第691話 要人保護大作戦
「《どこか安全な隠れ家か何かは無いの?》」
「《安全度でいえば、先ほどの私の家は相当に安全なはずなのですが、そこが駄目となれば、どうにも……》」
「《まあ、そうだよね》」
「《あとは、それを上回るとなれば中央庁舎くらいでしょうか》」
ひとまずの危機を脱したテレサであるが、これで万事解決という訳にはもちろんいかない。
この場を凌ぎきったとしても再び狙われることになるのは明白であるし、何よりずっとこうして<隠密>している訳にもいかない。
潜伏性能に関してはかなりの万能性を誇る<隠密>スキルだが、一つだけどうしても克服できない弱点があった。
それは、周囲から見えないことである。
……なにを当たり前のことを言っているのかという内容だが、切実だ。
特に、NPCから認識できないというのは彼らとの関わりの大きいハルにとって致命的である。今も、消えたまま出てこないハルの姿に、拘束されたリメルダが不安そうにおろおろしだしていた。
「視聴者や、放送を見られるプレイヤーなら多少はマシなんだけどね」
「ずっと隠れたままでは、NPCどもとの取引もままならねーですね!」
「そうだね」
特に、ここからはガザニアの国の職人や鉱山組合との取引が重要となる局面だ。
そんな時に、テレサの護衛のためにずっと隠れ潜んだままでは交渉事もままならないのは正に白銀の語るとおり。
「《それじゃあひとまず、ここを抜け出して庁舎に向かおう。というか向かってくれ》」
「《あっ、そうでしたね。ローズさんは、足がないんでした》」
空中に投影された立体映像であるテレサの元に居るハルは、彼女の手を引いて導くことは残念ながらできない。
テレサには、自分の足でこの窮地を潜り抜けてもらう必要があった。
とはいえ攻撃さえしなければ、走ろうが喚こうが基本存在がバレることはない。
彼女には堂々と、道の真ん中を歩いて、ミントにおいての王城にあたる庁舎へと向かってもらおう。
あの天まで届く大木を柱とした巨大ビルと、その中のセキュリティならば、暗殺者の手も届かないはずだ。
「《で、では、行きますね!》」
「《気合入れすぎて転ばないように》」
両手を、ぐぐっ、と握りしめ、テレサは意を決して脱出を開始する。
最初はおっかなびっくりと慎重に慎重を期していたテレサだが、本当に存在が気付かれないと分かると、次第にその足を速め、ついには勢いよく走り出すのだった。
「《おお、文官なのに意外と軽快な駆け足》」
「《外交は体力勝負ですから。移動も多いですし》」
「《なるほど》」
「《……それに、この立場では、なかなかこうして思い切り駆ける機会などなくなってしまいまして》」
「《ははっ、童心に帰れるいい機会ってことだ》」
《かわいい》
《はしゃぐお嬢様》
《こっちもお嬢様だったか》
《そりゃ、お偉いさんだしな》
《貴族制じゃないとはいっても政府高官だもん》
《無邪気に走り回るって訳にはね?》
《意外とローズ様と同じ立場?》
《仲良くなれそう》
《もう十分仲いいんだよなぁ》
確かに、立場上気軽に冒険に出ることの出来ない縛りを負っているハルと、同じ制限を課された仲間だともいえる。
そんなテレサは、文字通り人目をまるではばかることなく、自宅の敷地を走り抜けると人通りの少ない通りを一気に駆け抜けた。
まるであどけない少女が外を走り回って遊ぶかのように、軽快なスピードで彼女はゆく。
その表情は、命を狙われていた不安なものから、しがらみを吹っ切った晴れやかなものに一変している。
どうせ、ハルしか見ていないと気を許しているのだろう。
……確かに物理的に周囲からは見えていないのだが、一方でハルの生放送を通して大量の視聴者がそんなテレサの無邪気な姿を愛でているという事実は、言わぬが花であった。
「さて、テレサの意外な一面はともかく、これで解決とはいかないね」
「です?」
「ですのだよ白銀。庁舎に着いても、ずっとそこから出られないからね」
「缶詰です!」
《せっかく童心に帰れたのに》
《一瞬で監禁可哀そう》
《監禁ゆうな》
《軟禁?》
《出禁?》
《オフィスに寝泊り》
《嫌だなぁ》
《お? オフィスで生活してるんだが?》
《ずっと配信見てんじゃねーか(笑)》
《仕事しろ》
庁舎の居心地は悪くはなさそうだが、ずっとそこから出られないとなると息が詰まりそうだ。
何より、絶対に安全とは言い切れない。ハルが原因で招いた事態でもある、気の休まる場所を、用意してやりたいところだ。
「よし、テレサを迎えに行くとしよう」
結局のところ、ハルたちと共に居ることが最も安全度が高い。白銀や空木、メタの三人娘が居れば暗殺者の潜伏を察知もしてくれる。
ハルは彼女の身柄を引き取りに、この国を出て、一路ミントの国へ再び訪問することを決めたのだった。
◇
「しかし、どーすんハルちゃん? まだこっちもやること残ってるよね。それともリメりん捕まえたし、この国とはおさらば?」
「ああ、一度この場は離れようと思う。この街の事情は、すぐさま解決できる問題でもないしね」
この鉱山都市における未解決の問題は大きく二つある。
一つが、リメルダを除く組織の構成員を逃がしてしまったこと。特にあの顔の良い謎の男だ。
ただこれに関しては、重要度はそれほど高くない。元々この国に来た目的である、王城潜入犯のリメルダは確保できた。他は、後回しでもいいだろう。
二つ目は、鉱山内にあった特殊装置を確保できなかったこと。
