第684話 非常に非情な組織
「よし、じゃあ『せーの』でいこう!」
敵拠点の扉を前に、ワラビが腕をぐるぐると回しながら準備運動をする。
当然、両手のダンベルじみた重りはそのままであり、背中のぱんぱんに石の詰まったリュックサックもそのままだ。
まるでそれらが見掛け倒しのハリボテのように見ている側からすると感じられるが、当然そんなことはない。
彼女がジャンプすると、ずしりと地面が重さに耐えきれず軋んでいた。
「ワラびん、『しー』だよ、『しー』……!」
「わわぁ。ごめん、どうしても私の乙女の部分が……」
《乙女……?》
《体重だろ》
《もう人類の重さじゃないんよ》
《乙女か否かは些細な問題》
《岩の地面を軋ますとかどんだけー》
《これ、普通の家とか大丈夫か?》
《大丈夫じゃなかったことあるよ》
《宿屋の二階の床が抜けたことがある》
《ひえー》
《日常生活がどんどん大変になるな》
彼女が<修行>で経験値を稼ぐには、どんどん積載量を増して行く必要がある。
重さが一定のままでは、進化していく<修行>スキルのレベルに対して有効に働かないのだ。
その結果、どんどん『体重』を増していったワラビは、最近では日常生活にも支障をきたしてくるようになってきたらしい。
先述のパーティを組む仲間が居ないことも相まって、そろそろ快進撃に曇りが見えて来たようである。
「……うううぅ。どうしよう、そのうち普通に道を歩いてるだけで、地面が陥没しちゃったら」
もしやその時は、公共物を損壊したとして衛兵に追われたり、街に出入り禁止にされてしまったりするのだろうか?
そうなると、一気に攻略は厳しくなるだろう。
その未来を想像したのか、ワラビの顔が大げさに不安に歪む。今にも泣き出しそうである。
「おっと、いけないいけない! 今は目の前のことに集中しなきゃ!」
「その意気だよワラびー! だいじょび、きっとハルちゃんがなんとかしてくれる」
「……安請け合いしないでユキ?」
まあ、実際に彼女の攻略を手伝ってやるのはハルとしてもやぶさかではない。それだけ、この<修行>というスキルは面白い調査対象だ。
そんなユキの応援と、持ち前の元気さで気を取り直したワラビは、改めて敵アジトの扉へと向き直る。
軽く拳を打ちならし、ついでにガチャリと金属音を軽く響かせると、その拳を扉に大きく振りかぶるのだった。
*
「どっかーーんっ!!」
「警察だー、全員動くなー!」
「!!」
ワラビが岩に扮した扉を粉々に粉砕すると、ハルたちは間髪入れずにそれに続いて室内へと侵入していく。
内部には数人の構成員が滞在しており、突如として現れた侵入者の存在に一瞬固まる。
ちなみに、細かいことを言うようだが警察ではない。ユキの言葉はただのノリである。
「行けっ」
敵が対応に動くその前に、ハルは<召喚魔法>を起動すると複数のカナリアを呼び出し、その群れを放つ。
攻撃の為ではない。使い魔たちは敵の頭上をするりと飛び越えると、奥へと続いている反対側の通路へ消えて行った。
「くっ……!」
「ありゃ、もう持ち直しちゃった。やっぱプロだねこいつら」
「どうしよう! やっぱり、ローズちゃんにお任せしてこっそり入った方が良かったかな!?」
「変わらない変わらない。どうせその場合でもすぐにバレる」
それならば、例え一瞬であっても相手の行動を停止させられる奇襲の方がいい部分もある。
敵もまさか、ただの怪力で扉を粉砕して侵入してくるとは思っていなかっただろう。
「ローズ、伯爵……」
「おや、君は? ああ、ちなみに最近<侯爵>になったんだ。覚えておいてね」
「……お前を追ってきたか。失態だな」
「くっ……」
「いいや、その子のせいじゃないさ。何が悪いといえばこの場に隠れ家を作ったのが悪い」
安全地帯に居る安心感からか、アイリスで出会った時のように顔をフードなどで覆い隠していなかった構成員達。その中には一人、ハルの見知った顔があった。
王城の中庭にまで侵入してきていた少女の工作員。メタによって捕らえられ、しかしどんな手段を用いたのか、連行された先で逃亡を許してしまったあの彼女だ。
「責任を取って時間を稼げ」
少女が混乱している間に、奥の男は有無を言わさぬ態度で方針を決めてしまう。
見た感じ、彼が明確に上位という訳ではないようだが、奇襲を受け、重ねてハルの姿に混乱した少女は反論のタイミングを失ってしまう。
空白化した意識の隙を突いた上手いやり方だ。そして合理的。
瞬時にハル一行の排除を諦め、仲間一人を犠牲にしても自分(あるいは自分たち)だけは逃げ延びるという判断を、奇襲の衝撃冷めやらぬ中で瞬時にやってのけた。
