、大災害により全てが水の泡です」
「右肩上がりの経済も、リセットされてしまったね」
前時代においては、事件の直前まではほぼ全ての情報が電子データにより保管されていた。
そこに訪れたのか、あらゆる電子機器を狙い撃ちにしたあの災害だ。
復旧は試みられはせども、やはり全てを情報修復など出来はしない。
仮に出来たとしても、多くの企業は再起不能であり、株式情報もただの数字の羅列だ。そこに価値などありはしない。
「まあ、それでもなお、あの状況でいち早く立ち直ったのは“直前まで富を持っていた人”なんだよね。それこそルナの家とか」
「素晴らしい。全てが破壊されてもなお、経済は死んではいなかった」
嚙み締めるように、内なる興奮に身を震わせるジェード。本気で感動しているらしい。意外と熱い男である。
そう、結局のところあの大事件は、『例え経済が崩壊してもそれまでの投資は有効』、という事実を証明してしまったとも言える。
全てがゼロになるとは言っても、ゲームの初期化のように一律にステータスをゼロにすることは起こらない。
家であったり、黄金であったり、一部の金融資産は手の中に残った。
例え一億レベルが一万レベルにダウンしたとしても、リセット時のスタートダッシュが異常に有利なことには変わりはない。
「……だから、あの災害は皮肉にも『全体への投資は世界が終わっても有効』、と証明してしまったとも言える。変な話だけどね」
「素晴らしい。これで、合格点ですねハル様」
「いや、君の授業の合格はこの際どうでもいい。それで、この話がどうしたのさジェード? 君の望みと、何の関係が?」
面白い話ではあるとハルも思うが、いささか長くなってきた。
もっと聞いてあげたい気もするが、一方で本来の目的の方もしっかりと忘れないように釘を刺さないといけないだろう。
この話が、ジェードの望みとどう関係するのか。今日の本題は、そこである。
ハルがそう聞くとジェードもつい語り過ぎたと思ったのか、恥ずかしそうに頭をかきながら居住まいを正した。
いつの間にか多くのデータやグラフで込み合っていたパネルをスッキリとさせ、再び右肩上がりのグラフだけがその場に残る。
「つまりは、私はそうした輝かしい人間の営みがこれからも見たい。それだけなんですよ」




