第687話 自爆
謎の男が地下水脈へと消え、この場には工作員の少女リメルダだけが最後に残った。
またしても逃げられた、という口惜しさを抱いてしまうのは否定できないハルだ。流石は歴史の裏に潜み続けた組織。一筋縄ではいかない。
一応、真の目的はこの場の確保と保全であるので計画通りと言うことも出来るが、出来ればあの男も捕縛しておきたかったのは正直な所だ。
「まあ、いいか。せめてリメルダちゃんだけは確実に捕らえる。これをもって、計画の達成としよう」
「くっ……!」
《くっ?》
《今『くっ……』って言った?》
《『くっ、ころせ』って言った?》
《確かに言った》
《ああ、聞いた》
《言ってない言ってない》
《反応しすぎだろ(笑)》
《馬鹿どもがよぉ!》
《しかしお手本のようなくっころシチュ》
既にリメルダは紫水晶からモンスターを呼び出すのを止め、悔しそうな目でハルたちを睨みつけるのみだ。
ハルもまた、モンスターを全て倒し終わると同時に攻撃を止め、彼女自身には手出しをしていない。
両者は距離を空けて睨み合い、互いに動かない。リメルダは任された時間稼ぎを完遂し、これ以上の抵抗はしないようだ。
「そのまま、大人しくしてくれていると助かるよ」
「……好きにしろ。どうせ、私ではお前に勝てるはずもない」
《好きにしろいただきました!》
《好きにして、いいんですか!?》
《お姉さま、どうしちゃいましょう!》
《いや、捕縛だろ》
《縛るってこと!?》
《そりゃ縛る》
《よく考えたら、どうやって捕まえるんだ》
《また逃げちゃうかも》
《そもそもどうやって逃げたんだろ》
儚げな美少女を捕獲するというシチュエーションに湧く視聴者たちはとりあえず放置して、ハルもその点について考える。
このゲーム、NPCを捕獲する機能やアイテム、スキルに非常に乏しい。モンスターであれば調教し仲間にするような専用スキルもあるのだが。
恐らくは、視聴者たちの望むような際どい行為を抑制するためだろうとは思う。
犯罪者の逮捕は、アイリスでいえば騎士団などのNPC組織が専門に行い、厳重な牢に収監される。
その実力と警備力は高く、通報すれば高レベルの犯罪者でも基本的に成す術はない。
しかしリメルダは実際に身一つで脱獄を達成しており、必ずしもそれが万能の監獄と言えないことを証明していた。
「んー……、麻痺させるにも時間制限があるし、そもそも常時麻痺させ続けるのは可哀そうだし……」
「……どうした。そっちこそ、もう攻撃しないのか? それならこのまま見逃してくれると助かるんだが」
「それは出来ない」
「……だろうな」
一応言ってみただけ、という諦めの雰囲気が強く伝わって来る。捨て石となるのを完全に受け入れている顔だ。
……ここで問題となるのが、捕縛されることは受け入れていないだろうこと。
組織の秘密を守るためには、まあ当然なのだが、そうすると、もっと必死に活路を見出そうとしているはず。
だが彼女には、どうにかして逃げようという気配が微塵も感じられないのだった。
《ユキ、彼女を刺激しない程度に、いつでも飛び出せる準備しておいて》
《はいよー。あいさー了解だハル君》
とすれば消去法で、残る彼女の行動は限られてくる。
一つは前回のように、NPC兵に引き渡されてからの脱出を前提としている。
そして二つ目は、この場で自害することだ。しかも恐らくは、大規模な自爆を伴う自害。こちらの可能性が非常に高い。
何故かといえば、この空間には彼女以外にも、消さなければいけない証拠が数多く存在するからだ。
アイテムの生産に使っていた装置など、組織に繋がる物品の数々。それを消すことも彼女に課せられた使命に違いない。
「じゃあ、今から君の近くまで行くよ。大人しくしてくれると、助かるな」
「……好きにしろと言ったはずだ」
ハルはリメルダを刺激しないように、ゆっくりと一歩一歩、彼女の傍へと歩を進めて行く。
リメルダは抵抗する様子を見せず、だがしかし何かのタイミングを図る暗い瞳で、そんなハルの姿をじっと見つめているのだった。
*
「なあ、私を捕らえたら、貴様はどうするんだ、これから」
「うん? ああ、そうだね。君の仲間に追跡をかけたいところだけど、とりあえずはテレサの安全確保かな。ああ、テレサってのはさっきの彼が言ってたミントの国の偉い人ね」
「知っている」
ハルがある程度近づくと、リメルダがこの後のことについて問いかけてきたので、ハルはいったん立ち止まって正直に答える。
テレサの命を狙う、という謎の男の脅迫だが、真実だと思っていいだろう。
普通なら、ただのありもしない脅しなのだが、彼らはきっとやる。それだけの隠密性と、情報網を備えている相手だ。
「そっちに気を取られるだろうから、お仲間の追跡は後回しにならざるを得ないかな。彼の思い通りになるのは、少し癪だけどね」
「そうか。安心した」
無事に仲間が逃げおおせるだろう事を安心したのか。自分が仕事を完遂したことを安心したのか、リメルダはそれ以上は何も語らなかった。
ハルも特に真意を確認することなく、再び彼女へと歩み寄る。
仲間たちも視聴者も、一歩一歩距離を詰めるその様子を、固唾を飲む緊張感で見守っていた。
そして、さほどの時もかからずにハルはリメルダ目の前にたどり着く。
彼女は両手を祈るように胸の前に組み、体の力を抜くのだった。その状態で、腕を縛れということだろうか?
