第68話 真なる錬金術
登校時間が近くなってきたため、ルナはログアウトしていった。その際、『今日中に生地を用意する』、と息巻いていたので、彼女もこの結果に興奮が大きいようだ。
確かにハルは神のごとき力の片鱗、その一端に触れたと言える。創造の力だ。これに興奮しないでいられようか。
だがそこには問題が一つ。
「好きな素材を自由に出したりは出来ない。あくまで今出来るのは変換だけなんだよね……」
「十分凄いですよー。自由に変換すること自体、想定していませんからー」
「じゃあ何でスキルがあるのさ?」
「スキルは今出ましたー」
またこの神はさらっと重要な事を口走ったが、今はそれについて考える頭が無い。意識拡張の反動で、また大半の領域は休暇に入ってしまった。
向こうのハルの体は今登校中ということもあって、使える領域はほとんど無いのだ。
「まあ、ともかく。今の状態じゃ水着どころか雑巾一枚作れやしない。なんとかしなければ」
ハルはメイドさんに貰った古着、<防具化>に使ったそれを<物質化>で逆変換しながら考える。
今ハルに出来るのはこれだけだ。<魔力化>による物質の魔力への変換と、その逆。元になる物質が無ければ何も出来ない。
ありとあらゆる物質を自由に作り出すにはほど遠かった。特に向こうの世界の繊維のような複雑な、しかもこちらの世界で参考にする教材が望めない物は。
「試しに防具を<物質化>してみるか」
ハルは<防具作成>で適当に服を作ると<物質化>をかける。問題なく変換できたが、結果はハルの望む物にはならなかった。
「なにこの素材……、ふにゃふにゃしてる。SF的な素材というか、ロボットアニメのパイロットスーツみたいというか……」
「変換出来るんですねー」
「知らなかったんだカナリーちゃんも」
「知らないというか、やった事が無いというか。あ、防具としての情報は破棄されているはずですから、<魔力化>しても防具には戻りませんよー」
「まあ、これは練習だし。ついでに魔法解除の練習にしよう」
ハルは再び服を<魔力化>すると、最近カナリーから教わっている魔法の消し方の練習台にした。
何でも爆発させて消そうとするので危ない、という事で、ハルに教える許可が下りたのではないだろうか。爆発させておくものだ。
服は端からキラキラと空気に、エーテルに溶けていく。
「これだとマリンのとこで売ってる水着の変換も、アテには出来なさそうですねー」
「プールのやつだね。まあ、せっかくルナがやる気なんだ。そういう横着は元々する気は無いよ。なんとかしてみるさ」
プールで売っていたり、貸し出している水着を<物質化>して、それを着用するという最終手段は確かに使えなくなった。
だがデザインの幅やサイズの調整等、元から問題は多い。プレイヤー用の装備のように、自動でリサイズしてくれる訳ではないのだ。
「というか指定はメイド水着だったよね。プールにメイド水着あるの?」
「どうせありますよー、あの子の事ですから」
「そうなんだ……」
なかなか拘りの強い神様のようであった。
*
アイリが目覚め、帰宅したユキも交えて朝食を頂く。食後のお茶を楽しみながら、ハルは二人に夜中に習得した成果を披露していった。
ティースプーンを魔力に変え、そしてまた元通りに戻す。
「ハルさんはついに神様になったのですねー……」
「なってない、なってない」
「でも何でも作れちゃうんでしょ?」
「そう都合よくはいかなくてね。今は変換機を通して物質を魔力と行き来させるのが関の山だ」
「あれ? ……意味なくない?」
「あんまりね」
様々な物質を<魔力化>してみて、その変換パターンを採取する作業が必要だ。
それを地道に積み重ねてデータを取り、対応表を作り上げる。そうして初めて、真に創造の力を振るうことが出来るだろう。
今はただ、なんかキラキラして凄いだけだ。
「あ、アレに使えるんじゃないハル君。幽霊の固定化」
「ゆ、幽霊でしゅか……!」
「アイリ、幽霊は怖い?」
「こわいですー」
「可愛い可愛い。大丈夫だよアイリちゃん。ハル君が居れば殴れるようになるからね」
ユキにとって、殴れる物は恐怖の対象にならない。
まあ、ユキは極端な例であろうが、人間心理的にそういう部分があるのは確かだ。暗闇をあまねく照らし出し、未知の物を既知に貶める。それが文明だ。
「僕らの体は最初から触れるように出来てるけど、エーテル生命体とか出てきたら一方的に攻撃されちゃうし、役に立つかもね」
「魔法使えばよくない?」
「……壁をすり抜けるのは防げるし」
「ハルさんに物質化してもらえれば、精神干渉も防げそうですね!」
「怖いなこの世界の幽霊。そんな事までして来るんだ」
幽霊というよりモンスターだろうか。触れられたら即死効果もありそうだ。出会ったら<物質化>しなければ。
