第656話 黒幕がその計画を語る時は
紫色の魔力の爆発が収まると、そこには既に公爵の姿はなかった。
爆発に皆が怯んだ隙に、逃亡を図ったようだ。良い判断だ、この場で戦うことを選んでも勝ち目はないだろう。
「ふふふん。こんな苦し紛れの範囲攻撃ぶっぱで、ローズちゃんが倒せると思ったか!」
「……人の背に隠れて強いセリフを吐くな。最高に小物っぽくてある意味“らしく”はあるけれど」
「どやぁあああ……」
「褒めてない。こいつはともかく、他の皆は平気かい?」
目的は目くらましとはいえど、かなりの威力を伴った攻撃にもなっていた。
公爵を捕縛しようと接近していた騎士はその直撃をもろに被り、とっさにハルが防御の魔法を張ったがそれでも大きく吹き飛ばされた。
魔法を掛けられなかった裁判官たちが気になるところだ。
「我らのことは案ずるなかれ、ローズ侯。こう見えて、日々の鍛錬は欠かしておりませぬぞ?」
「のようだね。強そうだ」
「侯こそ、大事ありませんかな?」
「問題ない。僕も強いよ」
「侯爵閣下、危ない所をお助け下さり、感謝いたします!」
吹き飛ばされた騎士も、幸いダメージは無いようだ。防御の魔法はきちんと間に合ったらしい。
こんな展開も想定して、ハルはあらかじめこの場の全員を<精霊魔法>の対象に取り、影響下においていた。
ハルから離れた騎士に対して、とっさに防御を発動できたのもそのためである。
「しっかし、すげー威力だったなぁあの爆弾」
「爆弾じゃないけどね、正確には。ただ、確かに威力はなかなかの物だ。使い手が雑魚でも、お構いなしの効果か」
「さりげに、酷っど。まあ雑魚だけど。しかし、その威力の爆発受けてもこの建物はびくともしないのな?」
確かに、通常の建造物ならあの爆風に曝されれば半壊やむなしであろう。耐えられそうなのは、専用に強化したクリスタの街の領主館くらいか。
そんな攻撃に対して、この神殿の審判の間には傷一つ付いていなかった。
これは『頑丈』などという言葉で片付けていい物ではない。
「アンブロークンオブジェクトかぁ? 硬いってか、無敵だよな、コレ」
「驚かれましたかな? この神殿は、どのような存在であれ害することは不可能です。この大天秤と同様に、神の力が満ちておりますからな!」
「たっしかに。これ見せられちゃ誰だって奇跡を信じずにはいられねぇよなぁ」
「でしょうとも。でしょうとも」
特に、プレイヤーはだ。大抵の物が破壊できるこのゲームにおいて、破壊不可設定の物質というものはそれだけで特別。
神の力、すなわち運営の力による設定がなされていると一発で理解できる。
《凄いのは分かったけど》
《追わなくていいの?》
《このあたり貴族だよな(笑)》
《優雅にしとる場合かぁー!》
《まあ、逃げた時点で有罪確定だし》
《なんなら最初から有罪確定だし》
《でもこの後何するかわからんよ?》
《お城で暴れるかも!》
「さて、皆が無事でよかったですが、落ち着いてばかりも居られません。カドモス公爵はこれより第一種手配指定。緊急時特例として、この場にて私の権限で発令しましょう」
「はっ! すぐに追跡部隊を組織します!」
神官判事が何やら宣言すると、警備の騎士たちが慌ただしくこの場から出て、公爵の追跡に入る。
普通に現行犯でいいだろうとハルは思ったが、相手は大物貴族だ。確かに、令状のような物が必要なのかもしれない。
「大事っぽい表情だねみんな。『第一種』だしかなり重そうだ」
「また、なーにも知らないでいらっしゃる、このお嬢様は。普通に国家反逆罪みたいな扱いよー、こりゃー」
「神前裁判から逃走、あまつさえ神殿内での戦闘行動。当然の処置ですな」
「なるほど、すごいね」
《優雅だ……(笑)》
《この期に及んでまだ一人だけ貴族》
《出たな、格の違いってやつが》
《良いことかぁ、これ?》
《強者の余裕ってやつよ》
《このままお茶でも飲みそう》
《下々の働きを見ながら飲むお茶は格別ですわぁ》
《ローズ様はそんなこといわない》
「……まあ、裁判はお流れになっちゃったし、確かにお茶でも飲みたいところではあるけど。生憎、ここにはメイドさんも居ない」
「お、行くんかローズちゃん」
「なんか起こる、って言ったのは君だろう? 確認しに行くとするさ。城に被害が出るのも本意ではないしね」
ハルは席を離れると、今後の対応を協議する裁判官、改め、今は捜査官となった神官貴族の前を横切って、つかつかと公爵が出て行った入口の方へと向かう。
すぐ後ろには、手下のようにミナミがちゃっかりと付いて来ていた。
「行かれるのですかな、ローズ侯? 危険ですぞ。ここは兵に任せてしまっても、誰も責めますまい」
「野次馬根性が旺盛でね、僕は。それに、奴を逃がしてしまった責任もある」
「お気をつけなさいませ。……それと、後ろの彼ですが」
「ぎっくぅ!?」
「ああ、何か変な事しないように監督しておくよ」
「ややややや嫌だなぁ。自分の立場くらいわきまえてますってぇ。ローズ侯爵閣下の補佐をするだけでっす! しっかり力になりまっする!」
「頼みましたぞ?」
正直、ここからミナミが公爵側につき敵に回るとはハルも思ってはいないが、信用できる訳でもない。
しかし仮に何か妙な事をしでかされると、その時はハルの責任になるのだろうか?
