第702話 魔力事業部の経営顧問
ハルが分身を飛ばしたのは、次元の狭間に漂う神界ネットワーク。その内側に物理的に存在する『神界』である。
分身といっても、最近よく使っている小鳥の使い魔ではない。本体のハルと寸分たがわぬ姿をした、こちらのゲームキャラクターだ。
かつてエメが作った『エーテルの塔』探索のために作られた深次元基地の数々、そしてそれらを統括する本部。
そのほとんどは役目を終えて解体され、この神界ネットの魔力の一部へと還元されたが、その一部はまだそのまま姿をこの場に残していた。
まるで宇宙基地の管制塔のように近代的、いや近未来的なその建物の中へと、ハルは直接<転移>してくる。
魔力が満ちてさえいればありとあらゆる場所へと移動可能なこの世界、比べるとやはり非常に便利なものだった。
「まあ、飛空艇を作って、大空をゆく大冒険という盛り上がりは<転移>があると存在しないから、そこは一長一短なのかな」
「ふみゃ~?」
「ああ、メタちゃん。お出迎えかな。ありがとうね」
「にゃうにゃう!」
今は本来の猫の姿に戻ったメタが、突然現れたハルを歓迎してくれる。
このメタも形は違えど分身体で、現代では珍しい機械の体だ。猫型ロボットである。割とどこにでもいる。
そんなメタに導かれ、ハルは管制基地の奥、中央管制室にあたるスペースへと進んで行った。
もちろんそこへも直接<転移>で乗り込むことも出来るのだが、緊急でもないのに仕事部屋へ唐突に現れるのも礼儀知らずだ。こうして、入口から歩いて向かう。
そうして、全面ガラス張りのような透明のチューブ状になった通路を二人で進み、ハルは大きな自動開閉のドアの前に立つ。
カシュン、と軽い音を立てて、重さを感じさせない滑らかさで扉は左右に自動で開いて行き、ハルとメタはその中へと進んで行くのだった。
*
「ようこそ、ハル様。珍しいですね、この場においでになるのは。何か、問題が起きましたか?」
「いいや。単に中間報告を聞きたくなってね」
「みゃー」
管制室のデスクの一つで、宙に浮く多数のモニタに囲まれ様々なデータを閲覧中だった神様が、ハルたちの踏み込んだ入口の方へと向き直る。
そんなこのお硬い仕事部屋が似合う彼はジェード。長く緑の髪を背に流し、知的なメガネの似合う男性の神様だ。
ちなみに髪やメガネは彼のファンのプレイヤーたちの要望で姿を変更したようである。最近は、仕事中であることのサインとしてメガネを掛けているようだ。
「急にすまないね。邪魔しちゃったかな、ジェード先生」
「いえ、お気になさらず。何もなければ、常に“こう”ですので、私は」
「仕事人間だ」
「いえいえ、滅相もない。『仕事神』ですよ」
「ははっ」
「みゃお~……」
直球の冗談はメタには響かなかったようだ。辛口の評価を現す、ため息が漏れる。
そんなジェードの『仕事』の内容に目を向けると、モニタに映し出されているデータの数々、その中には、今ハルたちがプレイ中である『フラワリングドリーム』の運営状況が映し出されている。
それと並ぶように、経営母体である会社のデータ、更にはそれが属する日本の経済そのものの状況を表すデータと、広い方面に渡る情報が参照されている最中のようだった。
「それ、僕に見せても平気なやつ?」
「ええ、もちろんですよハル様。主人である貴方に秘密にする情報などございません。喋ることの出来ないのは、彼女らの個人的な望みのみです」
「いや、あるじゃん。秘密」
「なうー」
まあ、言いたいことは分かる。運営している女神たちが何を企んでいるかは教えられないが、ジェード本人はやましい所は何もないということだろう。
あのゲーム全体、運営そのものが疑わしくなってきた現状、ともすれば協力者であるジェードにも疑いの目が向くのは当然のこと、それを否定し、潔白を証明したいということだ。
「……君から、あの子たちが何を考えているのか聞き出せれば一番なんだけどね」
「申し訳ありませんが、守秘義務がありますので。いかにハル様のご命令であろうとも、それは喋れないのです。『喋らない』のではなく、仕様上『喋ることが出来ない』のですよ」
「やれやれ。管理者にも解除不能のプロテクトとか、機密性高すぎるだろ」
「なんなら私自身にすら解除できませんからね。ははは」
「笑い事じゃない……」
「うみゃっ」
メタも終始残念そうだ。相性が悪いのだろうか。
とはいえこの基地の建設の際や運用にあたっては、非常に高い連携効率を発揮していた二人だ。単に遠慮の無い間柄なのかも知れない。
「……とはいえ、この機密保持契約が無ければ彼女らより今回の業務提携を引き出す事は叶いませんでした。苦肉の策と、ご理解ください」
「まあね。そこは理解しているよ。ジェード先生もルナも、基本中の基本だっていつも言ってるし」
「『リスクを取らねば、リターンは無い』、ですね」
「そうそれ」
経済の基本中の基本だそうだ。リターンを得たいならば、リスクを取るべし。
根っからのゲーマーであるハルも、その理念自体は理解できるのだが、自身もその立場であるかと言われれば『イエス』と即答は出来ない所がある。
ハルは立場上、リスクを取ることを嫌う。『どの口が』と言われそうだが、実際そうなのだ。
勿論、リスクを取らざるを得ない時には迷わず危険な道に突っ込むハルだが、『ノーリスクハイリターン』の道があれば、やはり迷わずそちらを取る。