「非常に非情だ」
「ハルちゃん! 力抜けること言わないの、こんなとき!」
「私たちはどうしましょう!」
「ワラビさん、暴れる。アベル、責任者さんを守る。貴方は我々の後ろに」
「……どうかお構いなく。こう見えて、足手まといにはなりません」
指示を出していないユキはといえば、ハルが何か言う前にもう先ほどの男へと向かって飛び出していた。
顔の下半分を黒いマスクで覆い、銀の髪を既にフードで隠したその彼は、自分の方へと敵が飛び込んで来たことに小さく舌打ちひとつ。
「チッ! ここは投棄するぞ。各自撤退だ」
「させるかぁ! もう何度も何度も逃げられてばかりで飽きてんだよねーこっちはさぁ!」
ユキの華麗な槍捌きを、暗殺者めいたその姿に似合わぬ大剣で危なげなくその男は受け流す。
受け流すだけで、決して自分からは攻撃に移らず、倒すことではなく確実に逃げ切ることのみを考えて隙なく後退して行った。
絶対に逃げ切る。決して情報は渡さない。彼らの基本方針として、このことを本当に徹底しているのだろう。
だからこそ、誰に聞いてもどれだけ調べても、組織の情報が出てこないのだ。
「うわ、つよくねこいつ!? ハルちゃん、こいつ私よかステ上だ!」
「へえ、初めて出会ったね。ユキより強い相手なんて。となると、まだまだ時期じゃなかったってことかな」
現状の最前線プレイヤーと比較しても、一段上を行っているユキのレベルと実力。その力をもってしても、強敵と感じられる相手に初めて遭遇した。
要するにこの相手は、もっと攻略が進み、もっとレベルが上がってからぶつかる相手だったということだ。
カドモス公爵の王都襲撃もそうだが、何周かイベント展開を早めてしまった感は否めない。それが吉と出るか、凶と出るか。
「おい、リメルダ。何をしている妨害をして退路を開け」
「くっ、私の名を呼ぶなっ!」
リメルダと呼ばれた黒髪の少女は、反論しつつも覚悟を決めたように一歩前に出る。それを確認し謎の男と、他複数名の仲間たちは逆に一歩引いた。
本当にリメルダを捨て石として、退却する気なのだろう。
「そーーれっい! どーん!! あっ、やばっ、ぶっ壊しちゃった! ローズちゃん、大丈夫かなー!?」
「大丈夫だよ、好きに暴れて。まあ、余裕があったらその辺の装置は壊さないように気を付けよう」
「注意しまっす!!」
まあ、注意しつつもあと二、三個は壊すだろう。そういう未来が見える少女だ、ワラビは。
彼女が何を壊したかといえば、この隠し部屋に並んだ謎の機材の数々、そのうち一つ。
恐らくはアイテムの生産に使う装置だと推測され、これを使って資金調達用の売却アイテムを作っていたはずだ。
敵に肉薄しようとする際、ワラビは勢い余ってそのうち一つを体当たりで粉砕してしまった。
大切な装置だろうに、彼らはそれを惜しむ様子も、必死に守ろうとする様子も一切見せない。
本気で、全てを置いて逃げ去る気のようだ。
「ふむ? しかし妙ではある。これら機材は、情報の塊だ。完全無欠に闇に潜んで活動してきた組織であるというのに、証拠となるこれらを残してただ逃げるか?」
「状況が状況です。仕方ないでしょう、主。己の命と天秤に掛ければ、さすがに諦めるものかと」
「そうかな? 何となくだけど、重要証拠が鹵獲されようとしている場合、自分の命よりも重く見るタイプの組織だと思うんだ」
「……命を捨てて、証拠隠滅を図ると?」
「うん」
そのように徹底した鉄の掟がなければ、ここまで国と経済の闇に紛れて今日まで活動できてはいないはずだ。
必ずどこかで、尻尾を掴まれる。ハルの直感はその性質を半ば確信していた。
となれば、いくつか警戒しなければならないことがある。
今回、彼らのほとんどは逃げの一手に徹しているが、リメルダと呼ばれた少女だけは別だ。足止めとは言っているが、実質ここで死ぬことを命じられている。
彼女を死なせないのは勿論、そんな捨て身のリメルダが引き起こす何らかの事象に周囲を巻き込まないようにも注意しなければならない。
そして出来れば、この場の全員を捕まえたい。
「……まあ、それは贅沢な話か。僕の方も、取捨選択をしないとね。目標は彼女に絞ろう」
「主、例の水晶です。モンスターが来ますよ」
「ああ」
考え事はここまでのようだ。リメルダは周囲に大量の紫水晶を投擲すると、迷うことなくそれらを全て発動する。
何度目かになる、紫水晶モンスターの群れがハルたちに襲い掛かってくるのであった。
※誤字修正を行いました。ルビの振りミスを修正しました。(2023/1/14)




