第699話 妄想が現実になる
世界を創造する。なんとも壮大で、いまいち想像のしにくい響きだ。
ただ、よくよく考えてみればおかしな話ではない。単に一つのゲームを作り上げて世に配信するということも、また『世界の創造』になぞらえられるとも言える。
とはいえ、あえてエメが口にしたのだ。この件は、そんなに単純な話ではないのであろうことは、想像に難くない。
「エメ、説明。その創造とやらは、個人の処理能力を束ねてエーテルネット内に仮想空間を作るのと、何が違う?」
「はいっす! 説明します!」
「あのー、『エメ』というのは……?」
「ああ、エメのことだね」
シルフィードに正体を明かしてしまったので、もうキャラクターネームで呼ぶ必要もないと考えていたハルであるが、混乱させてしまったようだ。
その他にも、彼女にとっては分からないことだらけであろうが、今は我慢してもらうしかない。
「わたしの事とか、追い追いハル様に聞いて欲しいっす! 放課後の教室とかで二人きりで! ぐへへへ、いちゃいちゃするチャンスっすよ! あいたっ! 叩いちゃ駄目っす、死ぬっす! もおー、ステータス差考えてDVしないと駄目じゃないですかあ……」
「安心しろ、考えてギリギリ死なないように殴ってるから」
「……そもそも、学園にはルナさんも居るので二人きりがまず無理ですね」
無意識に、シルフィード自身もあの学園の生徒であると明かしてしまっているのだが大丈夫なのだろうか? 本人、まだそのことに気づいていないようだ。
エメの誘導尋問の成果なのかも知れないが、加えて、ハルが秘密を明かしたことによる心理的な安心感なども手伝ってしまったのかも知れない。
「それで、通常のワールドシミュとの違いでしたね。これは一言で言えば順序というか、『方向』が違うんすよ」
「方向って?」
「はい! 通常は、脳に信号を送ることによって、人はそこに世界があると認識するっす。これは、リアルであろうとヴァーチャルであろうと変わりません。リアルを感じる時と同じような情報をブチ込むことで、人間はヴァーチャル世界を現実のように誤認するんですねえ」
「基本中の基本、当たり前の話ですね」
「全く分からん……」
生まれつきエーテルネットのある世界に生まれたシルフィードと、異世界人のアベルで反応は両極端だ。
アベルに対しての説明は難しいが、現代においては子供でも知っている常識的なこと。逆に常識であるからこそ、それが常識でない者に伝えるのは難しいのだが。
極論、ただの光の束でしかないデータを人間の目が捉え、神経に乗って運ばれたそれを脳が解析することで人はそこに『世界』を認識する。
それが、『逆』ということはどういった話なのだろう? まさか、人間が目からビームを出してそこに映像を描き出す訳ではあるまい。
「……妙な妄想をしてしまった。そうじゃなくて要は、データを人が意識することでそこに世界が生まれるのではなく、人が世界を意識することで、ここにデータが発生するという話か」
「そういうことなんです!」
世界は、人が知覚して初めて存在する事になるのであれば、逆も可能であると考えるのは突拍子はなくとも一応自然なこと。
完全に自分だけの空想の世界に生きる人にとって、その世界は紛れもなく真実の世界であるように、人間には元々世界を創造する力が備わっているとも言える。
「とはいえ、それを第三者にも知覚できるようにするなんて、まるで考えられません。机上の空論ですら、ないのでは?」
「そうか? つまりは幻覚の魔法みたいな物だって事だろ。こっちの方が、理解はしやすい」
今度は、科学の世界で生きるシルフィードよりも、アベルの認識の方がすんなりと通ったようだ。
どうしても『データ』として考えると、処理が必要な項目が膨大過ぎることを理解しているシルフィードは逆に、非現実的に思えるようだ。