土地の権利を理由にして、あの鉱山を管理する組合に所有権を持っていかれてしまった。
これも、後々ハルの元に戻ってくるように計画を練っている最中だが、さすがに今すぐ実行には移せない。
よって、どちらにせよ空白の時間が出来てしまう。
ならばその間に、テレサを手元に置いてしまうというのが効率的にも妥当な選択だ。
「よし、決まったなら即行動だ。善は急げ」
「ひゃん!?」
聞きなれぬ可愛い声を上げてしまったのは、手足を拘束されたリメルダ。
その手錠を掛けられた腕をハルが掴むと、彼女もまた<隠密>の影響範囲に巻き込まれる。
リメルダ視点では、唐突に何もないと思っていた空間から手を掴まれ、直後にハルと白銀の姿が現れたという非常に驚くシチュエーションなのは間違いない。
「移動するよ、リメルダ。君もついてきて」
「……元より私に選択権はない。どこへなりとも、好きに連れて行くがいい」
「ならば秘密の隠れ家に連れて行くです。そこで、じっくりと教育してやるです!」
「きょ、教育……」
「こらこら。そもそも、僕ら秘密の隠れ家とか持ってないから」
いや、もしかしたら白銀たちの秘密基地みたいな物はあるのかも知れない。
用事のないときは、自由に彼女たちを遊ばせているハルである。生放送もつけていなければ、そうした隠れ家を作っていたとしてもハルは把握していない。
まあそれはともかく、あまりえっちな響きのある発言は慎んでもらいたい。視聴者が反応してしまう。
《教育、ごくり……》
《なにを教育するんですかね》
《そらもう、お姉さまの素晴らしさよ》
《この子ちょっと期待してない?》
《素質ありだな》
《縛られても文句言わないしな》
《自分から縛られた人もいます》
《その人は、ちょっと……》
《素質なしかも……》
素質なしであるらしいもう一人の拘束娘、ワラビは一連の騒動の間も、一人トレーニングに励んでいた。
自分には関係ない話と見るや、異常な重さを誇るはずの拘束具をつけたまま、重量挙げと足踏みを繰り返している。
がちゃがちゃと鳴る鎖も追加され、余計やかましさを増した彼女の<修行>風景。少し対策を考えないといけないかも知れない。
「ワラビさんはどうする? 僕は、これから港町に戻って仲間と合流するんだけど」
「ええっ! ローズちゃんいっちゃうの? 行っちゃうの!?」
「うん。慌ただしくてすまないね」
「それは困る! ローズちゃんが居なくなったら、私はこれ以上重りを追加できなくなっちゃう!」
「困るとこそこなんだ……」
手足を拘束されたままでは困る、とかそういった問題は一切ないらしい。流石はワラビ、マイペースの極みである。
「じゃあついてくる?」
「うちのクラン入りなよワラびん。そすりゃ、解決だ」
「うーん、でも……、外交官さん迎えに行くんでしょ? 私が居たら、失礼になっちゃうから……」
《失礼だという自覚はあったのか……》
《だがトレーニングは止めない》
《がちゃ、がちゃ、がちゃ》
《止めたら死ぬとでも言いたげだな(笑)》
《リメルダちゃんもドン引き》
《同じ拘束具を付けてもこの差である》
《リメルダちゃんは歩くのがやっとなのに》
《それどころかまだ重さを欲しがっている》
確かに隠密性が重視される今回の任務には、常に騒々しい彼女は不向きだ。
ならば無理には連れて行かずに、この街周辺での待機をお願いした方が良いだろうか。どうせ、もう一度確実にここには戻って来るのである。
「んじゃ、私も残るから行ってきなよハルちゃん。鉱山の牽制とか連絡とか、あと逃げた連中の捜索なんかしとく」
「……そうだね。じゃあ、ユキとワラビさんの二人で行動しといてもらおうかな」
「ツーマンセルりょーかい! 頑張って鍛えようねユリちゃん!」
「おー、誰彼構わずぼっこぼこにしよー」
「そこは構って?」
ユキにとっても、<貴族>の一員としての窮屈な環境から解き放たれるチャンスだ。ここらで自由行動もありかも知れない。
そうして二人をこの街へ残すことが決まると、ハルたちは宿を出てこの街の出口へと向かうのだった。
*
「それで、どうします主。港の連中はまだ一部、交渉中の部門もあるようですが」
「そこは交渉を続けてもらおう。ユキたち同様に、まだこの国に滞在してもらう」
「オレらだけで一先ず、ミントへ飛ぶってことですね」
「ああ。それもあるけど、まず僕らも準備が必要になるんだ」
「《シルフィードちゃんがめっちゃ優秀だったっすよハル様! あの子だけで、もう三件も契約とってます。あの子は、このまま残した方が良いんじゃないすかね。あ、それとも、外交用にミントにあの子連れてくのもありかも》」
行きと同様に、帰り道でも再び巨大な召喚獣が牽く馬車、言うなれば竜車に乗ってハルたちは港に戻る。
今度は、駆けつけてくれたエメが直々に御者を務めており速度は来るときよりも更に上だ。
この快足をもって港に戻り、ミントへと向かう予定のハルなのだが、かの地へはそのまま船に乗って向かうつもりはない。
民間船では速度や手続きにどうしても難があるし、アイリスから乗ってきた国の飛空艇はもう自国へ戻ってしまっている。
しかしながら、その状況を解消するのに、丁度いい策があの港には存在していた。
エメの話にあった、アベルのファンクラブ、そのリーダー的存在であるシルフィード。その手腕をもって纏めてくれた契約に面白いものが含まれていたのだ。
「僕ら自身が保有する、大型の飛空艇を作ろうと思う」




