第697話 そして心臓は体を探す
「よし、さっそく飛ばしてみようか」
「おおよ。やれやれ! だが慎重にな、最初から最大馬力で飛ばすんじゃねぇぞ。ゆっくりだ、ゆっくり出力を上げていけ」
「大丈夫、人の施設の中で無茶はしないさ」
ついに完成したハルの飛空艇。細かな調整はまだこれからとはいえ、仕組み上、空を飛ぶための機構は全て揃った。
そうなると、早速飛ばしてみたくなるのが性というもの。その興奮は、所長もまた同じようだ。
お淑やかなお嬢様と、責任ある立場のいい大人が、玩具を前にした子供のようにはしゃぐ姿は微笑ましいと見るか、幼稚と見るか。
「魔力の追加供給は……、要らなそうだな、こりゃ……」
「普通はエネルギーを追加するのかな?」
「そうともよ。核に貯蔵出来る魔力にも限度がある。大抵は繋いだらそこで各設備にエネルギーを全て食われてすっからかんだ」
「なるほど。特にこの船は船体そのものがエネルギーを食うからね。並の魔石じゃ持たなかったみたいだね」
造船所所長の話によれば、これだけ大型の飛空艇となると核石を二つ三つと分けて搭載したり、飛行中、核に魔力を供給する専用の係の者がついたりするようだ。
まるで、蒸気機関に薪や石炭を投入する係のようである。
「まるで魔力の底が見えん。まったく、なんなんでぃこの怪物は。まるで、どっかから次々湧き出して来てるみてぇだ……」
「まあまあ、そこはあまり気にせずに」
「そうだな。客の事情に深入りはしねぇよ」
「助かる。しかし、魔力量はともかく属性は大丈夫なのかな? 明らかに『地属性』でしょ、これ」
「んん? なんか変か? ああ、『風属性』の方が良いように感じるか。そこは、大地の力を借りて、大地から離れる、っつー風に考えな」
「なるほど」
なるほど、風に乗って空を飛ぶのではなく、重力から解き放たれて空を飛ぶイメージだろうか。
どうもゲーム的なイメージでは、『地属性』は空を飛ぶものと相容れない印象のあるハルだ。実際このゲームでも、属性相性は地と風で対になっている。
「それじゃあ、エンジン始動だ。上手く飛んでくれるか、楽しみだね」
「なんだか緊張してきますね、主」
「私も、ドキドキしてきました。組み込みの瞬間は慣れませんね。『もし何の反応もなかったら』、っていつも考えちゃいます」
「シルフィードは工学よりなんだ。そのうち慣れるよ」
「あっ、今のなし、なしでお願いしますローズさん」
「誰かに言ったりしないさ。幸い放送も閉じている」
エーテル技術において、エーテルネットワークに働きかけ、それを構成する大気中のナノマシンを自在に操作するのは基本であり最重要の項目でもある。
その動作プログラムを、恐らくシルフィードは学園で学んでいるのだろう。何か一つ要素が抜け落ちていれば、何も起こらないということは良くあることだ。
「よし、システム始動だ! 炉に火を入れろ」
「ローズさんはローズさんで、何が専門なのか分からないですね……」
単に趣味の問題である。今の時代、『炉』を搭載している機構など日本中探してもほぼ存在しない。
機械いじりが趣味の一つであり、古い時代も知っているハルがやりがちな古い表現というだけだ。
そんなハルの号令で、浮遊機関にエネルギーが供給されていく。エンジン始動とは言ったが、推進機関にはまだ火は入れない。この場で浮き上がるのみだ。
ゆっくりと慎重に魔力の供給量を増やしていくと、次第に船はその身を水面から浮き上がらせた。
「よぉーーしっ、そのままだ嬢ちゃん。ゆっくりだぞゆっくり。……おっし、そこでストップ!」
「オーケー親方」
「おめぇら! 機関チェックだ! 嬢ちゃんが不良品作ってねぇかしっかり確認しやがれ!」
「失礼な。そんなヘマする訳ないだろう?」
とはいえ、必要なことだ。万一不具合のある装置を<建築>失敗で生み出してしまっていれば、いざ実際に大空へと漕ぎ出した際に墜落しかねない。
工廠の職人NPCたちが、真剣な顔で機材を操作しデータを取っている。
その結果、浮遊機関には各部異常は見つからなかったようだ。ミスもなく、起動試験は成功である。
「どうだろう、ドックの外に出て飛ばして来てもいいかい?」
「慌てなさんな! 気持ちは分かるがよぉ、負荷試験なんかが先だ」
「はしゃいじゃって可愛いですクラマス。あ、すみません……」
確かに、先走りすぎたかも知れない。これでは模型飛行機を飛ばしに行きたい少年だ。