《縛るポーズ指定?》
《この姿勢が良いの?》
《分からん》
《後ろ手に縛る方が好み》
《聞いてない》
《確かに抵抗しにくい姿勢ではあるが……》
《敵の指定したポーズは危ないんじゃない?》
《縄抜けしやすいポーズなのかも!》
「いや、姿勢は何でもいいんだけど……」
そもそも、今回ハルはあまりぎちぎちに縛り上げるつもりはない。
それこそ『対外的なポーズ』として、拘束していることを示す必要はあるだろうが、縄や鎖で自由を奪う気はなかった。他に試してみたいことがある。
ともあれ抵抗しないのであれば好都合と、彼女の体に手を掛けようとハルがその手を伸ばすと、リメルダはそこで意を決したように真っすぐにハルと目を合わせた。
どうやらここからが、正念場のようだ。
「……きっと、貴様はこれでも死なないんだろうな」
「これって?」
「だが貴様以外は、道連れにさせてもらう」
ハルの言葉には答えず、ただただリメルダは宣言する。
その決断の言霊と同時に、彼女は胸の前で祈るように合わせていた両の腕を、がばり、と左右に開いた。
その手は自らの服へとかけられており、シャツを引きちぎる勢いで美しい肌を露出させる。
色仕掛け、ではない。リメルダの露出させたのは、自分の胸ではなくそこに埋め込まれた巨大な宝石。
その紫に輝く宝石が、美しくも強烈な輝きを放ったかと思うと、彼女の体から強力な魔力の波が放出されるのだった。
◇
「やっぱり自爆か!」
「……分かっていたのか? だがもう遅い」
「ハルちゃっ!」
「ユキは責任者さんのガード!」
こちらに向かおうとするユキを、NPCの保護へ向かわせる。
既にアベルが責任者の男の眼前に立ちはだかり、リメルダ側から覆い隠すように防御姿勢をとっているが、防ぎきれるかは保証できない。
彼女の言ったように、ハルだけはきっと至近距離での自爆であろうと耐えきれるが、他の者はそうはいかない。
特に突然すぎる展開でワラビは大丈夫かと目を向けたが、既に可愛らしく身を丸めるようにうずくまっている姿がハルの緊張感をほぐしてくれた。
もはや石を詰め込んだ背中のリュックの方が体よりも大きくなっており、こんな時でも笑いを誘う。
《自爆だーー!!》
《自分ごと証拠隠滅する気だ!》
《やばいって!》
《ローズ様なら耐えられる!》
《でもこれじゃ任務失敗だよ》
《どーする? どーする!》
《爆発する前に倒す?》
《そうするとお姉さまの不殺が破られちゃう》
《なるほど、そこまで考えて》
確かに爆発する前にリメルダの命を奪ってしまえば、宝石の起動は不発に終わる可能性はある。
しかし、ハルがその選択を採れないことを彼女はよく知っている。だからこそ、この決断に至ったのだろう。
石はリメルダの命を吸い取るように魔力をどんどんと吸収していき、一呼吸するごとにその輝きを倍増させる。
その様子からこの瞬間にもすぐに破裂してしまいそうで、もはや躊躇している間はなさそうだった。
「仕方ない、覚悟を決めるか。少し、失礼するよ?」
「……なっ、なにを」
もう体の自由があまり効いていないようで、虚ろな目で息も絶え絶えなリメルダ。
そんな彼女の体に手を回して抱きとめ、胸の宝石に手を振れる。
「あー、ハルちゃんがえっちーだー。こりゃBANだね。アカウント停止だね」
「やかましい。成功するとは限らないよ、ユキもしっかり防御しといて」
「ほーい」
図らずも少女のはだけた胸に手を差し込む構図になってしまった。今はキャラクターが女で本当に良かった。ハル本体の姿だったら犯罪的だ。
「『魔力掌握』、起動」
そうして触れた宝石に向けて、ハルは<支配者>のスキルを発動する。
コマンドは『魔力掌握』。敵の操る魔力、つまりMPを自分の物のように使ってしまう反則的な力である。
リメルダが自爆するためにハルの接近を待っていたように、ハルもまた<支配者>を使うために彼女へと近づいていた。
その力は宝石の暴走を止め、中に注ぎ込まれた魔力はハルの手に吸い込まれるように逆流していく。
その量はリメルダの保有MPを明らかに超えて膨大だが、お構いなしに<支配者>はそれを略奪していった。
以前ガザニアが、神が直接生み出した太陽の魔力をも飲み干した凶悪なスキルだ。いかな切り札とはいえ、人間の持つ魔力など相手にならない。
「最後は少し痛むよ。ちょっとだけ、我慢してね」
「……できれば、痛いのはいや、かなあ」
「そっか。できるだけ努力しよう」
少し言い方が悪かった。リメルダは何だか穏やかな顔で、敗北と、そして自身の死を受け入れて目を閉じてしまう。
確かに彼女の作戦は不発にさせてもらうが、命を奪う気はない。
ハルはそのまま魔力を全て吸い切ると、機能を停止した宝石をリメルダの体から抜き取った。
「がふっ……」
その瞬間、一気に彼女の体から力が抜ける。きっと、外すと死ぬようにプログラムされているのだろう。宝石自体もハルの手の中で砕けてしまった。
「だがここで『完全回復薬』」
しかし、もちろんそのまま死なせる気はない。なんだか毎度工夫がなくて申し訳ない気もするが、いつもの『完全回復薬』で彼女を全快まで蘇生してやるのであった。
※スキル名の調整を行いました。(2023/5/25)