いわば個人の妄想。万人に通ずる『世界』を定義するには、データに穴が多すぎる。
それを的確に補間して成立させるには、大規模人数による膨大な計算力が必要とされる。
「……たくさんのプレイヤーのエーテルネット処理容量を間借りすることで、その計算力を確保している、ということでしょうか?」
「また分からん話だな。もっと単純な事じゃねーか? 見た奴が勝手に、自分の見たい幻覚を見てるって話だろ?」
「たぶんどっちも正解っす!」
シルフィードの言う、多人数の処理能力を必要としているという仮定はきっと正しい。接続人数が増えるほど力が増すのは神様たちの基本法則。
だがそれはエーテルネットの計算力増加の為ではなく、多くの『妄想』を集めるため。
アベルの言う、見たいものを見ているという仮定もきっと正しい。人は文字を見るだけで、簡単な落書きを見るだけで、脳裏に詳細な姿を思い描くことが出来る。
だがそれは個人の『妄想』で完結せず、この空間へと反映され強度を増していく。
「つまりこの世界は、多くのプレイヤーの妄想が平均化された、新しい現実ってことか」
*
周囲に漂う空気の様子を確かめるように、ハルはその手を空に泳がせる。
ただ空気がここにあるだけの、それだけの世界ではあるが、今の話を聞いた後ではまた感じるものも違ってくる。
これは脳に直接送り込まれる疑似的なデータにあらず、紛れもなくこの世界に存在している新しい現実の形なのだという。
「……なんだか、少し怖い気がします。この世界がもし、このまま広がっていったら、どうなってしまうのでしょうか?」
「そうかぁ? 良いことじゃないか。使い道はいくらでもある。まっ、神々が自由にオレらに使わせてくれるとは限らんが」
まるきり未知な技術に怯えて、寒気をこらえるように自らの体を抱くシルフィード。
彼女の今回のアベルとの対比は、世界に対する未知の度合いによるものが大きいだろう。
人は本能的に未知を怖れる。それはアベルであろうと例外ではないが、彼はシルフィードと比べて既知の範囲がまだ狭い。
それゆえ恐怖よりも、有益か否かの打算が先に来るのだ。
彼の住む異世界は、まだまだ資源に根ざす領土問題を始め課題は多い。安定が崩れる恐怖よりも、不安定から脱却する希望が勝る。
「まあ実際、危険なのは確かだよ。それを調べ上げて、必要なら止めるのが僕の仕事さ」
「そう、なのですか? 思った以上に、凄い方だったんですね。もしかして“あっち”にも、ハルさんはそのお仕事で?」
「いや、“あっち”は趣味。色々あってね。今度話すよ」
日本に住み、カナリーのゲームについて正しく理解してくれる相談者は非常に貴重だ。それが信頼できる相手ならばなおのこと。
これからは、ルナの母に加えシルフィードにも協力を依頼できるかもしれない。勿論、彼女が怖がらなければだが。
「さて、とはいえだ。明確に『これが危険』と定義できる物ではないのが悩みどころだね」
「そっすか? 存在するだけで危険だと思うんですけど。だってそうじゃないっすか! この世界の物理法則が、地球と同じになるとは限らないんすよ! 謎の物質、謎の病原体、更には謎の生命! 新世紀のエイリアンクライシス、ここに爆誕っす!」
「……馬鹿な『妄想』をまき散らしてるんじゃあない。というかエメお前、別の宇宙と接続させちゃった奴が何言ってんの?」
「あ、あれはこっちとおんなじ法則の世界っすから……」
己の過去を掘り返されるとエメは弱い。器用に、あせあせ、と動揺の感情効果を発生させつつもじもじする。
そんなエメをひとしきり突っついていじめて満足すると、ハルは改めてこの世界の発展性と危険性について考慮する。
確かにアベルが考えるように、既存の枠組みに囚われない、誰のものでもない新世界という意味では貴重な場所だ。
だが本当に、今の二つの世界にとってそれが必要なのだろうか?
