第67話 物質化
「ハル、素材が足りないわ」
「またか」
「今度は足りないと言うより、無いわ」
数日前に聞いたような台詞を、またルナから聞かされる。今はこちらは深夜、アイリは就寝中。ルナは朝の時間にログインしてきて、登校までの時間をハルと語らいながら過ごしている。
以前と同じように<錬金>をしながらの雑談だ。今日は加えて、足元に採取ポイントを配置しており、同時に簡易採取のゲージも溜めて素材も少しずつ回収している。
「何の素材だろう、僕が出せるかな」
「水着の素材よ」
「出せないね」
物質としての素材だった。それは流石にハルも無理である。
「難航してるんだね。普通の布で代用しちゃえば?」
「ダメよ。妥協は出来ないわ。色々と危ないものをご所望なら、その方向で行くけど」
「いえ、いいです。そっか、水に濡れるとね」
透けたり色々してしまうのだろう。
「しかし迂闊だったわ。プールが無いのだもの、水着も無いのは当然よね」
「こっちの世界、日本の文化がだいたい有るから忘れがちだね。お祭りもこっちじゃ馴染みが薄かったらしいし」
この世界の文化は、カナリー達が広めたらしい。日本のそれに近いが、完全に同じではない。
魔法がある、という事も加わり、完全に独自の路線を持っている物もあり複雑だ。
例えばプールは無いがお風呂はある。アイリは毎日入浴しており、そのための水の調達に苦労している様子も無い。これは魔法によるものだ。
生活には魔法が根ざしており、それが文化の根底となっている。恐らく、これも現代的な文化を再現するためにカナリー達が広めたものだろう。科学技術の代わりだ。
「ローブやマントに使う耐水性の高い生地が無かったっけ」
「伸縮性や肌触りに難があるわ」
「水に入る前に、水をはじくような魔法をかける」
「風情が無いわ。ハルもプールに入ったのに濡れていない女の子を見たくないでしょう」
「ごもっとも。それに遊んでる間に効果時間が切れちゃったりしそうだしね」
別にどこかで妥協しても良いのではないか、と思うところもあるが、せっかくルナが頑張ってくれているのだから叶えてやりたい。
それに、この問題は詳しく調べてみる価値のある、いや、調べる必要のある問題でもあった。
この世界の文化は、どのようにして作られたのか。それを調べる事で、世界の成り立ちが見えてくるかも知れない。
◇
「昨日は寝るまでの間、布を探して店を回っていたのだけれど」
「見つからなかったんだね」
「ええ、この国に無ければ期待は出来なさそうね」
「流通拠点だからね。魔法が盛んな南の方にいけば、もしかしたら開発してるかもだけど」
「この世界、技術が進んでいる所もあるのにチグハグよね」
「衣装はファンタジー風だから、技術を進める必要が無かったのかもね」
現代風の世界観であれば、魔法繊維のようなものも発達させなければ対応出来なかっただろうが、ファンタジー衣装なら無くても再現は可能だ。
神様は、あまりそこに力は入れなかったのだろう。
「お金に糸目を付けなければ、良さそうな生地も使えるかも知れないけれど」
「メイドさんも恐縮しちゃうだろうしね」
「というわけでハル。何とかしなさい」
「……難しい問題だ。でも避けては通れないかもね」
この世界への理解、魔法の上達、水着ひとつで達成できる良い機会だと考えればいい。
「そういえば、ハルは昨日は何をしていたの? またアイリちゃんとお出かけしたのでしょう?」
「ああ、神界にまた行ってきたよ。今度はカジノに行ってみた」
「神界にはあまり興味が無いけれど、アイリちゃんがはしゃぐ様子は見たいわね」
「公園はあまり干渉されないみたいだし。今度一緒に行こうか」
「ええ。……でも気にしないで? 行きたい時は早起きするわ」
アイリと神界へ行く時は、人の少ない深夜なので基本的にルナは一緒に来れない。
落ち着いた性質のルナは神界の施設にはあまり興味が無いようだが、表情を読むとアイリと出かけたい気持ちは強いようだ。
平日昼間にはお互い出て行けないのが惜しいところだった。ルナは絶対にサボりはしないだろう。
「カジノとなれば、ハルの得意分野ね。出禁にはならなかった?」
「ならないよ……、あそこカナリーちゃんの経営だし」
「ああ、元々VIPなのね?」
「むしろオーナーだった。どんな設定だ」
「ふふっ。……ごめんなさい、つい」
「バニー姿のアルベルト、ああ、小林さんね。彼女が『お帰りなさいませオーナー!』って、どう反応すればいいのか」
「っふふ」
何だかツボに入ったのか、ルナが楽しそうに笑っている。どんなハルの姿を想像したのだろうか。笑われている訳ではないので、ハルも止めたりはしない。
しばしルナの笑顔に癒される。
そんな設定にしたのは間違いなくカナリーだろう。ハルしか契約者が居ないと思ってやりたい放題だ。
それとも、ハルは今カナリーの一部なので、それがオーナー判定されているのだろうか。