「脱線しちゃったけど、追加で出来るようになったのは、このくらいかな」
ハルは手のひらの上に<魔力操作>で式を構築すると、それを<物質化>で物体に変換していく。
小さな球状をした金色の塊が姿を現し、それをハルはテーブルの上に置いた。
「ハルさん、これは金、ですか?」
「うん、混じりっけ無しの、たぶん、純金の塊」
「うゎぁ。やっぱりもうこれ神の所業じゃん。人間卒業おめでとうハル君」
「モノが金だから派手に見えてるだけだよ。やってる事は初歩の初歩」
「混じりっけが無いから?」
「うん。単純に過ぎる。お金持ちにはなれるけどね」
ルナがログアウトしてから朝食までの間、ハルが試行錯誤を重ねた結果、出来るようになったのはここまでが限界だった。
単純化して語ると、金貨を<魔力化>し、その中の金の情報を探り<魔力操作>でコピー、それを大量に貼り付けて整列し、<物質化>で形にした。
鉄の方が楽だったので、最初は鉄でやろうと考えていたが、やはり金の方がインパクトがあるだろうと見栄を張った。
……ハルは涼しい顔でやっているが、間に合ったのはギリギリであった。
ただその甲斐はあったと言える。アイリはまだ、ぽかん、と口を開けており、驚きが抑えられないといった様子だ。
「お金持ちってか、世界を支配出来るんじゃないの?」
「出来ないよ。お金持ちが限度。ね、アイリ?」
「……はっ! あ、はい。そうですね。金の流通量があまりに増えすぎると、物価が大きく変動し、また金に価値が無くなります」
「だから世界を買い取るのは不可能」
「早い段階で経済に混乱が起きて、結局は武力による衝突が起こるでしょうね。我が国は流通の中心地ですから、その混乱は更に増すでしょう」
「そうなんだー」
これがゲームであれば(この世界も一応ゲームだが)、無限にコピーした金を無限にショップに売却し、無限のゲーム内通貨を得られるだろう。
ゲームのシステムにもよるが、お金で全てが解決出来る仕様であったなら、ユキの言う通り世界そのものを買い取ってしまえる。
だが実際に物を交換してやり取りする以上、そう理想的な流れを維持する事は出来ない。
ただし、ハルもアイリも口には出さないが、無尽蔵に金が生み出せるなら、やり方によっては世界を支配する事は出来てしまうだろう。
その様子が、たやすく想像された。
◇
なんとなく、会話が止まってしまった。インパクト重視で出した金だが、インパクトを与えすぎてしまったようだ。
ハルの考えが足りなかったのだろう。この力はハルが思っている以上に、世界に与える影響が大きすぎる。軽々しく見せびらかす物ではなかったと反省する。
少し軽率だったが、だが出来るようになってしまったものは仕方ない。割り切るしかなかろう。
「ハルさんは、この力を使って何を成されるのですか?」
「うん、水着を作る」
「……はえ、水着、ですか?」
「落差が激しすぎるよハル君……」
アイリがまた、ぽかんとする。今度はかなりゆるんだ顔で。気持ちは分かる。
ハル自身も、自分は何を言っているんだ、という気分になってくる。やはり金がいけなかったのだ。布あたりを出しておけば良かった。
だが、布のような複雑な物はまだハルには生成出来ないのだ。仕方がないのだ。ドヤ顔でテーブルの上にメイドさんの肌着をお出しする訳にも、いかないだろう。
「金なんか出したのがいけなかったね。でも他にわかりやすい物が思いつかなくって」
「つまり、単一の材料で作られてる物しか、ハル君は今作り出せないって事だよね」
「そうそれ」
「錬金術で抽出する、最小単位という事ですね」
アイリにも理解が通る。この世界の魔法技術はかなり進歩している。分野によっては科学的な知識は、向こうの世界と同等のものがあった。
「それで、ルナが向こうの世界の布で水着を作ろうって張り切ってるから、何とか叶えてあげたいんだけど」
「ハルさんの世界の物は、とても複雑そうですものね……」
「そうなんだよ。正直どうしたらいいかまるで分からない」
エー検五級の人間が、原子配列を弄って物質を変換しろと言われている気分だ。
一級の人間、どころか人類の最先端でも難しい。
ちなみにエー検はエーテル検定の略である。英語力とは関係ない。
「その金を売りさばいて、良さそうな布を買い集めれば良かったねぇ」
「順序が逆だったからね。それはどうしても結果論さ」
「金も凄いですけれど、お金を増やしたいならば金貨を直接コピーしてしまえば良いのではないでしょうか?」
「アイリちゃん冴えてるねー」
王女様は通貨の偽造にも寛容だった。
「まあ、アイリが望まない限り、そういう事はしないでおくよ」
「わたくし、お金にはそれほど執着がありませんので」
「ハル君が居ればいい?」
「はい! それだけで満足です!」
「ユキ、不意打ちを誘発するのはやめて……」