「……それは困るな。まあ、何か妙な動きを見せたら、その場で断罪すればいいか」
「ポツリと怖いこと決定するのやめてね!?」
そうして何を企画しているのやら、妙に浮足立った態度のミナミを連れ、ハルは神殿内から外へと足を踏み出すのだった。
*
ここ、裁判のため使われた神殿もまた本城から少し離れた位置にあり、周囲は落ち着いた庭園のようになっている。
その庭はさすがに破壊不能の設定はされていないようで、美しく整えられた芝生や花々が一部焼け焦げて、黒い煙のエフェクトを発生させていた。
「おーおー、派手に痕跡残しちゃってまー。しかし、ぷっつり途切れてんな。ローズちゃん、出てきたはいいが、追う当てあんのぉ? “足跡”途切れちゃってるよ」
「あるさ。無策で僕が動くと思うかい? 公爵のことは、カナリアが追っている」
ハルが手を顔の高さまでかざすと、そこに小鳥の召喚獣が軽く鳴きながら舞い降り、可愛らしくとまった。
周囲には既にこの使い魔達が展開されており、審判の間を出た公爵の足取りもずっと追跡済みだったのだ。
《なーる。それで余裕だったと》
《相変わらず便利》
《無くても余裕だったと思う》
《ローズお姉さまだからな……》
《しかし、最重要施設にスパイ鳥は……》
《スパイ鳥言うな》
《もうこの国はやりたい放題かな?》
《城内も覗き放題》
どうだろうか。この神殿、なまじ神の力で満ちているため、そういった侵入者対策の魔法的警備は成されていなかった。
これが、王城の重要施設となると、また話は変わってくるかもしれない。
まあ、自国の城に侵入工作を仕掛けることなど無いに越したことはないのだが。
「んで、その公爵はどーこだ?」
「上」
ハルが小鳥のとまった腕でそのまま空を指すと、そこには邪悪な見た目をした黒いドラゴンに乗った公爵の姿があった。
ドラゴン、といってもそう大きなものではなく、ハルが馬車馬代わりに働かせていた神聖な見た目のドラゴンと、丁度同じくらいの大きさである。
もしかすると、属性違いだろうか。
「うげぇ、待ち構えちゃってるよ。あの爆発はこのドラゴンちゃんの攻撃かーい」
「ふん! 遅かったな貴様ら! だが褒めてやろう、臆せずに堂々と出てきたことはな!」
「どうしたんだい公爵? 高い位置に立って、ずいぶん態度も大きくなったじゃあないか。さっきまでは、情けなくガクガクと震えていたというのに」
「震えてなどおらぬわ!」
《煽りよる(笑)》
《でも確かに滑稽だよな》
《あんな飛竜など、何匹もくびり殺してきたよ》
《くびり殺した(笑)》
《事実なんだよなぁ……》
《あの時の飛竜より強そうじゃない?》
《でもどっちにしろローズ様の敵じゃない》
確かに、クリスタの街でかつての領主が隠し持っていた紫水晶。そこから現れた飛竜の群れよりも、あれは上位のものだろう。
とはいえ、それ一匹でハルがどうこう出来る訳もない。
まさかあのドラゴンが、神域で戦った『ヘリオス』よりも強いなどということはないだろう。いや、あってはならない。ゲームバランスが死ぬ。
「それが切り札だと言うならば、随分と貧弱であると言わせてもらおう」
「言っておれ。これから恐怖に震えることになるのは、貴様なのだからなぁ、のう小娘」
「俺は? 俺はー?」
「小僧など眼中に無いわ!」
「がーんっ! ひっどいぜ旦那ぁ……」
「だが最後にひとつ褒めてやろう。“コレ”の存在を黙っていた事についてはな。もし事前に水晶の持ち込みが暴露されていたならば、その時は本当に手詰まりだったであろうよ」
「……まっ、逃げてもらえるように、黙っててやったんだけどねぇ」
そのミナミの呟きは、気分よく上から語る公爵には届かない。
さて、そんな彼はここからどうするというのだろうか。まさか、あのドラゴンを暴れさせて終わりでもあるまい。
確かにあのドラゴンは強力なモンスターなのだろうが、それでも一匹でそう大きな事は出来はしないだろう。ハルが居なくても、さすがに城の精鋭たちが集団で掛かればそれまでだ。
仮にも一国の本拠地。そうやすやすと陥落する戦力ではあるまい。