ハルは今お嬢様なのである。お嬢様らしく、振る舞わねばならない。
「負荷試験というと、出力を上げるのかい親方さん?」
逸る気持ちを抑え込み、努めて冷静を装いハルは所長に向き直る。
船底の半分ほどをまだ水面に付けたままの飛空艇は、それ以上浮き上がることなく、徐々に再び水に沈んで行っている。
空中にて静止するには、まだ出力が足りないようだ。
「待ってな。このまま高出力発生をさせる訳にゃいかねぇ。係留具を取り付ける。つか、作ってくれねぇか? 嬢ちゃんがよ」
「僕自身で<建築>して係留しろってこと? まあ確かに、普通の拘束機では引きちぎって壊しちゃいそうだしね」
規格外の出力を誇る設計で組み上げ、無尽蔵の魔力を生み出す核を搭載したハルの船だ。
それが負荷試験、最大出力のテストなど行ったら、船体を拘束しておく器具も引きちぎってドック内をすっ飛んでいきかねない。
ハルはメニューの指示に従うままに、係留具を<建築>し船体を固定していく。
ここはいっそのこと、『ダマスク神鋼』を素材として作ってみようと思うハルだ。超圧縮された神鋼は、重さの他にも強力な頑強さをも誇るアイテムである。
そんな豪華すぎる装置が豪華すぎる船体をがっちりと掴み取り、船は空中へと固定されていった。
「よーし、よしよしよし。これならばっちりだな。良いぞ嬢ちゃん、出力上昇だ!」
「オーケー親方。浮遊機関、出力上昇。加えて、各部エンジン始動」
ハルは拘束が済んだ船の浮遊機関を徐々に上げていき、ついには最大にする。
異常な重さを誇るダマスク神鋼の係留具が錨代わりとなり、それでも船はこの場に留まっていた。
どうやら浮遊機関は最大出力にしても、どこも不具合は見当たらないようだ。
ハルは続けて、推進機関の方にもエネルギーを回す。後部に配置されたメインの機関が、まるでジェットエンジンのように魔力の放射を開始する。
「……さすがに軋むか。拘束を振り切りそうだ」
「だな。ここでストップだ嬢ちゃん。ウチのドックをぶっ壊されちゃかなわん。最大出力とはいかんが、核のモニタリングをしときな」
ハルは言われるままにメニューを操作し、虹色に輝きを放つ神核石の様子をウィンドウモニターに表示する。
それは各部エンジン類にもの凄い勢いで魔力を供給し続けており、これだけの速度で消費しておきながらもまるで底を突く気配を見せない。
まるで、どこからかエネルギーを汲み出し続けているかのように、無限の魔力をハルの船に約束していた。
「よし、問題ねぇな! ……なんで問題ねぇんだ? 普通エネルギー切れるだろ。まあいい! ハッチ開け、出航準備!」
所長が職人たちに命じると、このドックと外界を隔てていた巨大な扉が音を立てて開いて行く。
ついに、ハルの船が大空へと飛び立つ時が来たようだ。
「よし、最後はその係留具を引きちぎる勢いで出航しな! 安心していい、ここのドックは誰の航路にも向いてねぇ。衝突するこた気にすんな」
「それで、最終の出力試験に変えるんだね。派手なことするねえ」
「仕方ねえだろ器具が持たねぇんだからよ! それに、嬢ちゃんだって好きだろこういうの?」
「まあね」
拘束具の耐久度が持たないのならば、カタパルト発進のように最大速度で出撃することで、高負荷試験の代わりにするようだ。考えることが派手である。
実際、ハルもそうした出撃シーンにロマンを感じる人間なのは確かなので、この無謀ともいえる最終試験を止める気はない。
そうして、この大きな子供二人を止められる者はこの場に誰もいなくなり、魔導エンジンの出力はどんどん上昇していった。
「よっしゃ、いよいよだ! 各員、衝撃に備えとけよ!」
そうしてついに船の出力が係留の耐久度を突破し、それを振り切って外に飛び出そうというその瞬間、ハルのモニターしている核石が異常な輝きを発するのだった。
その光は船体を貫通し、このドック内全体を満たしていった。
*
輝きは一瞬。光が去り目が慣れると、ハルの身体は見知らぬ空間に放り出されていた。
ハルだけではない。傍に居た、シルフィードにアベル、そしてエメの姿もこの場に存在している。そして視界を塞ぐのは、先ほどの光の発生源でもあるハルの飛空艇。
どうやら、ハルたちはまた何処かに強制転移されてしまったようだ。
この現象、どう考えてもまた神域へと踏み入ってしまったとしか考えられないのだった。