なおオーナーであっても、プレイ無料になったりはしないようだ。だがカジノでは<幸運>が利く上に、視界操作で相手の手札を覗き見出来るハルには、コインを稼ぐのに苦労はしない。
どちらかといえば、稼いだコインでアイリに遊んでもらうのがメインだった。
「それで、コインの景品交換でこれを取ってきたよ。<防具化>。これを使ってみよう」
「<衣服作成>で作った服を、防具としてのアイテムに出来るスキルかしら?」
「うん。どこかにあると思ってたけどカジノにあった」
<衣服作成>は闘技場の交換景品。非常に安く、誰でも入手できるような値段設定になっている。<防具作成>が取れないプレイヤーでも、服を作って楽しめるようにとの救済措置だ。
これで作った服は、防具として装備出来ないが、とりあえず着て楽しむ事だけは出来る。
それを防具として装備アイテムに変えるのが<防具化>。二つで合わせて<防具作成>と同じになる。
<防具化>は交換レートが非常に高く、誰でも入手できる物では無いように設定されていた。なのでハルが思ったように、<防具化>を手に入れて、それで商売をしようと目論んでいるプレイヤーも居るようだ。
「このスキル、なかなか面白くてね。どうやら現地のお店で買ったような服も、気に入ったら防具に出来るようになってるみたい」
「……それは、少し大変な事じゃないかしら?」
「大変だと、そう感じるのは僕らだけかもね。普通のプレイヤーにとっては、どちらも種別が違うだけのアイテムだ」
つまり物質として形ある物を、形の無い魔力に変換出来るスキルだという事だ。手間がかかるとはいえ、誰でも入手出来る位置にあるスキルとしては異常だった。
ハルが意識拡張によって手に入れた派生スキル、それと同等のレベルにあるのではないだろうか。
「つまりそのスキルと逆の事が出来れば、ということね?」
「うん。この世界に好きな物質を作り出せる」
◇
「……それが可能になれば、水着の問題も解決だね」
「水着どころではないでしょうに」
「まだ出来ると決まった訳じゃない。それに影響が大きすぎる」
「慎重ね」
期待をして、裏切られるのが怖い、というのが半分。世界を相手取るのに、精神的に未熟だとハル自身も理解しているが、理解したからといって克服出来る物ではない。
もう半分は、もし可能になってしまった場合に想定出来る、事の重大さだった。
「神と同等の事が出来てしまう可能性がある、慎重にもなるよ」
「アイリちゃんは喜びそうね」
「アイリは僕への期待が高すぎるよね。無条件すぎるというか」
「盲目的なら問題だけれど、そうではないわ。ちゃんとあなたを見ている」
「うん」
だが、それでもハルが自分に自信が持てるかというと、また別の話だ。
「でもハル。物質を作れるのが、神様と同等なの?」
「それだけで完全に並べるって意味じゃないけどね。でも、この世界の成り立ちについては深く関わってる」
「日本的な文化の事かしら」
「うん、そう。最初はゲームだからって気にしなかったけど、ここが独立した世界だと考えてみれば不思議なんだ、食事について」
食事があまりにも日本的すぎる。
サンドイッチがあり、コーヒーがあり、日本人の口に合う米があり、豆腐まである。はっきり言って異常だ。
国ひとつ、地域ひとつ変わるだけで、食材の品種は大きく変わる。都合よくこの世界に日本米が存在している事は、人間が存在している事を考慮しても異常すぎる一致だった。
「だから調べてたよ色々、リアルの方で。前時代からのデータ断絶で失われた資料も多いけど、米の事はしっかり残ってた」
「流石ね、お米については。……というかハル、リアルでそんな事してたのね。最近はギルドホームや神界にかかりきりだと思ってたわ」
「ギルドホームは、言ってしまえば遊びだからね。本来の目的は忘れる訳にはいかないよ」
「結婚ね?」
「えっ、あ、うん、まあ、違わないんだけど」
違わないのだが、『そうだ』、と即答するのも抵抗があった。隙あらばハル弄りをしてくるルナだった。その技術には舌を巻く。
意識の隙間に入り込むのは、もしかしたらハルより上手いのかも知れなかった。
……単に、ハルが自滅しただけであろうか。
「ごめんなさい? それで、結果はどうだったのかしら」
「遺伝子が見れる訳じゃないから、まだ完全に一致とは言えないんだけど、恐らく元は日本にあった品種だ。百年以上経って、だいぶ変化してはいるけどね」
ハルが魔力をコピー&ペーストするように、神々が物質をコピー&ペーストし、この世界に齎した。そう考えれば合致する推測は多い。
<防具化>が、物質の服を魔力データに変換する事を可能とするなら、つまりはその逆も可能になると考える事が出来た。
「もう試してみたの?」
「まだ。材料をメイドさんに用意してもらってるとこ」
ルナがログインしてくる前、アイリが眠った後のタイミングで、メイドさんに頼んで要らない服を用意してもらっている。