あまりにもストレートな言葉に思わず赤面する。
ハルは今、制御に回す領域が不足している。最近はなんとか保ってきた表面上の冷静さを維持できなかった。
「ま、まあ僕が居れば食べ物に困る事もないだろうからね。……あまり合成食品ばかり食べさせたくはないけど」
「わー、照れてる照れてる」
「だまらっしゃい」
誰のせいでこうなったと思っているのか。その当人であるユキにからかわれる。
「ハルさんの世界では、食べ物もコピー出来るのですか?」
「……いいや、完全なコピーは出来ないよ。どちらかと言うと、一から新しく作り出してる感じかな? コピーするのは、この世界での話だね」
「あ、そうでした。わたくしとした事が」
先ほどは金貨のコピーに思い至ったアイリとしては、少しおかしな事を言う。また心を読まれたのだろうか。確かに合成食品で、向こうの世界の食品を連想したが。
しかし今は、脱線した内容を戻さなければならないだろう。また素直すぎる好意をぶつけられては、今のハルでは耐えられない。
「逆にこの世界では、その一から作り出すのが大変でね。ひとまずは色々な物を<魔力化>して法則を探ろうと思うんだけど」
「お手伝いしますね!」
「ありがとう、アイリ」
「運動会までに間に合いそうかな?」
「うーん、難しいかも」
運動会、とは七柱の神々の使徒が、それぞれチームに分かれて対抗試合をするイベントだ。ゲーム開始して初の、大規模な対戦イベントだった。
チームがそれぞれ神に対応した色で分けられる様子を、『運動会』と呼んでいるようだ。ハルは『きいろぐみ』である。
「水着は楽しみですが、あまり焦らないでくださいね?」
「ありがとう。でも、この世界のことを知る事に繋がるから、なるべく頑張るよ」
「ちゅ、つまりそれは、わたくしと結婚するために、頑張ってくだしゃると!?」
「ハル君、墓穴掘ってる。さては頭足りてないな?」
「ぐっ、そうだね、少しね、足りてないね」
確かにアイリのこの反応は予想してしかるべきだった。領域を一つしか使っていない自分はこの程度か、とハルは少し落ち込む。
アイリの方も赤面して、二人でしどろもどろになって行く様子を、ユキとメイドさん達に生暖かく見守られるのだった。
◇
「運動会だけど、ユキは誰か神様と契約するつもりなの?」
「いいやー、ないよー。ルナちゃんも無いでしょ?」
「無いみたいだね」
「ハル君と敵になっちゃう事もあるかもだから、止めておくよ。それはそれで楽しいかもだけどねー」
「わたくし、一安心なのです」
運動会、対抗戦には当然ながら、特定の神と契約を結んだプレイヤーが優先的に参加できる。
契約者は必ず同じチームで配置され、変更は不可。契約していない者は、どのチームにも参加出来るが、望んだチームで出場出来るとは限らない。
そのため、対抗戦のため素早く契約を結ぶ者と、様子見を決め込む者にプレイヤーは二分されていた。
「まあ、運動会でそれぞれの神様もまとめて見られるだろうし、それを見て決めてもいいんじゃないかなー」
「そうだね。でも結構、契約を決めた人は多そうだ。気に入った神様が見つかったのかも知れないけど」
「そんな中でカナちゃんは自由すぎるよね。契約する気ナシ」
「カナリー様には、ハルさんがついて居ますから!」
「いますからー」
当のカナリーも会話に加わる。自然な動作でお茶を要求する様が堂に入っていた。
メイドさんも自然にそれに答える。こちらも慣れたものだ。この短期間でどれだけ要求してきたのであろうか。
「でもカナリーちゃん? 契約者とらないと運動会は僕一人なんだけど」
「ちょうどいいハンデかとー」
「掲示板でもそう言われてるねぇ、カナちゃんと契約出来ないのは、ハル君が一人でコスト使い果たしてるからだって」
「デッキ一枚でコスト一杯とか。ストラテだと思っていたら格ゲーだった、みたいな話だね」
「皆あれ使って二回目からは禁止になったよね」
決まったコストの中で兵士ユニットを選択するゲームで、一人入れると全てのコストを使ってしまうキャラクターが居た。
一見、無意味と思われる。だが蓋を開けてみると、数で攻めるゲームのはずなのに、そのキャラ一人を使った方が強いという残念なバランスになっていたのだった。ハルはそれに近いという事か。
「大丈夫です! ハルさんにはわたくしが付いていますから!」
「頼りにしてるね」
「はい!」
対抗戦は神界で行われる。つまり、自動的にアイリも付いてきてしまうようだ。
危険なのでカナリーに転送を妨害してもらおうと思っていたが、本人の強い希望によって参加する事になった。
名目上は遊びだが、神にとって重要な争いだと察しているのだろうか。
何をおいてもアイリを守らなくてはならない。その決意を、ハルは新たにするのだった。