「さて、わざわざ貴様らを待っていてやったのは、これから起こる大惨事を知らせてやるためだ」
「なるほど? 親切だね。本当はすぐにでもこの場から逃げ出したかったのに、なんて健気な……」
「黙れいぃ! 口の減らぬ奴よ……、だがそんな軽口もすぐに叩けなくなるわ……!」
そこでカドモス公爵はハルたちから視線を外し、ぐるりと周囲を睥睨するように見回していく。
あれは、この高台に建つ城から見える城下の街、その景色を、更に上空に立つ位置から見渡しているのであろうか。
つまり、狙いはその城下町ということか。
「見よ! と言っても、貴様らからは見えぬかのう? この眼下に広がる王都全てが、これから血と炎と、狂乱に染まると予言しようぞ!」
「……穏やかじゃないね? でも、どうやってそんな大それたことを成すつもりだい? まさかそのカッコイイ竜一匹で、それが可能だとは思っていないだろうね?」
「ふん。まさかな。コイツも中々に強力な個体ではあるが、あの場で貴様らを殺せなかった時点でそれは求めぬ。コイツに求めるのはスピードの方よ」
「この場から逃げるためだね」
「黙れと言うとるわ!!」
《強者の余裕》
《下から見下ろすローズ様》
《安心して語っていますが、今彼は射程の中です》
《ジャンプ一歩で届くんだよなぁ……》
《……ジャンプに二歩目があるのか?》
《お姉さまなら二段ジャンプしても驚かない》
二段ジャンプはしないが、射程内なのはその通りである。
空中から見下ろすことで得意げになっているようだが、ここから<神聖魔法>で狙い撃ちに出来るという意味では、地上に居ようと空中に居ようと同じだ。
むしろ、遮蔽物の無い空中の方が狙われやすくて危険かも知れない。
それを知らぬ公爵は、安心しきって自分の計画について語っていくのだった。
「……口の減らぬ小娘めが。まあよい、貴様も、あの水晶については知っておるな? それを退けて今ここに立っておるのだ、強気も頷けようというもの」
「まあね。僕も、僕の街も、何度かあれに襲われてきたよ。君が元締めだったのかな?」
「さてな? しかし、国内の流通に関してはワシが一手に担っているのは間違いないぞ。つまり、これが一体どういうことか」
「クリスタの街を襲った数の比ではない水晶を、君は所持しているということか」
「その通りよ!!」
やはりそう来るか。クリスタの元領主も、次いであの街を狙った者たちも、何者かの子飼いといった様子であった。
後ろ盾には大きな権力がついており、それは中央の貴族だとハルは睨んでいた。
この国の外にも紫水晶による事件は広がっているため、彼が全ての元締めとは思わないが、少なくともこの国でのトップであるのは彼の言う通りな可能性は高い。
「その膨大な数の水晶、今何処に保管されておると思う?」
「単純に考えるなら君の屋敷で、君の屋敷からモンスターが溢れ出してくるんだろうけれどね」
「ふふふ、そうさな。だが、それでは貴様がクリスタで倒した雑魚の二の舞よなぁ」
「部下の失敗から学ばせてしまったか」
変なところ勤勉でいないで欲しい。面倒くさいので。
ただでさえ、街中からモンスターが湧いてくるだけでも面倒なのに、今回はそれすら対策済みだという。
まったく勘弁してほしいものだ。
「賢明な貴様のことだ、もう分かったであろう? ワシが水晶を、何処へ隠したのか」
「街の地面にまんべんなく埋めて、この首都のそこかしこからモンスターが湧き出るんだろう?」
「しれっと恐ろしいことを考えるでないわ! 警備の目をかいくぐって、そんな細工が出来る訳がなかろう! よく考えろ!」
「ああ、そういえば下水道とか無かったっけ、この街」
「やはり貴様、ワシの側の人間であろう……」
人目を憚り街の隅々まで手を伸ばすにうってつけの通路が存在しないぶん、それは裏工作もやりにくくなるか。
となれば必然、街の外となる。そのハルの思いを肯定するかのように、彼は再び、ぐるり、と空から首都中を見渡した。
「そう、すなわち街の外よ」
その宣言と共に、首都を取り囲むように外壁の外を紫の輝きが染めるのだった。