地球も、異世界も、未開拓の土地という意味では十分に余っているのが現状だ。
都市部に人口が集中し、放棄され原野となった地が多くある日本。
神々の庇護の下、大陸の一地域以外の土地がまるまる空いている異世界。
単に開拓地を求めるだけなら、まだまだ手付かずの土地は有り余っている。その開拓難度は、ひとまず横に置くとして。
「それに問題なのが、やっぱり安全性だよね。一応ミントみたいに、直接意識不明にしようとしてくるよりはマシだけど」
「《だからあたしはちゃんと合意を取るってばー! 肉体面でも、きっちりサポートするもん!》」
「うん。今はややこしくなるから黙ってようねミント?」
「《ういーっす……、つまんなーいのーっ……》」
つい常時リンク中の神様を反応させてしまった。シルフィードへの説明が更にややこしくなるので、大人しくしていただきたい。
「……双方向である以上、接続者の精神に悪影響が出ないとも言い難い。他人の妄想を、取り込むことに等しいんだしね」
この世界が一体、どういう仕組みで作られているのか分からないが、その意味ではミントよりも危険性が高いとも言うことができる。
ミントの目論む、希望者を電脳世界でずっと生活させるという計画は、倫理観はともかく安全性においては確かに現代の技術なら十分実現可能だ。
倫理観はともかく。倫理観はともかく。
対してこのガザニアの目論見は、まったくの新技術。ハルや当人ですら予期しない、不測の事態が起こらないとは言い切れない。
ハル自身が対象に含まれておらず、察知が遅れたのが悔やまれる。
「またガザニアを探して乗り込んで、彼女を問い詰めないといけないか」
「《その必要はありません。こちらから、出向きましょうね》」
ハルが腕組みしつつひとりごちていると、柔らかで落ち着いた声音が天から降ってくる。
それは以前にもこの世界で聞いた声。渦中の人物、ガザニアのものであるのだった。
◇
まるで空間が割り開かれるように切れ目が入り、おっとりとした大人の女性の姿が現れる。
大地の色を模した長い髪をたたえた彼女が、この空間の支配者であるガザニア当人であった。
「……やあ、お邪魔してるよ。急に押しかけてすまない、と言うべきなのかな?」
「いいえ。その必要はありません。今回あなた様がたをお呼びしたのは、こちら側の事情となりますもの」
「それってあの魔石?」
「はい」
あれはこの世界の監視も兼ねていた、巨大な太陽からのドロップ品だ。
……太陽はそもそも巨大な物ではあるが、この際は置いておく。ニュアンスである。ニュアンスの問題なのである。
それについても、ハルたちが転移してきてしまった経緯についても気になるが、今肝心なのはそのことではない。
エメの導き出した、ガザニアの計画について問うことが最優先だ。
「……答えてくれるってのは、何について?」
「ハル様が疑問視している、この空間の生成技術に関してです。一切の危険は存在しないことを、ご説明しますわ」
「へえ」
どうやら出資者に対して、技術的な問題点がないことの説明義務を果たしに来てくれたようである。仕事が丁寧で感心なことだ。
大元の技術である神界ネットも、それを構成する為の魔力も、ハルたちによる提供で賄われている。
いつでも強制停止する権限はハルにあり、それは防ぎたいということなのだろう。
しかし、安全性の証明など、本当に出来るのだろうか?
ハルやエメですらこの技術の引き起こす将来的な問題点は捉えきれず、詳細な定義は難しい。
それを、希望的観測で『安全です』と言われたところで、そうそう簡単に認可できるものではない。人命に関わることなのだ。
「まあ、とりあえず聞こう。どういった理屈で、君は安全性を担保するのかな?」
「はい。本計画は、本日この時をもって、破棄することをお約束いたします」
「……はい?」
「はい。計画は中止です。これ以上進めなければ、危険はなにも起こらないでしょう?」
「……うん。まあ、そう、だね」
つい面食らってしまったハルである。これは予想外だ。
確かに、計画を中止するならば、計画による被害は発生しようがない。自明である。
「今後は一運営者として、ゲームの発展に尽力するとお約束しますね」
「……そうしてくれると、助かるけど」
「怪しいっす! 何か企んでるっす! きっとここで油断させて、ハル様を欺こうとしてるに決まってるんですー! 駄目っすよハル様、こんな女の色香に騙されちゃあ」
「《そうだそうだー! おっぱいの大きさだけが、正義じゃないぞー!》」
「少し静かにしてようか、君たち?」
さて、本当にどう判断したものか。一つの問題が去ったと同時に、次の疑問が湧いてきてしまうハルなのだった。
※誤字修正を行いました。誤字報告、ありがとうございました。(2023/5/27)