メイドさんはこの部屋には入って来ないので、取りに行かねばならないだろう。ハルが部屋の戸を開けると、戸の傍で待機していたメイドさんから籠に入った服が手渡される。
お礼を言って、ルナの元へと戻った。
「古くなった肌着を使わせてくれるって。雑巾にするやつだから気にしないでってさ。……雑巾が減っちゃう事を気にするべきか」
「神になったら雑巾を作ってあげなさいな」
「実用的な神様だね」
「親しみが持てて良いのではなくて?」
金を大量生産するとか言い出さなくて良かった。俗物的な神様になっていたところだ。
ルナ好みの答えなので、それはそれで会話が盛り上がっていただろうとハルは思う。どちらが良いか迷う所だ。
いや、どちらにせよ未だ皮算用なので、習得に向け進んでいかねばならない。
「そのたくさんの女の子の肌着をどう使うのかしら」
「……またルナの言い方がいやらしい。真剣にじっくりと観察するんだよ」
「乗って来るのも珍しいわね。深夜だからかしら」
「向こうはもう朝だけどね」
──黒曜、12領域接続。平時だ、低負荷でゆっくりやって。
《御意に。意識拡張を行いますか?》
──そうだね、限定0.5%で。
《御意。少々お待ちください》
スキルの習得が関係する事であれば、分散した領域を統合しなければ判定されない。ハルは領域を統合し、意識を拡張していく。
そうして、“僕”の様子が変わった事に、ルナも気がついたようだ。
「大丈夫かしら。これから学園よ?」
「戦闘する訳でもないから、無理はしないよ。こうしないと僕はスキル覚えられないからね」
「スキルも、何なのか気になるわね」
「そうだね。でも今は置いておこう。後回しだ」
「そうね。とりあえず一つずつ」
<防具化>を起動して、メイドさんの服を防具へと変換していく。
その、物質が魔力へと変わっていく様子を、<精霊眼>で観察する。
「何も変化無し、か」
「《はい、ハル様。スキルに変化はありません》」
「まだ一枚目よ、ハル」
ルナの言うとおり、焦る必要は無い。例え今出来なくとも、授業が終わった後にでも再挑戦すればいい。
いや、服をコストとして使うのは、少し大きいだろうか。魔力なら潤沢にあったので、今までで一番重いコストのような気もしてきた。良く言えば倹約家、悪く言えば貧乏性だ。
だがやらなければ始まらない。続けて二枚目に取り掛かる。今度は一枚目との差異の大きなもの、サイズが大きく、縫い目が破れた物を使う。
一枚目との差異を観察し、変換する際の法則を探る。
「しかし材質が同じだからな」
「着ていた人は違うのだから、汚れの変換にも注目してはどう?」
「ふむ」
着ている人間が違えば、汚れのつき方も違う。少々マニアックな視点だが、茶化す様子は無い。ルナも真剣に考えてくれている。
「まだ無理か。……次はついでに無意味にパーツを増設しよう。金属アクセつけちゃえ」
「片側を貸しなさい?」
どこまでが“服”として判定されるかは分からないが、服の形をしていれば恐らく大丈夫だろう。<防具作成>で型紙が作れるくらいだ。
僕とルナは服の左右を引っ張り合うように、思い思いの材料を取り付けていく。ルナは倉庫に裁縫道具や布を常備しているようで、幅が広がった。
「はい、三枚目を変換。どうかな」
「《変化はありません》」
「……スキルに頼らず、僕自身が変換を試してみるか」
<魔力操作>を覚えた時の事を思い出す。あの時は、ゼロからのスタートだった。スキルを使用しなければ覚えられない、という事は無いはずだ。
<防具化>を実行した時の魔力の流れを、再現するようにイメージする。必要なのは防具にする事ではない。それを抜いた、もっとシンプルな部分。物質が、エーテルへ置き換わる事。
「難しいね。何かを見落としてる。カナリーちゃん」
「はいはーい」
「視界借りるよ」
「お目目どうぞー」
僕は目を閉じ、かわってカナリーの目を借りる。プレイヤーの視界よりも詳細な情報が見えるはずだ。
その状態でもう一度<防具化>を実行。今まで見えていなかったものを理解する。
「黒曜、差分の情報を抽出して」
「《御意に。完了しました。また、<神眼>のスキルが登録されました》」
「あれまー」
「いいタイミングだ」
早速<神眼>を起動すると、黒曜から送られてきた差分情報を加えて、服の変換を試みる。
物質と魔力は違うものだと思うから悪いのだ。その先入観を捨てる。リアルのエーテルだって物質の一部だ。
それに今までは魔力の詳細だけを見て、物質側の詳細はそれに見合う情報が見えていなかった。<神眼>によりそれが補正されると、今度はきちんと服を魔力に変換する事が成功した。
「《ハル様、<魔力化>、および<物質化>のスキルが登録されました》」
「よしっ! 可逆変換なのか、ありがたいね! って、痛ったぁー……」
完璧な流れについ舞い上がってしまうと、頭痛が響き、目眩がする。ルナの心配そうな表情が目に入り、冷静になる。
目的は達成した、それも上々と言えよう。僕はそこで統合を切ると、ひとまず脳を冷やす事にした。