……まあ単に、そんな道などほとんど無いのでリスクを取っていることが多いだけの話。だが、その道を探す努力は怠りはしない。
「リスクを嫌いつつも、実際の行動はリスクを厭わない。ハル様は経営者としても非常に理想的です。大成しますよ」
「……おべっかはいい。それよりも、君がリスクを取ってでももぎ取ったこの契約、その成果を聞かせてもらおうか」
「ええ、もちろん。成果報告も、経営顧問としての大切な仕事ですからね」
「いつからそんなポストに収まった……」
そんな役職を任命した覚えはハルにはないのだが。
まあ、ルナは便利に使いそうなので、やりたければやらせておこうか。
彼はハルに司令官のための中央の椅子を勧めると、自分は逆に立ち上がって周囲のウィンドウを見やすく大きなサイズに展開していった。
「ご覧のように、サービス開始より既に多数の魔力が『収益』として見込まれています。そのうち一部は、『分配金』としてこちらへと送付済みです」
「ふむ? 確かに順調だね。やはり、参加人数の多さは大正義だ」
「にゃうにゃう!」
「……しかし、なぜ『一部』なんだい? 契約では、僕らの取り分はもっと多かったはずだけど」
グラフ化され分かりやすく示されたそのデータによれば、新たに発生した魔力の二割ほどがハルたちの国へと納められているようだ。
日本人、要はこちら側から見た異世界人がゲームに参加することで、この世界には魔力が発生する。
それを目当てに人寄せとして、多くの日本人が興味を持つ『ゲーム』で集客しようというのがこの計画の肝だ。
既に一定の成功を収めているカナリーたちのゲームを真似て、他の神々も参入したいという要望は多い。
だが彼らにはその為の資金も、経験も無い。
そこでジェードが計画したのは、ハルたちの持つ魔力やノウハウを初期費用として貸し付け、見返りとして売り上げを頂こうという商売であった。
「支払いの割合は半々だったはず。彼女ら、出し渋ってない?」
「素晴らしい。容赦のない取り立て人のお顔になられた。……失礼。冗談はさておき、一応は契約の範囲内でありますね」
「悪い。別に怖い顔する気はないんだけど……」
どうしても裏切りの可能性には厳しくなってしまうハルだ。契約を結んだのが自分であればそうでもないのだが、今回は他人同士の契約なので特にである。
もし仲間を謀ったのならば、然るべき報いを。そう考えてしまう。
「ゲームを運営するに際して、やはりどうしても運用魔力が必要になってきます。ユーザーが増えるほど、それに対応するだけの魔力量もまた増える。これは我々としても理解できる」
「確かに。シャルトなんかいつも大変そうだしね」
魔力というのは、この世界において万能の資源であると同時に、神界ネットにおいてはそのネットワークの計算力を担保する役目も担っている。
魔力それ自体が演算機の役割を果たし、量が増えればそれだけ性能も増す。
これは、モノ艦長が己の本体を置く戦艦、あの浮遊する円盤に搭載された液体コンピュータの性質と似通っているとも言えそうだ。
無数の魚たちの泳ぐ美しい水槽。あの内部に満たされた水それ自体が、高速大容量の計算機だ。あれも量を注ぎ足せばそれだけ、計算力が上がる。
「つまり、まだまだユーザー数の増加しているフェイズである今は、僕らへの支払いに回せる額が少ないってことか」
「ええ。そのようです。これについては、契約段階から合意の上。最終的に、調整して帳尻を合わせればそれで構わない事となっています」
まあ、その契約を利用して、本来必要な量より一回り多くの魔力を確保はしているはずだ。
その余剰分を使って、自分自身の目的のために使っているのだろう。
ジェードも、そこは織り込み済み。分かっていて、好きにやらせているようである。
「本来であれば、三割、いえ四割ほどこちらへの支払いに充てたとしても今のユーザー数は捌き切れるはずです」
「サ開直後の、一番大変な時期は乗り切った訳だしね」
「ええ。しかしあまり不自由にしても納得はしないと判断し、この内容にて踏み切ったんですよ」
「それは問題ない。よく纏めたねジェード」
二割といえど、大量のプレイヤー数が生み出すその総量は膨大だ。こちらのゲームが生み出すそれを、既に大きく上回っている。
残りの魔力だって、彼女らはきちんと支払うだろう。神は約束を決して違えない。
それにより七色の神々が管理する異世界の人々の国は今まで以上に安定し、人々も今まで以上に平和そうに暮らしていると感じるハルだ。
最近は節約担当のシャルトの胃も、そこはかとなく楽そうである。
そんな画期的な事業を纏めた目の前の知的な先生は、インテリな見た目を裏切らない経営手腕を発揮したと言えよう。
「まあ、上納金の徴収については今はこれでいいとしよう」
「恐れ入ります。他に、ここまでで何か質問はありますか?」
あくまで落ち着いたいつもの穏やかな態度ではあるが、その顔には仕事を成功させた男の達成感が見える。
得意げにメガネを、くいっ、と押し上げる様が上機嫌だ。
そんなジェードが上機嫌ついでに、普段よく演じている先生役で生徒としてのハルに質問の是非を問うてきた。
良い機会だ。ここは、ハルが今回の件で気になっていたことを尋ねてみるとしよう。
「じゃあ質問だ、先生。この件における君の、君個人の目的はいったい何処にあるのかな?」




